アテネ旅行記4 哲学するための場と時間
冬場の日曜日、アテネの古代ギリシャ遺跡は入場無料。この日、無料デーに目がくらんで、しゃかりきに遺跡巡りをしている我々は、適当なカフェでサンドイッチを軽く食べてお昼ご飯を済ませてしまい、古代アゴラへと向かった。
ゼウス神殿から、古代アゴラへと向かう道は、ちょっと驚くくらい混雑していた。カフェが、路上にテラス席を出し、そのテラス席が、どのお店も信じられないくらい満席であり、そのテラス席のために狭くなった通路は、真っ直ぐ進むにもなかなかストレスなくらい人がいて、完全に人口密度高すぎの状態であった。
今日は日曜だし、アテネにはギリシャの人口の4分の1が集結しているらしいし、休日の午後ってこんなものなのだろうか。原宿の竹下通りや、渋谷のハチ公前交差点と同じくらいの混雑ぶりである。
どうやらこの日は、カーニバルの最終日曜か何かに当たる祝祭日だったらしく、そのための混雑だったようだが、まともに前に進めない人の多さのせいで、古代アゴラにたどり着くまでに、予想以上の時間がかかってしまった。
古代アゴラに着いたのは、既に午後2時近く。本日、古代アゴラは3時には閉まってしまう。わずか1時間では、ゆっくり見て回れる広さではないのだが、せっかく苦労して人波をかき分けてここまで来たのに、入らないで帰るのはちょっともったいなさすぎる。
我々は皆、急いで観光するのは好きではないのだが、ここまで来た以上、とりあえず中に入ることにした。
本日は、無料入場できる日なので、地元の人達も、散歩がてら、と言う感じで、どんどんアゴラの中に入って行く。
さてっ!アゴラの中に入ると、すぐに正面にはアクロポリスが見える!おー。高校時代、「古代ギリシャ人は、アクロポリスとアゴラを中心にしてシノイキスモス(集まって住んだ)し、ポリス(都市国家)を形成した」とか覚えたけど、まさにそれを今目の前にしているわけだ。
町の高台にあるアクロポリスが、町を守護する神を祀り(アテネだと女神アテナ)、その神殿の下に、人々が集まる広場がある。何となく、町の形態が、最初はこのような形を取るのがわかるような気がする。
今だって、東京には東京タワーやスカイツリー、パリにはエッフェル塔、ニューヨークには自由の女神像があるように、人が集まる都市部には、その都市の象徴となる、高さを持った…なるべく町のいろいろな場所から見える、人工物が作られている。
人間はシノイキスモスすればするほど、人口が増え、人口が増えれば、顔も見たこともない人々と協力して、世界を形成していかなければならないわけだ。その意味で、人々を結束させるための象徴を、社会は必要とするのだろう。
この場合「社会」と言うのは、その時代の為政者の明確な意図を指すのか、ぼんやりとした社会全体の無意識の要請を指すのかは、ちょっとわからないけど。
そんな風に考えると、アゴラから見上げるアクロポリスってのは、奥が深いのだなあ…。
古代ギリシャの人々は、こうやってアクロポリスを見上げながら、ここアゴラで、政治討論をしたり、哲学対論をしたり、生活必需品をそろえたりしてたんだろうなあ。
アゴラの役割は、今のヨーロッパにある「広場」の原型みたいな感じなのだと思う。市場が開かれ、人々が集まっておしゃべりをする、つまり「経済」と「社交」の中心であるという性格が、アゴラから広場へと引き継がれている。古代ギリシャのアゴラが、現代の広場と違うのは、政治や裁判の中心であり、公共性が強かったという部分であろう。
ちょっと哲学好きな私にとっては、アゴラで、哲学対論がなされていた、というのが一番感慨深いところである。ここでソクラテスとかソフィストとかが、あーてもないこーでもない、と、議論を戦わせていたのだなあ…。
ちなみにソクラテスと言えば、恐妻家としても有名である。まーそりゃ、そーだよなー…。学生時代に、「倫理と経済は相反するベクトルを持つ」と誰かに言われたのが心に残っているが、お金儲けと哲学者って、ちょっと結びつきにくいものである。
ソクラテスが、いくらアゴラで、あーでもない、こーでもないと理屈をこねまわしたところで、それは、奥さんにとっては、一切の家計の助けにはならないのである。家計を切り盛りする妻にとっては、「アンタ、そんなどうでもいいことに没頭しないで、ちゃんと稼いできなさいよ!」ってとこなのだろう。
どうでもいいこと。ぶっちゃけ、哲学はそれに尽きる。正確に言えば、「実生活にとってはどうでもいいこと」である。じゃあ、何にとってはどうでもいいことではないのか、と言うと、精神生活である。ソクラテスは、人間はただ生きるのではなく、善く生きるべきだという主旨のことを言っているけれど、ただ生きるためには、哲学は必要ないのである。
なぜ、ギリシャで哲学が生まれたのか、を考えると、この「どうでもいいこと」は、案外キーワードだと思う。ギリシャでは奴隷制度が発達していたため、労働を奴隷に任せたポリス市民は、時間が余り、ヒマになったのだ。
人間は、ヒマになったら、余計なこととか、どうでもいいことを考えるようになる。ちなみに、このヒマな時間のことを、古代ギリシャ語では「スカラー」と言うらしい。英語の「スクール」の語源である。
現代の先進社会では、奴隷はいないが、代わりに機械の発達で、人間の労働時間は短縮されている。だから、子供たちには時間が余り、その余った時間に「スクール」に行くのだと考えると、なかなか面白い。
学校で習うことのほとんどは、実生活に役立たない、どうでもいいことだけれど(成績や偏差値が学歴社会で役に立つと言うのは、また別の話だ)、どうでもいいことを学ぶことの不満ではなく、どうでもいいことの面白さ、奥深さってのを、本当は知るための時間だったのかもしれないなあ。
まあ、そんなこと、子供の頃にはわからない。その意味では、むしろ「スクール」ってのは、大人になってから行った方が良い場所にも思えてくる。でも、逆に、現代社会でも、まだ大人が「スクール」に行くだけの余裕、「スカラー」ってのは、社会全体に無い、ということなのだろう。
それに、便利すぎて「スカラー」だらけの社会ってのもロクなことはない、と、手塚治虫作品を始めとして、SF作品によって予感されているという面もある。
話が脱線しすぎである!!!(これはヒドイ)
さあてっ!1時間しかないけど、アゴラを見て回るわけだよ!
とりあえず見ておきたいのは、ここ古代アゴラで発掘されたという勝利の女神・ニケ像。古代ギリシャ・ローマ時代の彫像で、現在まで残っているものは、ローマ時代にギリシャ時代の作品を模して作ったもの、つまりコピー品が多いのだが、このニケ像は、古代ギリシャ時代のものらしいのである。
ニケ像は、古代アゴラ内にある、古代アゴラ博物館に展示されている。古代アゴラ博物館は、古代アゴラに入場して左手の方、ちょっと違和感のある、白い柱が立ち並んだ大きな建物である。
この建物、違和感があるのは当たり前で、20世紀に完全に復元して再建されたものなのだ。アタロスの柱廊、と呼ばれるものらしい。
今回は旅程に入っていないが、クレタ島のクノッソス宮殿も復元なんだよなあ。日本でも、平城京の一部が復元されたりした。復元することが、観光の収入につながるから復元するのだろうけど、こういう復元されたものを見たいと言う気持ちは、私はちょっとワカラナイ。
無くなったものっていうのは、無くなったこと自体が歴史なので、そこに「無い」ことに意味があると思うんだけどなー。
で、この古代アゴラ博物館をじっくり見学する時間はないので、ニケ像だけ探して、鑑賞することにした……のだが、どこにもナイっ!係員さんに聞いてみると、最初、間違ってアフロディーテ像に案内されてしまったし。
探しに探した結果、ニケ像は、柱が立ち並ぶ廊下の、一番後ろ側(古代アゴラの入口側)に展示されていた。
一歩踏み出した片足、これがニケの特徴である。
古代の彫像は、首の所で折れてしまいやすいのか、顔が残っていないことが多く残念である。だが、このニケ像は、顔のほんの一部ではあるが、口元の部分だけが残っていて嬉しかった。
このきゅっと結ばれた口元。全体ではどのような表情をしていたのだろうか。でも、何となく、端正な顔立ちが想像できる気がするなあ。古代ギリシャ彫刻ってのは実に端正だ。
さて。ニケに対面できたところで、残りは30分強。次は、非常に保存状態がよいとされる、ヘファイストス神殿に向かうことにした。
ヘファイストス神殿は、古代アゴラの中の、少し高くなったところに見えている神殿である。
神殿の名前の通り、オリンポス12神の一人、鍛冶・炎の神であるヘファイストスを祀った神殿である。
ヘファイストスは、オリンポス12神の男神の中では、一番地味な存在である。というのも、鍛冶の神様だから器用で、何でも作れるのだが、かわいそうなことに、不細工という設定なのである。
そんなわけで、美男とされるアポロンやヘルメス、全能神ゼウス、美男とは言われないけど大海を治めるポセイドンらに比べると、どうしても華やかさに欠けるのである。
しかし、そんなヘファイストスさんは、最も美しい女神アフロディーテを妻に持つ。やるねえ、ヘファイストスさん!やっぱり男は器量より器用だね!と言ってあげたくなるところなのだが、美人妻アフロディーテは、夫に興味を持たず、凶暴だけどイケメンの軍神アレスと浮気してしまうのである。
…むむむ。ギリシャ神話の神様たちは、もうほとんど人間と一緒って感じのエピソードである。
無骨なイメージがあるヘファイストスさんだからか、ドーリア式の簡素な柱が立ち並ぶ神殿である。
柱は簡素だけど、彫像で飾られたレリーフが残っている。アクロポリスのパルテノン神殿は、こういった彫像がほとんど残っていないので、ヘファイストス神殿には残っていて嬉しい。これは半人半馬のケンタウロスの彫像。
神殿のあちら側が見えている。もともとは中にヘファイストス像でもあったのかなあ。
このヘファイストス神殿を見学しているうちに、閉場時間の3時まで、あと20分くらいに迫ってきた。すると、古代アゴラ中に、奇妙な笛…体育の時間とかで体育教師が吹いているような笛…の音が響き渡り始めた。明らかに「出ていけー!出ていけー!」という音で鳴っていた…。
あと20分もあるのにさー。本当にイタリア人といいギリシャ人といい、普段はルーズなくせに、こういう時だけは時間に正確というか、むしろせっかちすぎるんだよなー。
古代アゴラは、やっぱり1時間では全然時間が足りなかった。中にビザンツ様式の教会とかもあるらしいので、そういうのも見学したかったのだが、そんな時間どこにもなかった。アゴラの中で「無知の知!」みたいな哲学問答もやってみたかったんだけど、そんな時間もなかった(そんなことはやらなくてよろしい)。
笛に追い立てられながら、出口の方に向かうフリをしながら、ヘファイストス神殿から、出口までの間にあるモニュメントなどを急ぎ足で見学した。
こちらはローマ皇帝ハドリアヌス帝の像。もちろん、アテネがローマ帝国の支配下に入ってから作られたものであろう。古代彫像によくあるように、頭部が欠けてしまっている。胴体の真ん中あたりに、雌狼の乳を飲んでいる人間の双子の赤ん坊がいるのがわかるだろうが。言うまでもなくローマのシンボルである。
この、何だか情けなさそうなおじさんはトリトンである。いわゆる半漁人。トリトンも、先ほどヘファイストス神殿に彫像があった半人半馬のケンタウロスも、半分は「獣」なので、好色で野蛮な存在としてギリシャ神話では描かれる。人間理性を尊ぶ古代ギリシャ人ならでは、の奇獣である。
こちらは、何がモデルなのかはわからないけれども、首が取れてしまっている彫像。座り方がお上品なので、女神像だろうか。
その女神像(?)の向こうにはアクロポリスが見えている。ああ、今ギリシャにいるんだなー、と、今さらながら実感する風景だ。
さて、閉場時間まで10分を切ってくると、場内には笛の音と共に、「パラカロ!パラカロ!」というおじさんたちの声が響き渡り始めた。「パラカロ」は、私が覚えてきた数少ない現代ギリシャ語のひとつで、英語のプリーズに当たる。「退場してくださーい!」くらいの意味なのだろう。
5分くらい前には、係員のおじさんたちは、ほぼ全ての観光客を外に追い出した。こういう場合、ギリギリまで見学できる日本とは違うよなあ。ケチっ!と言いたくなるが、今日は無料入場しているので、ケチとはさすがに言えないな…。
古代アゴラを出ると、道は相変わらずの混み具合であった。古代アゴラの出口のすぐ近くには、アドリアノスの図書館がある。アドリアヌスはローマ皇帝ハドリアヌス帝のことだが、このハドリアヌス帝は、アテネのいろいろなところで名前を見かける皇帝だ(さっきのハドリアヌス像とか、アドリアノス門とか)。
こちらがアドリアノスの図書館っ!こちらも本日無料入場できた遺跡なのだが、古代アゴラと同じ時刻に閉場してしまったため、中には入れなかった。だが、外からでも、コリント式の美しい柱を十分眺めることができる。
ここは、もしかしてフレスコ画でも描いてあったのだろうか?と思わせる、色がついた部分。絵が残っていたら面白かったのになあ。
この図書館はローマ時代に建てられたものではあるが、古代ギリシャ時代に描かれた壁画的なものは、ほとんど残っていない。見つかったら大発見なのだろうけど、ポンペイみたいに、灰の下に埋もれた建物でも発掘されない限り、難しいだろうなあ。
えーと古代アゴラのところで脱線しすぎたせいで、長くなっちまいましたな。てなわけで、この後、新アクロポリス博物館に行くのだけれど、続きは次回っ!