デロス島旅行記4 自力で立つこと、産みの苦しみ

デロス島

3/3デロス島
レイクハウス
聖なる湖
ライオン像
アポロン神殿跡など

さて、デロス島で我々に残された時間はあと50分となった。

案ずるな。プロ野球の史上最短試合時間は55分だそうだ(1946年)。その気になれば、50分もあれば、野球の試合を終わらせることもできるかもしれないのだ。案ずるな。

そもそも、本当に案ずることはないかもしれない。というのも、この時点で、我々はキントス山も博物館もクリアーしている(デロス島はゲームじゃありませんよ!)。今回は訪問を諦めた体育館跡以外の、残っているエリアは、全て平地。山を登ったり下ったりはおしまいなのだ。

博物館を出た後は、まだ回っていない平地エリアを、時計回りにぐるっと回って、船着き場まで行くのが効率がよさそうだった。そこで、まず目指したのはレイクハウス。新築のプチアパートみたいな名称だが、聖なる湖に近いからこう呼ばれているらしい。

柱が何本か残っていて、かろうじて家っぽさが残っているレイクハウス。あとからゆっくり切符売り場でもらった説明書を読むと(この時は時間がマッタ無し)、紀元前2世紀くらいの住居跡だそうだ。雨水を貯めるシステムなどを備えていたらしい。

デロス島

幾何学模様の床モザイクも、少しだけ残っている。こういうものをのんびり鑑賞する時間が欲しかったなあ。

デロス島

このあたりのエリアで、一番目立っているのが、本当に少しだけ残っているこの神殿。ポセイドン神殿跡だそうだ。古代ギリシャ神殿の柱は、立っていてくれるだけで嬉しいが、柱の上にエンタブラチュア(柱の上に乗っかっている部分)が、ちょっとでも残っていると、さらに嬉しさ倍増である。

デロス島

自分は、どうしてこんなに古代ギリシャの柱に惹かれるんだろう、と昔から思っていたが、その一つの解答となりそうなことが書かれていたのが、図説 西洋建築の歴史: 美と空間の系譜 (ふくろうの本)という本である。

古代ギリシャ・ローマの柱を中心とした建築は、そのまま西洋建築の歴史の流れに乗るのではなく、ルネサンスの「古代復興」の時代まで、壁を中心とした建築(ロマネスク・ゴシック建築など)に取って代わられるのだそうだ。

柱建築は、高い費用と技術を必要とするため、ヨーロッパに大国がなかった中世期には作ることができなかったというのも、理由の一つだそうだ。その他の理由として、中世以降は西洋建築の歴史が、ほとんど教会建築の歴史と重なるというポイントが挙げられている。柱建築は、キリスト教の教会には向かない建築様式だというのだ。

というのも、屹立する「柱」は、人間が大地を自分で踏みしめて立つ姿を想起させる。人間ではなく、神を中心とする時代には、自立する人間像を思わせる建築より、「壁」によって聖なる空間へと閉ざされていく建築の方がふさわしい。

大地から立ち上がっている柱が、自分の力で立っている人間を象徴している…そう考えると、自分が古代ギリシャの柱に惹かれる理由がしっくり来る気がする。私は神という存在を完全に否定できるほどの強さにはまだ至っていないけど、この世にせっかく生まれたからには、この世界をなるべく自力で歩きたいと思うのだ。

というわけで、どんどん歩け、デロス島!残り時間は少ないぞっ!

デロス島

次は、どうしても、この棕櫚の木にタッチせねばなるまい。というのも、この棕櫚の木は、根元でアポロンとアルテミスが生まれたと伝えられている棕櫚の木だ(後年植えられたものではあるが)。デロス島で、遺跡じゃなくて木なんか見てどうするとも思うが、アポロンとアルテミス生誕の地に、近づかずに済ませられるギリシャ神話ファンなどいない。

この棕櫚の木の周囲は、「聖なる湖」と呼ばれている。どこが湖?と思うが、20世紀初めくらいまでは、実際に水があったらしい。残念ながらマラリア蚊の発生で、埋め立てられてしまったのだとか。

デロス島

棕櫚の木には、このくらいまで近づくことができた。

アポロンとアルテミスは、父親がゼウスである。母親はレト。そう、ゼウスの正妻のヘラではない。ゼウスの子を身ごもったレトは、嫉妬するヘラが、「どこの大地も、そこでレトを出産させちゃダメ!」という命令を出したため(土地の擬人化!)、出産する地を求めてさまよった。

そこで、出産の地として選ばれたのが、当時は浮島だったというデロス島(レトの出産後にエーゲ海に固定され、正式な島になったらしい)。

「デロス島は浮いてる島なので、大地じゃないよ」という、とんち話みたいな展開だが、レトは難産の末(これもヘラによる嫌がらせ)、棕櫚の木の根元で双子を産む。それが、アポロンとアルテミスという大物双子だった。

ちなみに、ギリシャ神話のストーリーには諸説あり、アポロンが兄、アルテミスが妹と言われるが、アルテミスの方が先に生まれて、レトのアポロン出産を手助けしたという説もあるらしい(スーパー赤ちゃんアルテミス…)。この場合、アルテミスの方がお姉さんになってしまうが、我々のギリシャ神話では、アポロンが兄という説のほうがなじみ深い。

アポロンとアルテミスは、オリンポス12神に含まれる、ギリシャ神話では非常に重要な神様だ。アポロンは太陽や理性、学問、音楽といったものを司り、アルテミスは月、狩猟、出産の女神である。どちらとも、凜としたカッコ良さのある神様だ。

このような重要な神々を出産するのに、レトは大変な苦労をした。このギリシャ神話のエピソードは、「産みの苦しみ」を表す寓話であろう。何か大きなことを成し遂げるには、苦労はつきものなのだ。肝に銘じるよ、レトさん。

この聖なる湖を出ると、すぐに、有名なライオン像が現われた。

デロス島

残念ながら、ココに並んでいるのはレプリカである(本物はデロス考古学博物館内)。聖なる湖の方を見て並んでいる。

私はなぜか、このライオン像たちは、海に向かって吠えているのだと思っていた。外敵から、デロス島を守っているのだと思っていたのだ。しかし、実際には海に背を向けて、アポロンとアルテミスが生まれた聖なる湖の方角へ向けて、吠えていた。何だか違和感あるけど、それは現代人の感覚で、逆に神域に背を向ける方があり得ないのだろうか。

ライオン像の近くには、レト神殿や、アポロン神殿、アルテミス神殿といった、デロス島にまつわる神々の神殿跡があるのだが、何せ、神殿ではなく神殿跡なので、ごちゃごちゃっとしている。

デロス島

このへんは、アポロン神殿にあたるらしい。

丁寧に地図を見ながら歩けば、ひとつずつ見て回れたのかもしれないが、我々にはもうほとんど時間がなかった。こうなったら、ロゴスでなくパトスでデロス島を味わうべきである。何が何だかわからなくとも、印象を焼き付けるのである。

デロス島

遺跡の向こうに広がる海。デロス島ってどうして、こんなにアメーバみたいにペタッとしているんだろう。海抜が低すぎる。そして、すぐ近くにあるミコノス島に比べて、驚くほど波は穏やかであった。ギリシャ神話的に言えば、やはり「神域だから」に尽きるのだろうか。

デロス島

そんな神域に、堂々と入り込んでいる猫ちゃん。こんな猫ちゃんを見て、私が思うことはいつも同じ。「いいなあ。私も神殿の中に入りたい」。

デロス島

遙か向こうには、つい1時間ほど前には登っていたキントス山が見えている。1時間後に、山がこんな遠くに見える場所まで来ているなんて、我々、がんばりすぎだろう。いや、本当がんばった。

デロス島といえば、高校世界史では「デロス同盟」というワードを覚える。アケメネス朝ペルシアに対抗するために、アテネを中心に、デロス島で結成された同盟だ。

そのデロス同盟の金庫跡が残っているらしい、ということで、金庫跡を探してウロウロしているときに、「ボーッ」という汽笛の音が鳴り響いた。時計を見ると、12時25分。本日、デロス島から、ミコノス島へ向けて出発する、最初で最後の船が出る5分前だ。

うん、実は、時間がこんなに迫っているのは何となく知っていた。知っていたけど、どうせ、取り残して去って行ったりはしないだろうと、もはや時間を気にせずに歩き回っていたのだ。

そんなわけで、金庫跡などは見ることができずに、我々は船着き場の方へ向かうことにした。さすがに3時間でデロス島一周は無理だったなー。消化不良の感もあるので、またデロス島には来ることになるのではないか。

我々は船着き場の方へと進んだが、我々がキントス山に登るときに、後ろ姿を追っていた男性は、この汽笛が聞こえても、お構いなしに、船とは逆方向の、遺跡の奥へと向かって歩いていっていた。つ、強い。しかし、彼はスタッフさんに厳重マークされていて、さらに奥に行こうとしたところで、声をかけられ、船へと強制連行されてしまった。

船には、船長さんを含め、行きと同じメンツが乗り込んだ。デロス島を巡回していたスタッフや、切符売り場のスタッフさんはデロス島に残った。この後に違う船でミコノス島に帰るのか、それとも無人島たるデロス島の詰め所に宿泊しているのかは不明であった。デロス島での宿泊だったら…うらやましいなあ。

デロス島

船から遠ざかっていくデロス島へ手を振る。最後の最後に連行された男性も、名残惜しそうに、いつまでもデロス島を見つめていた。今まで、古代遺跡はいくつか見てきたが、無人島に遺跡だけが残されているこのデロス島は、かなり独特の雰囲気に包まれている。無人で、しかも海によって現代社会と隔離されている分、遺跡・廃墟といった空気が色濃く醸し出されているのだろう。

あとでゆっくり、入場の際にもらったパンフレットを見てみると(デロス島を走り回っている時は、とてもじゃないが読む時間がなかった)、デロス島を回るコースが書いてあり、デロス島全体を回るコースは5時間コースであった。やはり3時間でデロス島を見尽くすのは無理だったようだ。

ちなみに3時間コースというのもあったが、そのコースには、キントス山は含まれていなかった。我々は、鈍足のくせに、通常の3時間コースを超えたコースを、3時間で辿ったらしい。いやー、本当にがんばった。そして、キントス山に登ったことは、微粒子程度も後悔していないのだ!

デロス島

帰りの船は、行きよりも少し揺れたが、それでも30分ほどでミコノス島が見えてきたので、船酔いはしなかった。ただいま、ミコノス島~。あっという間に、現代社会に戻ってきたなー。

そして、船から下りた、デロス島帰りの面々の中に、我々は発見したのだ!

デロス島

ビニール袋の中に、いっぱいの草を詰めた人々を!この草、昨日、我々がレストランで食べた「ワイルドグリーン」に間違いないっ!

そう、往路の船の中で、いかにも観光客ではない風情で、ナイフを片手に船に乗り込んでいた人々は、このワイルドグリーンを摘むためにデロス島へ行ったのだ!

というわけで、デロス島を走り回っている時には、すっかり忘れていた、往路の船の中にいた謎軍団の謎が解けたところで、デロス島遠足は、大団円を迎えたのである。ちゃんちゃん。