3/16フェラーラ旅行記3 絶望の頭上ではパーティが

フェラーラの一夜目が明けた。

フェラーラ

宿泊したアパートホテルから見える、スイカのアイスバーみたいな建物の装飾。

宿泊したのはエステンセ城のすぐ近くで、観光には非常に便利な場所だったが、フェラーラ旧市街の中心部ということで、実は夜まで通りの声が聞こえていた。

眠れないほど気になるということはなかったが、レゲエ風のドラムと、アカペラに近い形で歌っている、ストリートシンガーの声が響き渡っていた。「ちゃ、ちゃ、ちゃちゃちゃちゃ」という、繰り返される旋律が、眠ってからもずっと頭の中に響き渡っているようであった。

朝ごはんは、フロントがある、二つ隣の建物で食べる形式である。

フェラーラ

手作りのジャム、手作りのケーキ。グラスに入っている赤いものは、イチゴをすりおろしたものである。リクエストすると、ヨーグルトも持ってきてくれた。

朝ごはんを作っている、アパートホテルのオーナーのマンマがやってきた。

「このジャムは私の手作りなのだけど、ちょっと説明させてください。ホワイトウォーターメロン(白スイカ)というものを見たんだけど、『これは味気なくて食べられないよ』と言われたの。そう言われたら、食べられるようにトライしてみよう!という気持ちになって、持って帰ってジャムにしてみたのよ。世界でたった一つだけのホワイトウォーターメロンのジャムなんですよ」。

へー、白スイカ。そんなものあるのね。ジャム自体は、やっぱり赤いベリージャムの方が美味しかったけど、この白スイカのジャムはあっさりしていて、不思議な味がした。少なくとも食べられないなんてことはなかった。マンマの挑戦は勝利であった。

朝ごはんは美味しかったし、マンマはとても良い方だったのだが、ホテルの部屋自体はやはりいろいろと問題があった。ホテルマニアの姉は、テンションが落ちるついでに、ここで旅の疲れがドッと出て、午前中は休みたいと言った。

逆に私の方は、アテネでひいて、メテオラで悪化させ、イタリアまで引きずってきた風邪は、ようやく完治した。私が風邪だったこともあって、知らず知らずに姉には負担がかかったのかもしれない。

午前中はエステンセ城に入る予定だったが、姉いわく「どうしても行きたかったら最終日に一人で行ってくるから、アンタはとりあえずエステンセ城に入っておいでよ」。そうね。フェラーラは安全そうな町だし、一人で行ってくるよ。静かに休んでいてくれたまへ。

フェラーラ

宿泊しているホテルのすぐ前の通り。いつも人で賑わっている通りだが、朝が早いせいか、まだ静かである。フェラーラの町は、こんな風にオレンジがかった赤色をしている。フェラーラの色合いは結構好きだった。

フェラーラ

こちらは町の中心であるカテドラーレ広場。ここはいつ来ても人が多い。この人の多さ、ヒマオヤジの少なさ。フェラーラがあるエミリア・ロマーニャ州は、中部イタリアに入れる人と、北イタリアに分類する人といるが、町の雰囲気から考えると北イタリアに入れる方がしっくりくる。

フェラーラ

フェラーラの旧市街は車が入れないと聞いていたが、車が入れないゾーンはそれほど広くない。エステンセ城が面している北側の広い通りは、普通に車が走っている。この都会的な雰囲気、やっぱり中部じゃなくて北イタリアだなあ。

フェラーラのサヴォナローラ像

エステンセ城の近くには、サヴォナローラの像がある。フィレンツェでルネサンス期に、「虚飾の焼却」で知られる一時的な神聖政治を敷いた僧侶だ。何でこんなところに像があるかというと、フェラーラ出身なのだ。

私のようなボッティチェリファンからすると「アナタのせいでボッティチェリはいくつかの作品を焼いてしまったんだよ…!」と文句のひとつもいいたくなるが、それはサヴォナローラのせいではなく、ボッティチェリ自らの選択なわけだ。100%自分原因説ってやつですな。

フェラーラ エステンセ城

さて、フェラーラ最大のモニュメントであるエステンセ城。中世からルネサンス期にかけて、フェラーラを支配していたエステ家が建てた城である。

エステンセ城

このエステンセ城の大きな特徴は、水をたたえたお堀に囲まれていること。イタリアではかなり珍しい。何かで「イタリアで唯一」と見たこともあるのだが、フォンタネッラートという町にも、水に囲まれたお城があるようなので、唯一ではないのだと思う。

フェラーラ

いかにも秘密の出入り口って感じの場所にボートが浮かんでいる。エステ家は、中世~ルネサンス期の勢力争いの激しい時期にフェラーラを支配しているため、宮廷につきものの血なまぐさいエピソードも多い。

そういうこともあって、秘密の入り口に見えてしまうが、実はこのお堀は、土日にボランティアさんがボートに乗ってお堀を一周させてくれるらしいので、そのボートなんじゃないのかな。私はこのお堀一周をやってみたかったのだが、姉に「えー。それじゃバカ丸出しの観光客だよ」と却下された。トホホ…。

フェラーラ

エステンセ城に入るために渡る橋は、跳ね上げ式になっている。敵が来たら跳ね上げて橋を外してしまうのだ。何だか進撃の巨人的な雰囲気になってきたな。

エステンセ城は、昨日、フェラーラの観光共通カード「MyFE」を買っておいたので、フリーパスで入れる。

フェラーラのエステンセ城

まずは台所跡の部屋。エステ家には、天才と呼ばれるメッシスブーゴという宮廷料理人がいたらしい。現代の西洋料理の基礎を作った人物で、前菜からデザートまでが順番に出てくるフルコースの流れは、彼の考案だとか。

フェラーラのエステンセ城

壁にわずかに残るフレスコ画の跡。なぜか私は、エステンセ城の内部には牢獄しかないと思い込んでいて、「エステンセ城に残る貴重なフレスコ画跡」と思って撮影した。が、それは私の華麗なる思い込みで、この後「あのフレスコ画が貴重だと思い込んでいた私は何だったんだ…」というような部屋に入ることになる。

フェラーラ エステンセ城

さてこの後は、牢獄跡が続いていく。これはまだ1階部分にある牢獄跡。そんなに暗くもないし、人もいるし、この辺は余裕で見学した。

だが、牢獄跡は地下にもあった。

フェラーラのエステンセ城牢獄跡

ほう…この階段を降りていくわけだね。私の前にも老夫婦が下って行ったので、この夫婦とはぐれないようにしようと思いながら、私も階段を下りた。

フェラーラのエステンセ城

地下なのに窓があって、かすかな光が入り込んできてホッとする。何で地下なのに窓があるんだと思ったが、エステンセ城は水をたたえたお堀に囲まれたお城。むしろ地下は、晴れている日であれば、日光がお堀の水に跳ね返って、強く入ってくる。

そこそこ明るいし、イタリアで牢獄跡に入ったのは初めてじゃないし、これは余裕だなと思った私は、すっかり先に入った老夫婦を見失ってしまった。

そしてここからは、ほとんどお化け屋敷の世界であった。

フェラーラのエステンセ城

え?まだ下に行くの?何だかどんどん暗がりになっているんですけど。ここに一人で行けってか?

フェラーラのエステンセ城

オウっ…完全に牢屋だ…。暗くて見えにくいと思うが、右側が扉である。背の低い私でも、かがんで入らないと入れない高さの扉である。画像には暗くて映っていないが、部屋の端っこにトイレだと思われるものだけ置いてある。ここに閉じ込められたら、精神が破綻するのではないか…?

フェラーラのエステンセ城

奥の方には、さらに恐ろしい牢獄があった。細長くて、絶望的な雰囲気の牢屋である。一番奥に見えているのがトイレだと思われる。こんな場所に閉じ込められたら、紫外線浴びないからお肌は綺麗になるだろうけど(イヤ、そんな場合じゃないから)…。

ギリシャ神話の「パンドラの箱」では、人間にはいつでも最後に希望が残っているという。しかし、こんな牢屋の中で、人はどのような希望を持てるものなのだろうか。獄中で手記を書く人って多いが、その気持ちはわかる気がする。何かやってないと、精神が死んでしまいそうだ。

しかし、地下に牢獄、1階に台所。牢獄には、エステ家の人々も閉じ込められて、そのまま処刑されたこともある。義理の母子どうしが不倫関係に陥ってしまい(光源氏と藤壺の関係と同じ)、幽閉・処刑されてしまう「ウーゴとパリジーナの悲劇」が有名だ。

何かで「エステ家は、同族を地下牢に閉じ込めて、その上で華やかな宴会を催した恐ろしい一族」というような記述を読んだ覚えがあるのだが、そのことがよくわかる地下牢であった。情け容赦の一切がない、冷たく、絶望的な地下牢であった。

フェラーラのエステンセ城

こちらは細長い牢獄の入り口。この入り口も、かがんで入らないとくぐれない。ちなみに、少し段があって、私は入る時も出る時も(出る時もか…)つまづいたので、要注意。こんなところで転びたくない。牢の外にかすかに見える消火器が、妙に文明的に見えて安心する。消火器を見て安心したのは初めてだ。

フェラーラのエステンセ城

ようやく牢獄跡を抜けてホッとする。ホッとしつつも、牢獄跡の余韻が残っていて、ただただ茫然と上にのぼる私。

エステンセ城

外が見える場所に出られて、本当に一息つく。外はこんなに晴れていて青い空が広がっていることなど、あの地下牢ではみじんにも感じられないのだ。時計を見るとエステンセ城に入って30分が経過していた。姉には1時間半くらいで戻ると言っておいたけど、この後、食料を買いに行くにしても余裕だな(と、この時は思っていた)。

エステンセ城

よほど牢獄跡のことばかり頭の中にあったのか、私は牢獄跡が終わったら、エステンセ城の見学は終わりだと勝手に思っていたのだ。実は(ていうか普通に)、エステンセ城のクライマックスはこれからなのである。

3/16フェラーラ旅行記4 ドキッ!マッパだらけの古代オリンピック!へ続く