3/18フェラーラ旅行記6 計画都市に中世の名残り

スキファノイア宮殿まで来ると、フェラーラの町の南端にあたるコスタビーリ宮(考古学博物館)が近い。地球の歩き方にもそれほどおすすめされている博物館ではないが、フェラーラカードで入れるし、先人たちの旅行記を読むと満足度が高いようなので、行ってみることにした。

フェラーラ

コスタビーリ宮への道。フェラーラの端の方は、こんな風に、かなり歩きにくい、ぼこぼこした石畳の道になっているが、端だけ舗装されている。まさか観光客がスーツケース引くための親切!?と思ったが、自動車通行が規制されているフェラーラは、自転車ユーザーが多いので、自転車のための道だろう。

フェラーラのコスタビーリ宮

こちらがコスタビーリ宮。ミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロが建てたと言われた時期もあったが、実際はアントニオ・コスタビーリという、ルドヴィコ・イル・モーロの秘書で、エルコレ1世の宮廷でも活躍した人物によって、15世紀末から16世紀にかけて建てられたお屋敷だそうだ。

フェラーラ

コスタビーリ宮は、町の南端ということもあり、城門が近い。フェラーラはルネサンスの計画都市とよく言われるが、南側の、中世の雰囲気が残っている町並みの方が印象に強い。

コスタビーリ宮は内部に考古学博物館が入っているが、博物館以外の宮殿として飾られたお部屋もなかなか見ごたえがある。

1階には、ガローファロの天井画が美しい部屋がある。

フェラーラ

保存状態よすぎ!!!あと、上からのぞいている人多すぎ!

フェラーラ

上から人々がのぞき込んでいるように見える、だまし絵である。マントヴァのドゥカーレ宮殿「結婚の間」に似ている。

フェラーラ

フェラーラの画家ガローファロの名前は、今回のフェラーラ訪問で初めて知った。後期ルネサンスからマニエリスム期にかけての画家さんで、ウィキペディアによると、バチカンでラファエロの元で仕事をしたこともあるらしい。そのせいなのか、画風はラファエロというより、ラファエロの先生ペルジーノに似ている気がする。

フェラーラ

黒目がちの目をしっかり開けて、口元だけわずかにほほえんでいる、アルカイック・スマイルっぽい女性が目立つ。優等生というか、いい人というか、あまり情感的でない小綺麗な表情だ。

なかなか自分の画風もあり、美しい絵を描くガローファロだが、それほど世界的に知られている画家ではない。一つは彼が生きたマニエリスム期の絵画は、その前に天才たちの時代ルネサンス期があるため、ルネサンスの絵と比べると評価が低いという理由があるだろう。

全盛期の後に苦難の時代が来るのは、絵画に限ったことではない。現代日本でも、J-popや少年漫画が、全盛期に比べてどうだこうだと言われる運命にある。タラレバではあるが、ガローファロがもう100年早く生まれて、同じ絵を描いていたら、この天井画ももっと評価されているのだろうな。

そう思ったのは、マントヴァのドゥカーレ宮殿「結婚の間」で見たマンテーニャの天井画と比べて、ここの絵は、それほど見劣りしないなと思ったからである。むしろ、絵自体は、こちらの方が綺麗で上手だとも思う。

それでもマントヴァのドゥカーレ宮殿の方が観光客を惹きつけるのは、やはり100年ほど前、ルネサンス期に描かれたということ自体が貴重なのだろう。マニエリスム期は「マンネリ」の語源とも言われるが、どれほどうまく描いても、ルネサンスの二番煎じと言われてしまうのだ。実際に私も、この絵を見て「ペルジーノに似てるな」と思ってしまったし。

しかし、絵を鑑賞する私は、歴史家ではなく、絵の鑑賞者。それが「いつ」「誰」が描いたものなのかが重要なのではなく、絵自体を楽しむようになれれば最高に楽しいだろうな、などと考えた。考えている時点でダメですな。まだまだ未熟者。

フェラーラ

天井画の下には、モノクロで、鳥に乗って遊んでいる?それとも対決している?プット(ちび天使)たち。

フェラーラ

こちらも音楽に乗って楽しそうなプットたち。いやー、想像以上に素敵な部屋であった。コスタビーリ宮に来てヨカッタ!

地球の歩き方に「中庭の美しさは有名」とあったが、植え込みが迷路状になっていた。こういう迷路は、昔のヒマな貴族が「私をつかまえて~」「おほほほほ~」「うふふふふ~」と遊んだものだとか。

「おほほほほ~」って感じの美しい庭ではあるのだが、猫くさい。猫を飼っている方ならおわかりの、あの匂い。絶対にニャンが隠れているぞと思って、探してみたが(迷路の正しい使い方?)、見つからなかった。

フェラーラ

1階には、大きな古代の船が展示されている部屋もあった。「小さなヴェネツィア」との異名を持つ、運河の町コマッキオでの発掘で見つかったものらしい。コマッキオ。今回行かなかったけど、やっぱり行きたいなあ。だって小さなヴェネツィアだよ?ウナギ料理だよ?しかし、その前に大きなヴェネツィアにもう一度行かねばならないだろう。

コスタビーリ宮

2階に上がる階段が、かなり素敵であった。姉はだいぶ気に入って、この階段で「姉と階段」という写真を何枚も撮らされた。何で何枚も撮らされたかというと、私が写真がヘタクソだからである。こういう時のクソの使い方って正しいと思う。

2階は考古学博物館になっていて、フェラーラの近くのエトルリア人(古代ローマ以前に中部イタリアに住んでいた民族)の都市・スピーナから発掘された遺跡を展示している。エトルリア人は、古代ギリシャ人との交易がさかんで、エトルリア系の博物館は、古代ギリシャの壺がたくさん展示されている。

フェラーラ

いかにも古代ギリシャって感じの絵や

フェラーラ

かっこいいライオン君や

つぶらな瞳のオヤジとか。

考古学系の順路が終わると、最後に「地図の間」があった。

フェラーラ

サイドには、黄道十二星座が描かれている。私のかに座が、珍しくザリガニでない普通の蟹だなと思ったら、20世紀に描かれた比較的新しい絵であった。

スキファノイア宮殿を見てきた後だと、「フェラーラには星座絵が似合うなあ~」と思ってしまう。

フェラーラ

最近の絵とはいえ、絵の一部はドアになっていて面白かった。このドアから観光客らしき人が出てきたので、もしかしたらドアの向こうは、トイレなのではないかと思う。

コスタビーリ宮は、予想以上に面白く、町の端なので行くかどうか迷っていたが、行って本当にヨカッタ!フェラーラカード「MyFE」で入れるので、スキファノイア宮殿まで行ったら、ほんの少しでものぞいてみることをおすすめしたい。

さて、ここからは町の中心部に向かって帰るが、フェラーラのお目当てのひとつ、ヴォルテ通りを通ろうではないか。

ヴォルテ通りとは、フェラーラで中世の面影が一番残っている通りで、道にアーチが幾重にも続いている独特の通りである。

あらやだカワイイ!ヴォルテ通り!

ヴォルテ通りの面白いところは、このアーチが、幾重にも重なっているところ!遠くを見ると、アーチの中にアーチ、またアーチのなかにアーチって感じで、マトリョーシカみたいになっているのだ。

フェラーラ

アーチがかかっている道は、中世っぽい雰囲気がある町ではそう珍しいことではないが、ヴォルテ通りがすごいのは、そのアーチ部分が太く、今でも住居として使われていることである。窓と煙突があるのがおわかりだろうか。

アーチの下の部分は、こうやって木でも補強されているが、よく落ちないなあと感心する。現在では、観光客向けに、このアーチ部分が宿泊施設になっていることもある。

フェラーラ

何か上の方がうねっているけど、古いことがよくわかる。今まで中世の町並みで、一番好きだったのはコルトーナの中世の家が建ち並ぶ通りだが、ここヴォルテ通りもかなり気に入った。今日が最後のフェラーラ滞在だが、この日は何度も何度も(狙って)ヴォルテ通りを通ることになる我々であった。

3/18フェラーラ旅行記7 カボチャグルメと靄の中を延びる道へ続く