3/18フェラーラ旅行記7 カボチャグルメと靄の中を延びる道

フェラーラ

大変に風情タップリのヴォルテ通り。姉も私もヴォルテ通りに惚れた。しつこいくらい、端から端まで歩いた。

何度も往復しているうちに、かわいいレストランを発見。

私「あ。コレ、有名なil Mandolinoだ」。

フェラーラ名物のカボチャ料理の有名店として、地図に書き込んでおいたお店だ。たしか、正面はヴォルテ通りではなく、一本南の大通りのはずなのだが、観光名所ヴォルテ通りからも入店できるようにしているのだな。商売上手っ!

ここで会ったが100年目、このお店に入ろうっ!

本当に今どうでも良いことだが、ここで会ったが100年目って変な言い回しだよなあ。人間の寿命は長くても100年程度だから、100年目には「おしまい」とか「運の尽き」とかそういう意味があるそうだ。もともとは悪い意味で使われていたが、現在ではここでの使い方みたいに「今が好機」とかいう意味でも使うようになったとか。

というわけで100年目なのでカボチャ食べようっ!

フェラーラ

お店には所せましと写真や絵が飾ってある。イタリアのトラットリアでは、よくあるカジュアルなインテリアである。

お店の中はそこそこ席が埋まっていて、いいタイミングで入れたようだ。フェラーラは、思っていたより観光客が多い。オフシーズンのイタリアは、やはり海系のリゾート地は観光客が少ないが、内陸の文化系観光地は、年々人が増えてきている気がする。8年くらい前はほとんど人がいなかったラヴェンナとかも、今では結構盛況になっているのかもしれない。

日本でも外国人観光客が増えすぎて困っている町が話題になるが、今後AIが発達して、奴隷制度があった時代のように、人間の余暇が倍増したら、世界中で旅行者が増えていくのだろうか。それとも余暇は増えても収入は増えない時代が来るのだろうか。

さて、そんなことよりカボチャ料理っ!

フェラーラ

…の前に、フェラーラ名物のフェラーラパンが出てきた。フェラーラパンは、見ての通り、X型で、先っぽがくるくるしている形をしている。エステ家に嫁いだ、美悪女として名高い、ルクレツィア・ボルジアの自慢の金髪を表したものだと言う説もあるが、さすがにそれはこじつけっぽい。

で、大変に変わった形をしたパンだが、味は…フツウ。すんません、フツウです。フツウと言うか、ほとんど味がしない。たぶんこれは、このお店のフェラーラパンが美味しくないのではなくて、フェラーラパン自体がこんな味なのだと思う。

オリーブオイルにつけて食べようかと思ったが、ここフェラーラでは、オリーブオイルにパンを浸す習慣がないのか、パンと一緒にオリーブオイルは出てこない。しかし、フツウとか言いながら、完食はしてしまった。味はなくとも、パリッとした食感は悪くなかったのである。

フェラーラパンのことより、カボチャ料理っ!

うむ、告白しよう。私はカボチャが好きなのである。ちなみに、イタリア語でカボチャはズッカ(Zucca)。アパレルブランドにZuccaというのがあるが、まさか「カボチャ」という意味だったとは。

実はこのお店に入ったとき、飛び込みで入ったので、あまりお腹は空いていなかった。そこで、セコンド(メインの肉料理)はオーダーせず、姉と一つずつパスタを頼み、サラダをシェアして済ませることにした。

基本的にフェラーラの郷土料理を出すお店なのだが、特に名物料理はどれか聞いてみると、いくつか紹介してくれたので、その中からオーダーすることにした。

まず、私が頼んだのが「Cappelacci del zucca burro e salvia」。カボチャを包んだパスタを、バターとハーブのセージで味付けしたもの。カボチャ!カボチャ!ラグーソース味もあったのだが、あっさりしたこちらを選んだ。カボチャ包みパスタが美味しくないわけがないのよ。幸せになれる味であった。

フェラーラ

姉は、Il Mandolinoが、看板メニューとして、外に写真を出していた、このスープパスタをオーダー。「Cappelacci di carne in brodo di Cappone」というメニュー名。こちらは、野菜煮込みスープの中に、肉を包んだパスタが入ったもの。味見させてもらったが、滋養がありそうな、体にスーッとなじむ味だった。

姉は「セコンド(肉料理)を頼んでないから、私の方がパスタ、肉、野菜とバランスが良いね」と勝ち誇った。いいんですゥ。私はカボチャを食べたかったのであって、バランスの勝負なんかしてないですゥ~。

フェラーラ

パンを食べるときにはオリーブオイルは出てこなかったが、サラダにはオリーブオイルとバルサミコ酢の瓶がついてきた。バルサミコ酢はもちろん、近くのモデナ産。モデナもいつか行きたい。いつかと言うか早く行きたいっ!

食後のエスプレッソを飲んで、トータルで€31。質の高い郷土料理をしっかり食べられた割には、お値段はリーズナブルだった。ちなみに、イタリアでは珍しく、テーブル会計ではなく、レジでテーブル番号を告げて支払う形だった。

ランチの後は、デザート。ディアマンティ宮殿の近くに、おいしいジェラテリアがあると、宿泊しているホテルのオーナーから聞いてある。次の目的地をディアマンティ宮殿にして、ジェラテリア+ディアマンティ宮殿を目指すことにした。

フェラーラ

ヴォルテ通りから北の方へ向かう道。ボローニャのようなポルティコが建ち並んでいる。ボローニャとの違いは、この道幅の狭さである。フェラーラは本当に、ルネサンス都市というより、中世の雰囲気の方が強く感じられる。もちろん北の方には、ルネサンス的な広い区画道路もある。これから、そちらへ向かうのだ。

フェラーラのジェラテリア

こちらが、オーナー推薦のジェラテリア「La Romana」。実は、イタリアでは珍しく、チェーン店のジェラテリアで、本店はリミニである。北部・中部に何店舗か展開している。ウルビーノで見かけたことがある。

最近イタリアのジェラテリアでは増えてきたのだが、カラフルなジェラートのフレバーを、ショーケース越しに見せず、フタの付いた銀色の容器の中に入れている。こういう銀色のフタがしていあるジェラテリアのジェラートは、保存料などの添加がなく、ナチュラルな味わいだと言われる。

フェラーラのジェラート

小さいカップ€2.2に、食後でフルーティなジェラートが食べたかったので、ベリー系のフレバーとミルクを載せた。上にコンパンナ(山盛りの生クリーム)。ジェラートの練りがよく、味も甘すぎず、品のよいジェラートであった。

イタリアのジェラテリアは、チェーンではなく、個人が経営しているお店が主流なのだが、この「La Romana」はリミニ発で全国展開を初め、今ではマドリードやデュッセルドルフなど、海外進出もしているらしい。日本進出もあるのだろうか。

さて、ジェラテリアの後は、次なる目的地、ディアマンティ宮殿へ向かおう。

フェラーラ

エステンセ城からディアマンティ宮殿までは、町の南側の狭い中世的な通りとは対照的に、幅が広くて真っ直ぐした、人工的な、つまりルネサンス的な道が結んでいる。これが、フェラーラの計画都市の跡である。

サン・ヴィート旅行記でも紹介した詩人のダヌンツィオは、フェラーラのことを「無限へと導く、大きい川のような平坦な道」と表現したと、以前NHKのイタリア語講座で紹介していたが、ダヌンツィオが言ったのはこの道のことだと思われる。

私は、ルネサンス都市フェラーラは、こういう道がずーっと続いているのかと思っていたが、このようなルネサンス的景観が見られるのは、この辺りだけである。フェラーラのエルコレ1世によって行われる、15世紀のルネサンス都市計画は、イタリアでも最も古いものだそうで、当時はこのような人為的な整備された道が、真新しかったのだろう。

私は、この周辺の美しさは「期待していたほどではなかったかなー。ヴォルテ通りの方が好きだな」と感じたが、姉は「工事中の建物があるからだよ。全部綺麗に見えたら、結構美しい通りだと思うよ」と言っていた。

もう一つ感じたのは、エミリア・ロマーニャ州特有の、何となくもやもやっとした感じの天候の効果である。この地域は、土地が低く、川や運河が多いためか、町全体に、もやや霧がかかっている風に見える日が多い。この広い道の先が、もやで霞んで見えることで、ダヌンツィオが言うように「無限へと導く」ような気がしてくるのかもしれない。

フェラーラ

こちらはサイドのちょっと面白い形をした建物。本当にスッキリしない天気が多いエミリア・ロマーニャ州。そういえばラヴェンナ行った時も雨、ボローニャも雨が降る日が多かった。

そのため、写真では青空に映えず、画像ではイマイチ美しく見えないところもあるが、逆にこの地域の魅力は、もやもやっとした空気に溶け込むような町並みなのかもしれない。今後、エミリア・ロマーニャ州に足を運ぶ際は、天気がすぐれないのはアンラッキーではなく、むしろこの地域の特性なのだと思えそうだ。