3/12レッチェ旅行記5 時は羽ばたいて飛び去って行く
マラソン大会の余韻が残りまくっている(もしかしたらまだ走者がいる?)ナポリ門を出て、一路、サン・ニコロ・エ・カタルド教会を目指す我々。走り終わったランナーが、参加賞のバナナをもらっているのが、何だかうらやましい。バナナなど、日本で毎日食べてるくせに(私は朝食バナナ派)。
こちらが墓地の入り口である。レッチェのナポリ門を出て、歩いて5分もかからないくらいだ。墓地の門も、レッチェの旧市街を彩る、同じハチミツ色の石でできている。
両サイドには、少しわかりづらいかもしれないが、羽根のついた砂時計の彫刻が施されている。
西洋美術では、砂時計は、一方向に流れていく時間=死を意味する。それに羽根がついているということは、時間は飛ぶように過ぎていく、自分が死すべき存在で、残された時間はそれほどはないのだという、「メメント・モリ」の思想を表しているのかもしれない。
何となく厳かな気持ちで、この門をくぐろうとした私だが、姉は、砂が落ち終わるもっと先の未来ではなく、目の前の未来にビビっていた。
姉「ゲ。目の前に、天敵の杉が並んでいるのは幻だと思いたいんだけど!」。
イタリアでは、内陸部によく建ち並ぶのが糸杉だ。あまり高すぎず、ほっそりとした佇まいが私は大好きなのだが、イエス・キリストが架けられた十字架が、糸杉でできていたという説があるからか、西洋では死の象徴ともされる木だ。
姉にとって問題なのは、そこではなく、糸杉の花粉も、日本のスギ花粉へのアレルギーを持っている花粉症患者には、モロにダメージを与えるのである。
姉は、口をハンケチで押さえながら、糸杉が作る花道をソロソロと歩いて行く。私はやっぱり糸杉好きだなあ。そんなこと言ってられるのも、まだ私が花粉症になっていないからだろうか。どうでもよいが、花粉症の花粉がイラストで描かれるとき、あまりにも悪役っぽく描かれすぎである。スギ花粉「オレだって好きで人の鼻の穴に入ってるんじゃないのにさ…」。
サン・ニコロ・エ・カタルド教会は、この糸杉の花道を通り過ぎて、右手に現れた。
何て静かで素敵な佇まい!糸杉に囲まれて、どこかこの世のものではないような、不思議な雰囲気を漂わせている。
門の周囲が、手抜きなく装飾を施されている。レッチェ・バロックは、本当にエレガントだ。
日曜日だから、中に入れない可能性も覚悟していたが、開いていたので内部にもおじゃました。壁画で飾られていて、レッチェの教会の中では、内部が最も美しいと感じた。入れてよかった!
燭台と花瓶を持った女の子の彫像があり、実際にその花瓶に花を活けてあるのが粋であった。この女の子の像かわいいなあ。私もこの女の子みたいになりたいって、さっき、時間は一方通行で戻らないと、砂時計が教えてくれたでしょ!
この乙女たちの彫像も可憐である。いやー、サン・ニコロ・エ・カタルド教会いいね!サンタ・クローチェ聖堂が工事中だったこともあるけど、レッチェの教会で一番気に入った!
観光客は我々しかいなくて、貸し切りかと思ったが、落ち着いた風情の男女二人が外から入ってきた。しばらく我々のように歩き回った後、出入り口近くの椅子に座った。
なぜかニコニコしながら我々の方を見ていたので、教会を出る時に黙って通り過ぎるのが忍びなくて、「美しい教会ですね」と声をかけたら「ありがとう」と言われた。え?
我々が教会を出ると、二人も教会から出てきて、教会の鍵を閉めた!そう、この教会のスタッフさんたちだったのだ。聞いてみると、ガイドブックには12時に閉まると書いてある教会だが、今は11時に閉めているらしい。11時は過ぎていたけど、我々が熱心に見ていたので、見終わるまで待っていてくれたようだ。ありがとうございます!
教会の右手の方からは、墓地を見学できる。墓石はレッチェ特有のはちみつ色で統一されていて、美しい墓地だった。何となく墓地なので、カメラは向けずに静かに見学。大きな墓石や小さな墓石があるけど、死の眠りは誰にでも平等に訪れる…そんな思いがどこからともなくやってくる。
さて、墓地からレッチェ旧市街のナポリ門に戻った。遠回りになるが、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会に寄り道して、中心の方へ帰ることにした。
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会に私が行きたかったのは、私が好きなイケメン福音書書記者、聖ヨハネを祀っている教会だからなのだが…なぜ、こんなに人が多いのだ!?
日曜日だから参拝者なのかと思ったが、団体ツアー客であった。レッチェは観光都市なので、団体ツアーがいても不思議ではないのだが、なぜ、レッチェ・バロックの代表作ということはないこの教会に集結しているのだろうか。
姉いわく、「まあ、内部が広くて、それなりに美しいからじゃない?」。
天井は高くて美しく、窓から差し込む光のおかげで、明るくて気持ちのよい教会ではあったが、なぜこんなに観光客が集結していたのかは謎であった。もしかしたら観光というより、観光ついでに参拝するために集まっていたのかなあ。
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会を後にして、じりじり中心の方に戻る途中で、サン・ニッコロ・デイ・グレチ教会(Chiesa di San Niccolo dei greci)というシンプルな教会があった。
レッチェのバロック教会の中ではシンプルな出で立ち。シンプルだけど、こじんまりとしていて、正面の曲線がかわいらしい。
このサン・ニッコロ・デイ・グレチ教会の周辺は、かわいらしい町並み。日が差してくると、レッチェのはちみつ色の町並みは、ほんのりとピンクがかって見える。レッチェは、荘厳なドゥオモ広場や、スペクタクルなローマ円形闘技場跡のあるサントロンツォ広場が中心だが、こういった何でもない小道歩きも楽しい町である。
そして、目の前には、工事中のサンタ・クローチェ聖堂がまたもや現れた!サンタ・クローチェ聖堂「お前らが勝手にワタシの前を何度も通ってるだけだっつーの!」。
我々をあざ笑うかのように、そこにはサンタ・クローチェ聖堂の説明板があった。本当はこんな形しているのね。やっぱり見たいなあ。いつかレッチェには舞い戻ってこなきゃダメかしらねえ。
サンタ・クローチェ聖堂から続いているように見えるお屋敷は、見ることができた。チェレスティーニ邸(Palazzo dei Celestini)というお屋敷で、現在はレッチェの県庁舎として使われている。
とってもお上品なお屋敷なのだが、上の方で、バロックらしく、「うをー」と突き出ている彫刻がある。ダックスフントみたいだな。
近頃、日光東照宮に行く機会があったのだが、東照宮にも、こういうふうな「うをー」と突き出ている変な生き物(変じゃなくて本当は霊獣らしい)がたくさんいて、バロック建築に似ていて非常に驚いた。
東照宮が作られた頃の文化である、安土桃山、寛永といった時代の建築物は、装飾的傾向が強く、「日本のバロック」とも呼ばれるらしい。安土桃山・寛永の文化も、ヨーロッパのバロックも、ある程度は権力を誇示するための装飾なのだろうが、だからと言って「うをー」が共通しているのはどうしてなのだろうか。いつか「うをー」について学んでみたいよ。
本日のランチは、昨日までに目をつけておいた、地元のレッチェ民でわいわいしている、城壁の外、マルコーニ通りに面しているバールに入った。
本日のランチ。味は身もだえるほどおいしいとまではいかなかったが、これにスプレムータまでオーダーしたのを合わせても€9.5!安っ!
こちらはレッチェ名物の「ルスティコ」というストリートフード。宿泊しているB&Bの朝食にも出てきたが、モッツァレッラチーズとトマトが入ったパイである。熱々で食べるのが美味しいが、熱々すぎて、口の中をやけどしないように注意されたし。カロリーは高い。しかし、食べた分レッチェを歩き回れば無問題なのである。
このバールでトイレを借りて、午後のレッチェ歩きをしようと思ったが、トイレには紙がなく、あまり綺麗ではなかったので、すぐそこだし、いったんB&Bに戻ることにした。ちなみに、午前中に入ったバールのトイレにも紙がなかったので、もしかしたら、レッチェのバールのトイレは、あまり紙を置いてないのかもしれない。