3/17パドヴァ旅行記4 人の創りし青き天国

さて!満を持して、13時30分予約のスクロヴェーニ礼拝堂である。

予約をした際、予約を取ってくれた男性は、5分くらい前に行けばよいと言っていたが、スクロヴェーニ礼拝堂に入る前には15分、体温調整を兼ねてビデオ鑑賞をすると聞いたことがある。そこで、5分前でいいのだろうけど、念のために15分前に行ってみた。

スクロヴェーニ礼拝堂

市立美術館の切符売り場を抜けて公園に出て、表示通りに進むと見えてくるのがスクロヴェーニ礼拝堂。ジョットワールドが広がる内部だけが有名な礼拝堂だが、私はこのロマネスク・ゴシック式の外観もかわいらしいと思った。

スクロヴェーニ礼拝堂

スクロヴェーニ礼拝堂の隣には、こういったガラス張りの建物が併設されている。ここが、礼拝堂見学前に待機してビデオを鑑賞する建物である。フレスコ画を保存するため、見学者の体温を調節する部屋らしいが、何が何でもジョットのフレスコ画を守るぞ!という意気込みが見られる。

スクロヴェーニ礼拝堂

前のグループがビデオを見ている間は、ロープが張られていて中には入れない。その前の前のグループがスクロヴェーニ礼拝堂の中にいるというサイクルですな。

我々はちょうど15分くらい前に行ったのだが、ちょうどこのロープが外されて、係員が切符を見ながら待っていた人たちを中に入れた。我々が入る前に、他の観光客が「あなたたちは13時30分だから次のグループですよ」と言われていたのを見て、我々は待機ポーズに戻った。

15分のビデオ鑑賞タイムがあっても、やはりチケットに書いている時間までに行けばOKのようだ。チケットに13時30分と書いてある場合は、13時30分にビデオ鑑賞がスタート→13時45分にスクロヴェーニ礼拝堂に入場となるということだ。

このガラス張りの建物の前にベンチはあるが、スクロヴェーニ礼拝堂に一度に入れる人数25人が座れるスペースはない。だいたい5分くらい前に到着するのがよいだろう。だから切符売り場のおじさんは「5分前に来るといいよ」と言ったんだね。玄人の言葉を信じるべきだったね。

我々と一緒に入るグループの人たちは、ぽつぽつと集まり始め、鑑賞人数は、マックスの25人になりそうだった。時間が来たらジャスト時間通りに、扉前のロープが外され、皆、チケットのチェックを受けながら中に入っていく。何だかテーマパークのアトラクションに入る雰囲気だなあ。

中では皆おとなしく椅子に座って、イタリア語で流れ、英語の字幕がついているビデオを観賞。私はイタリア語でヒアリングしようとしたが、なかなか難しく、英語の字幕で答え合わせをしようとすると字幕が消えてしまうという戦いをしていたが、その中でギリギリ聞き取れたポイントは

1.スクロヴェーニ礼拝堂の天井の青はラヴェンナのガッラ・プラチーディアの廟の天井モザイクに着想を得てるよ

2.このスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画は他の画家たちに多くのインスピレーションを与えているよ(例:ミケランジェロの『最後の審判』)

3.実はものすごーく傷んでいたのを綺麗に修復したんだよ

以上っ!

このビデオは、前のグループが礼拝堂を見ている間に鑑賞するので、スクロヴェーニ礼拝堂を鑑賞する時間とほぼ同じ15分間のプログラムである。結構長く感じたので、「なんだ15分って割と長いじゃん。礼拝堂鑑賞もゆっくりできそう」と思った私は甘かった。

さて、ついにスクロヴェーニ礼拝堂に入場っ!

スクロヴェーニ礼拝堂

こっこれは………青い天国!

スクロヴェーニ礼拝堂

感動もつかの間、次に私を襲ったのは動揺であった。「ど・どうしよう…これ、15分で見終わるのは無理だよ!」。

落ち着け、私!せっかくのスクロヴェーニ礼拝堂、たった15分、おろおろしている時間ももったいないぞ!そもそも人生というものは短いものなのだ。人生の練習だと思って頑張れ!(意味不明)

スクロヴェーニ礼拝堂

とりあえずまずは、出口部分の『最後の審判』を見るぞ!システィナ礼拝堂のミケランジェロの『最後の審判』と同じように、イエスから見て右側が天国、左側が地獄。

スクロヴェーニ礼拝堂

最後の審判を受けるためにお墓からよみがえる人たち。助け合って穴から出たり、人間くささがあって微笑ましい。

スクロヴェーニ礼拝堂

イエスの周りで、最後の審判が来たことを告げるラッパを吹く天使たち。真ん中の天使なんかかなりのイケメンよね。ジョットが描く人物はあまりイケメンに感じないのだけど、この天使たちは素敵であった。ちなみに、この画像は横になっている。実際の天使たちは、天使パワーで、横向きに宙に浮いている。

スクロヴェーニ礼拝堂

そして、この最後の審判の、一番目立つ、真ん中下の部分に描かれているのが、有名な「エンリコが聖母マリアにスクロヴェーニ礼拝堂を捧げている図」。

スクロヴェーニ礼拝堂は、エンリコ・スクロヴェーニが、高利貸し(キリスト教では罪深い職業と言われている)で財を築いた、父レジナルドの罪を償うために建てたと言われている。だからこそ、最後の審判の場面に、最後の審判で父が救われるように、礼拝堂を捧げる場面を描かせたというのはしっくりくる。

だが、この最後の審判の図において、この絵が、あまりにも主役を張っている。何が言いたいのかというと、敬虔な宗教心よりも、「自分たちのため」という気持ちの方が見えてしまっている気がする。

その意味で、実に天国っぽい荘厳さを持つスクロヴェーニ礼拝堂だが、あくまでこの天国は、人間が作りだした楽園という感じである。そういう「人間らしさ」というものが、ルネサンスへとつながる流れになっていくのかなあ。

さて。本当に時間がないんだよ!側面もジョットのフレスコ画びっしりなのだが、私のようなキリスト教会絵画初級~中級者に分かるのは、イエス・キリストの生涯と、聖母マリアの生涯を描いたもの。

スクロヴェーニ礼拝堂

『最後の晩餐』。頭の上の光輪が薄い、左側の黄色い服の人がユダかな。「この中に裏切り者が…」という緊迫感が、少しではあるが、弟子同士が顔を見合わすことによって伝わってくる。

しかし、それを台無しにしてしまう、イエスにもたれかかって目を閉じているヨハネ。これでは「ヨハネ君が眠たいってさ。どうする?」という場面に見えてしまう。でも、これはジョットが悪いんじゃないよ。聖書の記述がこんな感じなんだよ。

スクロヴェーニ礼拝堂

こちらはキリストの磔刑図。こちらは「ジョットの革新」というものがよくわかる絵である。我が子の磔を見て、思わず倒れてしまう聖母マリアの悲しみ、その姿をやるせなさそうに見ているヨハネ、キリストの足元に、深い悲しみをたたえて座り込むマグダラ。描かれている人物の感情表現が見事である。

スクロヴェーニ礼拝堂

マグダラの深い悲しみを描いた表情をアップで。鑑賞しているこちらがグッとくるような表情である。

スクロヴェーニ礼拝堂

こちらはイエス・キリストの死を人々が悲しむ『ピエタ』の図。この絵も悲しみの表現が素晴らしい。上に飛んでいる天使たちも皆、悲しそうで、全身で悲しみを表現している天使もいる。

スクロヴェーニ礼拝堂

悲しんでいる天使の一人。ジョットは感情表現の中でも、悲しみの表現が一番上手だと思う。人間が人目をはばからずに泣くときって、こういう表情をすると思う。この子は天使だから人間ではないのだけど、擬人化されているってことで!

スクロヴェーニ礼拝堂

こちらは聖母マリアの生涯の一場面。まだ幼いマリア(わずか3歳!)が神殿に仕えるために、自分で階段を上っていくエピソードである。

私が楽しみにしていたのは、モノクロで描かれているという『7つの悪徳』の図。側面の一番下に描かれていて、目線的には見やすい場所にある。

スクロヴェーニ礼拝堂

「憤怒」。胸をはだけているから「色欲」かと思ったが、ここに描かれている7つの悪徳は、広く知られているキリスト教の「7つの大罪」とはすこし違うらしく、「色欲」はなかった。

こちらは「嫉妬」。嫉妬の炎に焼かれている。漢字では「嫉妬」には女という字が含まれているが、男性でも嫉妬はする。自分の頭の中から出てきている蛇に、今にも噛まれそうである。この絵は、炎だけが赤く描かれているのが印象的。

スクロヴェーニ礼拝堂

「絶望」。キルケゴールは「死に至る病とは絶望のことである」と言ったが、まさにその通りの絵。

この反対側には、悪徳に対し、「7つの徳」が描かれている。一面に描かれている『最後の審判』から見て、地獄の側の壁に描かれているのが悪徳、天国の側の壁が徳、と考えると、わかりやすいと思う。

「賢明」。デスクに座って、本を広げてお勉強していますね。

「慈愛」。神に食べ物を捧げている。どちらかというと、悲しみ、憤りといった表情が多いスクロヴェーニ礼拝堂の中で、かすかに微笑んでいるこの女性は印象的であった。

そして、もうこのあたりから、時間ヤバイ。15分とか無理。15分とか朝の連続テレビ小説の1回分程度じゃないの。たったそれだけの時間でスクロヴェーニ礼拝堂を堪能するのは、無理っ!

スクロヴェーニ礼拝堂

細部を見ると、まるで絵本の挿絵のようなライオンの親子がいたり

スクロヴェーニ礼拝堂

妙にユーモラスな、人間が魚に呑まれている絵があったり。魚の「オレは何がどうでもいいんだけど」って感じの表情が可笑しい。これは旧約聖書の、魚に呑まれたヨナの話かなあ?うっすらと、空中でヨナの身体をつかんでいる手が見えるような気がするが、これ、神がヨナを魚の中から引きずり出している図かな?

…と、まだまだじっくり見たい箇所がたくさんあるし、内陣の方はほとんど見る時間がなかったのに、無情にも、おしまいのブザーが鳴った。皆、しゅくしゅくとスクロヴェーニ礼拝堂を後にする。そして、次のグループが入ってくる。何か方丈記の冒頭みたいだよ。「ゆく河の流れはたえずして、しかももとの水にあらず」みたいな…。

スクロヴェーニ礼拝堂

スクロヴェーニ礼拝堂を出ると、スクロヴェーニ礼拝堂の警備猫みたいな、目つきのするどい黒猫がいた。黒猫お兄「ほらほら、15分見たなら、帰った、帰った!」。

お兄に追い立てられながら(嘘。実際には我々が、写真を撮りたくてお兄を追いかけた)、姉と私は顔を見合わせた。「(15分では)足りなかったよねえ…」。

そこで、その足でそのまま切符売り場に戻り、カウンターで「今日の夕方で、スクロヴェーニ礼拝堂の予約に空きがある時間はありますか?」と聞いてみると、18時15分に空きがあった。うむ。どうせその時間帯には駅の方角に戻ってくるし(スクロヴェーニ礼拝堂は駅と近い)、最後にスクロヴェーニ礼拝堂に入って帰ろう。

つーわけで、パドヴァカードでスクロヴェーニ礼拝堂に入れるのは1回なので、今度は€13の単独切符(とは言っても市立美術館にはこの切符で入れる)を購入し、18時15分に予約。あまりにも消化不良だったので、気持ちがソワソワしていたのだが、とりあえずもう1回の予約を取って、気持ちはようやく落ち着いたのであった。

3/17パドヴァ旅行記5 色あせた青天井の美へ続く