3/8ポンペイ旅行記1 町は生きていた
本日は!念願のポンペイ遺跡に行く日であるっ!
ポンペイ。それは、数あるイタリアの有名観光地の中でも、特に有名な場所のひとつである。古代ローマ時代に栄えていたが、ヴェスーヴィオ火山の噴火によって、灰に埋もれてしまい、そのまま時を止めて長い眠りについた町・ポンペイ。このポンペイ遺跡が発掘されたのは18世紀。現在でもまだ発掘作業は終わっていないらしい。
古代ローマの町が、そっくりそのまま残されている。これが、現代の我々にとってロマンでなくて何であろうか。人間は誰も流れていく時間を止めることはできない。だからこそ、まるで時が止まったように残り続けた古いものに関しては、憧れに近いロマンを感じるのかもしれない。
…とか、ポンペイに行く前から浸ってんじゃないよっ!昨日、ノドが痛かったのだが、早めに休んだことか功を奏したのか、ほぼ完治していた。天気は相変わらずぐずついていた。ポンペイのように、屋外にある広い見学地は、なるべく晴れている日に行きたかったのだが、どうしてもこの日に行きたい事情が我々にはあった。この日は3月8日なのである。
3月8日―――。女性で、イタリアに行かれる方は、この日付をしっかり頭に叩き込んで欲しい。というのも、3月8日は、イタリアでは「女性の日」。国立の美術館や博物館の入場料が、女性だけタダになるのであるっ!
本当だったら、この日は国立の美術館がたくさんあるローマに滞在したかったのだが、旅程的にそうもいかなかった。というわけで、入場料が11ユーロかかるポンペイ遺跡に、この日は狙いを定めたのである。ポンペイ遺跡が国立かどうかは調べてもわからなかったのだが、さすがにポンペイほどの世界遺産は国が管理しているだろうから、無料になるだろうよ、と予想したのである(大ハズレだった)。
サレルノからポンペイまでは、電車でわずか30分程度である。サレルノからとことこ、とことこ、と電車は進み、長ーいトンネルを抜けた。すると、空模様が急に変わった!トンネルに潜る前は雨が降っていたのに、トンネルを抜けると、キラキラと南イタリアの太陽が輝いていたのだ!
おおっ!これは、海からの雨雲が、サレルノとポンペイの間にある高い山にひっかかって、この山よりも内陸部には入り込めずにいるのだな!今日は一日、雨の中での遺跡散策を覚悟していたので、これは嬉しい驚きだった!だが、この、雨に降られずに遺跡散策ができるという喜びは、ヌカ喜びにすぎなかったことを、後で思い知るのである。
サレルノからポンペイまで行くには、FS線(イタリア国鉄)の電車を使い、FS線のポンペイ駅で降りることになる。ポンペイには、FS線のポンペイ駅以外に、ヴェスーヴィオ周遊鉄道という私鉄のポンペイ駅があり、ナポリやソレントからポンペイにくる人は、この私鉄のポンペイ駅で降りることになる。
FS線のポンペイ駅は、ヴェスーヴィオ周遊鉄道のポンペイ駅に比べて、遺跡まで遠く、歩くのはしんどいという情報もあったのだが、実際歩いてみた感じでは、特に坂道などでもない道を10分ほど歩けば遺跡にたどり着くので、楽勝だった。ただ我々が行った日は、FS線のポンペイ駅から一番近い遺跡入口が開いていた。この入口は閉鎖されていることもあるらしいので、そういう場合は、他の入口までぐるっと回らなければならないので、歩くと大変なのかもしれない。
遺跡のすぐ近くには、お土産などを売っているテントがあり、首から名札ポーチを下げた女性が、「ジャパニーズ?チョット待ッテ!」と日本人に声をかけて、遺跡のパンフレットを売りつけていた。最近のイタリア旅行では、名札ポーチを下げた人が、明らかに日本人をターゲットにして声をかけてくる場面によく遭遇する。日本人は名札ポーチに弱いと思われているのだろうか。イタリアでは名札ポーチに注意しろ!
さあ!切符売り場に行こうではないか!今日は3日8日!女性の日ッ!イタリアの国立の観光スポットは無料ッ!母と姉と私。全員女だな?間違いないな?
「大人3枚ください」「33ユーロです」。……………エッ?さ、さんじゅうさんゆーろッ?………実は、今日は無料デーだと思い、無料なら、出入り自由だね、ってことで、休憩もランチも、遺跡の外に出たい時に自由に出て、カフェやレストランに行けばいいね、と、ほとんど食料品を持ってこなかった。切符売り場の人に、「遺跡の外に出たら、再入場できますか?」と聞いてみると、できない、とのお答え。というわけで、「わかりました、また後で切符を買いに来ます」と、いったん切符売り場を出た。
その後は、少々切符売り場を観察した。切符売り場の人が万が一ワルモノで、どうせ日本人女性無料デーなんか知らないんじゃね?と、我々をだまくらかそうとしたんだとしたら…という、被害妄想が脳裏をよぎったのである。我々のウォッチングによると、イタリア人だろうが、何人だろうが、女性もみんなお金を払って入場して行った。何人かの女性は、スタッフに何事か言っている様子も見受けられた。(女性デーなのに無料じゃないのかと、聞いていたのだと思われる)
結論。ポンペイ遺跡に、3月8日女性無料デーの適用は、無しッ!!!(2013年時点)
というわけで、駅から歩いてきた大通り・ローマ通りに戻って、お菓子やら水やらを調達して、それから切符を買って入場した。
入ってすぐトイレがあったので、広いポンペイ遺跡、いつトイレ迷子になるかわからないと思い、トイレに入った。すると、さびれた公園の屋外トイレみたいに汚なかった。女性無料デーじゃないし、トイレは汚ないし、ポンペイの何も見ないうちに、既にテンションが下降気味の私。
しかし!そのしぼみかけたテンションは、すぐに眼の前に現れた円形闘技場によって、すぐに復活するのである!
わーい!ちっちゃいコロッセオだよ!ポンペイは、ローマの植民市として栄え、ローマ人の暮らしぶりを模倣し、町の中に娯楽のための闘技場や、浴場施設が作られたとローマ帝国 (岩波ジュニア新書)で読んだ。ポンペイ遺跡は古代ローマ時代の暮らしぶりを、縮図として現代の我々に伝えてくれるのだ。
この円形闘技場は中に入ることができるので、さっそく入ってみた。
中は、文字通りまんまるく、黄色いお花が咲き乱れ、のどかであった。昔ここで血なまぐさいショーが行われたことなど、まるで無かったことのように、風はそよそよ吹いている。そして、闘技場の真ん中には、野獣ならぬデッカイ犬が2匹、ででんと寝そべっていた。首輪もしていないデッカイ犬。いったい何だと言うのか。というか、ポンペイ遺跡のあちこちには、デッカイ犬がででででんと、何匹も寝そべっていて、特にグループツアーの人たちがいると、ついて行っていた。
ちなみに、首輪もせずに道路にねそべっているデカイ犬は、ポンペイだけなく、後日訪問する、ギリシャ神殿のあるパエストゥム、水牛チーズ工場のあるカッパッチョにもいた。サレルノやナポリで見たことはなかったので、つまり、ナポリより南のカンパーニャ州の田舎町で多く見られる、ということだろう。イタリア旅行で、首輪をつけてないデカイ犬にこんなに遭遇するのは初めてだったので、ちょっと調べてみると、何と、この犬たち、捨て犬なのだそうだ!
南イタリアには、飼い主の居ない犬…つまり野犬が多く、そのワケは、長期バカンスに行くために、飼い犬の面倒が見れなくなり、バカンス先で捨ててしまう人がいるのだそうだ!バカンス先は、当然陽光降り注ぐ南イタリアの海岸線が多いワケで………ひえーっ…。日本だと、猫と違って、野犬はすぐに捕獲されるのだが、イタリアは事情が違うようだ。
この野犬たち、今ではボランティアの人達が面倒をみているらしく、そのためか人間に襲い掛かってくることはない。だが、ボランティア体制が確立される前は、結構人に襲い掛かることもあったらしく、南イタリアを旅行する人にとっては脅威だったらしい。ひえー…コワイ。コワすぎる。
私は小さいころに大きな犬に追いかけられたことがあって、それ以来犬はコワイ。その代わり、猫は大好きだ。猫とは分かり合える。犬とは分かり合うためのアンテナを、自分の方が閉ざしている感はある。そういうわけで、南イタリアではデカイ犬さんにたくさん遭遇したのだが、犬さんの写真はほとんど撮っていないのだ。
ポンペイの話に戻ろう。この円形闘技場の横には、体育館跡があった。スタジアムの横にスポーツ施設!もうこれは、まさに現代の町と同じではないか!そっかー。ポンペイの見学というのは、一つの町を見学するようなものなのだなあ。この感覚は、遺跡内を歩けば歩くほど強く感じたことであった。我々が見ているものは、遺跡、なんて生やさしいものではない。町そのものの跡を見て歩いているのである。
遺跡内は、本当に広い。秘儀荘まで見に行く予定なので、ひとつひとつを丹念に見ていくと、確実に体力が持たなそうだった。そこで、まずは必見のものから先に見学して行くことにした。ポンペイの歩き方はほぼ姉任せだったのだが、次は、「ヴィーナスの家」へ向かうことになった。
広い広い遺跡内は、発掘作業のためか閉鎖している部分も多く、地図に載っている道でも、通れない道もたくさんあり、結構うろうろと迷った。姉が、「ヴィーナスの家はこの通りのはずなんだけどなあ」と、言い、その通りに面している遺跡を、ひとつひとつのぞいて探したが、見つからない。この通りで、我々と同じように、何かを探している風の夫婦もいて、おそらくこの人たちも「ヴィーナスの家」を探しているのだろう。
係員さんが近くにいたので、姉が聞いてみると、「ヴィーナスの家は閉まってるよ」とのことだった。アラ、残念…と去りかけたその時、イタリア女性の集団ツアーのような人々がやってきて、そのツアーガイドさんみたいな人がこの係員さんと話をして、係員さんは、鍵が閉まっていて入れなかった所をガチャっと開けて、この集団さんが次々に入って行った。
何だかよくわからないけど、もしかして私たちも入れるかなーとついて行ってみると、係員さんは、どうぞどうぞと笑って中に入れてくれた。そして、この場所こそ、「ヴィーナスの家」だったのである!ええーっ!?人が一定人数集まらないと開けてくれないってこと?それとも、団体さんにしか開放していなくて、我々はたまたまそこにいたからオマケで入れてもらえたってこと?
よくわからなかったが、とにかくヴィーナスの家に入れたので、団体さんたちが、入口の所で説明を受けている間に、先に奥の方にあるヴィーナスのフレスコ画を見に行った。
こっ、これは!
これは、ウツクシイーーー!!!ええーっ!何だこれはー!何て美しい絵なのだ!このヴィーナスの優雅なポーズ!清らかなのに、どこか色っぽい、まさしく美と愛の女神っ!これが2000年近くも前に描かれた絵だなんて!
特に気に入ったのが、ヴィーナスの隣にいる天使。天使と言っても、この絵はローマ神話にちなんだ絵なので、キリスト教の天使ではなく、おそらくヴィーナスの息子のクピド(キューピッド)だと思われる。キリスト教の天使は、羽根のある子供として描かれることがあるが(このちび天使は「プット」と呼ばれる)、そのイメージは、ギリシャ・ローマ神話で、羽根を持つ子供として描かれることの多かったクピドから来たものだそうだ。
それにしても、このクピド。かわいい。きょとんとして、まるで等身大の子供である。この子供の素の感情を、そのまま描いた、という感じの表情には、何にも抑圧されていない、自由な空気が漂っている。もちろん、一つの絵で、ポンペイの当時の空気の全てが読めると言うわけではないが、このクピドの表情を通して、当時の自由で平和な時代を謳歌していた、人々の「気分」が伝わってくるような気がする。
この「ヴィーナスの家」は、他にもたくさんフレスコ画が残っていた。
いきいきとした草花や鳥さんが描かれているフレスコ画とか(真ん中に立ち尽くしているマッパの男性像にも言及してあげようよ…)。
部屋一面がフレスコ画で装飾されていたことがわかる場所とか。
その一面フレスコ画の部屋に描かれた絵。うっすらと羽根が見えるので、ギリシャ・ローマ神話の妖精(ニンフ)の後ろ姿だろうか。風情たっぷりでステキである。
この時に、一緒にヴィーナスの家に入った、女性の団体さん達の中で、ガイドさんの説明に飽きたおばさまたちが話しかけてきた。「このヴィーナス綺麗よねえ。今日はイタリアは女性の日なのよ。だから私たち、女ばっかりのツアーなのよ」。うん、女性の日なの知ってるよ。だからポンペイ遺跡はタダで入れるともくろんでたのに、玉砕したよ。…しまった、遺跡に夢中になってせっかく忘れてたのに、また思い出しちゃったよ!
ヴィーナスの家をこの団体さんと一緒に出ると、またこのエリアはカギが閉められた。いやー、ラッキーだった!あの素晴らしいヴィーナスを見るのと見ないのとでは、ポンペイ遺跡の体験そのものの印象が変わってしまう程だったよ!
さて。ここからどう歩こう。団体さんについていけば、またオイシイ思いができるかなとも思ったのだが、同じペースで進むのはしんどそうだし、さすがについて回るのも怪しすぎるので、どんどん見どころを周って行くことにした。
だが、見どころと言っても、ポンペイ遺跡内は、全部ポンペイ遺跡なので(何を言っているのか)、気になるところで立ち止まると、この広い遺跡、どれだけ時間があっても、足りなくなるのである!私は、遺跡系の観光地は、ちんぷんかんぷんになることがよくあるので、ポンペイ遺跡も、有名な場所以外は、あんまり見ずに歩くだろうなーと思っていたのだが、ポンペイ遺跡は、他の古代ローマ遺跡群と比べて、格段におもしろかった。
というのもやはり、町そのものがそのまま残されているからである。2000年経っても、人の営みというものは変わらないものなのか、ここはスタジアム、ここはスポーツ施設、ここは商店街、ここは民家、と、歩いていてスンナリと、町そのものを感じることができるのである。上手く言えないのだが、ああ、ここは本当に町として、人が日常を生きていた場所なんだな、ということが体感できて、全体としてワケのわからない遺跡ではなく、ワケのわかるもの―――身近なものとして感じられるのである。
あー、やっぱりポンペイは、一日で見て回れるものではないなー。とりあえず、この後、心に残った場所をダイジェストで紹介していくよ!
民家の跡っぽい壁に、ヘビさんの絵を発見!
まるで子供が描いたみたいな、カジュアルなヘビさん。キリスト教では、イヴに禁断の果実を食べるようそそのかしたことから、邪悪とされるヘビだが、古代ローマ時代には、豊穣のシンボルとされていたらしく、ポンペイ遺跡内でも、ヘビの絵がいくつか残っている。ヘビは、いろんな文化圏で、邪悪だったり神聖だったりするが、悪であれ聖であれ、人間にとってヘビはなかなか無視できる存在ではないということなのだろう。
カウンターのようなものが遺された遺跡。居酒屋か何かの跡だと思われる。私が子供だったら、このままお店屋さんごっことか始めてしまいそうな、立派なセットである。
床のモザイクがしっかり保存されている邸宅。こんなに床をモザイクでびっしり装飾しているので、ここは応接間だった部分だろうか。それにしても、少し前までは、人が住んでいたのではないかと錯覚するほど、柱や壁などもしっかり残っている。火山灰に埋もれてしまったこと自体は、ポンペイにおって悲劇以外の何物でもないだろうが、灰に埋もれて、長い間眠っていたお陰で、後世の人々に壊されれることなく、町は今でもこうして形をとどめて人々を感嘆させるのだから、運命とは数奇なものなのだ。
このモザイク床の一番手前には、犬のモザイクがあった。ポンペイには有名な「猛犬注意」のモザイクが、「悲劇詩人の家」と呼ばれる遺跡に残されているが、このモザイクも、「犬に気を付けて!」という意味なのだろうか。まあ、ポンペイ遺跡にはマジで大きな野良犬が多いからなー。冗談抜きで犬に注意だよ。
ポンペイ遺跡には、人々の落書きが数多く残されていることは有名だが、これは商店街だった部分に残された落書き。落書きは、選挙の宣伝や、為政者への悪口や、恋人への伝言や手紙、とある誰かの単なるグチなど、内容は多岐にわたるらしい。書いたポンペイ人も、まさか2000年後にまで読まれるとは思いもしなかっただろう。ラテン語が読めたら、この落書きも読めるのかなあ。今回のイタリア旅行では、何度もラテン語学ばなきゃかなーと思ったよ(思っただけ)。
それにしても、今のイタリア人の国民性は、本当に古代ローマ人の末裔か?と思うほど、いいかげんなところがあるが、この落書き気質だけは今でもしっかり受け継がれているよ…。落書きなんか、どの国でもあるよ、とお思いになるだろうが、イタリアの落書きは本当にすごいよ!それにしても、世界中どこにでもある落書きとは、いったい何なのだろうね。人間とは、口で言語を発するだけでは満足し得ない表現者なのだろうか。
それから、日本では、マンガテルマエ・ロマエ ですっかり有名になった、古代ローマのお風呂っ!つまり大衆浴場跡も、ポンペイ遺跡の中に残っている!
こちらが大衆浴場の外観。コレ、大衆浴場だと言われると、何だか銭湯っぽい!という気がしてくる!このズラっとのん気に並んだ背の低い柱がね!何か銭湯っぽさを醸し出しているのだよ!まあ、大衆浴場と言われなければ、何とも思わないのだろうけどね!この大衆浴場跡は、中にも入れて、タップリと古代のお風呂跡を見学することができる。
奥の方にあるのは浴槽だが、サイドにずらーっと並んだ正方形の棚は、お風呂道具を置くための棚なんじゃないかな。まさしくコレは銭湯だよ!(だから銭湯だって言ってるじゃん)
コレも浴槽跡。現代イタリアにも、湯船につかる習慣が残ってればよかったのにねー。そしたらバスタブ付きのホテルが増えて、日本人観光客が喜ぶのにねー。ちなみに、右下に映っている3つの影は、母と姉と私の影。
浴室の壁は、美しい装飾が施されている。わざわざ大衆浴場の壁を装飾するなんて、古代ローマ人はなかなか風情のある人たちだったのだなあ。これで、ほっこりゆったりお風呂タイムである。この古代のお風呂に一番感動するのは、やっぱりお湯につかる習慣のある、お風呂大好き民族・日本人なのではないかと思う。古代ローマ人と、現代日本人のお風呂に対する情熱に着目したテルマエ・ロマエ は、やはりスバラシイ発想のもとに描かれたマンガだなあとつくづく思った。
遺跡歩きというより、既に町歩きの様相を呈してきたポンペイ見学。この後、秘儀荘などにも行くのだが、長くなってきたので、ここらへんでページを改めます!