3/3フィレンツェ旅行記1 憂いの少年ジュリアーノ

通りで人の声がしたような気がして、目が覚めた。何だか、まだ頭がボーっとしている。素敵な絵が描かれている天井を見ていると、ようやく思考がはじまりはじめた(←変な日本語)。…そっか、もうここはマテーラじゃないんだ、フィレンツェなんだ…。

アルベロベッロ→マテーラ→フィレンツェと移動して来て、南イタリアの小さな町から、いきなり中部イタリアの大都市に来たので、通りで声がする、という感覚が、何だか新鮮である。

窓を開けると、通りには、人の行列ができている。そう。我々がフィレンツェで宿泊するレジデンスは、アカデミア美術館の目の前なのである。ダヴィデ様目当ての観光客が、朝も早よから、並んでいるのである。この行列の人たちの話声が、通りから響いてきていたのである。

とりあえず、お腹もすいたので、顔も洗わずに、サン・マルコ広場の「Pugi」という有名なパン屋さんに行って、パンを買ってきた。今日から、フィレンツェかー。

私は、数あるイタリアの町の中でも、フィレンツェが一番のお気に入りである。何といっても、大きすぎず、小さすぎずの、町のサイズがちょうどよい。それに、私はルネサンス美術愛好家だし、あと、フィレンツェは何を食べても美味しいってのもある。4年連続4回目のフィレンツェだが、今年は8連泊っ!さあ、まったり過ごそうではないか!

まずは、市場に食料調達に行こうと思ったのだが、食料を買うためには、お金がないと買えないね!

というわけで、中央郵便局まで、お金をおろしにいくことにした。別に郵便局でなくてもお金は引けるのだが、憶病な私は、郵便局でないと安心してお金を引けないので、どの町でも、お金を引く時はわざわざ郵便局に行くのである。4回もイタリアに行っている割には、本当に憶病野郎である。それにしても郵便局の何がこんなに、私に安心感を与えるのであろうか。

郵便局に行く途中で、何とデロッシを発見。

デロッシinフィレンツェ

…アディダスのお店の中の、デロッシ等身大パネルであった。デロッシってフィレンツェ似合わないなあー。デロッシとルネサンスとか遠すぎる。

郵便局で無事にお金をおろした後、ついでなので、郵便局横にある、フィオレンティーナの試合チケットを販売しているボックス店で、明日観戦予定のフィオレンティーナの試合のチケットを購入した。明日は、チェゼーナが相手である。

チェゼーナとわ。セリエAで、だいぶ余裕で最下位を独走しているチームである。今年は、フィオレンティーナも、よ、よわくて…いや、事実だから胸を張って言いますよ、弱くて(言いづらいことは、逆に堂々と口に出してしまえば、傷つかずに済むこともあるんだな、これが。ちなみに私はフィオレンティーナのファン)、他チームのことはアレコレ言えないのだが、そんなフィオレンティーナから見てもチェゼーナは弱い。弱すぎで、むしろカワイイ。

そんなチェゼーナが相手と言うことは、明日は、セリエAの下位攻防戦!いぇいっ!てなわけで、チケットが不当に安かった。バックスタンドの真ん中の席で14ユーロ。じゅ、じゅうよんゆーろ…!?日本円にして1500円くらいか…。高校野球の、甲子園バックスタンド入場料もそのくらいじゃなかったっけ…?

何だか、さすがの貧乏人の私でも、「チケット安くなるなんて、弱いのも悪くないジャンっ!」って気分になれないね…。何だか泣けてくるよ…。じゅうよんゆーろ…ああ、フィオレンティーナの未来はいかにっ!?

さて、傷心を抱えて(こんなことくらいで傷つくデリケートな私)、中央市場に買い出しに行くことになった。なぜか母は、市場に行くとなると、目の色が変わり、獲物を狙う時みたいにテンションが上がる。まあ、確かにフィレンツェの市場はテンションは上がる。何でも売ってるし、何でも安いっ!

昨年お世話になった日本人スタッフさんがいる八百屋があるので、行ってみると、そのお店自体がなくなっていた。あらー、残念…。そのお店とは別の、いつも繁盛している八百屋さんがあるので、そこに行って野菜をたくさん調達した。去年もいたカワイイおばあちゃん店員さんもいた。

母が「カボチャが欲しいんだけど、まるまる一個はいらないなあ…」と言うので、切り売りしてもらえるか聞いてみるとOKだった。へー、そうなんだー。カボチャを切ってくれたオッサン店員は、なぜか日本語で「切ルゾ、切ルゾーーー!」と言った。…だいぶ微妙な日本語をお知りですな…。

お肉売り場では、母が「300グラムは少ないけど500グラムは多い」などとのたまうので、「400グラムください(=クアットロ エッティ)」と言うと、なぜか笑われた。「クアットロエッティだってさ…あっはっは!」みたいに。なぜー?300グラム(=トレ エッティ)という言い方はあるけど、400グラムとは言わないものなのだろうか?400以上は「半キロ」みたいな言い方しなきゃいけないのかなー?よくわからなかった。

野菜とお肉を調達した後は、有名店「Nelbone」で、ランプレドット(モツ薄切り肉)のパニーノを持ち帰りで購入した。相変わらず大行列である。このパニーノを作ってくれる、職人のおじさんも、萬田久子が出ていたNHKのイタリア語番組にも映っていたが、だいぶ顔が有名である。緑のソースと、ピリ辛の赤いソースをかけてくれるのだが、赤ソースを少量にしてもらった。

レジデンスに帰ってから、お昼ご飯にこのパニーノを食べた。ここのパニーノは、私と姉は「爆弾パニーノ」と呼んでいて、とにかくデカイ。今までのフィレンツェ滞在でも何度か食べたが、とにかく美味しいのに、残念ながら食べきれないのである。

それが!赤のピリ辛ソースを少なくしてもらったことが功を奏したのか、何と、この日、念願の完食を果たした!バンザーイっ!4年目にして、ついに完食っ!

いやあ、何事も諦めてはいけないねえ。チャレンジ精神を持っていれば、いつかは実るのだよ!ほんの少しの工夫で(工夫=赤ソースを少なくしたこと)、劇的に道は開けるのだよ!旅行って本当に人生の縮図である。

さて、爆弾パニーノを完食したこのめでたき日、母は、以前のフィレンツェ訪問でヴェッキオ橋を渡っていないのが心残りだったそうなので、ヴェッキオ橋へ行くことにした。

とりあえず、ドゥオーモも通って行こうぜ。ドゥオーモはフィレンツェの、基本中の基本である。基本が大事。昨日は、ほぼ移動日だったので、フィレンツェの本格的観光は今日からである。私と姉は4年連続のフィレンツェであるが、母は久しぶりなので、今日はちょいと散歩して、フィレンツェの全体像をつかんでもらうことにした。

ドゥオーモに挨拶を済ませた後、母が「お母さんは…メリーゴーラウンドではなくて………木馬っ!…がある広場を覚えている」と言ったので、木馬ではなくてメリーゴーラウンドがあるレプッブリカ広場にも立ち寄った。相変わらずメリーゴーラウンドぐるぐるで浮かれた広場である。

ドゥオーモからレプッブリカ広場の左を通り、ヴェッキオ宮へと続く通りは、フィレンツェの旧市街のメインストリートだが、我々姉妹がフィレンツェ滞在で、お世話になる店が密集している。毎年通うパニーノ屋さんの居・フラテッリーニは相変わらずの行列だったし、有名ジェラート屋のペルケノも混んでいた。

ペルケノは、今まで私が食べたことのあるジェラート屋さんの中で、現在の脳内ランキング1位を誇る、大変に美味しいジェラート屋さんである。フィレンツェに来たら、ほぼ毎日、義務のように食べてしまう。今回も立ち寄ると、新しく、ジンジャー味があったので、さっそくそれにしたよ!

母は、ペルケノのジェラートは初めて食べたのだが、「これは本当に美味しい」と言っていた。何というかね、品があるんだよ、味に!まあ、私達家族にピッタリ(棒読みしてください)。

ペルケノを食べながら、ヴェッキオ宮前に到達。久しぶり、ヴェッキオ宮君っ!

ヴェッキオ宮

ヴェッキオ宮は、なかなかオトコマエな建物である。ジョットの鐘楼ちゃんが女の子っぽいのに対し、こちらは質実剛健な男子。チケット売り場に到達するまでの、入口付近は、無料で入ることができる。装飾された柱がなかなか素敵な空間である。

ヴェッキオ宮前では、観光客っぽいイタリアオヤジが、オレ最高のショットを撮るために、何度もツレの人に頼んで、写真を撮ってもらっていた。ポケットに手を突っ込んで、片足に重心を置くのが、オレ最高のポーズのようだ。

ヴェッキオ宮を過ぎた後、母はマテーラでの岩山歩きで、おニューの手袋がだいぶ傷んでしまったので(デリケートな素材だったのかなあ)、ヴェッキオ橋の手前の「Martelli」という、日本でも有名な手袋専門店で、手袋を買うことにした。

普段、イタリア旅行で、サッカーグッズ以外の買い物をほとんどしない我々姉妹なので、こういうオシャレなお店に入るのは新鮮である。日本人観光客にもだいぶ慣れていて、母が手袋を試着する時、「ヒジ、ココ(=肘をここに置いて下さい)」と言われた。

観光客御用達の店なので、最初は何だかなーと思っていたが、専門店らしくサイズもピッタリのものを出してくれて、値段もそれほどはバカ高くなかった。ピンキリではあるが、安いものだと30ユーロ代くらいからある。手袋というシロモノは旅行でよく無くなるものなので、必要になったときは、おすすめの店である。

ちなみに、姉は今回の旅行で、マテーラで手袋の片方を無くした。手袋って、片方無くなるくらなら、いっそ両方無くなってくれた方が親切だと思うのは、私だけだろうか。

で、姉は、今回の旅行に、手袋は2つ持ってきていたので、ノープロブレムだった。姉が手袋を二つ持ってきたことを知った時、「余計なモノを持ってきて!」と私はなじったが、結局持ってきて大正解だったのだ。

手袋をゲットして、いざ、母念願のヴェッキオ橋へ。「お母さんはねえ、ヴェッキオ橋を渡りたかったのよー!」。そりゃ、そうだ。橋は渡ってなんぼである。相変わらず観光客でごった返しているヴェッキオ橋だが、渡りましょ!

ヴェッキオ橋から見たアルノ川

アルノ川

いやー、良い天気。左岸の建物は、ウッフィツィ美術館である。すんごい人だかりだなあ。

ヴェッキオ橋

ヴェッキオ橋は、東側から見たアングルがステキ。ヴェッキオ橋がイタリアオヤジだったら、「東側からのアングルがオレ最高のアングル」とか思っていることだろう。

ウッフィツィ美術館は3日後に予約を取ってあるので、今日は、前を通過するだけ。ウッフィツィ美術館の周りには、フィレンツェの偉人たちの銅像がずらーっと並んでいる。

ウッフィツィ美術館のダンテ

こちらはダンテ氏。ダンテはいつもオシャレかどうか紙一重の独特の帽子をかぶっている。ちなみに、顔はいつも、サネッティをしかめつらにした感じの顔なので、マンガとかだと主人公にも、味のある悪役にもなれない、微妙な容貌である。ダンテに言わせりゃ、「オレの売りは詩であって、顔じゃねえんだよ!おとといきやがれこのオカメ!」ってとこだろう。

ウッフィツィ美術館のレオナルド

こちら、レオナルド・ダ・ヴィンチ。レオナルドさんは美貌の持ち主だったそうだが、この銅像はじっちゃんになってからの図なので残念。というか、スカートの丈短すぎだろう。膝小僧見えてるよ、じっちゃん…。

今日はフィレンツェをのんびり歩いて終わりにするつもりだったのだが、母が「どっか一つくらい入りたい」と言い出した。まあねえ。アルベロベッロ→マテーラと町歩きばっかりしてきたので、せっかくフィレンツェに来たからには、芸術作品の一つくらい見ようって感じだねえ。この時間でも開いているところ、てなわけで、メディチ・リッカルディ宮に入った。私と姉は昨年に続いての再訪。

私と姉が、昨年も入ったにもかかわらず、二つ返事でメディチ・リッカルディ宮入りに同意したのにはワケがある。それは、メディチ家の誇る悲劇の美男子・ジュリアーノ(豪華王ロレンツォの弟です)の幼き日の姿が、あの有名なゴッツォリの「東方三賢王」のフレスコ画に描かれているということを、最近知ったからなのである。昨年は知らなくて見逃してしまったのだよ~。

というわけで、2年連続のメディチ・リッカルディ宮。ゴッツォリの絵のある礼拝堂へ入り、初めてこの絵を見て「うわあ…」と感動している母をほっといて、血眼になってジュリアーノを探す我々姉妹。ロレンツォと言われる美青年の絵(ちなみにロレンツォは非イケメンで、この絵は美化されている)の、左上の方に、い、た---!!!幼き日のジュリアーノっ!

10歳くらいの頃だろうか。うつむき加減の、頬を赤く染めた少年が、物憂げな、それでいて気高い、静かな気品をまとった表情で描かれている。ほわー…。これは、いいよ。

昨年は、この絵の中に描かれている馬だの鹿だの猿だのに気を取られて全然気づかなかった。そんな昨年の自分に、おバカさんといってやりたいよ。この絵の主役はどう見ても、馬でも猿でもなく、少年ジュリアーノだよ!(この絵の主役は誰がどう見ても馬でも猿でもジュリアーノでもなく、ロレンツォ、というのが一般的見解。)

残念ながら、この礼拝堂は撮影禁止なので、いいですか、みなさん。ジュリアーノがどこにいるか、文字で説明しますよ、文字で!

ロレンツォの後ろに、4匹の馬で始まる行列があるのですが、その行列の、前から2番目の、右から5番目、うつむき加減の少年が、ジュリアーノですっ!前から2番目、右から5番目っ!もうね、パッツィ家の陰謀による夭折を、このはかなげな表情が暗示しているんだと思うと、何だかよよと泣けてきますよ。ゴッツォリさん、アンタいい仕事したよ!いい絵だよ!

ジュリアーノしか見ていない我々に対し、母はこの絵全体を見渡して(正しい鑑賞の仕方)、ずいぶんこの絵が気に入った様子。真剣にいつまでも鑑賞している日本人3人組を(私と姉はジュリアーノに見とれているだけなんすけどね)、係員のおばさんは気に入ったと見えて、ニコニコしてこちらを見ていた。

礼拝堂の主祭壇らしき所に、作者はフィリッポ・リッピ?ボッティチェリ?ギルランダイオ?って感じの、結構素敵な絵があったので、この係員さんに聞いてみると、リッピの絵だが、これはコピーだ、とのことだった。おそらく、オリジナルは、プラートの美術館で昨年見た絵じゃないかなあ(未確認です。今度調べますぜ)。

ここにリッピの絵のオリジナルがもともとあったのか。リッピの絵も残ってたら、ゴッツォリのフレスコ画もあるし、神空間だったのにねえ、この礼拝堂。

このメディチ・リッカルディ宮は、あまり知られていないのだが、そのリッピの他の作品である、聖母子像の絵のオリジナルを所蔵している。私も姉もリッピラブなので、今年もじっくり鑑賞。

リッピの微オカマ聖母子像

なんとこの写真は、昨年撮った写真の使い回し。何という手抜き!だってさ、絵って変わらないジャンよ?

この絵の裏側に、リッピのデッサンが残されているので、今年はそれを撮影してきましたぜよ。

リッピの聖母子像の裏側

後ろ側に回れば見えますぜ。しっかり後ろも見てくださいませ!

ちなみにこの聖母子像、横にあるイタリア語の説明書きを読むと、リッピの晩年の作品であるが、紆余曲折を経て、最終的にメディチ・リッカルディ宮所蔵のものとなったらしい。紆余曲折、とかゴマかしてるあたりが、私がこの説明書きをちゃんと読めなかったことを暗示しているのだよ。

リッピの絵が飾ってある通路の横には、鏡張りで、華やかな絵で飾られた部屋がある。

ギリシャ神話をモチーフにした絵が、部屋全体に描かれている。画風を見るに、マニエリスム期の絵かなあ。私は専門家じゃありませんからね、たとえ外していてもちぃとも恥ずかしくも、くやちくもありませんよ、ええ。

青色が際立つ、何だか意味ありげな絵。

メディチ・リッカルディ宮の絵

メディチ・リッカルディ宮の絵 アップ

小さな羽根を持つプットが、仮面のようなものを顔に当てている。何の寓意だろうか。虚偽の寓意?仮面は劇場を表すこともあるらしいが。まあ、何だろうと、おもしろいね。おもしろければ、いいんだよっ!(実は、これは私の座右の銘のひとつだったりする。しーん…)

メディチ・リッカルディ宮を全て見終わった後、母は、もう一度ゴッツォリの部屋に戻りたい、と言った。私と姉が、もう一度美しいジュリアーノ(少年時代)に会えることを拒否するわけがない。

礼拝堂に戻り、もう一度堪能し、最後にジュリアーノに手を振ると、係員のおばさんは自分に振ったのかと思ったらしく、満面の笑みで手を振り返してきた。いや、ジュリアーノに、だったんだけどね。まっ、いいさ、おばさん、いろいろ教えてくれてありがとう!

というわけで、南イタリア旅行とは打って変わって、フィレンツェは芸術鑑賞ざんまいとなりそうだね。それから、ペルケノも毎日食べなきゃだね。さっきも言ったが、これは義務だよ。

ちなみに夜になって、マテーラのB&Bにせんたくばさみを忘れてきたことに気付いた。あのせんたくばさみ君たちは、ここから数年、あのB&Bの備品として活躍してくれることだろう…。きっと、幸せになれるさ。

実は、耳あてもバーリで落としたらしく、フィレンツェに来た時になくなっていることに気付いた。姉も手袋の片方を無くしているし、あと、アルベロベッロに携帯まな板も置いてきてしまったし、今年の旅行は、忘れ物・落し物が多い。忘れたもの、無くしたものは、もうしょうがないさっ!明日に向かってGOだよ、GO!
3/4フィレンツェ2 まるこは見返り美人へ続く