3/12レッチェ旅行記7 まさかこんな所でライオン君
レッチェには、町を代表する広場が2つある。ドゥオモ広場と、サントロンツォ広場である。
ドゥオモ広場は、町を代表する教会・大聖堂のある広場。レッチェは、このドゥオモ広場は、周囲が建物に囲まれていて、入り口が小さい。広場の「解放感」よりは、何かエネルギーが集結して溜まっていくような、神聖さを感じる。
そのためか、地元民がたむろしてくっちゃべっている姿は、あまり見られない。観光客がぽかーんと(美しさのあまり呆然としている)周囲を見渡しているのが、デフォルトになっている広場だ。
それに対し、サントロンツォ広場は、カフェが立ち並ぶ都会的な雰囲気のある広場だ。地元民が行き交ったり、カフェのテラス席でだべってたりしてる、開放的、庶民的な明るい広場だ。現代的な雰囲気なのに、古代ローマ闘技場が隣接しているため、古代と現代が合わさった、それも明るく合わさったような、独特の雰囲気を醸し出している。
サントロンツォ広場には、レッチェ名物のお菓子パスティチョットの有名店、カフェ「Alvino」があるため、既に2度も3度も足を運んでいるのだが、パスティチョットを食べることばかりに専心していて、ちっとも広場自体を鑑賞していないことに、我々のうちのどちらかが気付いた。
「はッ!ちゃんとローマ円形闘技場跡を見ようぜ!」
こんなふうに、まるで現代の公園が何かのように、街の真ん中に無造作に登場するローマ闘技場跡。レッチェ人は誰も気にしてない。まあ、日常だから仕方ないといえば仕方ないのだが、イタリアの、古代がこんな風に現代に溶け込んでいる風景は、何度見ても新鮮に感じてしまう。
ローマ闘技場跡の隣には、この広場の名前の元となっている、レッチェの守護聖人、聖トロンツォの像が載った柱がある。
…これは、我ながらヒドイ写真である。何度も繰り返すが、このブログに載っている写真で「まともな写真は姉撮影、変な写真は私が撮影したもの」だと思っていただいて、まず差し支えない。何がヒドイって、まずピントが合ってない。それから構図がダメ。これが柱だってことすらよくわからない。まあ、あれだ。現地で実物を見てください!(問題すりかえてます)
ちなみに、このサントロンツォ像を説明する、地球の歩き方の記述も、私の写真と同じくらい意味不明である。「広々とした広場にそびえ立つ1本の柱は、ブリンディシにある2本の『ローマの円柱』のひとつ」。
いや、意味わからないから!「ブリンディシにある」って、この柱、レッチェにあるじゃないのよ。たった、今、私の目の前に!
そこで、調べてみたら、もともとブリンディシには、ローマ時代のアッピア街道の終点を意味する柱が2本立っていたらしい。この柱は、そのうちの1本が、レッチェに寄贈されたものだそうだ。
この寄贈の課程は、諸説あるようだが、ウィキペディアによれば、ブリンディシの2本の柱の1本はもともと16世紀に崩壊ししまい、破片が地上に落ちていた。
17世紀に南イタリアをペストが襲ったが、レッチェ地方は、聖トロンツォのご加護で被害が少なかったと信じられた。その際にレッチェが、聖トロンツォを祀るモニュメントがほしいと、ブリンディシに破片をもらい受けるよう打診し、譲ってもらえることになった。
その破片を元にレッチェに柱を立て直し、上に聖トロンツォ像を載せた、ということらしい。
まあ、このストーリーを、ものすごーく短縮すると、「広々とした広場にそびえ立つ1本の柱は、ブリンディシにある2本の『ローマの円柱』のひとつ」ってことになりますな。スゴイ短縮力。
このサン・トロンツォ広場には、ガラス張りの立派な観光インフォメーションだがあるのだが、閉まっていた。どんなに立派でも、閉まっていると意味がないのである。イタリアの観光インフォメーションは、日曜日に安易に閉まりすぎだと思う。日曜日こそ、観光客が遠くからやって来るものではないのか。
そしてこの(外側だけ)立派なインフォメーションの横には、一風変わった教会がある。
非常にちっこいが、扉周辺の装飾が細やかで凝っている。こんなにちっこいのは、教会ではなくて、礼拝堂だからのようだ。名前はサン・マルコ礼拝堂。…サン・マルコ礼拝堂?
ヴェネツィアの、ライオン君じゃないかー!有翼のライオン像は、ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコを表し、ヴェネツィアのシンボルとなっている。ヴェネツィアが征服した、北イタリアのヴェネト州やロンバルディア州の町ではよく見かけるライオン君なのだが、何で、こんな南イタリアの端っこにいるんだー!
ヴェネツィアは、栄えていた頃には、こんな南イタリアにまで商人が進出してきていたらしい。その人たちが、故郷が恋しくて作った礼拝堂だかナントカカントカ。
しかし、私は今回のイタリア旅行は、「アドリア海沿岸を北上する」がテーマで、最初はオートラントからヴェネツィアまで行くつもりだったが、「私の鈍足ではヴェネツィアまではたどりつけまい」と、ヴェネツィアの南、フェッラーラを終点にしたのである。
何世紀も前に、ヴェネツィア商人が、こんなレッチェまで来てるなんて、オノレのフットワークの重さを思い知るぜ。でも、よく考えると、私は東の果て・ジパングから来ているわけだから、ヴェネツィア商人に余裕で勝利である。よかった、勝った勝った。
私がヴェネツィア商人に勝ったことを記念するオブジェ(嘘)。
まだまだレッチェ歩きは続く。この後、また「Alvino」に入って、レッチェの銘菓パスティチョットをむさぼったわけだが、トイレを借りようとしたら混んでいた。なので、我々はこのサン・トロンツォ広場近くのB&Bに宿泊しているため、トイレ休憩に立ち寄ることにした。トイレとしてのB&B。
サン・トロンツォ広場からB&Bに帰る道の途中には(Ascanino Grandi通り)、ちょっと気になるお屋敷があったので、せっかくの機会なので、立ち止まってゆっくり見てみることにした。
ちまっとした飾りで装飾されていて、なぜか私の心に響いたお屋敷。お屋敷というよりは小屋敷。
真ん中を飾っているレリーフは、一見、落ち着きがありすぎるヒマワリか何かに見えるが、おそらく、2つの顔は、左が太陽で、右が月だと思う。
ヒマワリの茎みたいに見えている部分は、頭部がなくなってしまっているが、大股開きの人魚だったんじゃないかな。スターバックスのアレです。
大股開きの人魚は、西洋では多産のシンボルだそうだ。魚がたくさん卵を産むからだろうか。これが人魚だったら、後ろで波打っているのは海だろうか。人魚の後ろに、太陽と月が浮かんで、一家繁栄を願ったものなのかもしれない。
しばらくB&Bでトイレ休憩。B&Bの近くには猫ちゃんたちが多かった。イタリアは、車の乗り入れが制限されている町が多いため、猫ちゃんが多い。完全に野良というより、近所の人たちにごはんをもらっている子たちが多いニャ。
さて、B&Bのすぐ近くにあり、何度も何度も目の前を通ったが、まだじっくりは見ていなかったサン・マッテオ教会もじっくり観賞。閉まっているけど、内部入場は、初日に果たしているので無問題。ちなみにだが、レッチェの教会は、閉まっていても、それほど落胆しなくてもよい。内部より外部の方が見どころがたくさんだ。
サン・マッテオ教会は、上の方は凹型の曲線、下は凸型の曲線になっているのが、味があって面白い教会である。レッチェのバロック教会の中では、細部というより、全体像が魅力的な教会だ。
教会の前があまり広くないため、全体像が見づらいが、逆に路地から見ると、こんな独特な雰囲気を楽しむこともできる。本当にレッチェのバロック教会は、他のイタリアのバロック都市と比べて、女性的でエレガントだ。
レッチェ・バロックのエレガントはどこから来るのだろうか。石の色だろうか。細部の作りの細やかさだろうか。それともプーリア州自慢の穏やかな気候が醸し出す空気なのだろうか。
サンタ・クローチェ聖堂が工事中なのを目の当たりにしたときは、「ああ!今回のレッチェ訪問は失敗だったかも!」と落胆しかけだが、サンタ・クローチェ聖堂なしでも、じゅうぶんに楽しめるレッチェの実力には恐れ入った。最終日のレッチェ歩きは、もう少し続きます!