2/27ロコロトンド旅行記2 ただ白く、何よりもマルく

さて。2月27日の、「アルベロベッロからイトリア谷の町への遠足」の後編っ!

前回のあらすじをおさらいしておきましょう。

○我々母娘3人は、まず、アルベロベッロからチステルニーノへ遠足に行ったよ!
○チステルニーノからアルベロベッロまで帰る途中に、私と姉だけロコロトンドで下車して、ロコロトンド観光をする予定だよ!
○母は疲れるといけないので、一人でまっすぐアルベロベッロに帰る予定だよ!

というわけで、チステルニーノからの帰りに、マルティーナ・フランカ乗り換えで、アルベロベッロ行きの電車に乗った。ちなみに、スド・エスト線の路線図は、チステルニーノ→マルティーナ・フランカ→ロコロトンド→アルベロベッロの順に停車。チステルニーノからアルベロベッロまではわずか3駅だけど、必ずマルティーナ・フランカで乗り換えなければならない上に、電車が遅延したりするので、膨大で法外な時間がかかることがある、というのは、前回のお話で痛感したところだね!

さて。今回のお話の一番の焦点はココ!

「母が、一人でアルベロベッロのホテルまでたどりつけるか!」

いや、うちの母さんは、結構しっかりした人ですよ。彼女が「お母さんを無能力者扱いしないで!」と言うのも、もっともですよ。ですが、ココはイタリア。しかも、うんと南の方っ!何が起きるかわからないわけでありますよ。それに加えて、うちの母は、イタリア語はおろか、英語もぜんぜんダメ。何でこんな母に、中高時代に「勉強しなさい!」と怒られたのか、今になってはだいぶ理不尽な話だが、まあ、それは今は別の話。

とりあえず、第一関門として、きちんとアルベロベッロで下車する、というミッションがある。私と姉は、ひとつ前のロコロトンドで降りるため、母は独力で下車しなければならない。…アルベロベッロはロコロトンドの次の駅なんだから、フツーに次の駅で降りればEジャン?とお思いでしょうね。

しかし、ココは南イタリアでございますよ。駅に着いても、ドアは自動で開かないし、到着アナウンスも流れない。時々スド・エスト線は駅でもなんでもないところで停車することもあるので、自分で、「よし、この停車はアルベロベッロ駅での停車だ」と判断し、かつドアを開けて降りなければならないのでありますよ。意外とコレ、初心者には難しいのでありますよ。

というわけで、チステルニーノから一緒に乗車したおねえさんが近くに乗っていたので、「私たち二人はロコロトンドで降りるのですが、母は次のアルベロベッロで一人で降りなければならないのです。母がしっかり下車できるように、申し訳ないのですが、よろしくお願いします」と、ずうずうしいお願いをしてしまった。おねえさんは「まかせて」と笑顔で答えてくれた。プーリアの太陽のように、まぶしい笑顔だったぜ。後光が差して見えたぜ。

ロコロトンドに着いたので、降車する我々姉妹。姉は、母に、「ホテルに着いたら、メールしてね」と付け加えていた。心配性だなあ。私は、イタリア人のおねえさんにお願いしたことで、まあ、大丈夫だろう、と余裕でかまえていた。

さて、とりあえず、ロコロトンドの旧市街を散策しに行こうっ!3日前に、市場での買い物のためにロコロトンドに来ていたので、駅から旧市街への行き方は覚えていて、さくさくと歩いた。駅を出ると、右にまっすぐすすみ、トゥルッリが見えたところで左折して、ひたすら坂を上れば旧市街にたどり着く。

旧市街の入口では、こんなかわいい時計台が待っている。

ロコロトンド入り口付近

ロコロトンドも、チステルニーノと同じように、真っ白い旧市街である。ただ、チステルニーノとは、また一味違う街並みである。チステルニーノが、素朴で、とにかく迷宮感の強い町であるのに対し、ロコロトンドは、チステルニーノより道幅が広く、外観を飾っている家も多いので、女性的でエレガントである。

ロコロトンドの街並み1

ロコロトンドの街並み2

ロコロトンドの街並み3

家の周りに植物を置いている家が多く、白くてつるっとした美しい外壁に、緑色がよく映えている。清潔感あふれる感じ。フィリッポ・リッピの描く女性が、よく似合いそうな町である。

そんなビューティフルな町・ロコロトンドだが、おもしろいものが通りにつるしてあった。何か、人形のようなものが、通りの真ん中にぶら下げられている!

ロコロトンドのちび魔女

近づいて見てみると…

ロコロトンドのちび魔女アップ

何ともかわいらしい、魔女(?)の人形であった。黒い服を着ているから魔女かな?と思ったが、詳細は不明。

ちなみに、このつるされ魔女は、旧市街を出たところの、大きめの道路の真ん中にも、もっとリアルで大きいものがつるされていた。

ロコロトンドの魔女

いや、これは、見たら普通にびっくりするよ。車も通る道なんだけど、運転手がギョッとして、ハンドル操作誤ったらアブナイよ!

どこかでトイレ休憩のためにバールに入ろうか、と思ったが、そこそこ使えるレベルの公衆トイレが、Antonio Mitrano広場という所で見つかったので、利用した。

一応コイントイレになっていて、中にコインを入れるビンのようなものがあるだが、1セント硬貨が1枚と、2セント硬貨が1枚しか入っていなかった。…合計3セント…(日本円にして約3~4円)。きちんとトイレットペーパーもあるしさ、3セントじゃあんまりにもかわいそうだよ、てなわけで、我々は5セント硬貨を入れた。何だかお金持ちになった気分がした。

ロコロトンドの公衆トイレ

こちらが、そのトイレ君。今日の稼ぎは、ここまで8セントだぜ!

さて、我々姉妹が、どうして、3日前にも来たロコロトンドに舞い戻ってきたか、というと、ロコロトンドの旧市街の反対側に降りて、ロコロトンドの「まるさ」を見たいのである。ロコロトンドは、町全体が円形であることが大きな特徴なのだ。

そもそもロコロトンドとは、イタリア語で「丸い場所」とかいう意味で、町の起源は不明らしいが、まるいことがアイデンティティであることは間違いないようなのだ。ちなみに、ロコロトンドをアルファベットで描くと「Locorotondo」で、oが町名のつづりに5つも入っているのは、ギネス記録であるという話も聞いたことがある。そこまでの、「まる」へのこだわり。だとしたら、ロコロトンドに来て、「まる」を体感しないなら、本物のロコロトンド体験と言えないぜよ!

昨日、マルティーナ・フランカまでバスで行ったとき、車窓から、オリーブ畑の中に浮かぶ、円形のロコロトンドの町が見えた。その時に、写真を撮影し、ホテルに帰ってから写真を凝視すると、高台から下のオリーブ畑に降りるための階段を発見っ!あの階段を降りれば、真下から円形の町を拝むことができるのではないか。

ロコロトンドは、旧市街内の美しい街並みを散策するだけでもじゅうぶん楽しめる町なのだが、旧市街を歩くだけでは、その「まるさ」を実感できない。だから、どうしても、オリーブ畑に降りて、「まる」を見たい!その想いだけで、我々は、今日、ロコロトンドへとやって来たわけだよ!

というわけで、下へ降りる階段探し開始っ!とにかく奥の方に進んで、下りの道を見つけるのだよ!

…と気合を入れて取り組んだのだが、地理の勘が強い姉が、しごくあっさりと、「あ、たぶんコレだよ」と見つけた。ええと、とにかく奥の方へ進んで、下りの道を探せば、見つかりますっ!

見つけたからには、ひたすら下っていくよー。姉に「まだ振り返っちゃだめだよ!きちんと降り切ってから、せーので振り向くこと!」とか言われた。どうして、せーので振り向かなきゃいけないのかはわからないが、せっかく姉が楽しそうなので、付き合うことにした。降り切る前に、道の途中には、いきなりぽつんとトゥルッリがあったりした。ちなみに、このトゥルッリには「いきなりトゥルッリ」という名前をつけてあげた。

さて、降り切ったので、振り向いてみましょうかね。せーの!

ロコロトンド遠景1

おーっ!まるいーっ!まるだよ、まるっ!ギネス級のまるだよ!

ロコロトンド遠景2

もっと離れたところから撮影した写真の方が、「まるさ」そのものは伝わりそうだ。ちょうどもくもくと雲が集まってきて、白い雲の中に白くてまるい町が浮かび上がり、天空の町のような浮遊感を感じさせる。ちょっとだけラピュタっぽい。ちなみに、この写真のちょうど中心らへんに、「いきなりトゥルッリ」が映っているのがおわかりだろうか。

このロコロトンドのまるい遠景を、いろんな角度から拝むために、ちょっと下の道路の方まで降りて、何度も場所を変えて眺めた。すると、通っていく車が、結構な頻度でクラクションを鳴らして、我々に手を振って行く。プーリア州で、一番びっくりしたのは、車に乗っている人が本当によく手を振ってくることだ。

イタリアの他の町でも、まあ、イタリア男が、外国人女性が物珍しくて、ひやかしっぽくクラクションを鳴らしてくることはよくあることなのだが、ここプーリアでは、老若男女問わず、おばさんとか、普通に若い女性とかも、こちらに対して手を振って来る。とにかく人懐こいんだろうなあ。それとも、けっこう田舎だから、とにかく人さみしいのだろうか。謎だった。どちらにしろ、プーリア人の気質には、明るくてかわいらしいトゥルッリ建築が、ピッタリ似合っていた。

さて、旧市街に戻るべよ。緩やかな坂道を下って降りたのだが、その坂道とは別に、階段を発見したので、帰りはこちらの階段を上ることにした。

ロコロトンド 下に降りる階段

この階段。階段の下の方には、オリーブ畑がゆったりと広がっているのが見える。

この階段を上っている途中で、姉がちらっと携帯を見た。「もうお母さんは着いていてもいい頃なんだけど、まだメールが来ないなあ…」。母と別れてから、1時間くらいは経過していた。いくらスド・エスト線がのろいと言っても、どれだけ母がゆっくり歩いたとしても、ロコロトンド―アルベロベッロ間は7分くらいしかかからないし、アルベロベッロ駅からホテルまでは10分くらいだし、確かにもう到着してよい頃だ。「メールするの忘れてるんじゃない?もう少し待てば?」と私。

とりあえず、母の連絡はもう少し待つことにして、駅に向かいながら、旧市街を鑑賞。まだ明るかったのだが、早くも街灯にあかりが点き始めた。

ロコロトンドの街並み4

ロコロトンドの街並み5

灯りがついて、さらにエレガンスさに磨きをかける、ロコロトンド。アルベロベッロ、マルティーナ・フランカ、チステルニーノ、そしてロコロトンド、とイトリアの谷の町をめぐったが、私と姉は、このロコロトンドが一番のお気に入りとなった。ちなみに、母はチステルニーノが一番気に入ったそうだ。

で、その母からの「ホテル着いたよ!」のメールは、やはり、来ない。姉はちょっとやきもきし始めて、「電話かけてみるよ」と、母の携帯にかけてみたのだが、「おかけになった電話番号は、電波の届かない所にあるか、電源が入っていないため、かかりません」。「ええー…何それ、イヤだ…」と、だんだんナーバスになり始めた姉。ヒステリックに、何度も母の携帯電話にかけてみるが、かからない。

姉が心配する気持ちはわかるが、さすがに、ホテルまで帰るのはそんなに難しくはないので、迷子になっているというのは考えにくい。「もうホテルについてるんだけど、携帯がちょうど電源が切れちゃってて、気づいてないんじゃない?」と姉をなぐさめてみたが、「イヤ、メールするように言ったんだから、電源が切れて気づかないってことはないでしょ」と、だいぶコワイ顔になっていた。

姉は、「スド・エスト線の中で、あのおねえさんにお母さんを頼むときに、大きな声で、私たちはロコロトンドで降りて、母だけアルベロベッロで降りるって言っちゃったから、誰か悪い人が聞いてて、誘拐されてないでしょうね…」とか、本気で心配し始めた。この心配が、本気であることを、私は長い妹経験からわかっている。姉の想像力は、本当に無限大。「宇宙は空間として人間を包むが、人間は思索によって宇宙を包む」とか言ったのはパスカルだったっけ?本当にパスカルの言う通りだよ。

かく言う私は、9割方母は無事にホテルに着いて、何らかの理由で携帯がつながらない状態になってしまってるんだろう、と思っていたが、心の片隅で、こんなストーリーを危惧していた。母が、アルベロベッロの駅からホテルに帰る際、何かにけつまづいて「あーれー」と転び、そのまま行き倒れている、という恐れである。誘拐よりは、こっちの方が可能性があるのではないか。

何度も母の携帯にかけながら(そのたび、電源が入っていないと言われる)、駆け足でスド・エスト線に乗った。姉はよほどコワイ顔をしていたのか、お向かいの席のイタリア人のおじさんに、私は「連れの女性、何だか疲れてるねー」と言われた。疲れてるんじゃなくて、心配しまくってるわけですよ。

アルベロベッロ駅に着いたら、ホテルまでもちろん猛ダッシュっ!徒歩だと10分くらいかかるところを、5分くらいで帰り着いた。ちなみに、ホテルまでの道筋で、何も大きな騒ぎはなさそうだったので、行き倒れを心配していた私は、ホテルに着く前に、勝利を確信した。

そして、宿泊しているトゥルッリの呼び鈴を押すと、母は無事に出てきた。出てきたとたん、マシンガンのようにしゃべり始めた。「携帯がおかしいんだもん!圏外になるのよ。高いところに行けばアンテナが立つかと思って、上の方の通りまで行ってみたけど、やっぱり圏外なのよ!何でけ!?」。

私と姉の携帯はアンテナが立っていたので、この場所が圏外、というわけではなさそうだ。母の携帯を、一度電源を切って入れなおしてみると、無事にアンテナが立ち、圏外ではなくなった。何だったんだろうなあ。急に携帯が圏外になり、電源を入れなおすと圏外でなくなる、ということは、この後も、母の携帯だけでなく、姉や私の携帯でも数回起きた。でも私は文系娘なので、「何でだろうねえ?」より先には進まなかった。というより進めなかった。

「もー疲れたー。お母さんも、あんたたちと一緒にロコロトンドに行った方が、よっぽど疲れなかったよー!」とくちびるをとんがらかす母。コソクラーの母でも(コソクラーについてはこちら)、携帯電話の電波については、こそくりの範囲外だったようだ。「上まで上がる道の途中で会った、日本人男性にも聞いてみたんだけど、彼もわかんなくてねえ」。一人旅の男性だったらしいが、急にアルベロベッロの真ん中で、日本人に、「ちょっと携帯電話がおかしいんだけど!」とか言われるとは、彼も思ってもいなかっただろう。

母が無事に帰還していて、とりあえずヨカッタ。安心した我々は、わき目もふらずに帰ってきてしまったので、もう一度外出して、明日の朝のパンを買いにバールに行った。ポポロ広場のバールに入ると、おじいさん率95%だった。十数人ほどのおじいさんズが、カードゲームにいそしんでいた。

パンを買う我々に興味津々な上に、「オレの写真を撮ってくれ!」と一人のおじいさんにからまれた。姉が写真を撮ると、その写真をあとでPCメールに送ってほしい、などと言う。送らないよ…。送ってほしければ、パンの一つくらいオゴることだよ、ちみ。ヨノナカは甘くないのだよ。

アルベロベッロ撮影スポット

日が暮れて、ピンク色の雲とお似合いに、かわいらしくたたずむトゥルッリの街並み。ちなみに、この場所は、写真の前の方に少し映っているブロック塀に座って、セクシーなポーズを決めて写真撮影している欧米人女性が多かった。私も真似して、ポーズ写真を撮ってみたが、とても公開できるレヴェルのものではないので、封印。姉は結構うまかった。

この日はアルベロベッロでの最後の夜となる。

アルベロベッロの夜

5泊したイトリアの谷と、明日ついにお別れして、マテーラへと移動する。オストゥーニに行けなかったのが心残りではあるが、イトリアの谷の町は、それぞれ個性的で、予想していた以上に楽しい滞在となった。オストゥーニという宿題が残っちゃったから、またいつか戻ってくるかもしれないぞ!アルベロベッロに行く方は、ぜひぜひ、アルベロベッロ観光だけでなく、隣町や隣隣町まで足を延ばしてみることをオススメしますっ!

宿泊したトゥルッリ

ちなみに、これが、我々が宿泊したトゥルッリである。おやすみなさーい…ZZZ…。