2/28アルベロベッロからマテーラへ おやじの車でGO!
この日は、アルベロベッロから、マテーラへ移動する日である。
旅行で一番大変なのは、町から町へとホテルを移動することだと思っている。ごちゃっと広げた荷物を(私は性格上、荷物はごちゃっと広げる)、スーツケースに詰めて、忘れ物がないか確認して、次の町へ、希望を持って向かわなければならぬのである。
私のように、ズボラで、テキトーな人間というものは、えてして、荷物を詰める作業というものは苦手である。スーツケースに入っていたのと同じ要領の荷物が、ナゼだかもう一度入れようとすると、入らないのである。質量保存の法則からして、入らないというのはブツリテキにおかしいのだが、現実には入らないのである。物理と現実の乖離に悩まされる私。
そんなわけで、旅行では、なるべくホテルを移動する回数を少なくするようにしている。そうすることで、荷造りをする手間も時間も省けるし、忘れ物をする危険の確率も下がるのである。
何だか前置きが長いが、要するに、何が言いたいのかと言うと、最初に戻るが、ホテルの移動の際の準備と言うものは、なかなか大変だ、と言いたかったのである。
ところが、ナゼかこの日は、母も姉も私も、前日にほとんど準備が終わってしまっていて、移動当日の朝が余裕たっぷりであった。ホテルのオーナー…通称おやじが、9時に、ホテルに来て、支払いなどをする約束になっているのだが、9時までだいぶ時間がある。というわけで、早く目が覚めたこともあり、アルベロベッロの朝焼けを見に行くことになった。イエーイ!
宿泊しているトゥルッリを一歩出ると、この通り、穏やかなピンク色の朝焼けに照らされた、トゥルッリの街並み!
もー、かわいらしくて、仕方がないっ!
もー、ホントにかわいらしいっ!
少しピンク色が薄くなってきたが、それでも、かわいいヤツめ…!
しばらく待つと、朝日が昇ってきた!
トゥルッリのとんがり屋根からのぼってくる朝日を眺めるのは、アルベロベッロ冥利に尽きるってもんだよ!
とにもかくにも、アルベロベッロの早朝は、最高である。できれば、朝日が昇り切る前の、朝焼け状態の街並みを見ることをおすすめする。観光シーズンの夏場でも、早朝であれば、それほど人も多くないのではないかと思う。つまり、アルベロベッロは、宿泊して楽しむべき町だってことだね!できればトゥルッリに宿泊したいところだね!
で、トゥルッリでの宿泊についてだが、トゥルッリは、いろんなガイドブックに、「夏は涼しくて冬は暖かい」と書いてあるが、私の経験上、少なくともこの記述は、冬に関しては大間違いである。イタリアの町を研究している、有名な陣内さんという教授の本にそう書いてあるので(→南イタリアへ! (講談社現代新書))、他のガイドブックは、ただただコレを丸写ししてるんじゃなかろうか。
昔の人たちにとっては、トゥルッリはそれなりに寒さをしのぐ建物だったのだろうが、暖房器具などで甘やかされた身体を持つ現代人にとっては、トゥルッリの冬はキビシイ。
トゥルッリは石造りの上、窓が少なくてあまり日光が入らないためか、冬場はしんしんと部屋の中が冷える。特にベッドが冷たい。何だか芯から冷え切ってしまっていて、人間の体温程度では、ベッドが温まらないのだ。
そこで、我々母娘3人は、毎晩、足湯をした後、その足湯をしたお湯をペットボトルに入れて、かんたんな湯たんぽを作り、それをベッドに入れて眠っていた。湯たんぽパワーは、かなり甚大だった。本当に寒い日は、ホッカイロを背中に貼って寝た。これも、結構パワー大だった。(注:イタリアのペットボトルで湯たんぽを作る際は、温度は低めに!お風呂に入る程度の温度がのぞましい。べこべこのペットボトルなので、熱いお湯には耐えられないぞ!)
他に困ったことと言えば、寒さのせいなのか、お風呂場がものすごく湿っぽくなることだった。あとは、お風呂がタンク式だったため、一定量しかストックすることができなかった。そのお湯を使い切ってしまうと、またお湯が沸くまで待たなければならないため、3人連続でシャワーを浴びることはできなかった。
…などなどと、近代的なホテルとは違う、不便な面もあったが、それでも、アルベロベッロでは、トゥルッリへの宿泊をおすすめしたい。ちょっとやそっとの不便、それこそが旅の醍醐味ってもんさ(キラーン!)。でも、旅先で風邪をひくことはご法度なので、防寒対策だけはぬかるなっ!
そんな楽しいトゥルッリ宿泊体験だったが、今日でお別れだ。ありがとう、トゥルッリ!とんがり野郎、お前、なかなかいいヤツだったよ!また、いつか舞い戻ってきたいぜ!その日まで達者でな!
この写真は、宿泊したトゥルッリの屋根裏の寝室。寒かったので、ここのベッドは使わなかったけど、夏場だったら、とんがり屋根であることがしっかり体感できるので、ここで眠るのがおもしろそうだった。
さて、名残惜しくトゥルッリ内をうろうろしていると、約束の時間9時が少し過ぎたころに、このトゥルッリのオーナーのおやじがやってきた。おやじは、サングラスをかけて車でやってきていて、もう、我々をマテーラに送迎する気100%であった。
実は、宿泊初日に、おやじは、我々をマテーラまで100ユーロで送る、と、しつこかった。100ユーロってのがちょっと高いかなーと思い、保留にしておいたのだが、彼は、送る、という、なんぴとたりとも妨げることのできない、カタイカタイ決意をしていたようだ。
それが判明したのは昨夜で、マテーラで予約してあるホテルの住所の詳細をメモしてくるのを忘れたため、マテーラのホテルに住所を教えてください、とメールすると、住所と共に、こんなメッセージが送られてきたのである。「あなたたちのドライバーに、地図を送信してあるから、心配ないですよ」。
…私たちのドライバーって、誰っ!?
いや、どう考えても、このおやじ以外、ありえないだろ…。確かに、マテーラで宿泊するホテルの名前は聞かれたので、教えたのだが、まさか、サイトで調べて、勝手にコンタクトを取ってるとは思わなかったよ。思うわけないよ。おやじの情熱には負けた。100ユーロはちょっと高いかなと思ったりはしたのだが、もう、負けた。負けたんだからしょうがない。おやじの車で、マテーラに、レッツゴーだ!
ちなみに、このおやじ、商売熱心で、自分のトゥルッリのオリジナルマグネットを作っていて、それをくれた。私も姉も「いらね」と思ったが、母が大喜びでもらった。「お母さんはね、冷蔵庫にはりつけるマグネットが欲しいと思っていたのよ」。…うん、でも、それじゃなくていいと思うけどね。
バイバイ、アルベロベッロ。おやじの車は、オリーブ畑の真ん中を走っていく。天気がサイコーで気持ちいー!オリーブ畑のあちらこちらに、トゥルッリが点在している。このトゥルッリが見えなくなったら、イトリアの谷が終わる、ということなのだろう。ちなみに、「イトリア」は、イタリア語では「イトーリア」か「イトリーア」のどちらかだと思っていたが、大穴で、「イートリア」が正解だった。「イートリア」と発音しないと通じなかった。
(補足:トゥルッリ自体は、イトリアの谷の周囲でも見ることができるが、白壁+灰色屋根のタイプは、イトリアの谷以外には少ない)
アルベロベッロからマテーラへと続いていく道。本当にいい天気だった。
気持ちいいくらい、何もない平原を走っていく。
車の中で、おやじに、2日前におやじの故郷・プチニャーノであったカーニバルの冊子を渡された。「それ、あげるよ!」とおやじに言われ、「ありがとう」と受け取ったがそれはタテマエで、本音は「それ、もらって下さい」「仕方ないね、受け取ってやるよ」だろう。冊子を見ると、おやじの言う「イタリアナンバーワン」は言い過ぎにしても、なかなか派手なカーニバルであった。でも、日曜日の開催じゃ、スド・エスト線止まっちまうから、見に行くのはちょいと難しかったよ。
アルベロベッロのある「イトリアの谷」と、マテーラのある「ムルジャの谷」は、実はそのままつながっていた。トゥルッリが見えなくなって、少し、地表がゴツゴツしてきたら、そろそろムルジャである。アルベロベッロからマテーラへの移動は、鉄道を使うと、必ずバーリ経由で行かなければならないため遠回りになる。確かに、少しお金をかけてでも、車で移動するのが賢い選択かもしれない。
「ここからはマテーラです」という看板を通り過ぎたが、マテーラの特徴である、洞窟住居の街並みは見えてこず、それどころか、かなり近代的で大きな、にぎやかな街並みとなった。このあたりは、マテーラの新市街なのだろう。マテーラは、バジリカータ州では二番目に大きな町だそうで、アルベロベッロに比べて、新市街地はだいぶ都会的であった。
人や車の多い新市街から、洞窟住居のサッシ地区へは、ふっと坂を下りるのだが、この坂を下りると、一瞬にして、町の雰囲気が変わった。街並みそのものの景色もさることながら、空気そのものが変化したような感じがした。「マテーラの新市街は、サッシ地区を意図的に忘れ去ったのようなにぎわい」というような記述を、本で見たが、まさにそんな感じだった。乾ききった土色の街並みを、声もなく、眺める我々。
程なく、車は停まり、おやじが「たぶんこのへんだと思うから、確認してくるよ」と、外に出て、小道の方へ入って行った。ビンゴだったらしく、そこで我々も降りて、小道を上がると、予約したホテルはすぐそこだった。
「ブオンジョルノー」と迎えてくれたのは、アルベロベッロのおやじとは正反対に、ちょっと控えめな感じで、腕にブロンドの、幼い娘ちゃんを抱えたおにいちゃん。ぶおんじょるのー!ここマテーラでは、サッシ建築のホテルに泊まる。トゥルッリの次はサッシに宿泊だなんて、なんてゼータク。
おやじと、おにいちゃんは、名刺交換みたいなことをしていた。そうだよ、アルベロベッロとマテーラは、もっと観光に関して手と手をとりあって、協力し合うべきだよ!手始めに、直通のバスを通してくれよ!(そしたらおやじの仕事が減っちまうな…)
おやじと手を振りあって別れると、完全に、アルベロベッロ気分は終わった。ここからは、マテーラ。陽気でかわいらしいトゥルッリとは打って変わった、洞窟住居の世界である。おにいちゃんは、娘ちゃんを腕に抱えて大変そうだが、一生懸命町の説明をしてくれた。何といっても、マテーラはカオス。地元の人の助けなしには、なかなか地図もうまく読めない。
姉が、日本で苦労して入手したマテーラの地図に、書き込んでおいた教会の位置も、間違っているものもあった。おにいちゃんがペンで修正してくれたが、そのペンを何度も娘ちゃんに盗られそうになって苦労していた。子育ての合間のホテル経営も大変ですな…。
おにいちゃんいわく、「今日はマテーラに慣れるためにも、少し町全体を歩いてみることをおすすめします」だそうだ。うむ。ちょいと地図が難しそうだし、準備運動のように最初に少し歩いたほうがよさそうだな。マテーラを出発する時の予定を聞かれたので、バーリにタクシーで行くつもりだ、と答えると、この控えめなおにいちゃんに、全力で止められた。
「バーリには電車で行った方がよいです。タクシーで行くと、高いし、絶対に電車がよいです。時刻表もあとで持ってきます」とのことだった。実は、バーリからは、フィレンツェまで、ユーロスターでの長旅になるので、母が疲れるといけないから、マテーラ・バーリ間はタクシーを使おうと思っていたのだ。でも、地元の人がこれだけ言うなら、電車を使った方がよいのかもなあ。
おにいちゃんは、パスポートのコピーを取らせてください、と我々のパスポートを預かり、何かあったら、いつでも2階に来てください、と言って、右手に娘ちゃん、左手にパスポート3部を持ち、もういっぱいいっぱいで階段を上がっていった。そっかー、2階部分に、このおにいちゃんたちは住んでいるのだね。これは安心だ。
こちらが、宿泊したサッシの内部。
サッシは、完全に洞窟になってる部分と、その前の方に付け足して作った地上部分があるが、地上部分の方の部屋だった。せっかくサッシに泊まるなら、もっと洞窟っぽい部屋でもよかったかなーと最初は思ったが、後でマテーラの町歩きをした際に、完全な洞窟であるサッシは結構コワイものがあったので、地上部分でヨカッタ、と後々には思うことになったのだった。
というわけで、マテーラの町歩きの始まりー!…は、次回からよ☆