2/29マテーラ旅行記3 渓谷に映る町の影
さて、本日のマテーラ散歩、後半戦っ!
今日は、マテーラの観光名所巡りの日なので、カーサ・グロッタに行くことにした。
カーサ・グロッタは、実際に使われていた洞窟住居サッシに、当時のサッシでの生活を再現した展示場である。観光地によくあるこの手の再現モノは、訪問しておもしろかった試しはないのだが、このカーサ・グロッタには興味があった。というのも、洞窟住居サッシには、電気も上下水道も満足に通らない状況で、20世紀半ばくらいまで実際に人が住んでいたのだ。その暮らしぶりがどのようなものだったのか、やはりサッシを実際に見たからには知りたくなる。
カーサ・グロッタは、観光地マテーラの中でも、特に有名な観光名所なので、迷路のようなマテーラでも、至る所に場所表示があって、簡単にたどりつくことができる。グラヴィーナ渓谷にちょうど面したところに、カーサ・グロッタはあった。
だが、カギが閉まってるぅ!なーぜー!?立ちすくんでいると、隣の建物から女性が出てきて、「ぶおんじょるのー!」と言ってカギを開けて、中に入れてくれた。…観光客が少ないシーズンは、係員は隣の建物の中でくつろいでいて、観光客が来たら、出てきてカギを開けるみたいだぜ…。パッと見、閉まっているように見えても、諦めちゃなんねえ、ってことだね。
「ジャッポネージ?」と聞かれたので、そうだ、と答えると、日本語のアナウンスガイドを流してくれた。ほー。こりゃわかりやすいね。部屋の展示物を、わかりやすく説明してくれるので、アナウンスに沿って、中を見学する我々。幼児死亡率がとても高かったという話や、平均家族数10人で、とても小さなテーブルを囲んで食事をしていたという説明や、小さな子供たちはタンスの引き出しをベッド代わりに使っていた、などという説明に、当時の厳しい生活がしのばれる。
当時の生活がそのまま再現されていて、部屋の中で家畜も飼っていた、ということから、馬さんの模型も置いてあった。馬の近くには、鳥も飼われていた。
こちらは台所。調味料などを置く棚は、そのまま洞窟を掘って作られている。
最も興味深かったのは、井戸。雨水を取り入れる部分が入口近くにあり、井戸に向かって斜めに水の通路が作られていた。
農民の苦しかった生活が、よくわかるカーサ・グロッタだが、このように、当時の道具などを置いて再現された住居を見ると、何だか気分が落ち着いた。というのも、午前中に、カヴェオーソ地区の廃墟になっている洞窟住居をたくさん見て、何ともいえない不安な気持ちになってしまっていたのだ。あの廃墟となった洞窟住居も、こうやって実際に使っていたんだ、と思うと、上手く説明できないが、何だか洞窟に対する恐怖が、少しだけ薄れた気がしたのである。
ある意味、午前中に洞窟に対して抱いた不安感は、あまりにも自分の生活とかけ離れた、得体の知れない未知なものを見たことからくる不安だったのかもしれない。こうした説明を受けて、その説明を自分の中で消化することで、少しだけ、あの洞窟の印象が、自分の中で幾分やわらいだ。
カーサ・グロッタは、サッシをよく知るためにも、日本語のガイドアナウンスも流れることだし、ぜひ訪問することをおすすめする。ただし、この日本語アナウンス、わかりやすかったのだが、最後の締めですべってしまった。「注意していただき、ありがとうございました」。…Thank you for your attentionを直訳しちゃったんだろうけど、正しくは「ご拝聴ありがとうございました」だよなあ。このアナウンスを読み上げた日本人さんが、ツッこむべきだったよねえ。
アナウンスが終わっても、ゆっくりゆっくりカーサ・グロッタ内を見学している我々3人を、スタッフの女性は、「まだ出ないのかな~?」という目で見ていた。我々が出たら、またカギをして、さっさと隣の建物に戻るつもりなのであろう。しかし、観光客たるもの、このようなプレッシャーに負けてはならない。イタリアでは、オノレの願望を全面的にぶつけあい、その願望が強い方が勝つのである。リヴァイアサンの世界。
カーサ・グロッタを出ると、ふたりっ子の猫ちゃんに遭遇。
明らかにきょうだい猫ですね。オレと、兄貴ぃの、ニャー!(意味不明)
この後、ドゥオーモのある、チヴィタ地区へと上ることにした。マテーラのドゥオーモは、町の一番高いところにそびえている。このドゥオーモ周辺を、チヴィタ地区、というらしい。結構キレイなドゥオーモさんらしいのだが、少なくとも昨年までは工事をしていて入れない、とのことだった。もしかしたら終わったいるかもっ!?と期待して(まあ、あんまり期待はしていなかったが。期待するとツラくなるだろ?)、行ってみた。
チヴィタ地区に向かう途中の道から見えた、イドリス教会(右)と、サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会(左)。
マテーラ滞在中に、右のイドリス教会は、さまざまなものに似ていることに気が付いた。
1.マテーラパン
2.じゃんけんの「グー」
3.サータアンダギー(沖縄のドーナツ)
…実は、他にも、似ているものとして名前が挙がったものがいくつかあるのだが、ここには比較的上品なものだけを並べてみましたよ。
じゃんけんの「グー」に似ている、とのことで、よく我々母娘はイドリス教会とじゃんけんをした。最初はパーを出して勝ちまくっていたのだが、途中で、いつも負けているイドリス教会がかわいそうになってきて、グーを出してあいこになるようにしてあげた。誰一人、チョキを出して負けてあげよう、とはしないところが、我々母娘の家系的性格であろう。その前に、こんなくだらないじゃんけんをしてしまうところが、お前らの家系的性格だよっ!とツッこむべきであろう。
ドゥオーモへは、とにかくひたすら、ひたすら、上って行く。
ドゥオーモへと上る道は、こんな風に雰囲気たっぷりの道。宮崎駿の世界のようだ(と、トトロまでしか見てないヤツが、したり顔で言ってみる)。
ドゥオーモまでたどりつくと、残念ながら工事は終わっていなくて、中には入れなかった。無念っ!…ただ、マテーラの写真をガイドブックで見ると、もう、何年も前から、ドゥオーモ近くに、工事の什器が置いてあるのだ。いったい工事に何年かかっているのだろうねえ。この日も、工事中のネットはかけられていたが、中では誰も工事をしていなかった。工事をしているんじゃなくて、長年、工事をしているフリをしているんじゃあるまいね!?
ドゥオーモは、サッシ地区のてっぺんに当たるので、当然のごとくよい眺めである。
ドゥオーモ前の広場からの眺め。イマイチ、カヴェオーソ地区とバリサーノ地区の境目はわかりづらいのだが、ドゥオーモから見えるのは、バリサーノ地区の眺めだそうな。風が強くて、吹き飛ばされそうだった。マテーラは高い所に上ると、風が強い。風が吹きすさぶ町を見下ろしていると、ただでさえスサマジイ光景に、風がBGMを付け加えているかのようだ。
チヴィタ地区から、上ってきた道ではなく、違う道を通って下に降りることにした。カヴェオーソ地区の方に降りていく道を見つけたので、下ってみる。
町の裏手の方に出て、グラヴィーナ渓谷の圧巻の眺めを見ながら、降りることとなった。風が強くて、吹き飛ばされそうでコワイよー!
渓谷には、こんな風に、町の影が落ちていた。サッシが混然と集まった町の影を見ていると、まるで、マテーラのサッシ地区が、一つの有機体、大きな一つの生き物のように感じられてくる。町の影の、突起のようになっている部分は、ドゥオーモの影である。
ずっと下っていくと、イドリス教会と、サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会が見えてきた。ただいまー!
サボテンの向こうに見えている二つの教会。アルベロベッロでもマテーラでも、サボテンは本当に多かった。雨の少ない南イタリアって感じだ。
サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会(左の方)は、こんな風に、カヴェオーソ地区の一番低い部分のがけっぷちに建っている。恐ろしや。
そのがけっぷちのサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会は、閉まっていることが多いのだが、ちょうど通りかかったときにドアが開いていたので入ってみた。
内部は、期待していたよりもずっと素敵だった。天井が木でできていて、そこにやさしげに絵が描かれている。写真撮影禁止なのでお見せできないのが残念だが、心あたたまるような、やさしいタッチの絵であった。木に描かれているのも、何とも心が温まる。主祭壇の、聖母の戴冠も、やさしい気持ちになる絵であった。マテーラのスサマジイ風景を見た後だと、ホッとするような雰囲気の教会である。
ただし、我々は、主祭壇左の方に、デキの悪い作品を発見してしまった。イエス・キリストが、ゴリラか北島三郎にしか見えないのである。マルティーナ・フランカで見た、キラキライケメンのイエスと同一人物とはとても思えなかった。母は「この教会の雰囲気が台無しだ…」と口をとんがらかしていたが、ちょっとだけサブちゃんに失礼である。
こちらがサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会の正面図。何だかデキの悪い写真なのは、もちろん姉でなく私が撮影したからである。この写真を自己採点してみると、前の広場部分が画面に多すぎると思う。こういう反省ができるようになったので、少しは私も上達してきているような気が、しない。
我々はイドリス教会近くに宿泊しているので、このまま母を置いて、新市街に買い物に行った。マテーラパンとか、野菜を買った。
野菜を買った八百屋さんには、何度も入ったので、店員のお兄さんとも少し仲良くなった。お兄さんに教えてもらったのだが、イタリアの八百屋さんでは、素手で野菜を触って物色してはいけないのだそうだ。お店の人が、よさそうなものを選んでくれるのである。まあ、プロが選んだ方が、確かに良いかもねえ。
ちなみに、スーパーの野菜売り場は、手袋をして野菜を触るようになっている。ただ、市場では、イタリア人も普通に野菜を素手で触って物色している。このへんは、周りのイタリア人の様子を見ながら、「郷に入れば郷に従え」で、判断すればよいのだろう。
八百屋さんからの帰りに、新市街の展望所から見たサッシ地区の眺め。夕焼けで、ほんのり空がピンク色になっていた。
B&Bに戻り、食事の支度やらをしながらテレビをつけていると、サッカー・イタリア代表と、アメリカ代表の国際親善試合の、試合前の様子が中継で流されているチャンネルを発見した。我々母娘は、3人とも欧州サッカーが大好きである。特にイタリア代表の監督プランデッリは、知的な目をしていて、私のタイプー(そんなこと誰も聞いてない)!よしっ!今日は、イタリア代表の試合を見ながら夕食を食べられるわけだね!
ちょうどキックオフの時間に合わせて夕食も出来上がり、我々は、テーブルを囲み、テレビの前でスタンバッた。そして、試合が始まるか、と思った、その時!………中継は終了したのである。
えっ?どうして、試合前のウォーミングアップはずっと中継して、しかも解説っぽいガスペリーニ(インテルの前の前の監督)さんまで出てきてコメントしてたのに(ちなみにガスペリーニも私のタイプ)、何で、試合は中継しないの?えっ?どうして?誰か教えて!本当にわからないよ!
イタリアのテレビにはボー然とさせられることはよくあるが、本当に今回は開いた口がふさがらなかった。イタリア4回目の我々はともかく、母は、もうビックリして、本当にハトがまめでっぽ食らったような顔をしていた。
イタリアっては、本当にミステリアスな国。イタリアは、何度足を運んでも、我々の想像の遥か遥か上空を、ぶっ飛んでいくのである…。