2/26ローマ旅行記4 逃げ切れ!教皇の逃避路!

何を隠そう、私がローマで一番好きなのは、サンタンジェロ城である。

サンタンジェロ城とは、バチカン市国から、目の先にある、軍艦みたいな、お城みたいな、遺跡みたいな、巨大なチョコレートケーキみたいな、独特な形をした建造物である。てっぺんには、大天使ミカエルが剣を構えていて、実にカッコイイ。私が、「ああ、今ローマにいるんだな」と実感するのは、このサンタンジェロ城の独特のシルエットを目にする時なのである。

このサンタンジェロ城は、ローマの中心街から見ると、テヴェレ川の向こう岸にある。そのテヴェレ川に、サンタンジェロ城に向かって架けてある、サンタンジェロ橋がまた、両端に天使がずらっと並んでいてこれまたカッコイイのだ。サンタンジェロ橋から、サンタンジェロ城を見上げる光景は、私にとってのローマのベストショットである。

そんなマイベストラヴ(変な英語)のサンタンジェロ城なのだが、ジツは、まだ内部に入ったことがない。そんなんで、サンタンジェロ城LOVEと言えるのか。というわけで、サンタンジェロ城からの屋上からの眺めはステキらしいので、「どこか高い所からローマが見たい」という母の要望も兼ねて、この日最後の訪問地として、サンタンジェロ城に突入することになった。

サンタンジェロ城に行くには、先述のサンタンジェロ橋を渡って行くのが正しい行き方っ!これが、サンタンジェロ橋から見たサンタンジェロ城の風景だっ!

サンタンジェロ橋から見たサンタンジェロ城

サンタンジェロ橋は、常に観光客でごった返しているので、イマイチ写真では素敵さが伝わらないかもしれないが、左右を天使に見守られて、まるで天使が作る花道を通っているような気分になるのだ。まるで天国への架け橋のような橋だ。

このサンタンジェロ橋の左右に立つ天使像は、バロック芸術の巨匠・ベルニーニとその弟子たちの作品で(いくつかはレプリカ)、非常に清らかでカッコイイ天使たちである。…のだが、テヴェレ川に生息する大量のカモメたちにとっては、格好の休み場所になってしまっている。

サンタンジェロ橋の天使

まるで彫刻の一部になってしまっているカモメ。…あのね、この天使さんの仕事は、カモメ君、君を持つことではないんだけどね…。

サンタンジェロ橋の天使

この天使さんは、カナリかっこいいのだが、…あいやー…カモメのヤツが台無しにしちまってるよ!

サンタンジェロ橋の天使

よくよく見ると、カモメに頭にとまられて、この天使さん、顔をゆがめて怒ってるよ!めっさ怒ってるよ!カモメ君…早く退きなさいよ…!

ほぼ全ての天使像がカモメに占拠されたサンタンジェロ橋を渡りきると、もうサンタンジェロ城の入口である。入場料は10.5ユーロ。…高っ!「地球の歩き方」最新号より、さらに値上げしていた。サンタンジェロ城大好きな私が、今まで入場しなかった理由を、うっすらと思いだしたぜ…。

中に入ると、外から見てもでかいサンタンジェロ城だが、内部も本当に広い。お城っていうより、一つの町のようだ。サンタンジェロ城は、城と言われる割には、お城には見えない。それもそのはず、もともとは、ローマ皇帝のお墓として作られたのだ。その後は、要塞として使われたり、監獄として使われたり、時代に応じて色々な使われ方をしたのだが、その辺のお話は、物語 イタリアの歴史〈2〉皇帝ハドリアヌスから画家カラヴァッジョまで (中公新書)という本を読むとおもしろい。

今回、サンタンジェロ城に入場する最大の目的は、美しいと言われる夕景を見ることである。日が傾きかけていたので、内部鑑賞は後回しにして、まずは屋上まで上ることにした。サンタンジェロ城内部は広い上に順路もわかりづらかったが、とにかく上へ上へ上ると、屋上に出ることができた。

屋上に出ると、おーっ!大天使ミカエルっ!!!

サンタンジェロ城 大天使ミカエル

私がサンタンジェロ城大好きなのは、おそらく頂上にこのかっちょいいミカエルが乗っかってるからなのである。あの、いつも地上からうっとりと見上げていたミカエルが、こんなに近くにいるよ!ミカエル~!キャーこっち見てミカエル~!(ミーハーすぎる)

そこで私はハッと周りに誰もいないことに気付いた。姉も母も、ミカエルそっちのけで、サンタンジェロ城からの夕景を眺めている。他の観光客もほとんど、ミカエルを無視して夕景に没頭している。いいさ、いいさ、私だけのミカエル。しかし、観光客というのは、得てしてそういうものなのだが、私がミカエルに見とれていると、一人、また一人と、ミカエルウォッチャーが集まってきたので、私だけのミカエルではなくなった。

私だけのミカエルでなくなったので、淋しくなった私は、夕景へと目を向けた。…おっと…これは…キレイデスネ。

サンタンジェロ城からの夕景

まさに日が沈んでいく瞬間。サン・ピエトロ大聖堂の方角へ日が沈んでいくのが、何ともオツである。

サンタンジェロ城夕景

こちらは、サンタンジェロ城から見下ろしたテヴェレ川。

サンタンジェロ城夕景

この写真の中央を縦に走っている、城壁のようなものは、サン・ピエトロ大聖堂から、サンタンジェロ城へと続いている通路である。この通路、通称「イル・パッセット」と呼ばれるものだが、何のためのものかというと、サン・ピエトロ大聖堂に鎮座ましましてる教皇が、敵勢力に攻め込まれたりした時に、この通路を取って、難攻不落の要塞・サンタンジェロ城に逃げ込むためのもので、歴史上、ココを通って逃げざるを得なかった教皇が何人もいたらしい。

今の教皇と言えば、キリスト教徒でない者にとっては、テレビの前でニコニコ笑っている存在、という感じだが、昔は、教皇という地位を私利私欲の追求のために使った教皇もたくさんいたのだそうだ。この通路を逃げた教皇のほとんどは、そんな私利私欲系の教皇で、追われる身となるのも自業自得という場合が多かったと街物語 イタリア ワールドガイドに書いてあった。

そんな話を聞くと、私なんぞはすぐこう思ってしまうのだ。「それなら、最初から教皇はサンタンジェロ城に住めばよかったんじゃ…」。しかし、サン・ピエトロ大聖堂がサン・ピエトロ大聖堂たるゆえんは、初代教皇と言われるイエスの一番弟子・ペトロのお墓のあった場所に建てられたことにあるので(イタリア語で「ピエトロ」は「ペトロ」のこと)、教皇はサン・ピエトロ大聖堂にいること、それ自体に意味があるのだろう(まっ、どの道逃げるなら同じことなんだが)。

サンタンジェロ城夕景

さて、日も完全に沈んだ。ピンク色の中にあるサン・ピエトロ大聖堂。

ローマのパノラマを拝める場所はたくさんあるが、夕陽に照らされるサン・ピエトロ大聖堂を見るには、サンタンジェロ城は絶好の場所だ。以前、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラに上ったことがあるが、サン・ピエトロ大聖堂からは当然のことながらサン・ピエトロ大聖堂は見えないので、サンタンジェロ城からの眺めの方がおすすめである。

そんなサンタンジェロ城からの眺めのベストショットを、カメラに納めようと奮闘している姉は、同志を発見した。

サンタンジェロ城危ないカメラ

姉「ちょっ…!何あのカメラ!危ないにも程があるんだけど!」

…おわかりだろうか?安全のための手すりの向こう側、しかも、崖っぷち(!)に、サン・ピエトロ大聖堂の方角に向けて三脚カメラが設置してあり、数秒ごとに自動撮影するようにセットされてあるのだ!一秒たりとも逃しはしない、という固い固い意志が感じられるカメラである。何人かの観光客はこのカメラに気付いていて、大ウケしていた。

カメラの持ち主は、堂々とこの手すりを乗り越え、何度もカメラの調整をしていた。あの崖っぷちに軽々と腰かけて!何が彼をここまでさせるのか。姉は言った。「もしかして、この後、サン・ピエトロ大聖堂がライトアップされるんじゃないのかなあ」。どんな観光客も、この彼に話しかける勇気はなかったのだが、姉はへっちゃらで、英語で彼に問いかけた。「ライトアップが始まるんですか?」。彼の答えは「Soon!(もうすぐさ!)」であった。

そして数分後、この彼の言う通り、サン・ピエトロ大聖堂のライトアップショーがついに始まった!

サンタンジェロ城夕景

まずは、大聖堂の真ん中くらいの窓から、黄色い光が灯された。

サンタンジェロ城夕景

上の方まで点灯され、一度、緑色に輝いた。

サンタンジェロ城夕景

それから全体が淡いオレンジ色の光に包まれた。ほわー。キレイだよ~!今までのローマ滞在で、サン・ピエトロ大聖堂は、フィレンツェのドゥオーモ君や、ミラノのドゥオーモさんに比べると、見劣りするかなあと思っていたのだが、なかなかどうして、見るべき時間に、見るべき場所から見ると、美しいではないか!

サン・ピエトロ大聖堂にいつまでも見とれていた我々3人だが、いつまでも特等席近く(つまりあの危ねえカメラの近く)にいたため、姉は、入れ代わり立ち代わりやってくる観光客に、次々にカメラのシャッターを頼まれていた。私に頼むチャレンジャーな観光客もいたが(私は写真ヘタクソ)、親切な私は、「この人の方がベターですよ」と、姉を紹介してあげた。そのせいか、何だか姉の周りに、軽くシャッター待ちの人だかりができてしまった。

ずっと屋上にいると、少し冷えてきたので、サンタンジェロ内部に戻って、内部見学をすることにした。バイバイ、大天使ミカエル!「地球の歩き方」には、この屋上にいるミカエルはコピーで、オリジナルはサンタンジェロ内部に展示してあると書いてあったので、ミカエルのオリジナルを探しながら、内部を見て回った。

サンタンジェロ城内部は、監獄として使われていた時代もあるため、何だか重苦しく、暗く感じる。ただ、個人的には、あんまり嫌いな重苦しさではなかった。うまく言えないのだが、重苦しいと言うよりは、重厚な感じと言うか、歴史のロマンを感じるというか(歴史なんか知りもしないくせによく言うよ)。

サンタンジェロ城内部

サンタンジェロ城内部の窓から見たサン・ピエトロ大聖堂のライトアップ。格子と鎖がうつっているため、何だか監獄らしさが出ている写真だが、監獄だった場所から撮影したわけではない。監獄跡は、外側に回廊がぐるっと回してある、眺めのよい階にある。監獄跡とは言っても、今は、眺めのよいテラスのようになっていて、カフェまで併設してある。サンタンジェロ城は、お墓、要塞、監獄、そして今は観光地と、時代に合わせていろんな役割を果たしてきたのだ。

サンタンジェロ城内部

途中には、こういう風に装飾が施された、狭ーい通路があったりして。通路の先は大広間に通じていて、何だか秘密の通路っぽくも見えた。悪い教皇が悪だくみに使ったりしたのだろうか。

サンタンジェロ城内部

城内部の部屋でない部分は、まるで遺跡のようだ。

サンタンジェロ城通路

こんな風に、下へと続いていく、らせん状の暗い通路もある。こんな通路を、何のために我々が通っているかというと、ミカエルのオリジナルを探すためだよ!

さて、このらせんの通路を下りきると、入口兼出口に出てしまった。あーれー。ミカエルのオリジナルはどこっ!?途中の中庭みたいな所に、大理石の天使はいたけど、どう見てもミカエルのオリジナルじゃなかったよ。

仕方がないので、入口にいる女性の係員さんに姉と一緒に英語で聞いてみた。「大天使ミカエルのオリジナル像はどこですか?」。係員さんは、しばし黙った後、「てっぺん………」と上を指さした。しーん。「いえ、あれってコピーじゃないんですか?オリジナルが城内にあると思うのですが?」と聞くと、係員さんは、またしばし黙った後、「…ノー……(また上を指さして)イッツ…オリージナル…オリージナル……」と、かなり自信なさそうに、小さな声で言った。

…係員さんにイッツオリージナルと言われては、もうどうすることもできない。我々はミカエルを諦めることにした。この時の係員さんが、あまりにも自信なさげだったので、きっとどこかにオリジナルがあるんだろうなと思っていたのだが、帰国してから調べると、どうやら「地球の歩き方」の記載が間違っていて、今、てっぺんにいる大天使ミカエルは、18世紀にコピーとして作られたものではなく、新しい作品として作られて、古いものと取りかえられたのだそうだ。その、古いものが、我々が中庭で見た大理石の天使というわけだ。

というわけで、もう帰ろうか、という空気になったのだが、10.50ユーロ分(入場料)まだ堪能していないなあ~という貧乏性な気分になったので、最後に、裏側にぐるっと回ってみた。すると、「サン・マルコほにゃららはこちら」みたいな看板があったので、何となく行ってみた。

サン・マルコほにゃららは何かな~と、姉が「地球の歩き方」を見てみると、姉「おっ!サン・マルコ保塁からは、サン・ピエトロ大聖堂への通路がよくわかるって書いてあるよ。あの、教皇の逃げ道のことじゃないか?」と言うので、私は途端に色めきたった!私と姉は、教皇の逃避路が大好きなのだ(何かおもしろいから)!

で、サン・マルコほにゃららに行くと、何か砲台みたいなものが置いてあって、その先に母が偉大なるものを発見した!「教皇が逃げ込んできたのはここじゃないね?」

サンタンジェロ城 教皇の逃避路

教皇の逃避路から続いている、サンタンジェロ城の入口っ!!!夜なので、ちょっと写真ではわかりづらいが、あの教皇の逃避路のサンタンジェロ城側のゴールがここなのである!よくぞ見つけたぞ、母っ!!!あっぱれ、母っ!!!

サンタンジェロ城 教皇の逃避路

ちょっと写真で示すのは難しいのだが、この教皇の逃避路が、あの鉄格子の部分へ続いてきているのが、ここからははっきりわかる。わーい!思わぬ収穫で、教皇の逃避路をじっくり見ることができたよ!次は、あの逃避路を歩いてみたいという欲望が首をもたげてきたよ!次回ローマに行く際は、そんなツアーがないか探してみるぜ!

このサン・マルコ保塁には、だーれも観光客がいなかったので、こんなヤラセ写真まで撮影してしまった。

サンタンジェロ城 教皇の逃避路

私が教皇の付き人、母が悪い教皇である。超ヤラセ写真。

というわけで、満足しきって、サンタンジェロ城を後にした。城を出ると、とっくに日が暮れて、暗くなっていた。

サンタンジェロ橋 星を差す天使

サンタンジェロ橋の天使くんは、まっすぐに星を差していてカッコよかった。明日もいい日でありますように。

この日は遅くなったので、カンポ・デ・フィオーリ広場の有名パニーノ店「アリスト・カンポ」でパニーノを買って帰って食べた。カンポ・デ・フィオーリ広場からホテルまでの帰り道に、必ず「バール・ペルー」という、微妙な名前のバールの前を通るのだが、ここのオヤジ達が、我々が通るたびに「コンニチワー」と声をかけてくる。いや、もう、「コンバンワ」だけどね。

ここのオヤジ達以外にも、道にはヒマオヤジ―――何もせずに、ただ軒先に突っ立っているか、他のオヤジとしゃべくってるかのオヤジ―――があふれていた。イタリアと言えばヒマオヤジ、ヒマオヤジといえばイタリアである。5度目のイタリアで、だいぶイタリアにも慣れてきたのだが、ヒマオヤジの花道みたいな通りを歩いていると、あー今本当にイタリアにいるんだな、と思わずにはいられないのである。