3/3ローマ旅行記19 トッティ225ゴールおめでとう!
この日は、夜8時45分キックオフの、ASローマの試合をスタディオ・オリンピコへ観戦しに行く日である。
夜8時45分キックオフと言うことは、試合が終わるのは夜10時半すぎ。
スタディオ・オリンピコでは、これまで3回、サッカーの試合を観戦したことがある。記念すべき1回目は、4年前、チャンピオンズリーグ決勝トーナメントの、アーセナルとの試合を観に行ったときである。この試合が終わった後、バスで、リソルジメント広場(サン・ピエトロ大聖堂近く)まで戻ったのだが、何とバスが、道路を横切る人波のせいで動けず、2~3kmくらいの距離を、1時間半近くかかってしまった。「歩く方が早いだろ!」。
その時、「スタディオ・オリンピコから、夜遅くにローマ中心地まで帰るのはもうイヤダ!」と思い、その翌年は、スタディオ・オリンピコに2試合、夜の試合を観に行ったのだが、スタディオ・オリンピコから歩いて5~10分の所に宿泊した。あの人間の足より遅いバスに乗らずに、徒歩で帰宅できるのは、かなり快適で楽勝だった。マジで勝った気分だった(実際はこの年観戦した試合でローマは負けたのだけれども!)。
今年のイタリア旅行の予定を、何となく大筋で決めたのは、今シーズンのセリエAの日程が決まった8月頃だった。「3月3日にローマ対ジェノアがローマであるから、これを見よう!どうせ、ローマ対ジェノアみたいなカードを、夜の試合にするはずもあるまい(セリエAでは、ダービーなどのビッグゲームが夜に組まれることが多い)。昼の試合になるだろうから、翌日の3月4日の午前中にローマからアマルフィに移動するのも余裕だろう」。
てなわけで、3/3ローマでサッカー観戦→3/4午前中にローマからアマルフィという予定にした。
セリエAの試合開始の日付と時間が正式に決定するのは、試合から数週間~1か月くらい前のギリギリである。このローマ対ジェノアの試合の試合開始時間が決定したのも、日本を旅立つ2週間くらい前だった。ヤフーのセリエA日程のページに書かれていたよ。
「20時45分試合開始っ!」
…は?
「20時45分試合開始っ!」
……………。
ちょ、ちょっと待てッ!今年のローマは、途中で監督が解任されて迷走を続けているし、相手のジェノアだって往年の勢いはなく残留争いするレヴェルまで落ちてしまっている。そんなつまんない試合を、何で夜にやるんだよッ!?(←そんなつまんない試合とか言うなら見に行くなよ…)
うおお~!あの極悪なバスについて、頭を悩ませなければならないとはッ…!翌日は朝早くスーツケースをまとめて、アマルフィに旅立たなければならないと言うのに!姉と二人だったら、極悪バスの攻撃を受けても、耐えてみせるのだが、何といっても、今回は母がいる。翌朝早く出発するのに、母を深夜に帰らせるわけにはいかないッ!
まずは、その日だけ、スタディオ・オリンピコ徒歩圏内のホテルに宿泊するという案が出た。3年前に宿泊したB&Bは予約が埋まっていた。他にもう一つ、近くに良さそうなホテルを知っていたのだが、調べてみたら営業終了していた。この案終わり。
母をホテルに置いて、姉と二人だけで試合を観に行くという案も出た。だが母は言った。「お母さんが一人残されて、もしあんた達の帰りが遅ければ、逆に心配しすぎて疲れそうだから、一緒に行った方が良い」。母は心配性なのだよね~。世の母親ってのはそんなものなのかな、おふくーろさんよッ(森進一のアノ歌風にお読み下さい)。
となると、もうコレしかない。「試合終了が近くなったら、試合が終わる前に席を立って、帰る人波に巻き込まれる前に帰る」。イタリアのスタジアムでは、小さい子供を連れて観戦に来ている人がよく取る戦略である。人の混雑さえなければ、道路もスイスイと進み、バスも常識の範囲内のスピードで進むはずだ。スポーツを最後まで見ないなんて、私のスポーツマンシップ(何それ)には反する行為なのだが、今回だけはやむを得まいッ…!
…というわけで、たとえ10分前にスタジアムを出たとしても、帰りが遅い時間になってしまうことには変わりはないので、明日、アマルフィに旅立つまえの荷造りを、昼ごはんの後に、できる分だけ終わらせておいた。
その後、試合まではまだまだ時間もあるので、また遊びに繰り出す予定だったのだが、異様にみんな眠かったので、昼寝した。昼寝。ローマ最後の観光日だと言うのに、昼寝。イヤ、だって眠かったんだよ。眠気に抵抗できるほど、私は屈強な人種ではないのだ。
で、起きたら、チンタラと、ホテルの支払いに行くことにした。宿泊しているホテルは、フロントのある本館から離れているため、本館まで行かなければならない。母を置いて、姉と二人でチンタラ歩いた。
本館はこのジュリア通りにある。ジュリア通りは、古いお屋敷が多く、石畳が風情たっぷりで、なかなか感じの良い通りであった。宿泊している場所から、カンポ・ディ・フィオーリ広場に行くのに、何度も何度も何度も通った。
この古いお屋敷の前は何度も通ったけど、素敵なお屋敷だったなあ。写真ではあまり美しさが伝わらないけど。やっぱりそこを歩いて見なきゃわからない魅力ってのはあるのだ。
本館には、ちょっと聡明そうな兄ちゃんがいた。支払いをして、明日の朝のタクシーも手配してもらった。兄ちゃんは、英語で、「君たち日本人だよね?僕は数年前に日本に行ったんだ!トーキョー、キョート、ヒロシマ…」と言った。イタリアでは、よく日本に行ったことがあるというイタリア人に遭遇する。あんまりにも多くて、ビックリする。
「どの町が一番気に入った?」と聞くと、「トーキョー!トーキョーイズビューティフルっ!」と兄ちゃんは言った。姉が、「ビューティフル!?私は東京に住んでいるけど、ビューティフルではないと思うよ!」と言ったら、兄ちゃんは「僕たちイタリア人にとっては、東京はフューチャーなんだよ、フューチャー!」と答えた。フューチャー…。なるほどー。近未来都市東京とか言えば、何だかカッコイイね。だが、イタリアの町が、未来に東京みたいな町になるかについてはダーウトッ!
さて、そんなこんなしてたら、あっという間にホテルを出る時間になってしまった。スタディオ・オリンピコは、自分の正しい座席を見つけるのはやや難しいという感がある。試合直前に、ほとんど席が埋まっている状態ではさらに探しにくくなるので、早めにスタジアムに行くのが吉だ。それで、6時半くらいにはホテルを出ることにしたのだ。
今回は、テヴェレ川近くに宿泊しているので、スタジアムまでのバスは280番を使う。スタディオ・オリンピコ近くのマンチーニ広場から、テヴェレ川沿いにサンタンジェロ城、トラステヴェレ、テスタッチョを通り、オスティエンセ駅というピラミデ近くの鉄道駅らへんまでを結んでいる。
それがねー、イタリアのバスはねー、わかりづらいのよ。テヴェレ川沿いのどこかにバス停があるはずなので、とことこと歩いて探した。バス停が見つかったからと言って、「あったー!」と早合点してはならない。たとえその道を280番が通ることは確実でも、そのバス停に停まるとは限らないのだ。奥が深いイタリアのバスライフ(単にわかりづらいだけ)。案の定、最初に見つかったバス停には280番の表記が無かったので、もう少し先まで歩いた。
そして、今度こそ、見つけたー!280番のバス停っ!
こうやって、バス停に280の表示があれば(たぶん)ダイジョーブっ!イタリアの車は、日本と違って右側通行なので、方向には注意が必要だ。
で、バス停が見つかったからと言って、勝利宣言するのはまだ早い。次はバスがちゃんと来るかどうかとの戦いだ。我々よりも先にバス停で待っている人が二人いて、明らかに二人ともイライラしているように見えた。つまり、バスは長く来ないようだ。
待つこと15分。マンチーニ広場行きの280番バスは無事にやって来た。おーし。これで、終点まで乗ってればよいので、勝利宣言してもよいだろう。勝利っ!
ローマ名物の交通渋滞は、この日はそれほどでもなく、バスは20分程度で終点のマンチーニ広場に到着した。本当は、終点の一つ手前で降りた方がスタジアムは近いのだが(左手奥にスタジアムが見えている場所で降りられる)、帰りにタクシーを拾える場所を念のため確認しおこう、てなわけで終点で降りた。
おー。3年ぶりのマンチーニ広場。3年前にローマ滞在した時に、拠点とした広場なので、何だか懐かしい。マンチーニ広場は、大きなバスターミナルやトラム乗り場があり、交通の拠点なので、タクシー乗り場も絶対にあるだろうと思っていたのだが、見当たらない。広場に面している花屋さんのおじさん聞いてみると(このおじさんには、3年前にも道を聞いたりしたのだが、おじさん覚えてないよな…)、タクシー乗り場は少し離れた所にあるらしい。やっぱり、帰りはバスを使うしかなさそうだな…。
マンチーニ広場からスタジアムまでは、橋を渡って、すぐである。早い時間に来たおかげか、入場にもそれほど時間はかからなかった。ローマストアで購入したチケットは、私の名前の綴りが間違っているのだが、スタッフさんたちは、パスポートと一緒にチケットをチェックしていたけれど、誰もそんなこと気にしなかった。席も余裕で見つけることができた。勝利っ!今年も観戦は、バックスタンド側の「TRIBUNA TEVERE」である。
試合時間が近づくと、選手紹介が始まった。
ダニエーーーレ・デロッシ!ちょっとヒゲが暑苦しいな、オイ。容疑者みたいな写真だ。
バルザレッティ。彼は、イケメンだとは思うが、何だか見た目がうさんくさい。特にパレルモでピンクのユニフォームを着ていた時のうさんくささは半端なかった。容疑者みたいなデロッシといい、うさんくさいバルザレッティといい、ローマってこんなチーム(だけど好きなんだ)。
背番号順に選手を紹介していて、10番のトッティがコールされなかったので、「えええええーー!まさかのトッティ欠場っ!?」と戦慄した時に、館内放送が、明らかに今までとテンションが変わって、「そおれではっ!我々のキャプテンでーーーっす!フーーランチェスコォォォ、トッッッテぃぃぃぃぃッ!!!背番号、じゅうぅぅぅ―ッ!!!」
心の準備ができていなくて、あわててシャッターを姉が押した写真。ぶれたけど、ギリギリ撮れた。
ローマの、試合前に流れるチームソングは最高である。曲自体も雄大でカッコよく、それをローマファンが合唱するのは本当に最高の雰囲気。それを聞くためだけにスタディオ・オリンピコに行ってもいいくらいだ。
試合前の雰囲気。
発煙筒もくもく。発煙筒はイタリアでは禁止されているという話も聞くのだが、どこのスタジアムでも目にする。個人的には、夜の発煙筒の雰囲気は好きだ。
試合開始っ!ジェノアには、GKのフレイと、左サイドのヴァルガスがいて、この二人は、かつてフィオレンティーナに在籍していて、その時期は姉と私が一番熱くフィオレンティーナを応援していた時だ(我々はヴィオラも好き)。あの頃を思い出すねえ。
それからジェノアのFWはボリエッロだった。ボリエッロはジプシーのようにいろんなチームを漂流しているが、ローマにいたこともある。結構ローマ時代は良かったと思うんだけど、なぜか放出された。イタリア的色男っぽい容姿のボリエッロだが、性格に問題アリとの噂もちらほら聞く選手だ。FWってのは、一筋縄ではいかない性格の方が、合っているポジションだとは思うが。
……………。
母がぽつんと言った。「つまらない試合だね」。…うん、そうだね。ローマは、今シーズンも監督が途中解任され、てんでばらばらの、チームになっていないサッカーをしている。そんな低調なローマ以上にヒドイのが、相手のジェノア。我々は、こういうわけで、残留争いをしてます、てな感じの低調ぶり。コレはヒドイ。
ピッチ内の試合がつまらない時、イタリアでは、もう一つサッカー観戦の楽しみ方がある。それは、周りの観客ウォッチングである。イタリア人は、演劇的国民とよく言われるが、それはそれは身振り手振りが大げさで、まるでステージの上の役者のような、誰かに見せることを目的としているような動きをする人が多いのだ。ましてや、興奮が生まれやすいサッカースタジアム。
今回、楽しませてもらったのは、目の前に座っていた…正確に言えばよく立っていた…おじさん。こんなつまらない試合だというのに、何をそんなに興奮しているのかと言うような興奮ぶり。彼は、怒りで興奮していたのである。こんなクソみたいなサッカーをするとは何事だ!!!身振り手振りで、もう、ずーーーっと怒っている。ローマがボールを失うたびに顔を真っ赤にして怒っていた。
で、このおじさんと対照的に、このおじさんの何席か横で、じーっと背筋を伸ばして座り、微動だにしない4人の集団がいた。動くものと言えば、ボールを目で追う際に、少し首が動くだけ。全員、就職試験の集団面接のように、私語もせずに座り続けている。髪の毛の色、ちらっと見える横顔、上品そうな黒いコート、お行儀のよさ…彼らがイタリア人でないことは明白だった(推定スイス人)。
おじさん二人が両サイドに座り、真ん中に中学生くらいの男の子ふたりを挟んでいる。少しスタジアムが冷えてきた時に、男の子がおもむろに取り出してかぶった帽子が、黒くてまるいつばがついている、それはあまりにも上品な帽子だった。
あまりにも印象的な帽子だったので、絵に描いてみた。スタディオ・オリンピコに、いや、サッカー観戦には全然そぐわない帽子だった。普通、イタリア人がサッカースタジアムで被る帽子は、チームカラーの、使い古されたよれよれのニット帽である。
それから、我々の後方にも面白い集団がいた。何と、後ろにはアメリカ人集団がいたのである!アメリカ人にサッカー!サッカーにアメリカ人!なぜ彼らがアメリカ人だとわかったかと言うと、英語をしゃべっていただけでなく、ローマにブラッドリーというアメリカ人選手がいるのだが、彼がボールを触るたびに、「ヒューヒュー!」と叫び、周囲のイタリア人を困惑させていたのである。
いやー、アメリカ人が、アメリカ人サッカー選手を応援している貴重な風景を生で見たよ!これに比べると、日本人サッカー選手を応援に来る日本人観光客はおとなしいものである。長友がボールに触るたびに「ヒューヒュー!」とかやる日本人見たことない。
というわけで、観客ウォッチングばかりしていて、つまんなかった試合内容はほとんど覚えていない。
ひとつだけ覚えているのは、トッティがPKを決めたこと。すんごく嘘くさいPK判定だった上に(デロッシがもらったものだが、ローマファンから見てもビミョだった)、相手GKのフレイに方向を読まれていたPKだったんだけど、トッティのシュートは球足が速いので、何とか決まった。
それが、トッティのセリエA通算225ゴール目だったらしい。電光掲示板に、225の文字が光った。
スタディオ・オリンピコでも、ゴールが決まった後は、場内アナウンスでゴールを決めた人の名前を連呼するが、多くても5~6回くらいである。しかし、今日のトッティのゴールに対しては、ただのビミョなPKなのに(私はトッティファンですよ)、「フランチェスコー(By場内アナウンス)!…トッティ―(By観客)!」の掛け合いを10回もやった。トッティだからだろうか。それとも225ゴール目だから特別なのだろうか。
225って、確かに25は100を四等分した時の区切りのよい数だけど、そんなに騒ぐような数字かなあ。私は2年前にも運よく、トッティの200ゴール目に生で遭遇したのだが、200は記念ゴールなのがわかるけど、225…?何でこんなに騒いでいたのかは、帰国してからわかった。この225ゴールで、トッティは歴代2位のゴール数に並んだのだそうだ。それなら納得だ。
このトッティのPKの後、ジェノアがボリエッロのPKで追いついて(このPKは誰がどう見てもPKだった)、後半になってローマがロマニョーリのヘディングで勝ち越した。
点は入っているけど、相変わらず低調な試合。試合終了10分前にスタジアムを出ることが全然惜しくなかったので、我々3人は、10分前にスマートに退席した。我々と同じように、小さなお子様連れの人たちが、だいたいこの時間から席を立ち始めた。
スタジアムの目の前にも280番バスは停まるのだが、始発のマンチーニ広場まで歩いた。その方が始発だから座れるし、わかりやすい。さすがに暗くて、降りる場所がわかりづらそうなので、運転手さんに、マッツィーニ橋に一番近い停留所で降ろして下さい、と頼んでおいた。
バスは、まだスタジアムから出てくる人波に占拠されていない道路を、スイスイと進み、アラ快適、15分後くらいにはマッツィーニ橋で降ろされた。ほー。コレは、楽勝っ!スイスイと帰りたいときには、10分前にスタジアムを出れば、楽勝できることがわかった。
楽勝、楽勝っ♪と、勝利(何の勝利?)に浮かれていた我々だが、我々がスタジアムを出てから、トッティのアシストによるペロッタのスーパーゴールが決まったことを、ニュースで知った。スタジアムを早めに出た時に限って、その後に見せ場があるものなのだ…(2年前のブレシアもそうだった)。
おまけに、せっかく早く帰りついたので、明日の出発に向けて早く寝ようと思っていたのに、夜11時半くらいに、急に部屋のベルが鳴らされて、「ホテルスタッフでーす。呼ばれたから来ました~!」と極めてアヤシイ訪問があり、キリキリした(もちろん、絶対ドアはあけませんでしたよ。実際はスタッフが、部屋を間違えただけだったようだ)。
というわけで、ローマの1週間滞在はコレにて終了ー。ローマではまだまだやり残したことがありまくりなので(バチカン美術館でラファエロの「動物の創造」を見る、ドーリア・パンフィーリ美術館へ行く、無料教会めぐりをするetc…)、また来るぜっ!