3/5アマルフィ旅行記2 秘密の階段は行き止まり
目を覚ますと、見慣れない高い天井が頭上にあった。…あーそうだった。昨日から、1週間滞在したローマからアマルフィに移動してきたんだった。昨日はアマルフィの初日だったが、初日から極悪なバスにひやひやしたり…ガス臭騒ぎがあったんだった!
そういえば、ガスの臭いはおさまっただろうか。昨日は、万が一ガスが漏れている場合に備えて、部屋のすべての電気スイッチに、「電気をつける前に窓を開けること!」と言うメモを貼っておいたのであった(火花が出るのを防ぐため)。台所へ行ってみると、ガス臭はかすかには残っていたが、だいぶおさまっていた。どうやら、ガスが漏れたりしているわけではなさそうだ。
母いわく、「ずーっと冬の間はお客さんがいなくて、久しぶりにガスを使ったから、何か臭くなったのかもねえ」。その原理はよくわからないが、何となく説得力があった。
我々の今回のアマルフィ滞在は3月上旬だったが、十数室ありそうなこのホテル、宿泊客は我々だけであった。アマルフィのような海の町は、夏と冬では観光客の数が倍以上違うのだろう。
今日は本当は、早起きしてポジターノに行く予定だった。だが、昨夜、ガス騒ぎで、就寝時間が遅くなったので、今日の午前中はアマルフィ観光をして、午後からはポジターノより近いラヴェッロに行くことにした。ポジターノは明日にしよう(明日という日がどんな日かも知らずに…)。
さて。アマルフィは小さい町だと、昨日から繰り返し書いているが、メインストリートであるVia del Duomoと、ドゥオーモを見るだけだと、あっという間に歩き終わってしまう。だが、このメインストリートのVia del Duomoからは、たくさんの車の入れない、観光客には知られざる小さな階段の道が、右へ左へ木の枝のように上に向かって伸びていて、ちょっとした迷宮を形作っている。この迷宮状の構造は、昔は外敵への対抗策だったそうだ。
以前、NHKの番組でアマルフィが特集された時、この階段の小道の上の方に住む、アマルフィの住民の生活が取り上げられた。彼らは、買い物ひとつするにも、この狭い階段を毎日オノレの足で上り下りして暮らしているのだ。それが何とも興味深くて(住んでる人は大変だろうけど)、アマルフィに行ったら、ぜひ、この小さな階段の道を上りまくりたい!と思ったのである。
というわけで、アマルフィの路地裏歩きっ!むしろ、私は、海よりドゥオーモより、この小道歩きがしたくて仕方がなかったのだよ!私は迷宮大好きですからね!私は重度の方向音痴なので、普通の町でも迷宮のような楽しみ方ができてしまうんですけどね!それはともかく迷宮は大好きだ!(もうソレはわかったから)。
では、レッツだ、ゴー!Via del Duomoの、西側の方へ、今日は入り込んでみることにしよう。
特に地図を見ながら歩くわけでもないので、ふと見つけた小さな曲がり角から迷い込んでみた。
メインストリートから曲がると、もう既に別世界が始まった。白くて狭くて急な階段の道の始まりである。ひたすら上へと続いていく。まるで私有地の一部のように見えるけれど、これでも公道なのだ。たまに、公道なのか私有地なのか本当にわからない階段もあり、そんな時は、近くを通った地元の人に、「ここは通っていいのですか?」と聞いたりした。
アマルフィ名物のレモンが、あちらこちらで実っている。そのレモンの向こう側には、何の目的で作られたのか、人の顔が彫られている。何となくプーリア州の、白い迷宮状の町に似ている。違う所は、アマルフィの迷宮は、ただひたすら上へと延びていることだ。
迷宮の途中で見つけた双子のオヤジ。フワ毛オヤジとサラ毛オヤジ。
迷宮で見つけた、ちょっと興味深いパネル。海洋共和国だったアマルフィを表すかのような船と、外来種っぽい鳥たち。そして、真ん中に描かれているのは羅針盤。羅針盤を発明したのは中国人だそうだが、アマルフィ人がそれを改良したため、ヨーロッパにおける羅針盤の発明をしたのはアマルフィ人、とよく言われる。
ちょっと広い洞窟の奥には、小さな小さな祭壇があった。
描かれていたのは聖母マリアと幼子イエス、それから二人の天使。ひっそりとした場所にあるのに、花が捧げられていたのが印象的。
さて、またどんどん上るぞ。
ひたすら上る。これも、人の家の一部みたいだけど、公道なのだ。この公道の階段は、ずっと手すりがついている。きっとお年寄りも、上り下りしているからだろう。そういえば、NHKのアマルフィ特集の番組では、階段の上の方に住むお年寄りのために、近所の若者が買い物に行ってあげているという場面があった。
イタリアでは、車も通れない急な狭い坂道が多い町で、お年寄りをよく見かける。移動が大変だろうによくこんな所に住めるな、と驚くが、ご近所どうしの連帯が強い所では、歳を取っても不便な場所に住み続けることができるのだろう。
途中、少しだけ視界の開けた場所に出て、小さくドゥオーモの鐘楼が見えた(写真真ん中の奥)。ちょうどここで、地元の人が上から降りてきて、「そこからパノラマが見えるよ」と教えてくれた。ここアマルフィの迷路歩きの特徴は、地元の人とよくすれ違うことである。この不便な階段の迷路が、今でも日常として使われていることが実感できる。
そしてまたひたすら上る。我々もがんばるねえ。何をこんなにがんばっているのかと言うと、母が、「アマルフィの上の方にはレモン畑が広がってる。この階段を上って行けば、レモン畑に出られるかも!」と言うのだ。
何かテレビで見た印象が残っているらしいのだが、とにかく、母のレモン畑に対する執念はすごかった。おそらく母は、アマルフィに、海でもガケに貼りついた町並みでもドゥオーモでもなく、レモン畑を見に来た、かなりレアな観光客だった。そおおおおんなにレモン畑って見たいもんかねえ?
さて、さらにどんどん上ろう。かなり迷宮めいて来ましたな。ちなみに、この写真に写っている窓の向こうは、普通に民家で、生活音や人の話し声がした。本当にスゴイところに住んでいる。
さてはて。階段もだいぶ狭くなってきましたぞ。この階段の先には、母期待のレモン畑が現れるか!?
残念ながら、最後は行き止まりー!レモン畑の代わりに、ステキなランプがあった。
どうしてもレモン畑が見たい母に付き合って、いくつかの階段を最後まで上ってみたが、全て最後は行き止まりであった。レモン畑って私有地だもんねえ。そう簡単に、観光客が近づける場所にあるものでもないんじゃないか?…しかし、母はレモン畑を諦めなかった。そして、母が「信じる者は救われる」を体現するのは、2日後のことである。
狭い階段を降りて、海の方へと近づくにつれ、少しずつ道は広くなっていく。それでも、大通りVia del Duomo以外の道は、白塗りされていて、秘密の通路のようだ。大通りの方は観光客が多いが、秘密の通路は地元のアマルフィ人たちがどんどん通って行く。
観光客の我々が通っていると、アマルフィ人に不思議な目を向けられるので、「チャオ」と挨拶すると、笑顔で「チャオ」と返される。この白い通路が、外敵対策だったというのが、何だか今でもよくわかる。地元民以外の人が通れば目立つのだ。だからこそ、「ワタシ、アヤシイ者デハアリマセン!」の意味を込めて、挨拶せずにはいられない気分になる。
海にだいぶ近い場所に、こんなお店があった。
「薬屋」って…。今時、日本であんまり言わないよな、「薬屋」って。「薬屋行ってくるねー」とか言わないよなー。「ドラッグストア」か「薬局」だよ。別に日本語も横書きにしてもいいのにね。縦書きにしなきゃと思ったんだろうなあ。
それにしても、3月上旬のアマルフィはまだまだシーズンオフで、観光客も少なかったが、その中で日本人観光客が予想以上に多かった。何かそういえば、ちょっと前に「アマルフィ」って映画やってたもんなー。その影響だろうか。
最後に海まで出てみた。午後からラヴェッロという、高台の見晴らしの良い町に行く予定なのだが、何だか雲が増えてきたなあ。
ちなみに、私は何度も「アマルフィはちっちゃい」を連発しているが、さすがに最盛期には、もう少し大きな町で、もう少し海の方まで広がる港があったようだ。それが、1343年11月24日、暴風雨によって地すべりか何かが起こり、港は海へと崩落し、そのままアマルフィは衰退していったのそうだ。
そして、今では、ガケの部分だけが残り、独特な景観を持つ観光地として名を馳せているわけだから、町の運命とは不思議なものだ。今でも海底には、当時のアマルフィの施設が眠っているらしい。ちょっと見てみたいけど、私は泳げないからなあ。泳げたからって見れるものでもないだろうが。
さて、この後はドゥオーモの「天国の回廊」に入るのだが、また次回!