3/13フィレンツェ旅行記2 古代ローマのほのかな香り

ドゥオーモの次は、サンタ・クローチェ教会界隈へ向かうことにした。

母と私は、今回のフィレンツェ滞在で、フィレンツェ名物の革製品を見たいと思っていた。母は、もともと買い物が好きで、旅行でもそれは変わらない。私はと言えば、普段であれば、旅先でのショッピングには、あまり関心がないのだが(旅行の時間は買い物より観光に使いたい)、今回は、持っていた財布が古くなっていたので、どうせならフィレンツェで財布を買ってもいいかなと思っていた。

しかし、フィレンツェには、何度も来ている姉と私だが、前述のように、あまりショッピングに時間を使っていないため、ココと言った革細工のお店を知らない。そこで、有名な、サンタ・クローチェ教会付属の、レザースクールのお店に行ってみることにした。以前、サンタ・クローチェ教会に行った時に、ジョットの壁画が工事中で見れなかったため、サンタ・クローチェ教会も、併せて再訪しよう、ということになった。

サンタ・クローチェ教会

こちら、まるでそのまま食べてしまえそうな、甘ったるい雰囲気のファサード(正面)のサンタ・クローチェ教会。上向きにツンツンしているので、明らかにゴシック教会って感じなのだが、完成したのは19世紀半ばで、この様式は「ネオ・ゴシック」と呼ばれ、「昔はよかったなー」みたいに、ゴシック様式が再流行した時代のものだそうだ。

サンタ・クローチェ教会のこの正面部分は、明らかに、ドゥオーモの色彩を意識して作られている。しかし、側面を歩いてみると、この真っ白な正面玄関と同じ建物とは思えない、ベージュの色味の外壁が続く。女性のメイク風に言えば、明らかに自分の肌色に合っていないファンデーションを、塗っているメイク顔って感じである。そういったわけで、この正面部分自体は美しいのだが、全体を見ると、この教会はアンバランスに見える。

しかし、側面を見さえしなければ、色白美人って感じのサンタ・クローチェ教会は、青空に映えるし、サンタ・クローチェ教会が面しているサンタ・クローチェ広場は、観光客でごった返しているドゥオーモ広場より開放感があり、気持ちが良い。

サンタ・クローチェ教会

広場には、ちょっとイケメンすぎるダンテの像がある。サンタ・クローチェ広場は、ハトが多い広場なのだが、一羽のハトが、ちゃっかり銅像の一部に化していた。

サンタ・クローチェ教会

ほら!こういう一芸をかましてくれる鳥さんには、イタリアではよく遭遇する。ハト「こちとら一芸かましてるんだからさ、チップ(えさ)くらいくれよ!」。

サンタ・クローチェ教会の入口は、左側側面からになっている。入場料は、教会、パッツィ家礼拝堂、付属美術館込みで6ユーロ。昔来た時よりも、1ユーロ値上がっている。フィレンツェは有料教会が多いが、その中でも入場料が高額な方である。

で、その高額な入場料に応えようと(?)がんばっているのか、チケット売り場の前には、修復中マップが置いてあり、本日、修復中につき見学できない作品が示してあった。おー。こりゃ、嬉しい気配りだね!マップによると、ロッビアの聖母子像と、オルカーニャの作品が見学できないらしい。本日目当てのジョットは鑑賞できるようなので、いざ、入場した。

サンタ・クローチェ教会 フィレンツェ

こちらが広い教会内部。天井の模様がかわいらしい教会である。

お目当てのジョット作品は、前方右側で、聖フランチェスコ伝と、あまり保存状態がよくない洗礼者ヨハネ伝、福音史家ヨハネ伝で、それぞれ、2つ並んだ礼拝堂の壁画として描かれている。

サンタ・クローチェ教会

こちらが、聖フランチェスコ伝。アッシジの、聖フランチェスコの総本山のような、サン・フランチェスコ聖堂に描かれた、ジョットの大作である聖フランチェスコ伝の、ダイジェスト版という感じだろうか。

ルネサンス絵画の先駆けと言われるジョットの作品は、ルネサンス円熟期の画家たちのものと比べると、もちろんまだまだ硬さがあるのだが、私は何となく好きなのだ。この場面は、聖フランチェスコの臨終の場面であるが、周囲の弟子たちの悲しみが、画面から感じられる。この、登場人物と感情を持った等身大の人間として描いたことこそが、ジョットの革新と言われている。

私が一番楽しみにしていたのは、福音史家ヨハネ伝…つまり、福音史家ヨハネの一生を描いた絵である。ハイ、福音史家ヨハネと言えば、イエスの弟子ヨハネと(少なくとも美術の世界では)同一視される、あの中性的なイケメン。同じ名前で別人の、「洗礼者ヨハネ」の一生を描いた作品はイタリアに数多いのだけれど、福音史家ヨハネ君を主役にした作品は、あまり目にしたことがない。

サンタ・クローチェ教会 フィレンツェ

サンタ・クローチェ教会 フィレンツェ

…しかし、ガイドブックにもあった通り、残念ながら状態がよろしくない。しかも、福音史家ヨハネ君の物語と言っても、若かりし日の美しいヨハネくんではなく、年を召してからのヨハネおじいさまの絵である。ヨハネは、イエスの12弟子の中で最年少なので、若い美少年としてのイメージがあるのだが、その反面、かなり長生きしたと伝えられていることから、おじいちゃんヨハネとして描かれることも多いのだ。

おそらく下の画像の方の絵は、ヨハネがパトモス島で最後の審判の様子を幻視し、その記録を残した、いわゆる「ヨハネの黙示録」を執筆した場面の絵だと思う。ヨハネ(の美)が全盛期でないとはいえ、なかなか雰囲気がよい絵だが、状態がよくないのと、かなり上の方にあって見えにくく、しっかり細部が鑑賞できなかったのが残念であった。

サンタ・クローチェ教会 フィレンツェ

こちらは、ドナテッロ作の「受胎告知」。以前サンタ・クローチェ教会に入ったときは、あまり何とも思わなかった作品なのだが、今日改めて見てみると、なかなかいい感じであった。

サンタ・クローチェ教会 フィレンツェ

処女懐胎を告げられて、控えめに戸惑いを浮かべているマリアの表情が、奥ゆかしくて素敵である。訪問する時の年齢とか、精神状態とかによって、よく見えたり、特に心に響かなかったり、美術作品の印象がその時によって変わるのは、何ともおもしろいことである。

サンタ・クローチェ教会は、フィレンツェ関連の有名人のお墓詣りが、一気にできてしまう教会として有名である。ミケランジェロ、マキャベッリ、ガリレオ…など、特にイタリアに興味のない日本人でも知っているような有名人を始め、数々の文化人が眠っている。

フィレンツェを追われたダンテは、ここに記念碑はあるが、お墓はない(お墓はラヴェンナ)。フィレンツェは、ダンテのお墓を譲ってくれるように、ラヴェンナに交渉したことがあるそうだが(失敗)、ダンテのお墓がもしフィレンツェに移設することになったら、ここサンタ・クローチェ教会にお墓を作るつもりなのかもしれない。

教会内も、もっとゆっくり見たかったのだが、姉と母に急かされて(急かされてちょっとケンカ。長期旅行ではいつものことである)、教会を出て、パッツィ家礼拝堂へ向かった。

サンタ・クローチェ教会

こちらが、パッツィ家礼拝堂。ルネサンスを代表する建築家・ブルネルスキの作品と言われる。サンタ・クローチェ教会の敷地内にあり、お金を払って教会内に入らないと、見えない…と、長い間思い込んでいた(後述しますっ!)。両脇に続く回廊や、糸杉とが組み合わさった風景は美しく、個人的には、フィレンツェの傑作風景の一つだと思っている。

フィレンツェ サンタ・クローチェ教会

礼拝堂の中も、ロッビアのテラコッタで彩られていて美しい。

夏の混雑シーズンはそんなことないのかもしれないが、冬季は、サンタ・クローチェ教会に入場した人は、教会内だけで満足して(もしくはその先があることに気づかないで?)帰ってしまうのか、前回来た時も今回も、このパッツィ家礼拝堂周辺は、教会内に比べて人が少ない。観光客が多いフィレンツェで、ルネサンスの調和された風景を心静かに堪能するには、もってこいの場所である。

この礼拝堂の先には、教会付属美術館がある。

サンタ・クローチェ教会

付属美術館内の、ロッビア(ルカさんの方だったかな?)作の、「大天使ミカエルとトビアス」。イタリア美術好きにはおなじみの、池上先生が書いた西洋美術史入門 (ちくまプリマー新書)によると、おつかいに行ったトビアス少年が大天使ミカエルに守護されて無事に戻ってきた(超テキトーなあらすじ)という聖書のエピソードが、商人の町フィレンツェでは好まれて、よく美術作品として製作されたらしい。

飲み屋帰りのオヤジのお土産みたいな持ち方で魚を持った少年が、大きな翼の大天使に導かれて歩いているという構図で描かれるこのモチーフだが、ロッビアが作ると、大天使も少年も天使のようなかわいらしさである(大天使に「天使みたい」と言うのも失礼だな)。私がもしも大金持ちだったら、ロッビアにお風呂場とか設計してもらうね!あーでも、湯気の中のロッビアてのも微妙だな。やっぱ洗面台くらいかなー(そんな妄想は実現しないので、湯気の心配とか無用です)。

サンタ・クローチェ付属美術館の、個人的な一押しは、一番奥の部屋にあるオルカーニャの「死の勝利」だが(しょぼい写真が2010年訪問時の旅行記にあります→3/7フィレンツェ4~緑ざわざわフィエーゾレ)、美術館はほんの入り口の部分にしか入れなくて、その奥のほとんどの部分が修復のためかクローズしていた。まあ、今回は時間もないし、クローズしててかえってよかったかもしれない。開いてたら、やっぱり見に行ってしまうものね。

で、サンタ・クローチェ教会を出た後は、サンタ・クローチェ教会付属のレザー・スクールに急ぎ足で向かった。レザー・スクールは、教会見学と同じ敷地内でなく、一度出て、教会の左側面を進み、何か「レザー・スクール」はこっちの方だよみたいな看板が見えたら、そこを右に曲がってもっさりとした敷地に入り、さらに中に入っていけばたどり着く(実はちょっとわかりづらい)。

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こちらがレザースクールの入口。

レザースクールの商品は、生徒さんが作っているものなのでリーズナブルなお値段だとか聞いていたのだが、それでも私の予算はゆうに超えていた。その予算をゆうに超えてでも欲しいようなものは、残念ながら見つけられなかった。母も同じような感じだったので、やっぱり革製品のお買い物は、どこか町中のブランドショップにでも行くことにした。手作り革製品は確かに味わい深いのだけど、どうしても使い勝手がよさそうなものが少ない。

レザースクールを出ると、サンタ・クローチェ教会界隈には、図説 フィレンツェ―「花の都」二〇〇〇年の物語 (ふくろうの本)に載っていた散歩スポットで、私が興味津々で、ぜひとも確認したかった場所があるので行ってみた。

というのも、古代ローマ時代にはこの周辺に闘技場があり、その跡を利用して作ったため、闘技場の楕円形の名残りが見られる通りがあると言うのだ。

フィレンツェ サンタ・クローチェ教会周辺

それが、この通りとか、

フィレンツェ サンタ・クローチェ教会周辺

この通り!闘技場のカーブの名残りがあるのがわかるだろうか。

そもそも、フィレンツェという町の語源は、ローマ時代の花の女神「フローラ」に由来するらしく、つまり、フィレンツェは、起源としては古代ローマ人が作った町だということらしいのだ。ルネサンス全開のこの町で、ルネサンス時代がお手本とした古代ローマ時代のかほりを、かすかに感じられる場所だと思えば、なかなか面白い。

ふっとサンタ・クローチェ教会の方を見やると、何と、外側からパッツィ家礼拝堂の屋根が見えた。

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何だよー。入場しなきゃ絶対見えないと長年思い込んでいたのに、普通に外からも見えてるじゃんよー。…まあ、パッツィ家礼拝堂の美しさは、周りの回廊とか、内部のロッビア彩色とか、教会内に入らなければ見れない所にもあるものね!

というわけで、長年の誤解が解けた所で、続きは次回っ!