3/15プラート旅行記 踊り子は儚さを纏い
ピストイアからフィレンツェに帰る途中で、プラートに立ち寄った。イチ↓の呪いでさんざんであったピストイア観光であったが、フィリッポ・リッピの町プラートで元気を取り戻そうぜ!
姉と私はプラートは2回目、母は初めてである。フィリッポ・リッピ大好きの姉と私であるが、今回のプラート訪問は、実はフィリッポ・リッピがメインではない。
プラートはフィリッポ・リッピゆかりの町という他に、トスカーナ名物のビスコッティの発祥の町とも言われていて、老舗の超有名店「Antonio Mattei」というお店がある。その「Antonio Mattei」が、前回プラートを訪問した際には、定休日だったのである。
姉はビスコッティが大好きであり、自分用や職場用のお土産に、今回こそ、このお店のビスコッティを買い込むと決めていた。そこで、ピストイアに行くついでに、プラートにも寄って帰ろうぜって話になったのである。
プラートの観光スポットが集まっている場所に近いのは、「Prato al Serraglio」駅である。通常イタリアの町では、中央駅を意味する「Centrale」と駅名についている駅が観光地に近いのだが、プラートは、観光する際は「Prato Centrale」駅ではなく、「Prato al Serraglio」駅が便利なので、注意されたし。
プラートに来たのは3年前だが、印象的な町だったので、結構道なども覚えている。姉はともかく、私にとっては、これは珍しい事である。「Prato al Serraglio」駅から中心街まで、地図を見ないで歩いて行けるよーっ!(断っておくが、もちろんカナリ単純な行程である)
だが…道端にほとんど人はいないし、お店というお店は閉まっているし、3年前に来た時とは、ずいぶん様子が違う…。3年前に入って、非常に美味しかったバールがあるので、最初にそこで一服しようと思ったのだが、そのバールとおぼしき建物も、シャッターが下りている。最初、プラート活気がなくなった!どうしたんだ!と、うろたえたが、時間を見てみると、おそらく昼休み中なのではないかと思われた。そこで、バールで一息入れる前に、先にドゥオーモ見学をすることにした。
こちらがプラートのかわいらしいドゥオーモ。しましま模様で、ちょっとピストイアに近い雰囲気だが、ピストイアの方が若干だけピサやルッカのドゥオーモと似ていて、プラートの方がフィレンツェのドゥオーモに似ている気がする。気がするだけかもしれないが、実際の距離関係に比例しているようで面白い。
3年前に来た時の方が天気がさらによかったので、3年前の方が元気なドゥオーモに見えた。観光の印象は、本当に天気に左右されるのだ。
このドゥオーモの見どころは、何といっても、フィリッポ・リッピの傑作フレスコ画が残る、後陣(主祭壇の後ろ側)のマッジョーレ礼拝堂である。ドゥオーモ自体は無料入場できるが、この後陣部分だけが見学に3ユーロ必要となる。フィリッポ・リッピがフレスコ画を描いた礼拝堂だけでなく、ウッチェッロのフレスコ画が残る礼拝堂も一緒に見学できる。
礼拝堂の切符売り場には、イタリア語のパンフレットしかなくて、切符売り場のおじいさんが、わざわざ英語のパンフレットをどこかに取りに行ってくれた。ありがとう、おじいさん!最近、イタリアの観光地では、こういうパンフレットが用意されてることが多い。
ウッチェッロのフレスコ画の方は………いえ、ウッチェッロさんの名誉のために言っておきますとね、ウッチェッロさんの作品の中でも傑作という出来ではないんですよ!ホラ、芸術家も人間ですからね、出来不出来ってモノがありますからね!リッピの作品だって、「えっ?本当にリッピが描いたの?」と思うような作品もありますからね!……という感じである。
で、その隣のリッピのフレスコ画による礼拝堂は、リッピ作品の中でも、本当に最高ではないか、と、ため息が出そうな、優美でスケールの大きな作品に仕上がっているのである。
礼拝堂一面に描かれたフレスコ画は、左側の壁に描かれているのが「聖ステファノ伝」、右側がテーマは「洗礼者ヨハネ伝」。リッピの世界に囲まれて、リッピファンなら至福の時間を味わうことができる。しかも、お隣のフィレンツェでは考えられないほどの観光客の少なさなので、思う存分、絵と向き合っていられるのである。
以前訪問した時は、フラッシュ無しであればカメラ撮影ができたのだが、今回の訪問時には、撮影禁止になっていた。以前撮影した写真ではあるが、「洗礼者ヨハネ伝」の中の、サロメの舞の部分をドウゾ。
これぞフィリッポ・リッピの真髄っ!主役のサロメは、素晴らしいダンスのご褒美として、洗礼者ヨハネを憎む母親にそそのかされて、ヨハネの首を望む。つまり、キリスト教世界では、いわゆる悪役である。
そんな悪女のイメージがあるサロメであるが、聖書上の記述からは、わけもわからずに、ただ母親の道具に使われただけの少女、程度くらいしか読み取れない。リッピの描くサロメも、無心に、ただダンスを踊るだけの、何となく無垢な表情をした少女である。しかし、彼女のダンスは恐ろしい運命を背負っているのであり、そのためか、どことなくサロメの舞そのものが、儚げで憂いを秘めている。
フィリッポ・リッピの描く女性の儚さってものは、もう、言葉で語るのは難しい。(と言いつつ語る)フィリッポ・リッピが描くと、聖母マリアもそうだし、画面の背景などに描かれる名もない女性なども、皆、儚さの色気とでも言おうか、そういうものをまとっているのである。何だろうなー。古今和歌集で、当代の美女・小野小町が詠んだ「花の色はうつりにけりないたづらに…」に通じる、女性の美しさが宿命として持つ「儚さ」なのだろうか。
そして、サロメに至っては、その「儚い美しさ」が、恐ろしく(キリスト教的には)罪深いこと(=聖者の斬首)とつながるわけで、まあ言えば、「儚さの罪」とも言えるわけである。そんな儚い、罪深い、美しさ。それは、道義的に賞賛するわけにはいかないが、人間は、そう言ったものに惹かれる部分ってのも確かにあるのだ…。
フィリッポ・リッピ自身も、修道士の身でありながら、放蕩な恋に落ちた画家として名高い。そんな彼だからこそ描けた、信心深さとは違う何かを感じさせてしまう、それでも人間にとってある種の魅力を持つ作品として仕上がっているのかもしれない。
リッピのこと語りすぎ。ちなみに(まだ語るのか!)、リッピ作品は、このプラートの壁画と、最晩年に描いたスポレートのドゥオーモの壁画が二大作品だと思っている。スポレートも再訪したいなあ。
今回は撮影禁止だったので、ポストカードを買って帰ろうと思い、この礼拝堂の切符を売っているおじいさんに、ポストカードがないか聞いてみると、リッピ作品のポストカードがなかった!ウッチェッロはあるのに!リッピがない!ウッチェッロはあるのに!(2回言うな)
ドゥオーモを出ると、予想通り、お昼休みが終わって、路上に地元の人達がたくさん出てきていて、お店のシャッターも上がっていた。
お目当ての「Bar Formica」も開いていたので、中に入って、甘いパンと、カプチーノをオーダーして一服した。相変わらず美味しい~。明日の朝ごはん用のパンも、ここで購入しておいた。
一服した後は、本日プラートに来たメインテーマである、前述の「Antonio Mattei」に、ビスコッティを買いに行った。
今日はちゃんと開いていた!
中に入ると、すぐ、カウンターのおねえさんが話しかけてきて、早口の英語でビスコッティの説明を始めた。怒涛のようにしゃべられた後、「さあっ!どれを買いますかっ!?」と迫られても、選べないよー!あたあたする私に、姉は、「こっちのペースでゆっくり選べばいいって」と、実に落ち着いた様子。本当にうちの姉は日本人離れしている。
で、姉は、さっさと買わせたいスタッフさんに臆することなく、一つ一つビスコッティについて尋ね、可能なものは試食までして、お土産用にプレーンのビスコッティと、ピスタチオ味、オレンジ味などの自宅用ビスコッティも購入した。
ちなみに、姉はビスコッティ大好きなのだが、固いものをガリガリ食べる歯力のない私は、ビスコッティはそれほど好きではない。だが姉いわく「ビスコッティが固いのは、コーヒーに浸して食べるからなんだよ」とのこと。確かに、家に帰ってから、コーヒーに浸して食べたら美味しかった。
が、ビスコッティファンになるほどではなく、もともとがビスコッティファンではないため、この名店のものが特に美味しいのかどうかはわからなかった。ビスコッティファンの姉は、「味が上品で香ばしい」と言っていたよ。ただ、やはり、単独で食べると硬いのと、個包装になっていないので、職場など大勢の人向けのお土産としては不向きに思えて、職場用のお土産には購入しなかった。
「Antonio Mattei」近くにある市庁舎。階段が印象的でかわいらしい。この市庁舎が、以前は美術館だったらしいのだが、無期限修復?に入り、ここに展示されていたものは、現在はフレスコ画美術館で展示されている。その中には、フィリッポ・リッピ作品も含まれていて、以前訪問した時に鑑賞した。
そのフレスコ画美術館を再訪しよう!と、行ってみたのだが、3月17日までクローズと貼り紙がしてあった。3月17日って…あさってじゃん!うーーー。今日は、ピストイアのチェッポ病院も閉まっていたし、ランチは失敗したし、あんまりツイていない日である。だが、フィリッポ・リッピの町プラートを、こんなことくらいで憎んだりしないし(ひいき)、プラートと自分たちの相性が悪いのでは?なんてことを認めたりはしないのである(強がり)。
そこで、皇帝の城まで行ってみたが、コチラも閉まっていた。まあ、こっちは、もともと入る気なかったからね、別にいいけどさ。
ちなみに皇帝の城の「皇帝」は、フェデリコ2世である。イタリアの歴史に関する本を読むと、必ず出てくる人なので、名前だけは覚えたよ!歴史好きの人は、この人のファンって結構多い。私はファンになるほどまだ親しみがない。イタリアの歴史をちゃんと頭に入れるのは、私の目標だよー。なかなか達成されない目標だよー。能力と努力、どっちも足りてないよーッ(自分に言い聞かせてます)。
こちらは皇帝の城のすぐ近くにある、ルネサンス式のクーポラがかわいらしいサンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会である。この教会大好きなんだよ!
内部が、ロッビア一族のテラコッタで飾られていて、そりゃーかわいらしいのだ。
ルネサンスの丸屋根の四隅を飾るのは、ロッビア工房作の四福音書記者!
アンドレア・デッラ・ロッビア作だと言われている。こちらは、シンボルである牛さんを伴った、福音書記者聖ルカさん。
教会の壁面も、ずーっとリボンのように、ロッビアの青い帯状のテラコッタで装飾されているのだ。もーホントかわいい。私が、芸術家のパトロンになるとしたら、絶対にロッビア工房を保護するね!そいで、絶対、自宅のお風呂場とかトイレとか、装飾してもらうんだ!(タダの妄想なのでツッコミ無用)
駅に戻る途中に、レッグウェアのお店を見つけた。
このブログは、イタリアでのお買い物情報が乏しい、オシャレ旅行係数の低いブログなので、こんな情報を書くのは嬉しくてしょうがないわけだが、イタリアって、実は、レッグウェアが有名なんでありますよ!カラフルなタイツとか、日本ではあまり見かけないデザインのものが……と書きかけて、コレ、結構古い情報だね。日本でも、最近はカラフルな柄タイツとかよく見かけるね。
…日本のモード事情はトモカクッ!イタリアは、レッグウェアが有名なんだってば!…というわけで、母の姉…つまり、私から見て伯母へのお土産に、たまにはオシャレなものもいいよね、と、このお店で購入した。ちなみに、イタリアでレッグウェアを扱う店のことを「CALZEDONIA」と言う。「靴下屋」みたいな意味かな。日本にも、この直球勝負の店名のお店あるね。
ちょっとかけ足で見て回った2回目のプラートだが、プラートでは、フィリッポ・リッピ作品の修復プロジェクトが着々とすすんでいるらしい(たぶんその公式サイト→http://www.restaurofilippolippi.it/)。未見の作品も、まだプラートにあるようなので、再々訪はもう決まっているようなものだぜ。また来るぜ、プラートっ!それまでメリーゴーラウンドも達者でな!
フィレンツェに帰ると、幻想的な月が出ていたので、ドゥオーモの屋根と一緒にパチリ。3週間の旅行だと、月の満ち欠けで日にちが経ったことに気づかされる。
夜のテレビ番組に、トッティが出ていた。何でトッティが出ることを知っているかというと、今朝買ったガゼッタというスポーツ新聞に、トッティが今日、テレビに出るよ!ということが書いてあったのだ。スポーツ新聞とはいえ、そんなことが記事になるイタリアなのである。
※この旅行記のタイトルはCOCCOの歌詞の一部をもじってまーす