3/16フィレンツェ旅行記8 バッカスルール始めました
フィエーゾレから帰ってくると、時間は17時前くらいであった。
今日はフィエーゾレ遠足にも行ったので、母はレジデンスに戻って休憩。
姉と私は、この時間から、フィレンツェで遊べる場所はどこかな?と、地球の歩き方をめくったが、結局ウッフィツィ美術館に入ることにした。
…って、おととい入ったばっかりじゃんよ!というツッコミが聞こえてきそうだが、フィリッポ・リッピ大好きの姉と、ボッティチェリ作品をはじめルネサンス作品大好きの私にとって、ウッフィツィ美術館は、いついかなる時でも入りたい美術館なのである。ていうか、いつか、丸一日ウッフィツィ美術館に籠りたいよ。
ウッフィツィ美術館と言えば、行列ができる美術館で有名である。ある程度、人数制限をしなければ、中の混雑が大変なことになってしまうのだろう。この行列をすっ飛ばして中に入るには、4ユーロ払って、予約をすることである。
ちなみに、この予約は、行列に並んでから、「あー、やっぱこの行列に並ぶのやだわー」と思ったら、その場で予約することもできるらしく、行列から見えている電光掲示板でその旨を案内している。
この掲示板。「この行列をスキップしたくない~?」と、誘惑してくる。
この誘惑に負けた場合は、一度この行列から離れて、ロープで仕切られている、もう一方の(おそらく)空いている入口から中に入り、当日の予約できる時間帯があれば、4ユーロ支払って予約すればいいようだ。場合によっては、すぐ入場できることもあるだろうし、後ろの時間帯しか開いていない場合は、予約だけしておいて、予約の時間まで、フィレンツェの他の場所で遊んでおけばよい。
このシステムだと、4ユーロは予約代というよりは、「行列をすっ飛ばすための価格」って感じである。まあ、私はシーズンオフの冬季にしかフィレンツェに来ることがないから、予約しなくても、行列に並びながらガイド本でも読んで、ウッフィツィ美術館の予習をするのがちょうどいいのだが、観光シーズンの夏季には、ディズニーランドの人気アトラクション並みの待ち時間になるのかもしれない。
ちなみにこの日は日曜日なので、おとといよりは行列が長くて、待ち時間は20分と案内されていたが(さっきの電光掲示板)、実際は10分くらいで中に入ることができた。
相変わらず荷物検査では、ポーンと音が鳴ったのだが、いつものように係員さんは「気にするな、気にするな」と中に入れてくれた。日本人観光客女性ってのは、信用されすぎである。我々がキャッツ・アイ姉妹だったらどうするのよ~?(ありえません。キャッツ・アイはナイスバディです。知らない方のために、キャッツ・アイは美術品ドロボウです)
こちらは、おそらく、夕方から入場する客へ向けた貼り紙。要するに「ウッフィツィ美術館は18時50分に閉まるから、35分くらいからは退館する準備をしやがれ☆」と書いてある。
多くのイタリア人が、もっともテキパキと働くのは、美術館などを閉める準備をする時だと思う。あんなに時間にルーズな人たちが、こういう閉館時間だけは時間ピッタリに、時には時間より早く閉めてしまうのだ。定時に帰りたいんだね。私はどちらかというと…このイタリア人たちの気持ちがわかる方の人間である(怠け者ではなく、プライベートな時間を大事にする人間だということにしておいて下さいっ!)。
入場したのは17時半前だったので、実質、一時間くらいしか鑑賞できない。そこで、姉と分かれて、18時半にカラヴァッジョの部屋で待ち合わせることにした。
とりあえず一時間しかないので、今回は、ジョット達など、ルネサンス以前の作者さんたちの部屋はすっ飛ばして、フィリッポ・リッピ作品の絵がある部屋から入った。ウッフィツィ美術館は、長ーいコの字型の廊下から、ギャラリーに出たり入ったりできるので、場所を覚えると、途中を省略したり、元の場所に戻ったりが簡単にできる。
私は、一つの絵を長ーく見続けるのが好きなので、ウッフィツィ美術館では、大好きなボッティチェリの部屋にはかなり居座ってしまうことが多い。今回は、一時間しかないので、断腸の思いでボッティチェリの部屋は短めの滞在で引きあげた(とは言っても15分はいましたけどね!)。
今回、私の心に新しく響いたのは、ペルジーノ!日本では、ラファエロの先生として知られる画家さんで、本人の作品は、それほど有名ではない。「ラファエロの初期作品は師・ペルジーノからの影響が強いが、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの影響を受けてからの中期以降の作品が素晴らしい」というように、弟子のラファエロに超えられてしまった画家として語られることも多い。
ペルジーノの作品が、ルネサンスの三巨匠と呼ばれるミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロなどに比べて評価されないのは、それほど独創性がないこと、聖人たちがただ並んでいるだけの平凡な宗教画が多いこと、そのためか似たような構図が多いこと、弟子の手が入っているせいか作品の出来不出来の波が激しいこと…などが上げられるだろう。つまり、ルネサンス期の大きなキーワードである、「人間理性の目覚め」を感じさせるような作風ではないのである。
しかし、こういった「評価」と、作品が「好き」かどうかは、また別問題である。作品の出来に波があるため、ペルジーノ作品を見ても「こんなもんかー」と思うことが多かったのだが、数年前、フィレンツェのサンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ修道院にあるペルジーノ作の壁画を見て以来(この絵はペルジーノの傑作のひとつと言われる)、ペルジーノさん結構好きかも…と感じるようになったのだ。
ウッフィツィ美術館のペルジーノ作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知の近くにある。気に入った作品が2つほどあった。
まずこちらは…聖母子と洗礼者ヨハネと聖セバスティアヌス(館内は写真撮影禁止なのでこちらはポストカード)。構図そのものは、人物が、単調に並んでいるだけで、あまり目を惹かない作品かもしれない。
しかし、左側の洗礼者ヨハネの表情が、深みがあり、聖人らしい慈愛というか、包容力というか、ペルジーノらしい、俗っぽく言えば「やさしさ」を感じる。
そして、もっと俗っぽいことを言うと、聖母マリアがすっごく美人なのである!ペルジーノに影響を受けているというラファエロの初期作品にも見て取れるように、ペルジーノの描く女性や中世的な男性は、伏し目がちで、口が小さい…ややおちょぼ口という特徴がある。この顔つき、私は結構好きなのだ。
そして、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の左側にあり、あまり観光客が目を向けていないところにも、気に入ったペルジーノ作品があった。主題は「ピエタ」で、息を引き取ったイエス・キリストの身体を、聖母マリア、マグダラのマリア、使徒ヨハネなどが支えながら悲しんでいる。(ポストカードは残念ながら販売していなかった。画像を見たい方は、イタリア語版Wikipediaで見れます)
こちらも、構図的には、それほど目を引くものではない。中心でイエス・キリストの身体を支える聖母マリアが虚ろな表情をしていて、あまり、子供の死に面した母親の感情が表現できていないようにも思える。
しかし、左右でイエス・キリストの死を悲しんでいる使徒ヨハネとマグダラのマリアの、美少年・美少女が、これまた俗っぽい言い方だが、あまりにもかわいらしいのである。「ピエタ」の場面には、よく描かれる両者だが、このペルジーノ作品では、他の同主題の作品に比べて、非常に二人が年若く見える。
その分、聖人が神の子の死を悼む、というより、あまりまだ死の意味を深くはわかっていない普通の少年・少女が、慕っている人の死を、ただただ純粋に悲しんでいるような、ピュアさが全面に出ているように感じた。よくよく見てみると、二人の目の下には、涙も描かれているのだ。
しかし、泣いているのに、表情は崩れていない。その分、泣こうとして泣いていないというか、涙はただただ流れているというか…。人が感情を表に出す時は、程度の差はあるが、おそらく他者の目を意識している。自分の感情を、誰かにわかってもらおうという気持ちが、どこかにある。そういう他者の目をほとんど意識しない、純粋な感情…若さゆえのイノセンスのようなものを、この絵に描かれた二人から感じた。「ピエタ」という主題とは全然関係ないことかもしれないが。
ちなみに、この作品、レオナルドの「受胎告知」の左隣にあるため、「受胎告知」に人が集まってしまっている時は、非常に見づらいが、「私だけのペルジーノ!」とか思いながら独占することはできる(それがどうした)。
廊下から、ヴェッキオ橋と夕焼けが見えたのでパチリ。この廊下部分から、外の風景を撮影するのはOKである。ウッフィツィ美術館は、アルノ川近くに位置するので、ヴェッキオ橋の眺めが素晴らしい。
2日前には母がカフェに入りたいと言った。このカフェからは、ヴェッキオ宮がしっかり見えるし、ドゥオーモのクーポラも見える。ただ、あまり高さがないので、フィレンツェ全体のパノラマとまではいかない。このカフェは、コーヒーなどもまずまず飲める味であった。バチカン美術館のカフェは、それはそれはヒドイ紅茶が出てきたからね!
さて。2年ぶりに来たウッフィツィ美術館は、いろいろと展示場所が変わっていた。一番大きいのは、上の階(最初に鑑賞する階。3階にあたる)の、ミケランジェロ作品の近くに置かれていたラファエロ作品が、下の階に移動したことだ。
2014年秋に上野の東京都美術館で催行された、「ウフィツィ美術館展」に合わせて特集が組まれた芸術新潮 2014年 10月号によると、下の階での展示が始まったのが2004年で、それからずーっと拡張工事が続けられているため、展示の場所がいろいろ変更になるのだそうだ。なので、ここで紹介している場所も、また変更があるかもしれないので、ご注意を。
下の階に降りて、左手側には、イタリア以外の芸術家の作品が主に集められていた。そのエリアで、今回じっくり見たのは、エル・グレコ!
「福音書記者聖ヨハネと聖フランチェスコ」(ポストカード撮影)
エル・グレコは、マニエリスム期の画家さんに分類されるが(ルネサンスの後の時代)、同時代の画家さんたちに比べ、かなり斬新な画風である。マニエリスム期は、自然的・理性的な芸風が好まれ、よく絵画の黄金時代とも言われるルネサス期の後の時代なので、前の時代の芸風から脱却するためか、やや大げさで奇をてらったような絵も多く描かれる。
しかし、だからと言って、ルネサンス期の作品と比べて、素人が見て大きく違うような…実際の世界を模写するより自分の世界観を自由に描いているような、人物表現が現実の人間からかけ離れている作品は、それほど多くない(と私は思う)。
そんな同時代の作品と比べて、エル・グレコの絵柄は、あまりにも自由である。現実の人間とは思えないくらい色白のヨハネに、そのままアニメーションとして動き出しそうなくらい、リアリティのない(つまり現実の人間には見えない)フランチェスコ。そして、何か、大きな出来事がこれから起こりそうな、ちょっと落ち着きのない背景の空。空の色も、まるでアニメーションのように変わって行きそうな雰囲気である。一言でいえば、劇的である。
エル・グレコの作品は、私みたいな素人でも、一目で「あ。エル・グレコだ」とわかってしまう。エル・グレコが生きた時代は、まだそういう時代ではないはずなのだけど、まるで、パトロンに頼まれて描いているのではなく、自分の芸術表現のために描く、現代の芸術家さんみたいだ。
ちょいと前に、日本でエル・グレコ展があり、代表作のひとつ「無原罪のお宿り」も来日し、結構エル・グレコ好きだな、と思った。そういうテーマではないはずの宗教的場面を描いているのに、何か、人を不安にさせるような、不穏な雰囲気が漂っているのが良い(こういうのが好きな、中二病から卒業できないワタクシ)。いつか本場のスペインに行ってみたい。スペイン行ったらムリーリョも見たい。スペインの話終わり。
さて、最後に姉と、カラヴァッジョのバッカスの前で待ち合わせ。
「まあ、飲めよ」と言わんばかりの、ほろ酔いのバッカス。衣服がはだけているのが、酔っぱらいの露出狂オヤジのようだ。(もちろんこの画像もポストカード)
バッカスはギリシャ神話のディオニュソスと同一視される神で、本来はイケメンと言われているらしい。バルジェッロ国立博物館にあるミケランジェロのバッカスは、結構なイケメンである。
しかし、このカラヴァッジョ作のバッカスが強烈すぎて、私にとって、バッカスは酔っぱらいオヤジみたいなイメージになってしまった。このバッカス、よくよく見ると、爪が紫色で、お酒を飲むだけじゃなくて作ってるんだよ、働いてるんだよ、という地味なアピールがあるのだが。爪が葡萄の色に染まるといえば、林真理子の葡萄が目にしみる (角川文庫)を思い出すなあ。
そんなバッカスなのだが、ヤツの前に立つと、何だか脱力してしまう。まあ、私は普段から脱力気味の人間なので、これ以上脱力する必要はあまりないのだが、肩の力を抜く必要があることも時にはある。それは、ケンカしている時である。
姉と私は、どちらも我が強いので、必ず旅行中にケンカをする。そんな時に、このバッカスを見て、力を抜いて、ケンカをやめたらどうか。そんな「バッカスルール」を始動するため、このバッカスのポストカードを購入して帰った。来年以降、旅行には携帯せねばなるまい。
さて。ウッフィツィ美術館近くのバールで、こんなものを見つけた。
…私は、よく旅行記の中で、「イタリア旅行終盤におにぎりが無性に食べたくなる!」と書いてますけどね、本当にイタリアでおにぎりに出会うことになろうとは…。「おにぎり始めました」という微妙に笑えるニュアンスの日本語といい、コレ、確実に日本人が販売に絡んでるだろ…!
お店の人に許可を頂いて、撮影したおにぎり。一種類しかなかったが、「とりめし」である。実は、このバールに行ったのは、2日前のウッフィツィ美術館訪問時だったので、傍らにいた母が、「買って帰ろうよ!」と言い出した。姉と私は、懐疑的ではあったが、食べて後悔せよ!の精神で(食べ物に関することにこの精神を適用したら、痛い目に遭う可能性があるのでやめた方がいいよ!)、購入した。
お味は、きちんとだしが効いていて、絶対コレ、日本人が絡んでるな!という味であった。残念なのは、どうしても、米が日本米ではなく、硬かったことかな。だから、とりめしとかにしないと、白米でのおにぎりは作れないのかもしれない。だが、おにぎりの精神(何それ)から大きく外れたものではないので、フィレンツェでおにぎりへのノスタルジアに駆られた場合は、おすすめしたい。
ウッフィツィ美術館とヴェッキオ宮に挟まれた通りにあるバールである。
家への帰り道、レプッブリカ広場の老舗カフェ・ジッリで「ウンカフェ(=立ち飲みエスプレッソ)」した。
バリスタさんはコーヒーアートを作ってくれて、左のカップを指さし「チイサイノ」、右のカップを指さし「オオキイノ」と言ってウィンクした。…日本人観光客向けの持ちネタだな。まあ、楽しそうだからヨイのだ。
明日はいよいよ、観光最終日である。いやー、今年の旅行記は、書くのに長い時間を費やしたなあ…(まだ終わってませんよ!)