3/12シラクーサ旅行記2 陽気な市民、美しき海

カラヴァッジョ、ドゥオーモと、しょっぱなから濃い観光が続くシラクーサ。ドゥオーモを出るときには、お昼の1時を過ぎていた。おなかへった。

シラクーサには、雰囲気が良いと言われる市場がある。シラクーサと言えば、古代ギリシアの首都で古都、シチリアでも有数の観光地。…ということから、タオルミーナのような、優雅な高級リゾートを思い浮かべる方もいるかもしれないが、シラクーサは高級リゾートではなく、人々の生活感があふれる町だ、と、シチリアに旅立つ前から予習で知っていた。そんな、シラクーサの生活感をよく味わえる場所が、地元民が元気よく買い物している市場なのだそうだ。

ダガ、カラヴァッジョと、美人ドゥオーモをどっぷり鑑賞してしまったせいで、もうお昼を過ぎてしまった。市場というものは、基本的には午前中で終わってしまうのだ。市場が一番(シャレじゃないよ)賑わっている時間帯を逃してしまったが、姉と私に悔いはない。それは姉と私が文化人だからである(違います。カラヴァッジョとドゥオーモがめちゃくちゃ美しかったからです)。

しかしおなかへった。文化人でもおなかはへるのだ(文化人って誰よ)。

で、市場の話に戻るが、その市場には、非常に有名な、安くて美味しいストリートフード屋さんがある。B&Bのオーナーさんもおすすめしていた。シラクーサもたった2泊ということもあって、きちんとしたキッチンは備わっていないB&Bに宿泊している。

ということは「a.自炊ができない」。ということは「b.外食で食費がかさむ」。ということは「c.なるべく節約したい」。「a,b,cよりそのストリートフード屋さんに行くしかない」。証明終わり。

シラクーサ

市場に行くには、このアポロ神殿跡の前を通って行く。シラクーサ滞在中に、何度も前を通った遺跡である。

遺跡前を通って、お昼が過ぎてお店がどんどん閉店準備をしている市場へと足を運んだ。その有名なストリートフード店である「Bordieri」は、お昼が過ぎても営業を続けているはず、と、下調べしてある。

シラクーサ

ほとんどのお店が、閉店して、お掃除が始まっている市場。シラクーサの市場は本当は雰囲気がいいらしいよ!本当なら午前中に行くべきよ!まーそうは言ってもね!我々、シラクーサでは行きたいところが多すぎて、多忙を極めていたのだよ!

市場の奥の方に、異様に人々が集まっている区画があった。人々に囲まれるようにして、エプロンをしたパニーノ職人のおじさんが、ものすごい勢いで、野菜をカットしている。…ここか!

職人おじさんは、非常に魅せる手つきで、スサマジイ量の野菜をパンに挟み、チーズをのせ、生ハムをのせ、具がぎっっっしりと詰まったパニーノを作っている。人々は、そのパニーノを食べたくて群がっているのだ。我々だって食べたいよ!行列は長いとは言っても、フィレンツェの市場の人気パニーノ店と同じくらいだったので、そのお店のことを思い出してみても、順番はそのうち回ってくるだろうと思い、列に並んだ。

我々が並んでいると、英語がしゃべれるスタッフさんが寄ってきて、「一人5ユーロ払えば、並んで待たなくても、あのパニーノの中身に入れるものと同じ、チーズ、ハム、野菜を盛り合わせて、パンと一緒に運んできますよ。今すぐ、席を用意しますが」と言う。

見てみると、確かに観光客って感じの人たちが、即席のテーブルと椅子を用意されて、ハムやチーズの盛り合わせを食べている。でも、そういう食べ方をしている人たちは、皆、観光客っぽいなあ…。

やはり、パニーノ職人のおじさんが作っているパニーノを食べたかったので、「いえ、あのパニーノが食べたいので」と断って、そのまま列に並んだ。

職人おじさんがパニーノを作っている姿は、既にそれだけでショーであった。すさまじい勢いでの野菜の刻み方、忙しそうに、「あれがない」「これがない」と、周りのスタッフに言いつけて、周りのスタッフが奥から、チーズを削るものを持って来たり、汚れたエプロンを取り替えたり、チーズやハムを追加したりする。

職人おじさんは、必要なものをスタッフが奥から持ってくる間が手持無沙汰になるので、試食に、と言って、並んでいる人たちに、ハムやチーズを振る舞う。最初のうちは、こういったパフォーマンスを見ているだけで楽しかった。

…しかし、姉と私は、あることに気付いた。「列がちっとも進んじゃいない…」。フィレンツェの市場のパニーノ屋さんは、行列はすごいのだが、結構さくさく進むので、15分も20分も並ぶなんてことは、今まで経験したことない。しかし、時計を見ると、20分以上が経過している。だが、列はほとんど進んでいない。つまり、要領が悪いのだ。必要なものを全部そこに備えていなくて、いちいちスタッフに取りに行かせるので、時間がかかるのだ。

それでも、パニーノは美味しそうだし、20分も並んでしまうと、途中で諦めたくないし…。でも、シラクーサの予定は満載なので、ここであまりにも時間を使うわけにもいかないし…。我々は葛藤し始めた。こういうのは、並んでいる時間が長くなればなるほど、諦められなくなるという心理状態に陥ってしまうものなのだ。

結局40分並んで、列の半分以上もさばけていない状況を見て、我々はテーブル席を用意してもらうことにした。あー、こんなことなら、最初に声をかけてもらった時に、テーブル席にしとけばヨカッタ…。

シラクーサ

こちらが、席を用意してもらってから、すぐ運ばれてきた盛り合わせ。運んできた店員さんが、「ごめん、パンがもうこれだけしか残っていないんだ…」と言った。確かにバケットの中には、小さいパンがちんまりと入っているだけであった。

そして、パニーノ職人のおじさんのほうの列はと言えば…な、なんと!まだ10人以上並んでいる人がいる状況で、「パンがなくなったので、これで売り切れでーす」と高らかに宣言された。…な、なんと言うことっ…!

おそらく、並んでた人は皆、1時間近くは並んでいたのではないか!コレ、暴動が起きてもおかしくないぞ…と思ったが、職人おじさんは、「ごめんねー」と言いながら、ハムにチーズをくるんで、パニーノを買い損ねた人たちに気前よくどんどん配っていた。並んでいた人たちは、まあ、無料でかなりのハムやチーズをもらったので、文句を言う人もなく、さーっと散って行った。

そして、並んでいるお客さんがいなくなって、ヒマになった職人おじさんは、東洋人観光客の我々を見つけて、テーブルににじり寄ってきた。「イタリア語は話せる?」と聞いてきたので、「少しだけ」と答えると、まー、しゃべるわ、しゃべるわ…。そして、この職人おじさんのオヤジ仲間と思われるヒマオヤジたちが、どこからか、わーっと集まってきて、我々のテーブルを取り囲んだ。えっ?何コレ!?

そして、始まる、愚にもつかないヒマオヤジトーク。ヒマオヤジ軍団とは、今まで、外から眺めるものだったのだが、今、まさに、シラクーサの市場で、我々はヒマオヤジ軍団の一部になってしまっているよ!ヒマオヤジ軍団とは、もはやイタリアの固有文化である。貴重な文化体験であった。しかし、こんなヒマオヤジ体験ができることからして、シラクーサが、優雅なリゾート地タオルミーナとは、かけ離れた存在であることがおわかり頂けると思う。

パニーノが売切れた後、何度かこのお店のスタッフに声をかけるが、スルーされている小太りの中年男性が、ずっとお店の近くをうろうろしていた。何だろう…と思っていたら、彼は、スタッフの目を盗んで、パニーノ職人おじさんがパニーノを作っていた台に残された、チーズやハムを手でつかんで食べていた…。

この男性だけでなく、市場を飛び回っているハトも、盗み食いをしていた。南イタリア的な風景、と言えるのだろうか。いずれにせよ、そういう状況ではあったので、清潔さが気になる方には、あまりおすすめできないお店かもしれない。
お昼ご飯を食べた後は、美術館を目指して、オルティージャ島を南下することにした。

シラクーサ

オルティージャ島は、いかにも旧市街って感じで、小道がくねくねと入り組んでいる。私の好きな、地中海の古い町並みだ。

シラクーサ

海の幸が美味しくて、車があまり通らない狭い路地の多い町にいるのは、猫ちゃん、と相場が決まっているのだ。

ドゥオーモ前広場にたどり着く前に、B&Bのオーナーさんが、カンノーロが美味しいと教えてくれたMarcianteという、バール兼お菓子屋さんがあったので、吸い寄せられるように入ってしまった。昼ご飯を食べたばっかりなのだが、吸い寄せられるように入ってしまったわけだから仕方がない。

シラクーサ

カンノーロとカプチーノで、食後のデザート。うん、そういえば、昼ごはん後にデザートを食べなかったからね。シチリアのカンノーロは、どこで食べても美味しい。その意味で、ここのカンノーロは、私は普通に美味しかったのだが、姉は結構美味しいと言っていた。カンノーロのいいところは、見た目よりあっさりした味なので、お腹いっぱいでもペロッと食べられるところである(お腹いっぱいの時に食べちゃダメでしょ!)。

さて。カンノーロブレイクを挟んで、ドゥオーモ前を通り過ぎた。美術館に行く前に、ぜひとも立ち寄るべき場所がある。シラクーサのシンボル的存在のアレトゥーザの泉をまだ見ていないのだ。

ドゥオーモ広場をまっすぐ通り過ぎて、そのまま続いている道をまっすぐ行くと、何だか海の雰囲気が漂ってきた。

そして、アレトゥーザの泉にご対面っ!

シラクーサ

パピルスが生い茂り、カモさんたちがのんびりと泳いでいる泉。写真だけ見ると、「それで…?」と言いたくなるであろう。しかし、この泉、淡水なのに、海のすぐ近くに沸いているのだ!何でだろうね。その原理はわからないが、「海のすぐ近く」に沸いていることが、このアレトゥーザの泉の大きな特徴である。つまり、海に差し込んでくる、太陽光が、そのままキラキラとこの泉をも照らしているのである。

そして、泉の向こうに、「ああ、あの向こうに、故郷(シラクーサを作ったのは古代ギリシア人)のギリシアがあるのね」と思いを馳せたくなる、美しい海が広がっている(実際はコレ、大間違い。地図を見てもらえばわかると思うが、アレトゥーザの泉から見える海の向こうにギリシアはない)。アレトゥーザの泉は、実に立地が素晴らしいため、写真ではなく実物を見ると、非常に美しい風景となるのだ。

シラクーサ

こんな風に、アレトゥーザの泉のすぐ隣は、細い通路を挟んで海なのだ。とても独特な風景だ。

さらに、アレトゥーザの泉は、人々の心くすぐる神話を持っている。この泉、ギリシア神話に出てくる、美しいニンフ(ギリシア神話の妖精みたいな存在)が姿を変えたものである。

このアレトゥーザという名前のニンフさんは、彼女に恋をして、強引に追いかける川の神アルペイオスから逃れるために、泉に姿を変えてしまったのである。それにしても、好きでもない男と一緒になるくらいなら、一生恋などできなくてもよい、とでも言うような彼女の生き方は、色気を捨てる色気とでも言おうか、どこかミステリアスで美しいストーリーとして心を打つ。

泉になったアレトゥーザの前に、大地の女神デメテルが現れる場面が有名である。娘を冥界の神ハーデスにさらわれて、半狂乱に探し回るデメテルが、この泉の前までやってくる。その時、アレトゥーザは、「地下を流れている時に、あなたの娘が地下の国・冥界にいるのを見ました」と、デメテルに教えてあげる。泉となったニンフが、地下を流れている時に冥界の様子を目にするなんて、何とも趣深い逸話だなあ、と、この神話を知った時、思ったものである。

そんなこんなで、アレトゥーザの泉は、見た目は美しいわ、ギリシア神話好きにとっては神話と関連深い場所だわで、シラクーサでは絶対に外せない観光ポイントである。ていうか、シラクーサは、必見ポイントが多すぎる町である。だから観光地なわけだけど!

シラクーサ

アレトゥーザの泉の近くの海を、しばらく眺めた。シラクーサの海は、本当に美しくて気持ちがいい。「シラクーサの海は美しい」。この一文を、おそらく、私はこの後の旅行記でも何度も連発するよ!いつまでも眺めていられるような海なのだが、とりあえず美術館の方に行こう!

アレトゥーザの泉から、町の内部にまっすぐ入って行った所に、ベッローモ宮州立美術館はある。

シラクーサ

道の途中に、「美術館はこっちだよ」と教えてくれるみたいに佇んでいた猫ちゃん。シラクーサの町には、猫が似合うニャー。

シラクーサ

これがベッローモ宮州立美術館だよっ!

中に入ると、恰幅の良いおばちゃんスタッフが椅子に座っていた。この日は観光客が少なかったのか、日本人観光客なんかシラクーサで珍しくもないだろうに、我々を見たとたんに、おばちゃんは急に興奮し始めた。

「この美術館とは別に、ネアポリス考古学公園や、パオロ・オルシ考古学博物館にも入りたいので、共通券が買いたいのですが」と聞いてみると、「共通券は5日間有効で、24ユーロッ!お得だけど、今から行くんじゃ、ネアポリス考古学公園はもう閉まってて間に合わないッ!」などと、聞いてもいないことを、超ハイテンションでまくしたてる。

「大丈夫です。5日間有効なら、明日以降に行くので」と答えると、なぜか「ブラーヴォ、ブラヴィッシモ~ッ!(Very Goodくらいの意味)」と、大喜び。この美術館の開館時間を聞いてみると、両手の人差し指を頭の上に立てて「9時から」と言い、その姿勢のまま、指と一緒に頭をバッと垂れて「6時まで」と言った。そのパフォーマンスを2度繰り返した。ハイ、9時から6時までですね。ワカリマシタ…。お礼を言って、美術館の中へと立ち去る我々に、無数の投げキッスを投げてよこすおばちゃん。…幸せそうで何よりだ。

さて、この美術館の目玉は、アントネッロ・ダ・メッシーナの「受胎告知」である。保存状態がよくない作品であることは、予習して知っていた。

シラクーサ

美術館の最初の部屋の、しょっぱなに、目玉作品は展示されていた。保存のためなのか、絵全体がケースに入れられている。作品の下部がかなり傷んでしまっているが、逆に、傷んでいるのが味がある風に見えた。

シラクーサ

画面全体に静けさが漂っている感じがする絵である。

シラクーサ

処女懐胎をお告げに来たガブリエル。結構クールな表情。

シラクーサ

悟り切った表情で、役目を謹んで受けている聖母マリア。アントネッロ・ダ・メッシーナの絵に特徴的な、何とも微妙な笑みを浮かべている。

私は、なかなかこの絵が好きだったが、姉は「大天使ガブリエルがかわいくない」と一言で斬った。確かに全体として、表情や動きには乏しいかもしれないが、アントネッロ・ダ・メッシーナは、フィリッポ・リッピより少し年下、ボッティチェリより少し年上で、初期ルネサンス期から盛期ルネサンス期のちょうど中間あたりの時代の人である。私は、一般的に絵画の最高峰の時代と言われる盛期ルネサンスの、完成度の高い作品より、それよりやや前の時代の、静かな感じの絵って好きなのだ。

この美術館だが、我々がまだまだ西洋絵画のズブの素人ということもあるのだが、このアントネッロ・ダ・メッシーナの「受胎告知」以外には、めぼしい作品に出会えなかった。

シラクーサ

その次に心に残った展示品が、コレ、というのが、全てを物語っているであろう。

シラクーサ

「カメラさん、もうちょっとアップでお願いします!」

美術館を出るときには、また、切符売り場のおばちゃんが、猛烈な投げキッスを、連打でよこしてきた。もっともっとイタリア慣れしていれば、私も投げキッスを返すことができたのだろうが、奥ゆかしい日本人観光客は、丁寧にお辞儀をして美術館を出たのであった。