3/18パレルモ旅行記11 フィフテーンミニッツ・イン・セルポッタ

パレルモは6連泊。それほど遠くの町への遠足にも行かない。この6日間はゆったりできるだろう。

―――そんなことを考えていた、昔の私が懐かしい。

パレルモの観光は、今日と明日しか残っていない。なのに、まだ、モンレアーレにも、セジェスタにも行っていない。パレルモ内にも、行きたいけどまだ行っていないという場所がたくさんある。

我々はどうやら、自分たちの鈍足ぶりを過小評価していたようだ(この場合は過大じゃなくて過小でいいんだよね?日本語ってムズカシイ)。

世の中の旅人は、ビックリするくらいの短期間で、いろんな場所を回っている。いったい、どんな足と、どんなアクティブさとタフさがあれば、世間一般並みの旅人の早さで行動できるのであろうか。でも、しょうがないのかもしれない。私、ご飯食べるのも遅いし、自分のペースでいいんだよ。「自分のペースでいいんだよ」って部分は、ちょっとハートフルにほっこり読んでもらいたい。

…とかクダラナイこと書いてないで!そうだ、旅行記もそうだけど、私はクダラナイことに気を取られすぎるんだな、きっと。でも、クダラナイこと大好きなのでいいんだよ。というわけで、私は自分の旅行の速度を上げようという結論には、常に至らずにいるわけだ。

とはいえ。パレルモ滞在中に、どうしても行っておきたい教会がある。ロザリオ・イン・サンタ・チータ・祈祷堂である。地球の歩き方に載っている、セルポッタの彫刻群が素晴らしいし、何たって割引券も持っている。

しかし、今日はモンレアーレ、明日はセジェスタに行く予定だ。いつ行くんだよ、チータに。今日行くんだよ!モンレアーレに行く前に!

ということで、モンレアーレに行く前に、走って、朝イチでロザリオ・イン・サンタ・チータ・祈祷堂まで行くことにした。残念ながら、モンレアーレ行きのバスが出る駅前とは、アパートから見て反対方向である。それでも!行くったら行く!走るぞ、姉!(シチリア旅行記の初期の頃に比べ、何と防犯意識がたるんでいることであろうか。最初は、道ひとつ歩くのに慎重にしていたのにねえ)

パレルモ

祈祷堂は、サンタ・チータ教会そのものの入り口とは別に、左側に小さな入り口がある。教会そのものが閉まっていた場合に、「あいやー。閉まってるよ」と早とちりして回れ右してしまわないように注意である。まっ、昨日の夕方は教会も祈祷堂もどちらも閉まっていましたけどね!

実は、この日は本当に時間がない。駅前10時発のモンレアーレ行きのバスに乗るためには、この祈祷堂の鑑賞は15分くらいで切り上げなければならない。

それなのに、切符売り場のおねえさんが、難題をふっかけてくるのである。「サン・ロザリオ・イン・ドメニコ祈祷堂との共通券なら安くなりますけど、どうします~?」。

イヤ、ドメニコの方の祈祷堂も行きたいんだよ!でも、今日はこの後モンレアーレ行きだし、明日はたぶんセジェスタ行きだし、おそらく時間ないだろう。…などなどいうことを、普段高速回転していない脳みそをカラカラ回して(空っぽな脳みその回る音)、「いえ、共通券でなくてよいです!」と答えると、入場券は3ユーロであった。とにもかくにも入場券をゲットしたならば、急いで見学に行くよッ!

おっ!

パレルモ

おおおおっ!

パレルモ

何だかいい感じにごちゃごちゃしているじゃーないの!「ごちゃごちゃ」は、いい感じと悪い感じの時があるのだが、これは、いいごちゃごちゃだよ!(何と貧相なボキャブラリー)ホイップクリームを使ったデコレーションケーキのようだ!

パレルモ

いいねえ~。この、清純な感じのごちゃごちゃ。作者はセルポッタ。パレルモではよく名前を聞く、バロック時代の彫刻家さんだ。バロック期の彫刻は、うねうねごっちゃりしていて、ルネサンス期などと比べると、清楚さが欠けていると感じることが多いのだが、このごちゃごちゃは、不思議と澄み切ったような美しさだ。

パレルモ

窓のところに腰かけて、音楽を奏でている女性(天使かな?)がかわいらしい。

そして、窓のところにプット(幼児型天使)多すぎなのだが、そのプットたちが、いちいち愛らしい。

パレルモ

眠っちゃってる子に、その横で、お友達が寝ちゃって「つまんないの」とでも言うように、指をくわえている子。プットも一応天使-天の使いと言うならば、もはやこれは、天の神々しさではなく、親しみやすさである。

パレルモ

こちらは、転がっている子に、その子を支える子、大人っぽくハンカチで涙を拭っている子。どういうストーリーなんだろ。

パレルモ

祈祷堂内で、最も見ごたえがあるのが、後部の壁の彫刻群だが、ここにいるプットくんたちも、なかなかかわいらしい。

パレルモ

この子、ライオンに目隠ししてる!?何たるいたずらっ子…。キリスト教でライオンといえば、福音書記者聖マルコ、もしくはマルコ福音書そのものの象徴であることが多いが、それに目隠しとは…。何か深い意味があるのかな?とも思ってしまうが、ただの作者さんの茶目っ気かもしれない。

パレルモ

後部壁の彫刻の一部の、なかなか目立っている美少年。憂いを秘めた表情がステキ。

パレルモ

ふと見上げると、天井の装飾もなかなかステキなのよ。

そんな感じで、長々と堪能したかったセルポッタの彫刻群なのだが、何せ、10時までに走って駅前のバス乗り場まで行かねばならないので、そろそろタイムオーバーである。たった15分しか見学できなかったが、タイトな日程の中、無理くりねじこんでヨカッタ!

こんなにセルポッタ作品がステキなら、同じようなセルポッタ装飾がみられるという、ロザリオ・イン・サン・ドメニコ祈祷堂にも行ってみたい気持ちがヤマヤマなのだが、明日までの予定が詰まっているので、今回は諦めざるを得ないかもしれないな…。

というわけで、今から、駅前までダッシュである。本当に、シチリア旅行初期の、前後左右に気を付けてゆっくり歩いていた謙虚さはどこへやら。次回予告は、モンレアーレでありまーす!