3/18モンレアーレ旅行記2 王様の山で光り輝く

それでは、いざ!「行かなければ驢馬」とまで言われるモンレアーレの大聖堂に、潜入するよっ!

モンレアーレ

おおおおおっ!

モンレアーレ

おおおおおおおおおっ!

前後左右、モザイクだらけっ!それもビッシリ、すき間なしッ!しかも、大聖堂自体がデカイッ!…コレは確かに、スゴイわ…。イタリアに数あるモザイク教会の中でも、「規模」という意味では、このモンレアーレ大聖堂がナンバーワンである!

壁のモザイクは、大きく3段に分かれていて、一番上が旧約聖書の「天地創造」のストーリー、2段目がノアの方舟、イサク~ヤコブと、話が続いていく。そいで、3段目は新約聖書の、イエスのストーリーとなっている。

あー。これ、ゆっくり見ると、すっごい時間がかかるよ!でも、ゆっくり見ていくよ!モザイク大好き!

モンレアーレ

この辺は、上段がアダムとイヴの物語、下段がイサクの犠牲の物語。見て頂ければわかると思うが、まるで空間恐怖症みたいに、上段と下段の間とかにあるスペースも、ぎっしりと余白なくモザイクで飾られている。この大聖堂内に、モザイクで描かれた人物がいったい何人いることだろうか。

モンレアーレ

カインとアベル。兄カインが、神様に褒められた弟アベルを嫉妬から殺してしまうという、旧約聖書の有名なストーリー。窓から弱い光が入ってきて、モザイクの色がちょっとやわらかく見える。

この物語は、いろいろ含蓄があると思うが、神様のえこひいきヨクナイと思う。しかし、神様って、えこひいきするものなのよね。それぞれの人間が、生まれ持った運命や能力には差がある。それでも私たち人間は、与えられたものの中で、懸命に生きていくんだわさ。

モンレアーレ

こちらも、光がちょうど入ってきて画像は見にくくなってしまっているが、ノアの方舟。方舟を作っているノア一族である。ノアの方舟の神話は、海や船などが映えるので、モザイク美術の中では、結構目を惹く部分だ。

モンレアーレ

こちらはおそらく、神の裁きによって滅ぼされる街・ソドムのモザイクであろう。堕落した町ソドムは、神の業火によって焼け滅ぼされる。そのソドムの町に住んでいた、唯一信心深い心を持ったロトの家族だけは、神に、町から逃げ出すように勧告される。ノアの方舟と、結構似ている話である。ノアの方が水による制裁であるのと、こちらの話が火による制裁なのが違う部分だ。

このモザイクの、火で焼かれている町と、逃げているロト一族の中間に、彫像のように立ちすくんでいる白い女性は、おそらくロトの妻である。

神は、ロト一家に「逃げなさい。でも絶対後ろを振り返っちゃダメ」と忠告する。しかし、ロトの妻はつい、後ろを振り返ってしまい、そのまま塩の柱となってしまうのである。ちなみに、このロトの妻の塩柱だと言い伝えられているものが、死海のほとりに存在する。

「後ろを振り返っちゃダメ」のタブーは、いろいろな神話に登場する。ギリシア神話の、死の国から恋人を連れ出すオルフェウス、古事記の黄泉からイザナミを連れ出すイザナギ…。しかし、たいていの場合、そのタブーを犯してしまうのである。

振り返ることのタブーは、いったい何を意味するんだろう…と、つい考えたくなる。「過去を、捨ててきたものを、振り返るな」という、普通に現代のソングでも歌われるような、人類普遍のメッセージだと、単純に受け取ることもできる。

しかし、ワタクシは、この神話、納得できないッ!我々の人生とは、イコール我々の過去である、と思う。だって、未来はまだやって来てない。今の私を形作っているのは、過去である。未来は、ぼんやりとした形で、私たちの行く先を示し、導くものかもしれないけれど、今の私というのは、過去の積み重ねなのである。

過去に縛られて生きる生き方は、未来に向かって生きるよりも、後ろ向きで、ネガティブなものに思われる。しかし、「何もかも捨てて」未来へと向かうのは、ちょっと違うんじゃないか、と私は思うのだ。

自分が歩いてきた道が、たとえ今いる部分から後ろの部分を切り離してしまいたいような道であっても、やっぱり自分の足で歩いてきた道なのだ。自分の足跡を指さして、「身に覚えはありません」などと言うわけにはいかない。私は、人生は「振り返るべき」ものだと思う。振り返った上で、前に進むべきだ。

私は、自分が生きてきた町が、焼かれていくのを、振り返って、見ようとするロトの妻に共感する。たとえ、それが、よく聖書の戒めとして言われるように、「残してきた財産を惜しむ心」であっても、積み重ねてきた財産は、自分の人生の一部なのだ。振り返って、何が悪いか。

すごく脱線するけど、「振り返るな」のタブーは、「見るな」のタブーに近い部分もある。鶴の恩返しで、おじいさんが鶴が機を織るのをのぞいてしまうアレだ。「真実は知らない方がいいんだよ」、というメッセージ。アレも、どちらかと言うと、私は「真実を知って何が悪いか」と思う。

しかし、ここまで熱弁していて何だが、真実にせよ、過去にせよ、見ない方がいい、振り返らない方がいい、という場面も確かに存在する。人間は、何もかもを知り、過去の全てを引き受けて、そこで正しい判断ができるような、強い存在ではないのかもしれない。

いくつかの真実から目を背け、過去を忘れて、幸せに日々を送る生き方も、おそらく有り、なのだ。でも、なあ…。今の私には、この「でも」の後ろに続けるべき言葉は、まだ見つかっていない。今、考えられるのはここまでだ。

すっごい脱線した!!!モンレアーレのモザイクに戻ろうっ!

聖堂の真ん中の奥、つまり主祭壇で、一番目立っているのが、キリスト教の主役、イエス・キリストのでっかいモザイクである。

モンレアーレ

ちょっと、イエス・キリストでかすぎである。しかし、聖堂そのものがだたっ広いので、主役はこのくらいデカくなければ目立たないのだろう。

モンレアーレ

こちらは、後述する、左の有料礼拝堂から見たイエス・キリスト。正面より、こちらからの方が、モザイクに近づくことが出来る。姉は、「このイエス、エラそうでキライ。ヤな感じ」と言った。確かに、威厳たっぷりではあるが、あんまり仲良くなりたい感じはしないなあ…。

このでっかいイエスを真ん中にして、大聖堂の右側には、イエスの弟子たちのキャプテンみたいな、聖ペテロのモザイクがあった。後で有料ゾーンに入ってわかるのだが、ちょうどシンメトリーに、左側には聖パオロのモザイクだった。

モンレアーレ

聖ペテロ。相変わらず、気合入った表情の、かっちょいいシルバーである。

モンレアーレ

こちらは近くにあった、イエスに足を洗ってもらって、「上司に足を洗ってもらうなんて…」と、困っちゃってるペテロ。ヨハネ福音書に、こういうエピソードがあるらしい。ペテロの困ったような仕草がかわいらしい。

モンレアーレ

こちらは、口から悪魔のようなものが出て行っているので、マグダラのマリアの悔悛かな?

モンレアーレ

洗礼者ヨハネの、肖像のようなモザイクって珍しいなー。このモンレアーレのモザイクは、あまりにも作品が多すぎて、「聖○○○はどこだ!?」ゲームができそうだ。

モンレアーレ

ビザンチン風のきんぴかモザイクびっしりのモンレアーレ大聖堂だが、こういう、幾何学模様のノルマン風モザイクも随所に見られる。こういう部分が、北イタリアの、ビザンチン・モザイクの町ラヴェンナのモザイクとは違う雰囲気だ。ラヴェンナのモザイク教会の方が静謐で、シチリアのモザイク教会の方がエキゾチック。

大聖堂の、左奥の方の礼拝堂部分だけは有料になっている。一人2.5ユーロ。なぜ、ここだけ有料なのかわからないが、ここに入らないと近づけないモザイクもある。無料部分だけで、かなり多くのモザイクを見ることが出来るので、あまり、観光客はこの有料スポットに入っていなかったが、モザイク大好きな我々は入ってみることにした。

中に入ると、先程の聖ペテロのモザイクに対置されるように、聖パオロのモザイクがあった。

モンレアーレ

聖パオロ。ペテロに比べて、パオロは、いつもちょっと冴えないおじさんなのがカワイソウ。それ以前に、このモザイク、イエス・キリストの像の位置がおかしいだろ!聖パオロから主役の座を奪うイエスの図。

モンレアーレ

おそらく、これは、漁師だった聖ペテロが、イエスに「私の弟子にならない?」とスカウトされてる場面。パオロが主役(なはず)の礼拝堂なのに、なぜかペテロのストーリー。「魚を取る仕事より、人を取る仕事の方が楽しいよ~」みたいな誘い文句で、イエスがスカウトしたとか。

この有料ゾーンには、さらに奥の方に、バロック装飾で飾られた礼拝堂があった。もしかしたら、この礼拝堂の見学のために、見学料を取られるかのかもしれない。

モンレアーレ

どーんと、いかにもバロックという、過剰気味にも思える装飾が施された礼拝堂。

モンレアーレ

硬い素材で、布の柔らかさを上手く表現している。なかなか、美しくて見ごたえがある。

モンレアーレ

姉は、礼拝堂の奥に展示されていた、この木製の祭壇のようなものを絶賛していた。

モンレアーレ

確かに、細部などもなかなか出来が良い。

モンレアーレ

こちらはマリアの被昇天かな?左右に並んだ天使の、身体をひねったポーズがステキ。

この有料ゾーンに入らないと、近くで見れないモザイクもあるので、バロックの礼拝堂にはあまり興味ないんだけど…という方でも、モンレアーレのモザイクを見尽くすぞ!という意気込みがある場合は、ココにも入ることをオススメする。無料ゾーンよりも空いているので、ゆったり鑑賞できるのもポイント高い。

というわけで、モンレアーレ大聖堂のモザイクは、量、質ともに、スゴイっ!シチリア旅行記で、モンレアーレの大聖堂は、パレルモのパラティーナ礼拝堂より後に行った方がよい、と書いている方もいた。モンレアーレに先に行くと、パラティーナ礼拝堂はパラティーナ礼拝堂でスゴイのに、スケールを比べてしまうと、かすんでしまう、とのことだった。

パラティーナ礼拝堂の、南国趣味あふれるモザイクは、また趣が違うのだけど、確かに、モンレアーレに先に行ってしまうと、「こんだけ?」と思ってしまうかもしれないなあ。確かに、パラティーナ礼拝堂に先に入った方がよいかもしれない。

大大満足のモンレアーレ大聖堂だったのだが、これでモンレアーレが終了だと思ったら大間違い。モンレアーレの実力は、これでは済まないのだよ…。