3/19チェファル旅行記2 海辺の優しいイエス
マンドラリスカ博物館を出て、またドゥオーモの方へ戻った。こちらは、マンドラリスカ博物館のある路地から見た、ドゥオーモの鐘楼。それにしても、天気がいいね!今回のシチリア旅行で、こんなに気持ちよく晴れたのは久しぶりだ!
先程はミサ中だったので、入場を遠慮した大聖堂にまた戻ってきたよ!改めて、こんにちは、大聖堂っ!アラブ・ノルマン式の教会を、シチリアでいくつか見てきたが、ようやく、アラブ・ノルマン式の雰囲気がわかってきた。何というか、素朴で、妙にリズミカルである。音楽の旋律より、打楽器のリズムの方が似合う感じ(そんな抽象的な…)。
しかし、背後に迫っている岩山が迫力あるね。シチリアもそうなのだが、古代ギリシア文明が栄えた地中海世界は、古代ギリシア時代に木を伐採しすぎて、今でもその時の名残で、ハゲ山だらけになってしまっている、と、聞いたことがある。
自然の形態を変えてしまうほどの伐採など、そんな古い時代にできるものなのだろうか、と思うのだが、古代ギリシア時代は、とてつもなく大きな神殿や神像を作っていた時代である。環境保全の概念もなければ、本当に、山がはげる勢いで、木が伐り倒されてしまったのかもしれない。
古代ギリシアは、哲学や数学などが発達した文化を誇り、「理性的」な時代と言われる。同時代の他の地域が、まだ、アニミズムなど、自然と一体となった土着信仰を抱いている頃、古代ギリシア世界では、ソクラテスとかプラトンとかが、「人はどう生きるべきか」「世界の本質とは何か」「理想国家とは何か」などと、小難しい討論をしていたのである。
しかし、自然信仰から離れた、理性で回る社会は、自然破壊と結びつきやすいのだろう。
理性=悪、自然=善と言っているわけではない。ただ、太古の人間が、自然崇拝をしていたのは、自然を守らなければ、地球上の生き物は生きられない、という、本能からだったのではないか、と思う。理性に目覚めた人間の本能が薄れていくのは、当然のことである。よい、悪い、ではなく、おそらくそういうものなのだ。
さて。間近で見てみるチェファルの大聖堂。左右の二本の鐘楼が、本当にかわいらしい。
もっと近くに行ってみると、軽やかに並ぶアーチの装飾が、何だか気分を楽しくしてくれる。南国のリゾート地チェファルにふさわしい、陽気な外観である。
内部は、こんな感じ。まず、正面の、きんきらきんのビザンチン・モザイクが目に飛び込んでくる。木製の天井などが、モンレアーレの大聖堂や、パレルモのパラティーナ礼拝堂と似ている。ここらへんも、ノルマン建築の特徴なのかもしれない。
モンレアーレの大聖堂を見た後にチェファルの大聖堂を見ると、見劣りしてしまう、などと言う人もいる。確かに、大きな聖堂いっぱいに、所狭しと、ずらーっとキラキラしたモザイクが並んでいるモンレアーレの大聖堂に比べて、チェファルの大聖堂は、モザイクが主祭壇周辺にしかない。チェファルの大聖堂は、未完のまま終わってしまっているらしいので、そのためなのだろう。
確かに、チェファル大聖堂のモザイクは、聖堂全体を覆っていないため、モンレアーレほどの迫力はなかった。しかし、姉や私は、モンレアーレの方が筆舌しがたい感動があるのは否めないのだが、好き嫌いの話であれば、チェファルのモザイクの方が、やや好みだな、と思った。
なぜかと言うと、主祭壇のイエス・キリストの顔がさ!モンレアーレより、チェファルの方が穏やかなのだよ!
ほら!穏やかで、心落ち着く感じ!
ちなみに、こちらがモンレアーレのイエス・キリスト。何て言うか、デカすぎるせいもあるんだけど、ポーズといい、表情といい、ちょっと威圧的に感じてしまうのだ。
本当は、神の子イエスの威厳などをうまく表現できているのは、モンレアーレの方なのかもしれない。でも、信仰を持たない、異邦人の目から見てみるとさ、穏やかなイエスの方が、好感度が高いのだ。
というわけで、我々の中では、チーム全体の戦力は、断然モンレアーレの方が上なんだけど、エースピッチャーの顔が、チェファルの方が好みだよね、みたいな結果となったわけであった(何それ)。
イエスの顔だけでなく、全体として、モンレアーレのモザイクよりも、静的で、落ち着いた感じのモザイクが多い。モザイクの至近距離まで近づくことが出来なかったのが、ちょっと残念ではあった。
モンレアーレほどの迫力はないが、外観も含めて、この大聖堂のたたずまいは、なかなか気に入ったよ!アラブ・ノルマン式、いいなあ~。アラブ・ノルマン式のよさがじわじわ分かってきたところで、シチリアにまだいるうちから、またシチリアに行きたくなってしまうよ。
大聖堂を出ると、「Chiostro」という看板が、すぐ目に入った。「Chiostro(キオストロ)」とは、回廊のことである。モンレアーレで、あまりにも美しい、モザイク柱の立ち並ぶ回廊を見た我々。特に姉は感動がひとしおだったらしく、「ねえねえ、キオストロに入ろうよ!」と言い出した。
チェファルの大聖堂のキオストロが、観光の見所だとは、あまりガイドブックなどには書いていない。なので、モンレアーレほどのことはないんじゃないかなあと思ったのが、我々の旅のポリシーの一つに、「行かずに後悔するより行って後悔せよ」というのがあるので、行ってみることにした。
お値段は3ユーロ。中に入ると…
アラ、なかなか素敵。モンレアーレと同じように、二本の、細くてあまり大きくない柱が対になって、楽しげに並んでいる。ノルマン様式回廊の特徴なのだろう。
モンレアーレのように、柱にモザイク装飾はないが、柱頭に、ロマネスクっぽい彫刻がなされている。
こういう、いかにも私好みの、変なオヤジとかもいる。
そんなわけで、悪くない回廊なのであるが、正方形の形をした回廊の、正方形の二辺分は、完全に柱が欠けてしまっているのである。また、残っている柱も、装飾がきちんと残っている柱は結構少ない。つまり、おそらく美しい回廊だったのだろうが、保存状態がよくない。
…ということなので、悪くはない回廊なのだけど、わざわざお金払って見学しなくてもいいのかなあ…とは思った。逆に保存状態がよくないから、復旧のために、入場料を取っているのかもしれないけどね!
さて。このあたりで、お昼ご飯でも食べようかね。しかし、リゾート地のチェファルなので、閉まっているレストランが多く、日本で調べておいた目ぼしいレストランは、いくつか閉まっていた。レストランを探しながら、海辺の方へと近づく我々。
途中で、「中世の洗濯場」と呼ばれる場所の前を通ったので、入ってみた。
中世の洗濯場は、階段を下りて行った先にある。なかなか、静かで素敵な雰囲気。
こんなふうに、清水が沸いている。それがどうしたと言われればそれまでなのだが、リゾート地の華やかさからふっと離れて、なかなか異世界のようで面白い。だが、夏は蚊のヤツが多そうだな。
ちなみに、この中世の洗濯場に沸いている清水は、ギリシア神話のエピソードと結びついていて、ダフニスというヘルメスの息子が、恋人を裏切ったために、目をつぶされて、流した血の涙が流れているそうな。うむむ…そんな怨念の涙で洗濯をするチェファル人の気持ちやいかに。
ちなみのちなみに、チェファルの岩山は、そのダフニスという人(人?神?)の頭なんだそうな。いくらなんでも頭でかすぎるだろ!
この中世の洗濯場のあたりまでくると、海の香りが漂ってきた。ランチに入る前に、一目だけ海を見に行ってみた。チェファルと言えば海なのだ。
オフシーズンで静かな砂浜。波が静かに寄せては返し、奥には岩山(ダフニスの頭!)がそびえている。素敵な風景だ。
が、チェファルの海の実力は、こんなものじゃあないのは、何となくわかった。しかし、今は、海に一目挨拶に来ただけなので、ランチを食べてから、後からゆっくり海は堪能することにした。なので、チェファルの海との公式なご対面は、次回の旅行記だよ!コレは、ただのプロローグだよ!
ランチに入ったのは、「Locanda del Mariano」というお店。TripAdvisor (トリップアドバイザー)で、そこそこ評価の高かったお店だ。
中に入ると、カジュアルな格好をしたスタッフさんに、「うちのお店は海が見えないけど大丈夫?」と聞かれた。海は後で堪能するから、問題ない。私は基本的に、二つのことを同時にできないので、海の美しさを目で堪能しながら、胃袋で食事を楽しむことはできない気がする。
我々はお酒を飲まないので、前菜(antipasto)はいらない、と、飛ばそうとすると、なぜだか困られてしまった。何も食べずに料理を待たれることに、違和感を感じるらしい。「ブルスケッタを持ってくるので、食べてもらえませんか?」とお願いされたので、もちろん強固に突っぱねるほどの意志もないので、持ってきてもらった。
こちらが、そのブルスケッタ。わざわざ持ってくるだけあって美味しかった。ちなみに、イタリアのレストランで、前菜は、飛ばそうと思えば飛ばせるのが普通である。「どうしても前菜を頼んでほしい!」とお願いされたのは、ここが初めてであった。
海辺の町だからオーダーしたイカ墨パスタ。
海辺の町だからオーダーした本日の魚料理。
これらの料理を二人でシェアして、ミネラルウォーターを入れて、37.5ユーロ。私は味は、まあ普通かなという感じだったが、値段と、観光地チェファルということを考えると、まあまあ満足。だが、姉は味自体美味しかったと言っていた。多くのレストランが閉まってるシーズンオフには、ここに入っても悪くはない、と思う。
さて。ランチの後は、本格的にチェファルの海と対峙するぞ!ここまでも十分楽しいチェファルなのだが、真骨頂は、何とここからなのだ!