サントリーニ島旅行記2 はずれ夕日に薬膳スープ

サントリーニ島初日の午後である。

我々が宿泊しているサントリーニのイアという町は、夕日で有名だ。ギリシャに行ったことがある私の親友も、「サントリーニ島で見た夕日が忘れられない!」と絶賛していたが、おそらくイアで夕日を見たのだろう。

ホテルのオーナーに聞いてみると、2月ごろの日没は、午後6時くらいだという。そこで、6時くらいまでは、ぷらぷらとイアの町を歩いてみることにした。

お昼ごはんを食べた後、いったんホテルに戻ると、隣の部屋に日本人のお客さんが到着していた。この方たちは、本当は連泊したかったのだが、一泊しか予約が取れず、今夜一泊した後は、サントリーニ島内の他のホテルに移動するのだそうだ。

シーズンオフには、多くのホテルが休業してしまうサントリーニ島は、旅行シーズンだろうとオフシーズンだろうと、ホテルの予約がとりづらいのかもしれない。私たちが宿泊したホテルも、シーズンオフなのに、毎日満室状態であった。

この日本人のお客さんたちは姉妹だったが、お母様も連れて3人で旅行することもよくあるそうだ。もちろん我が家と同じで、お父様はお留守番…。父様、ごめんなさいっ!女ばっかりでつるんで本当にごめんなさいっ…!

しかし、日本人母娘での海外旅行って、自分たちもそうなのだが実に多く、このギリシャ・イタリア旅行中も何度か遭遇した。女同士って気楽でよいのよねえ。
さて、夕日までイアを歩き回ろう。

イアの町はそんなに大きくない。端から端まで歩いても20分くらいだろうか。シーズンオフでお店やホテルのほとんどが閉まっていてしーんとしているため、やや華やかさには欠けるが、それでも真っ白な町並みが、太陽や海の輝きに映え、さながらテーマパークのようである。

そんなイアの町の、あちこちにいるのが、犬っ!デッカイ犬っ!

サントリーニ島

この道端の左右の塊は、どちらも犬である。

この犬くんたち、みんな大きいし、みんないつも寝ている。猫はよく寝るって言われるけど、犬だって寝てばっかりだよ。

どうもこの犬くんたちは、野良犬らしく、特別首輪もリードもつけていない。大型犬がコワイ私は、最初はちょっとビクビクしたが、地元の人達がご飯をあげているようで、全然飢えてがっついていないので、全員おとなしく、コワくなかった。

これらのサントリーニ島の犬くんたちを、我々は「マイケル」と呼ぶようになった。目の前に犬が寝てたら「あ、マイケル」。ふと軒先に犬が寝てたら「あ、マイケル」。

この「マイケル」がどこから来たかというと、母が、フィギュアスケートのカナダのパトリック・チャン選手のことを間違えてマイケル・チャンと呼んだことがきっかけである。マイケル・チャンて…何だか異様にイケイケな名前に聞こえるね。だが、よく考えれば、それがきっかけとはいえ、犬をマイケルと呼ぶようになったことには、何の脈絡もナイ…。

サントリーニ島

サントリーニ島には、マイケルだけじゃなく、猫ちゃんもいるよ!画像中央、お花の向こうに寝そべる猫ちゃんが見えますか?我々一家は全員完全に猫派。200%猫派。

サントリーニ島

まさにサントリーニ島って感じの風景!青い空、青い海、白い町!空の青さが海の青さに負けているよーっ!空がんばれ!ギリシャ国旗の青と白って、やっぱりこういう風景が国のアイデンティティだってことも表しているのだろうか。

サントリーニ島

かわいらしい風車と、その向こうを行く船。この風車、今でも何らかのエネルギー源として使われてるのかなあ?

それにしても、この風車くん、何かに似てると思いません?…そう。アルベロベッロのとんがり屋根住宅のトゥルッリ!そもそもトゥルッリは、ギリシャが起源だと言われているが、確かにそうかもしれないと思わせてくれる風車くん。とか適当なこと言って、風車くんのほうがずっと後に出来た建物である可能性も大だな…。

また、崖を掘るようにして作った建物が立ち並ぶフォルムは、マテーラのサッシ街に少しだけではあるが似ている。だが、煤けた色の町を、乾いた風が吹き抜けるマテーラと比べて、真っ白な家の外壁と、輝く青い海に彩られたサントリーニ島のガケは、底抜けに明るくきらめいている。

…どちらが好きかと言われると、ネクラな私は、やっぱりマテーラの方がよいなあと思ってしまう(ネクラなのは私であって、マテーラではありませんよ!念のため!)。しかし、サントリーニ島は、このおとぎ話のような白い街並みと海だけでない魅力も持っているのだ。

サントリーニ島

それが、町並みの下、海の方までずーっと続いているカルデラである。火山島ならではの赤い地質が、青い海に非常に映えている。こんな、荒い自然風景の上に、実に人工的でおとぎ話のような町がのっかっている、このコントラストは実におもしろかった。

サントリーニ島

夕日スポットである町はずれの要塞には、既に人がスタンバッていた…ってさすがに早すぎるな。夕日待ちをしているのではなくて、おそらく今の海の風景を撮影しているのだろう。それにしても、あんな断崖で海に向かって仁王立ちだなんて、かなりイケてる。

サントリーニ島

こちらは、イアの町から見えた、島内の他の町。…町ってどこ?と思われるかもしれない。ガケの一番上が、白くなっているのが分かると思うが、これは雪とか岩肌ではなく、町の色なのだ。

いやー、こりゃおもしろい。まるで、虫歯の治療跡みたいじゃないですか?虫歯跡を金属で詰めたみたいな。人間の虫歯跡とは色が逆ではあるが。「虫歯の治療跡の風景」との異名を、私が命名してあげるよ(お断りだByサントリーニ島)。

ちなみに、両脇を虫歯の治療跡にはさまれた、ポコッとした妙ちきりんなプリンのような山がおわかりだろうか。私は、この変なプリンが気に入って、島のあちこちから見えるたびに「プリン、プリン!」と喜んでいた。後日、このプリンにかなり接近できる日がやってくるのである。

シーズンオフのサントリーニ島は、あちこちで工事をしていて、工事の音が、観光客のいない静かな町に響き渡っている。車の入れない、階段状の小道が多いサントリーニ島では、車の代わりにロバが工事用のさまざまな備品を運んでいるのに遭遇した。

ロバ

しかし、このロバくんたち、だいたいどこでも、工事のおじさんたちに厳しいゲキを飛ばされているのだ。ギリシャ語は、時々怒っているように聞こえることがあるので、怒られているとは限らないのだろうけど、言葉のわからない我々からすると、ロバたちはいっつもいっつも叱られているように見えた。ロバくん…ファイト!(私がサントリーニ島のロバにやさしい声をかけているのは、サントリーニ島滞在前半だけである…)

サントリーニ島

きらめく海をバックにした、おもちゃのようなかわいらしい教会。小さな十字架がついているので、教会であることがわかる。サントリーニ島には、小さな教会が非常に多く、母と姉は「教会が多すぎる。本当に教会なんだろうか」と、なぜだか疑っていた。たくさん教会があったって、サントリーニ島の勝手だよ。

サントリーニ島

海を大きめの船が横切って行った。普通に島に住んでいる人から見れば、何でもない風景が、観光客にとってはカメラを向けたくなる風景なのである。

それにしても、サントリーニ島は、三日月型をしていて、弧の内側に、火山の噴火でできたカルデラ湾があるのだが、この湾が、実に波がなくて大人しい。風が強い日は船が止まることもあるらしいのだが、そんなことはみじんも感じさせない大人しさで、まるで巨大な湖のようだった。

サントリーニ島

さて、そうこうしているうちに、少しずつ日が傾いてきた。サントリーニ島イアで見られる夕日は世界一だなんて言われることもある。私は、夕日なんて、どこでもキレイだよと思っていたが、確かに、白い町に夕日の色は映える。イアの町が、島の端っこで、夕日を遮るものが何もないから、夕日の光が町をよく照らすのだろう。

夕日の時間が近づくと、おそらくサントリーニ島にいる観光客のほとんどが、夕日スポットの要塞に向けて歩き始める。まるで動く歩道が稼働しているみたいだ。我々もその流れに乗って、要塞まで歩いた。

さて、世界一の夕日、どんと来いっ!

サントリーニ島

…うーーーん、キレイだけどこんなもの?海と夕日の組み合わせって、どこで見てもこんなだと思うんだけど。南国育ちの私は、島とか海には小さいころから慣れっこのため、めったな島や海では感動しない傾向があるにしても。

海と夕日の組み合わせであれば、だいたいどこで見ても同じようなはずだから、サントリーニ島に特殊さがあるとしたら、おそらく白い町を夕日が照らしている色の美しさなのだろう。そう思って、町の方に目をやってみると…

サントリーニ島

薄暗くなっているだけで、全然夕日に照らされてないし!

「…えー…こんなものかあ…」を連発する私に、姉と母は、「結構きれいじゃん。それに、こんなに雲が多いから、全くもってベストコンディションじゃないんだよ」と言う。そっかあ。快晴の日とかだったら、もっときれいなのかなあ?

サントリーニ島

そうこう言っているうちに、どんどん雲は増えてきてしまった。ていうか、地平線にばっかり特別雲が集まっているのは、いったいどういう嫌がらせなのだろうか。

サントリーニ島

そして、ついに夕日くんは、しょうゆをかけられた卵かけごはんの黄身みたいな、憐れな姿になってしまった。本日の夕日は、天候不良のため、これにて終了となりました。いいんだよ、そういうこともあろうかと、サントリーニ島には3泊するんだから。3泊のうち1日くらいは、天気もよくなるだろうさ。

ホテルに帰る途中にある、レストラン「LOTZA」で夕ごはんを食べて帰ることにした。…て、今日のランチもそこで食べてませんでしたか?…シーズンオフのサントリーニ島イアに、選択肢がたくさんあると思ったら大間違いだよ。美味しかったからいいんだよ。

サントリーニ島

オーダーしたスープもめっちゃ美味しかったんだからね!いや、本当にこのスープは美味しかった。いろんなハーブやエキスが入っていて、まるで薬膳スープのようで、身体の芯まで栄養が行きわたるような感じがした。夕日よりこのスープの方が心に残っているよ!

ちなみに、このレストランで、近くに座っていたシンガポール人の男女に、写真撮影を頼まれた。非常に感じの良かったこのシンガポール人グループとは、今後、サントリーニ島で、何度も何度も何度も邂逅を果たすことになるのだ。

サントリーニ島

レストランからホテルに帰る途中で、撮影した教会がめちゃくちゃブレた。私が写真撮影がヘタクソなのは、もはや常識である。このブログでは、私が撮影した写真と姉が撮影した写真が入り混じっているが、上手なのは姉撮影、下手なものは私撮影だと判断して頂ければ、ほぼ間違いない。

しかし、この写真、偶然の産物とはいえ、何だか現代アート的な、ミステリアスな雰囲気が漂っていると思いませんか?そのミステリアスさをこのブログを読んでくださっている方にもお見せしたくて、掲載した次第である(アンタ自分の写真のヘタクソさを世に知らしめてるだけだよ…)。

さて、サントリーニ島のホテルの初日の夜。ギリシャのホテルは、他のヨーロッパのホテルと比べて、機能面が頼りない、とよく言われる。その代表例がトイレで、トイレットペーパーを、便器内に流すことができない。トイレ備え付けのダストボックスに捨てなければならないのである。

バックパッカーの旅などをなさっている方は、「それがどうした!世界にはもっともっと手強いトイレが無数にあるんだぞ!」と叱咤したくなるかもしれないが、どうにも私はこういうことに(だけ)繊細で、このトイレがストレスだった。

どうも下水管が細いのが問題のようで、ホテルの質とは関係なく、紙を流すことはできないのだそうだ。トイレに紙を捨てちゃダメの表示がなくても、実際に流すとトイレが詰まってしまうことがあったので、ギリシャに行かれる方は、トイレに表示がない場合は、スタッフに確認することをおすすめする。

また、シャワーのお湯は、母が浴びている途中で、熱いお湯が出なくなった。イタリアも、南部とかでカジュアルなホテルに宿泊するとこういうことはあるのだが、サントリーニ島のホテルは、ラグジュアリーとまではいかなくても、ギリシャ初心だから、と謙虚に、まあまあ高額なホテルにしたのだ(1泊3人で180ユーロくらい)。そんなホテルでお湯が出なくなるなんて、貧乏人の私は憤慨したかった。

…だが、実際には憤慨しなかった。というか憤慨する余裕がなかった。何と、母が「お湯が出ない!」と姉に訴えている間、私は、「目の中に入れてたはずの使い捨てコンタクトがない!」という騒ぎを引き起こしていたのである。最初は、目の裏の方にずれてしまったのだと思い、鏡を見ながら、くまなくコンタクトを探した。

それでも全く持って見つからず、姉にも目の中をのぞいてもらったのだが、どこにもナイと言う。…んなバカな!コンタクトが目の裏側に入り込んでしまったというのか!日本でも一度も起きたことがないことが、このお初のギリシャの地で!…日常で滅多に起こらないことが、えてして旅行中は起きてしまうものなのである。

コンタクトはどうしても見つからず、最悪、明日、ホテルオーナーに相談して、どこか眼科に行って、取ってもらうしかあるまい(サントリーニ島に眼医者がいればの話)。

こんな時のために旅行保険に入っているのさ!と、自分を無理に励ましながら(実際はすごくナーバスになっていた)、損保ジャパンの冊子を読んで、海外旅行中の医者のかかり方について学んだ。「コンタクトが目の中に入って出てきません」という英語も一生懸命考えたが、思いつかなかった。目を指さしながら、「コンタクトがー!コンタクトがー!」と悲痛に訴えたら通じるだろうか…?

しかし、ふっと思った。「もしかして、目の中に入ってるんじゃなくて、どこかで落としただけでは…?」。今使っているコンタクトは、イマイチ目に合わなくて(そんなコンタクトで海外に行ってはいけませんよ!)、乾燥して目から落ちてしまったことが、そう言えば日本でもあったな…。

とにもかくにもコンタクトは見つからないので、病院に行くにしても、今日はもう眠るしかあるまい。元保健婦だった母は「コンタクトが目に入ったくらいで失明はしないよ」と慰めてくれた。「たぶん今日は私は一睡もしないよ…」と、落ち込みながらベッドにもぐりこんだ私だが、姉の証言によれば、布団に入って数秒後には、もうのん気に寝息を立てていたらしい…。

そんなふうにギリシャ初めての夜は、初心者らしく、あたふたしながら過ぎて行ったのだった。