サントリーニ島旅行記4 猿とバンビ、ムサカはウマイ
アクロティリからバスでフィラの町に帰ってきた。
お腹がすいているのだけれど、新先史期博物館という博物館が、3時には閉まってしまうので、腹ペコなのはグッとがまんして、先に博物館に入ることにした。
この新先史期博物館には、今行って来たばかりのアクロティリ遺跡から出土したものが、多く展示されている。同じ日に訪問した方が、興味を持って見学することができるだろう。
地図で見ると、博物館はバスターミナルからすぐ近くである。地球の歩き方の地図では、バスターミナルからそのまま真っ直ぐ行った場所にあるように思ってしまうのだが、真っ直ぐ行っても博物館らしき建物は見当たらない。
うろうろしていると、地元の若者が、「ミュージアムはそこを曲がったところですよ」と教えてくれた。バスターミナルから、坂道を上って最初に見える交差点を、右折した所に入口があるようだ。私たちの後ろから、アクロティリ遺跡でも一緒だったフランス人家族が歩いてきていて、博物館を探している風だったので、場所を教えてあげた。
博物館は3ユーロと安く、館内もこぢんまりとしている。それほど見学に時間もかからなそうなので、ランチより先にこちらに来て正解だったようだ。
こちらが新先史期博物館の外観。
私は考古学的な展示物はちんぷんかんぷんであることが多いのだが、この博物館の展示物は、先にアクロティリ遺跡を見てきたためか、予想以上に楽しむことができた。
こちらは、説明書きには「firedogs」とあったが、魚の網焼きみたいなヤツかなあ?不必要な飾りとして、動物の形をしているのがおもしろい。アクロティリから出土したものなのだが、もうこの時代には、こういう遊び心が人間にはあったということなのだろう。アトランティス大陸だねえ(意味不明)。
このツボには、ツバメが描かれている。ギリシャで見る古代の陶器などには、よくツバメが描かれている。ギリシャ人はツバメが好きなんだと思われる。
このツボは…薩摩藩のシンボルである「マルに十の字」がいっぱい描かれているよ!(注:私は鹿児島出身です)。鹿児島人と古代ギリシャがこんなところでつながっていたとは…!だから、アテネの空港は鹿児島空港と似ているんだね!
ものすごく目つきの悪いイルカ。よく、ポリス以前の先史時代のエーゲ海の文化は、「華やかな海洋文化」とか言われるけど、これって華やかかなあ。ガラが悪いだけじゃ…。
こちらは、アクロティリ遺跡の「レディの家」とか言われる家から見つかった女性の絵。というか、この女性の絵が見つかったから「レディの家」と呼んでいるらしい。この女性、なかなかの美人さんである。ちょっと拡大してみましょうか。
ホラ、なかなか美人さんでしょう?凛としたまなざしが良いね!
こちらの女性は………うん、ちょっと胸がね、大きすぎますよね。大きいんじゃなくて大きすぎるんですよね。こちらの画像も拡大して欲しいって?申し訳ありませんけどね、ウチはね、そういう系のブログではありませんからね、このへんで勘弁してくださいませね。
巨〇女性のことは忘れて頂きましてですね、この清らかな花々の絵をドウゾ~。いや~清らか。
出口近くに展示されていた絵。これは…バンビ君かな?それにしても白いバンビ君?無垢な感じの表情がカワイイ。(まあやさぐれたバンビを描くこともないだろうが。)
こちらは非常に有名な猿の絵。画面左側で、正面を見ている猿の仕草がコミカルでいい感じ。バザールでゴザールって感じだ(何と貧弱な私のボキャブラリー…)。
こちらはこの博物館の至宝である、ちっちゃいちっちゃい金細工。めっさちっちゃくて、私は「それがどうした…」と思ったのだが、姉や母は、「かわいい!かわいい!」と写真を撮っていた。かわいいかなあ?
この「それがどうした」感は、何かデジャヴだな、と思ったが、記憶をたどると、中学生の時、修学旅行で福岡に行って、金印を見た時の「それがどうした」感とうりふたごだった。
ちなみに、この金細工くんが、この博物館の目玉であるのは、やはり金でできているからなのだろう。人類は、大昔から光る鉱物を価値あるものとして崇め、それは、良質なジュエリーが高額で売られたり、パワーストーンが重宝されたりする現在にまで続いている。
なぜ多くの人間は、光る鉱物がこんなに好きなのだろうか…?というのも私は、光る鉱物…ぶっちゃけ宝石というものの価値が、全然理解できない人間なのである。
ただ、太古の昔から洋の東西を問わず、光る金属は人々を惹きつけてきたのだから、おそらく人間の本能のどこかに、それを崇める傾向というものがあるのだろう。それは、やっぱり「光っているもの」に対する、畏怖の念のようなものではないか。
ダンテの「神曲」でも、天国は光あふれる世界として描かれるが、人間にとって光とは、尊いものであり、生命の根幹を支えるものだと捉えられるのだろう。光の持つそんなイメージっていうのは、やっぱり根源的には太陽から来ているんだろうな。
ええと、太陽が出てきたところで、これ以上思考がどこにも行きつかないので、光る鉱物の話終わり。
新先史期博物館もそろそろお開きとなり、外に出ると、一緒に入ったフランス人家族も、博物館に要する時間が我々とほぼ同じだったらしく、ちょうど一緒に出てきた。アクロティリ遺跡からずーっと一緒だったので、特にパパは我々に親しみを持ってくれたようで、手を振って別れた。
さて。フィラで遅いお昼ご飯でも食べようかね。
姉が、いくつか評判のよいレストランを調べていたのだが、その中で「ナウサ(naoussa)」というレストランが近かったので、このナウサに行くことにした。
地図を見ながらナウサに向かって坂を上って行くと、前方に、さっき別れたばかりのフランス人家族が…。この家族もナウサを目指してるんじゃ…。べ、別に我々は後ろからつけているわけじゃないよ!偶然同じ方向に歩いているだけなんだからね!
フランス人家族は、予想通りナウサとおぼしきレストランで立ち止まって、メニューを見ていた。そこに我々が追い付くと、メニューは出ているのだが、どうもお店の中は営業している感じがない。フランス人家族は、閉まっているみたい、という笑みを浮かべて、「バイバイ」と去って行った。
えー、せっかく来たのに、閉まってるのかあーと、ダメ元でドアを押してみると、ドアは開いていた。中をのぞいてみると、どうも調理場から料理しているみたいな音が聞こえる…。
ダメ元で入ってみると、何と、道路から見えている階はテーブルを用意していないが、下の階に下ると、サントリーニ島特有のガケのパノラマが広がり、その階はちゃんと営業していて、一人だけどお客さんもいるよ!ナウサはちゃんと営業していたのだ!
フランス人家族を追いかけて、「下の階は開いているよー!」と教えてあげたい気持ちもヤマヤマだったのだが、さすがにそこまでするのもな…と思い、自重した。
ゴキゲンそうな中年の女性がテーブルに案内してくれた。このお店は、とにかく名物ギリシャの「ムサカ」と、海鮮料理が美味しいそうなので、とりあえずムサカと、お魚をオーダーした。
こちらがナウサから見える風景。サントリーニ島のレストランは、こんな風に景色自慢のレストランが多い。ちなみに、画像左のぽこっとした山、通称プリンが見えてるよ。
ナウサでも、午前中に、レッドビーチに行く途中で聞いた、あの日本人の感覚からすると古くさく感じる、哀愁漂う歌謡曲のような音楽が流れていた。海と空のリゾート地って感じの音楽ではなく、温泉保養地って感じの音楽である。
こちらがナウサ名物のムサカ。ナス、ジャガイモ、お肉などの重ね焼きである。昨日イアのLOTZAで食べたムサカとは、ずいぶん見た目が違う。味もこちらの方がやや濃い感じはしたが、美味しかった!ていうか、ムサカ本当に美味しい。
こちらはシーバスのハーブ焼き。ぶっちゃけ、焼き魚っ!レモンが添えられている。焼き魚に限らず、ギリシャ料理は、レモンが添えられることが多い。お味は…ぶっちゃけ焼き魚とレモンの味がした。母と姉は美味しい美味しいって食べてたよ!
他にこのお店ではグリークサラダもオーダーしたが、ここのグリークサラダは、ピクルス類の味が濃くて、薄味大好きな我々家族にはやや不評であった。
結構お腹一杯になったので、デザートはオーダーしなかったのだが、最後にサービスで振る舞われた。このデザートサービス、我々より先に入店していた、地元の人っぽいお客さんは断っていたのだが、確かに微妙な味だった。何か粉っぽい甘いスポンジが、シロップ漬けされたみたいな…。
ギリシャの伝統的なお菓子は、あまり日本人の口には合わないという情報は、旅行前からゲットしていたのだが、うーん、残念ながらそうかもしれないなあ。お菓子大好きな私には、悲しい事実である。
ちなみにこの「ナウサ」というお店、サラダ、ムサカ、お魚を一皿ずつオーダーしてみんなでシェアして食べて、お水代、テーブル代合わせて35.7ユーロでお腹いっぱいになった。ギリシャはヨーロッパでも物価が安いとよく言われるが、確かに外食代はなかなかリーズナブルである。一皿が大きいので、特に女性はオーダーのしすぎに注意である。
さて、満腹、満腹。じゃ、イアに帰るか、てとこなのだが、フィラからイアへ帰るバスがたくさんいると思ったら大間違いである。次のバスは4時半。バスの時間まで1時間以上あるので、その空き時間を利用して、ちょいとフィラの街並みを歩いてみよう(次回へ続く)。