メテオラ旅行記6 おそらく人はそれを謙虚とは呼ばない

メテオラ2日目は、しとしととした雨が降り続いていた。

本日開いている修道院の中で、まだ足を運んでいない修道院はアギオス・ニコラオス修道院だけで、その訪問が終わった。

メテオラの空中修道院は、内部観賞よりも、どちらかというと、外部からそのすさまじい立地を眺める方が圧巻である。そんなわけで、修道院は開いてはいないけれど、メテオラの景色を楽しむために、もう少し上まで歩いてみることにした。

私は歩くの大好きなので、メテオラの修道院も歩き倒すつもりだったのだが、あいにくの雨である。しかも、3日前くらいから、ちょっと軽めの風邪をひいている。

この体調と、天候から考えると、ここでホテルに戻るべきだった。だが、「本当はメテオラ中歩き回りたいけど、風邪を引いている自分は謙虚だから、ルサヌ修道院の手前くらいまででやめておこう」と、ルサヌ修道院まで上って、謙虚にそこから引き返すことにしたのである。

アギオス・ニコラオス修道院からルサヌ修道院までは、上り坂を歩いて20~30分くらいとのこと。言い訳をしておくと、アギオス・ニコラオス修道院から歩き始めたときは、まだ雨は弱かったのだ。

しかし、上って行くうちに、少しずつ雨足は強くなってきた。とは言っても、土砂降りということはないし、梅雨時のしとしととした、やむ気配のない雨に近い感じだった。このくらいなら歩けるだろう。

だが、あくまで謙虚な私は「風邪を引いてるから、傘もさすけど、念のためにレインポンチョも着よう」と考えたわけである。

メテオラの滞在中が、あまり天気がよくないのではということは、日本を出発する前に、週間天気予報などで予想を立てていた。そのため、対メテオラ対策として、今回は用意がよいことに、レインポンチョを持参していたのである。せっかく持ってきたのだから、使えてヨカッタ!くらいに前向きに考えた。

レインポンチョを着た上に、傘もさして歩くくらい、私は謙虚だったはずなのだ。

メテオラ

…しかし、大変遺憾なことに、ここに一枚の写真が残っている。姉が後ろから、ポンチョで防備した私を撮影した写真だが、この浮かれた風情の観光客には、謙虚のカケラも感じられない。折りたたみ傘は、ポーズを取るために閉じているし。これはいただけない。この後私の風邪が悪くなったのも、むべなるかな、である。

さて、レインポンチョを着て、傘を差して、トコトコとメテオラの坂道を上っていく姉と私。昨日はタクシーで通った道だ。私は、メテオラ歩きは、ハイキングのようなものになるのかと思っていたが、車道を歩いて行くため、足場は悪くない。

傘をさしているため、見えにくくはあったが、奇岩に挟まれた道を、自分の足で歩きながら風景を楽しむのは、やはりタクシーでピューッと通るより、メテオラという風景の中にいることを強く実感できた。

歩きやすい車道だとは言え、メテオラ全体を歩き尽くすのは、確かに大変である。しかし、やはり歩かなければ見えない風景もある。メテオラ旅行は、タクシーと徒歩を上手く組み合わせるのがいいんだろうなーと思った。

メテオラ ルサヌ修道院

だんだんと、ルサヌ修道院が近づいてきた。断崖の先に、何かを訴えかけているみたいにそびえている修道院である。

メテオラ

左手の方には、昨日タクシーで行ったヴァルラーム修道院が見えている。ヴァルラーム修道院は、大きな岩の上にしっかり堂々と乗っかっている感じで、ルサヌ修道院のような危なっかしさは感じない。

メテオラ アギオス・ニコラオス修道院

振り返ると、つい先ほどまで我々がいた、アギオス・ニコラオス修道院…もとい地味子さんが、遠ざかっていく。私は、岩の途中に立っている地味子さんの風景好きだけどなー。やっぱり高さがないから地味なのかな。

メテオラ ルサヌ修道院

30分ちかくだらだらと上ると、ルサヌ修道院がかなり近づいてきた。歩いて上ると、いろんな角度から修道院を眺めることができるのも魅力である。

しかし、この辺りから、私はあることを気にし始めていた。雨はそれほどは強くない。レインポンチョを着た上に、傘もさしているので、上半身はほとんど濡れていない。

だが、歩けば歩くほど、雨がじわじわと靴の中に侵入してきて、靴下が濡れ始めていたのである。濡れた靴下が好きな人など誰もいないと思うが、問題は、私が風邪を引いていることである。風邪引きが濡れた靴下を履き続けるのは、風邪ウィルスに塩を送っているようなものではないか。

あー、替えの靴下持ってくれば良かったなー。やや靴下に気を取られているうちに、ルサヌ修道院の真下(修道院に上る階段の入り口)に着いた。今日は、ここがゴールである。

ルサヌ修道院の真下からは、ルサヌ修道院の姿はあまり見えない。そこに、我々と同じように雨の中歩いている、欧米系の旅行者の女の子がやって来て、「ハロー!あいにくの天気ね!」と話しかけてきた。

ニュージーランドから来たという彼女に聞いてみると、やはりタイムテーブル通り、ルサヌ修道院は閉まっているらしい。そこで、ここからは来た道を戻って下ることにした。

それにしても、欧米系の旅行者のファッションは、スポーティなことが多い。私もこれほど歩く旅行をするなら、もう少しスポーツテイストの服装をした方がよいのかもしれない。が、問題は、自分にはスポーティな格好は似合わないことである。

ルサヌ修道院の真下は、ルサヌ修道院自体は見えないけど、ちょっとした駐車場やパノラマスポットがあり、観光客が一息つく場所になっている。

メテオラの猫ちゃん

すると、この子たちが必ずいるのである!メテオラの猫ちゃんは、ご飯をもらうために、メテオラで人が集まるスポットを熟知していて、必ずそこで待機している。

しかし、雨が降っているからなのか、ただただ眠いのか、なぜこの猫ちゃんトリオは、一様に皆、目をつぶって、同じ表情をしているのであろうか。メテオラの猫ちゃんたちは、皆、穏やかで、中肉中背である。地元の人たちや観光客にかわいがられて、ストレスフリーな生活を送っているのだろう。

ルサヌ修道院から、来た道をまた下っていく。下る時には、奇岩が織りなす風景が、上る時とはまた違う風に見えるのが、メテオラの魅力だ。

メテオラ

ぽんぽんのような実が成っている木の向こうに、荒々しい巨岩がそびえている。このぽんぽんも、今日は雨に降られて、実に雨のしずくがぶら下がって重たそうだ。

メテオラ

それにしても、メテオラの奇岩は、本当になぜこんな変わった形をした岩が、こんなにたくさんそびえ立っているのか不思議だ。この「不思議さ」というものが、人々の想像をかき立てて、神話を作り上げていくんだろうなあ。

私は時々、世界の神話が成立した後の世界に生まれた我々と、神話が存在せずに、神話の作り手となった時代の人間の、世界の見方の違いについて考えてしまう。神話を作る人々にとって、世界は想像力をかき立てる存在だが、神話をただ享受する人々にとっては、世界はある意味、ストーリーを押しつけてくる存在だ。

「押しつけられたストーリー」を生きる私たちを、時に、そのストーリーが押しつぶそうとする。私たちは、そこから脱出する道を見つけなければならない、おそらくそんな時代を生きているのだろう。

メテオラ

下り坂の先に、小さく小さくアギオス・ニコラオス修道院…地味子さんが見えている。悪天候のおかげで、霧がかって幻想的だ。雨のメテオラも、また良し。

だが、本当は、やっぱり天気は良い方がいい。雨の中歩き回った私の靴下は濡れそぼり、風邪引きの私は、足元から徐々に徐々に冷え始めていたのだ。