メテオラ旅行記9 メガロ・メテオロン修道院は本当にメガだった

2017年3月7日
メガロ・メテオロン修道院

メテオラの修道院巡りも最終回となった。

最後の最後に訪問するのは、メガロ・メテオロン修道院。「メガロ」とは、ギリシャ語で「大きい」を意味する言葉だ。日本語でも「メガサイズ」などというカタカナ語になっている、あの「メガ」である。

要するに、メガロ・メテオロン修道院は非常に大きい。メテオラの総本山のような修道院だ。真打ちを最後に訪問することになったのは、全くの偶然だが、よい旅程になったと思う。

ルサヌ修道院からメガロ・メテオロン修道院までは、チャーターしたタクシーでそのまま移動する。本当は、こういう道のりを歩きたかったんだよなあ。しかし、本格的に引いてしまった風邪のせいで、トレッキングできる体力はない。

歩けば確実に30分以上はかかるだろう道のりを、タクシーはすーっと数分でつないでいく。文明の利器だ。そういえば最近のニュースで、将来的には旅客用ロケットが開発されて、日本とニューヨークが30分くらいで結ばれる未来が語られていた。

こうして「空間の距離」が「時間の長さ」によって語られ、その「時間の長さ」が短くなっていくことで、「空間の距離」の物理的大きさは変わらなくても、心理的には近く感じるようになっていく。

私は、文明の発展をけしからんと考える思想の持ち主ではないけれど、この「時間の短縮」に関しては、どこか考えさせられることがある。

もちろん移動に時間がかからないのは、それに越したことはないし、それが必要な場面もあるだろう。だが、「それなりの距離を移動した実感」を失った空間世界では、我々が失う空間感覚のようなものがあるのではないか。

そして、旅という場面においては、「それなりの距離を移動した実感」は、私にとっては必要なものだと思っている。いったい自分はどこから出発して、どれだけの距離を移動してきたのか、そして移動した先に何があるのか。

そんなことを噛みしめながら旅をしたいなら、本当は船旅が一番なのだろう。しかし、人生は短くて、船で旅をする時間的・経済的余裕など私にはない。理想と現実の間に折り合いをつけていくのが、それが人生というものなのだ(何だかJPOPみたいになってきた)。

さて。メガロ・メテオロン修道院。

メガロ・メテオロン修道院

でかっ!

メガロ・メテオロン修道院は、デッカイ岩の上に作られた修道院だ。メガロ・メテオロン修道院が根を下ろしている岩の、対岸に道路があり、そこまでは車で行くことができる。

しかし、この車道からメガロ・メテオロン修道院側の岩に渡るためには、長い長い階段を上ったり下ったりしなければならない。修道院はすく目の前にあるのだが、ここからが時間がかかるのだ。

メテオラの空中修道院は、修道院に行き着くまでの道を、いくつかタイプ分けすることができる

A. 対岸の岩まで長々と歩くタイプ→メガロ・メテオロン修道院、アギア・トリアダ修道院

B. 修道院のふもとから、延々と上へ上って行くタイプ→ヴァルラーム修道院、ルサヌ修道院、アギオス・ニコラオス修道院

C. 対岸の車道からすぐ楽勝で行けるタイプ→アギオス・ステファノス修道院

歩く道のりの大変さはA>B>Cである。BとCの間には、大変に大きな壁がある。

メガロ・メテオロン修道院

修道院というよりは、何か城塞のような雰囲気がある。少しだけ、天空の城ラピュタを思わせる外観だ。そういえば、ラピュタも、実は軍事要塞なんだよね(という解釈であってますよね?)。

メガロ・メテオロン修道院へ続く途中の道には、人なつこい猫ちゃんが何匹かいた。若い猫で、しかもみんな顔が似ているので、おそらく兄弟ではないかと思われる。猫ちゃんたちに追い越されたり、途中で追いついたりしながら、修道院への階段を上り下りした。

5分ほど歩くと、修道院がだいぶ近づいてきた。いかにも堅牢な雰囲気で、やっぱり要塞に見えるなあ。

メガロ・メテオロン修道院

入り口は雰囲気たっぷりだ。おじゃまします!

メガロ・メテオロン修道院

対岸の岩にたどりついてからも、こうやって岩肌にへばりついている階段を上って行く。上っているときは特に何とも思わないけど、こうやって外から見ると、結構スゴイところを歩くんだなあと感じる。

メガロ・メテオロン修道院内も、他のメテオラの修道院と同じように、写真撮影は禁止であった。しかし、それにしても広い!大きい!確かにメガロ!

修道院というより要塞に見えたけど、中まで入ると、もはや要塞でもなくひとつの町のような大きさだ。ひとつの町、というより、離れた岩の上にあるせいか、なぜだかひとつの宇宙船のようにも感じてしまう。

修道院内には大きな教会があり、他のメテオラの修道院にも描かれている絵とよく似た、青っぽい色が目立つフレスコ画で埋め尽くされていた。小さな子どもを二人連れたファミリーの観光客がいて、子どもたちが教会内で騒ぐのを四苦八苦して抑えていたが、子どもたちの声が静かな教会内に響き渡るのが、かえってこの修道院の静寂さを際立たせていた。

教会があり、中庭があり、お土産屋さんがあり、また、かつて修道士たちが生活に使用していた道具を展示している部屋もあった。また、ギリシャの独立戦争の頃の写真や軍服を飾っている展示スペースもあった。

メガロ・メテオロン修道院は、とにかく大きい。他のメテオラの修道院とは、全然規模が違う。ひとつの町を散策しているような楽しみがある。

メガロ・メテオロン修道院の猫

メガロ・メテオロンの中庭で座って休憩していると、どこからともなく猫ちゃんがやってきて隣に座る。メテオラの猫ちゃんたちは、本当に人間好きだ。私が小さい頃は、猫って人間に寄ってこないもの、まさしく「猫なんか呼んでも来ない」だった気がするのだが、ここ数年で、人間の猫好きだけでなく、猫の人間好きもまことに進化したと思う。

あと、最近の猫ちゃんは、昔の猫に比べて、車を警戒できる子が多いとも思う。昔の猫は、道路を渡るときに車が来るかどうかを見ないで、パッと飛び出してきて轢かれてしまう場面を見るものだったけど、最近の猫ちゃんは、道路の横断も上手である。

人間社会も変わっていくけど、猫社会も変わっていく。「車」というある種の外敵に、適応しているだけなのか、はたまた猫社会の社会問題として「車対策」が取られているのか。後者の説は荒唐無稽と思われるかもしれないが、私は、言語を使わないコミュニケーションは、人間が思っている以上に他の動物たちは緻密に行っているのではないかと考えている。

私の猫論終わり。

今日は体調が悪かったため、観光はお休みしようかと思っていたが、最初に訪問したルサヌ修道院はメテオラで一番かわいらしい修道院で気に入ったし、このメガロ・メテオロン修道院は、中を歩き回るのが非常に楽しい。メテオラの6つの空中修道院で、今日足を運んだ2つが特に良かったので、本当にタクシーででも足を運んでヨカッタ!

メテオラの6つの修道院は、どれもこれも似ているので、アテネからの日帰りで、そのうちのいくつかを訪問すればじゅうぶんだと言う意見もあるが、私は6つともそれぞれ違って面白かった。

時間がある方は、6つの修道院をゆっくりと歩いて回ることをおすすめする。6つの修道院のそれぞれの違いは、内部よりも、外観だと思う。歩いて回ることで、いろんな角度から修道院の外観を楽しむことができる。

メテオラ

メガロ・メテオロン修道院の前には駐車場があり、ちょっとしたパノラマスポットになっている。目の前に見えている岩の上の修道院は、ヴァルラーム修道院。

私はずっと、メテオラの修道院on岩の上の風景が、何かに似ていると感じていたが、ようやくわかった。エリンギである。

エリンギという結論にめでたく達したところで、メテオラの6つの修道院巡りは、当初の予定が変わってタクシー使いにはなってしまったが、大団円を迎えたのであった。