アテネ旅行記5 勝利へと足を踏み出して
古代アゴラから出ると、結構すぐそこには「ローマン・アゴラ」なる遺跡がある。
ローマン・アゴラ…。アテネなのにローマン・アゴラ…。たった今古代アゴラを出てきたばかりなのに、ローマン・アゴラ…。
世界史ちんぷんかんぷんの私の頭には、はてなマークばかりが浮かんでいるが、ローマン・アゴラとは、アテネがローマの支配を受けるようになってから、作られたアゴラだそうだ。
ローマの支配を受けるようになってから…アゴラ?ローマの支配下だったら、作られるのはアゴラではなくて、フォロ(フォロ・ロマーノの「フォロ」)なんじゃないの?…とまあいろいろ考えてしまうが、ギリシャにおける「アゴラ」と、古代ローマにおける「フォロ(ラテン語だとフォルムかな?)」の役割は、ほとんど同じなのだそうだ。
おまけにアテネは、ローマから自治を許されていたようなので、ローマ時代でも、自分たちになじみ深いアゴラを作ることができたのだろう。しかし、もともと古代アゴラがあるのに、どうして新しいアゴラが必要だったんだろうねえ?
…と、なかなか私の中に、すっと入ってこないローマン・アゴラ。あいにく本日は、15時くらいで閉場してしまったために、中に入ることはできないが、外から結構見えるので、時間が足りない時は、無理して入場しなくてよいかなーと言う感じである。
外から見えている建物で、一番印象的なのが「風の神の塔」。
これね、なかなか素敵なものですよ!八角形の建物なのだが、八つの面には、それぞれ北、北東、東、東南…のように、八つの方角を司る神様が彫られている。今は無いが、もともとは屋根のてっぺんに風見鶏のようなものがあり、風が吹くと、その風見鶏が動いて、今、どの方角から風が吹いているのか、該当する神を指していた、というのである。いやー、素敵っ!
そもそも風の神ってのは、神様の中でも、軽やかで、ふんわりとしたイメージで、魅力的である。翼があって、淡い色の髪の毛を風になびかせている、美しい神様っていうイメージ。
…なのだが。
よくよく見ると、この風の神の塔の風神は、翼はあるけど、ひげむじゃらのオッサン。…まっ、そーだよな。日本で有名な、あの「風神・雷神図」だって、風神は何か、くわっとした感じのオヤジだもんなー。
ギリシャ神話の風神と言うと、私が知っているのは、西風ゼピュロス。というか、ボッティチェリファンにはおなじみなのが、ゼピュロスなのだ。「春」の中で、画面右から、ニンフに襲い掛かっている、緑色のちょっとコワイ男性がゼピュロスだし、「ヴィーナスの誕生」の中で、画面左から、ヴィーナスにぴゅーぴゅー息を吹きかけている、眉の太い男性もゼピュロスだ。
で、せっかくだからゼピュロスを見ておこうと、ぐるっとローマン・アゴラの周りを回り、反対側の通りから見てみた。
こちらさんが、西風ゼピュロスさん。何か前髪切り揃えちゃってる?それとも保存状態がよくないのかな?
ローマン・アゴラの周りには、猫ちゃんがたくさんいた。ギリシャでもイタリアでも、遺跡の周辺には、本当に猫ちゃんが多い。
猫だけでなく、仮装した子供たちもたくさんいて、お互いに、頭から紙ふぶきをかけ合ったりしていた。仮装も紙ふぶきも、カーニバル期間の、宗教的な行事の一環なんだろうな。
その子供たちが、ふざけて猫の頭から紙ふぶきをかけて追いかけて、猫たちは嫌がって逃げていた。猫と人間の子供たちの相性が悪いのは、世界共通なのだなあ。
それにしても、今日は、遺跡無料デーってことで、ちょいとあちこち歩き回りすぎたなあ。
遺跡入りたい放題の日でああったのだが、冬場はアテネ市内の遺跡は結構早くクローズしてしまうので、午後3時にして、入場できる所はほぼなくなってしまった(唯一まだ開いてるアクロポリスには午前中に入っちゃったし)。無料デーに、欲張って多くの場所を回りすぎるのは、自覚している私の欠点である。ぶっちゃけガメツイのである。
というわけで、オーバーワークだったので、母はホテルでこの後休ませることにしたが、姉と私は、まだ観光終了するには時間が早い。ホテルのすぐ近くに新アクロポリス博物館があり、そこがまだ開いている時間だったので、姉と二人で、ちゃっと行ってくることにした。
こちらが、新アクロポリス博物館の外観。非常に近代的な建物である。
中に入ると、切符売り場には、予想外の行列ができていた。姉に「こんなに並んでるなんて、人気なんだねえ!」と言ってみると、「単にこの時間は、どこもかしこも遺跡が閉まってるからでしょ」という、すげないお答え。
我々の順番が来たので切符を購入すると、係員のおじさんに、「Where are you from?」と英語で聞かれた。日本からだと答えると、日本語で「アリガトウ~!」と言われた。各国の「ありがとう」を知っているのだろうか?何か国語まで対応できるのか、ちょっと試してみたい気分だった。
クロークは、入口近くにあったので、館内が暑かったのでコートを預けた。最近、美術館・博物館などでは、積極的にコートとか、余計な荷物は預けるようになった。身軽な方が、鑑賞しやすいものね!
昔は、こういう所で預けると、無くなりそうで嫌だな…とか憶病な私だったのだが、「そのために旅行保険に入ってるんじゃんよ!」と思うと、気楽になったのだ。旅行保険てのは、旅行中のリラックスのために入るのだと、悟りの境地に至ってきた。
この新アクロポリス美術館は、1階部分が、かなり古い時代の、壺やお皿などの発掘品、2階がアルカイック期のものと、アクロポリスから出土したもの、3階が、パルテノン神殿の破風、レリーフ部分のかろうじて残ってるものの展示になっている。
1階部分の、壺とかお皿は、以前の私だったら、「よくわかんなーい」と言いながら、さらーっと通ってしまう所だったが、図説 ギリシャ神話「神々の世界」篇 (ふくろうの本)という本を読んだら、壺だの皿だのにも少しだけだが興味が持てるようになった。
何と言っても、古代ギリシャ時代の絵画というものは、大きくて本格的なものは残存しておらず、壺や皿に描かれた絵しか残っていないのだ。つまり、古代ギリシャの時代に、こういう壺や皿に描かれた絵というのは、当時のギリシャ人の絵画芸術を推測する、唯一のカギなのである。
たとえば、こういうもの。この時代の陶器は赤地だったらしいので、このお皿は、絵の部分ではなく、背景の部分を黒く塗りつぶすという、高度な技を使った、「赤像式(背景が黒く、像は赤いと言うこと)」と呼ばれる技法を使ってる。
ま、こういうのも、先ほど紹介した本の受け売りなわけだが、こういう泣けなしの知識があるだけでも、興味がもてるようになるものだ。
このお皿の絵は、おそらくディオニソスの儀式に関わる絵で、女性たちが、葡萄酒を飲んで、音楽をかき鳴らし、踊っている図である。ポンペイの秘儀荘の「ディオニソスの秘儀」のフレスコ画と、近い主題だろうか。
人物の表情の表現などは拙い印象があるが、人々の四肢の動きは、ヨーロッパの中世画よりも遥かに生き生きとしている。洋服の襞の描き方も、いかにも古代ギリシャ風のコスチュームと言う感じで、流れるように描かれている。(この博物館は写真撮影禁止なので、写真は全てポストカードを撮影したものである)
2階には、この博物館の目玉展示物、アクロポリスのエレクティオンの、少女像の柱のオリジナルがある。大英博物館にある1本をのぞいて、6本中5本が、この博物館に展示されている。
こちらはアクロポリスのエレクティオンの写真だが、この少女像は実はレプリカで、本物はこの新アクロポリス博物館で保存されているのだ。
で、実際にご対面してみたが、あんまり感動がなかったなあ…。やっぱりあのアクロポリスで、建物の柱として使用されているのがヨイのであって、像だけを博物館で見ても、像だね、て感じだ。でも、アクロポリスで風雨にさらしておくのは、やっぱり保存が難しいのだろう。
2階には、他にはアクロポリス出土の遺跡が数多く展示されている。非常に数多く展示されているのが、ニケ像である。アクロポリスにはニケを祀る神殿があるので、おそらくそこから出土したものだと思われる。
勝利の女神ニケは、戦いの女神アテナの随神とされ、アテナの右手に乗って描かれることも多い。アテナの右手に乗るくらいだから、ティンカーベルみたいな、小さな妖精みたいな女神なのかと思ってしまうが、もともとはゼウスやアテナなどのオリンポス12神の一代前の、ティターン族、つまり、巨神族の血筋なのだそうだ。
へー。ニケがティターン族だったとは。ティターン族は、世代間戦争みたいな感じで、ゼウス達と戦うことになるのだが、ニケは、ティターン族の側ではなく、ゼウス側についたので、ゼウス達が勝利した後、神としての地位を失わなかったのだとか。
勝利の女神という、輝かしい女神でありながら、アテナに付き随う立場、つまりそれほど地位が高くない神であるのは、彼女がティターン族にもともと属していたからなのかもしれない。
ニケ像と言えば、ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」が最も有名だが、翼を持ち、片足を一歩踏み出した姿で表現される。この「一歩踏み出した片足」が、勝利の女神のシンボルだというのは、非常に興味深い。
踏み出す足は、過去ではなく、未来志向を思わせる。勝利というものは、未来を諦めない者に舞い降りる、というイメージは、非常に受け入れやすい。
未来を諦めない、というイメージも良いが、未来を読む力…つまり先見の明というイメージも、踏み出した足からは読み取れるようにも思う。
そもそもが、ニケは、自らが属すグループ・ティターン族の方でなく、敵側、つまりゼウス側についた、という神話が意味するところを、深読みしたくなる。ニケは、ゼウス側が勝利することを、予感していたのではないだろうか。
ニケ(勝利の女神)が味方についたからゼウス側は勝利したのではなく、ニケの方が、勝ちそうな方に味方した、ということなのだ。
これは、勝負事には、先見の明が必要だ、という寓話にも思えるし、勝利の女神とは、自分で引き寄せなければならないものなのだ、と読み取ることも可能である。まあ、神話ってのはそこまで深読みしなくてもいいものかもしれないけれど、深読みした方が楽しい。そう、ぶっちゃけ楽しい。
こちらは、ちょっと風変わりなニケ。大抵のニケ像が、一歩足を踏み出したポーズで表現されている中、こちらのニケは、かかとに手をかけて、ちょうどサンダルを履こうとしている(もしくは脱いでいる?)ポーズなのだそうだ。何故、このニケさんは靴が気になっているのかはちょっとわからないが、かわいらしいポーズである。
私がここ新アクロポリス美術館で、一番楽しみにしていたのは、こちら↓
「沈思のアテナ」と呼ばれる彫り物である。
戦の女神らしく、ノースリーブから見えている二の腕が、非常にたくましい。堂々としていて、強そうで、女がホレる女って感じの女神アテナなのだが、なぜだか、疲れたようなポーズや、沈んだような表情から、「沈思のアテナ」と呼ばれている。
もしこのアテナが、本当に「沈思のアテナ」だとして、いったいアテナは何を思い沈んでいるのだろか。
私はぜひ、「正しい戦争は存在するのか…」というセリフを、このアテナに当てたくなる。アテナは、戦いの中でも、正義のための戦いを司る女神なのだが、どんな大義名分があろうと、戦いによる犠牲者は出る。その犠牲に心を痛めているアテナ、として鑑賞すると、なかなか胸が痛くなる作品だ。
新アクロポリス博物館の最上階は、パルテノン神殿がすっぽり入るくらいの空間になっていて、完全な模型ではないが、パルテノン神殿の寸法が取られ、パルテノン神殿から出土したものが、展示されている。
博物館の窓から見えてるパルテノン神殿と、ちゃんと同じ向きで寸法を取っていて、出土した遺跡が、もともとパルテノン神殿のどこに飾られていたものなのか、再現する形で展示されているのである。非常に工夫した展示法で、見やすかった。
まあ、それでも、ほとんどは断片しか残っていない。パルテノン神殿の、屋根の下の三角部分(この部分を「破風」と呼ぶそうな)にあった彫刻の断片を、何とかかき集めて組み立てて、足りない部分は針金などでつなぎ、こんな形だったのではないか、と、鑑賞者が予想できるように苦心している。
破風部分は、パルテノン神殿に祀られている、女神アテナの物語を表した彫刻で飾られていたらしい。東側が「アテナの誕生」で、西側が「アテナとポセイドンの争い」だったそうだ。
…非常に興味深いのだが、残念ながら、残された断片からは、もともとの美しさを垣間見ることはできない。…まあ、仕方ない。美しさというものは、失われたら戻らないのだ、というのも一興さ。
この階の展示物の中で、保存状態がよいのは、パルテノン神殿を飾っていた、乗馬した兵士の、連続した何枚かのレリーフである。
非常に躍動感にあふれていて、姉いわく、順番に見ていくと、徐々に馬が加速していく様子がわかるのだそうだ。でもなあ。私、馬に乗ったことないからわかんないなあ。サントリーニ島でもロバに乗らなかったし。あんまり馬って、乗ってみたいとも思わない。おそらく私には、騎馬民族のDNAは流れていないのだろう。
私と騎馬民族のは話はどうでもいいが、それにしても、ギリシャの彫刻ってのは、実に洋服のヒダが美しい。
私は、洋服のヒダって大好きだ。いわゆるフリルとかドレープとか、そういうものの美しさにつながるのだが、人間が、そういう美しさを好むのって、どうしてなんだろうなあ。水族館で見るクラゲとかも、キレイである。クラゲラブ。これ以上話も弾まないので、クラゲの話終わり(クラゲの話はしていません。服のヒダの話をしています)。
こちらは、新アクロポリス博物館から見える、アクロポリス。やっぱり高台にあるギリシャ神殿って、よいなあ~。
アクロポリスは、夜にライトアップをするらしい、との情報を姉がゲットしていたので、博物館見学が終わってからホテルに戻り、暗くなってから、アクロポリスが見える、ディオニシウ・アレオパギトゥ通りを歩いて、アクロポリスを見上げてみた。
むむうっ…。見上げている角度が悪いのかもしれないが、ライトアップは、それほど感動するものでもないかな…。ギリシャ神殿は、やっぱり青空の下で見るのが最高なのかもしれない。もっと近くで見れば、綺麗なのかもしれないけどなー。
ディオニシウ・アレオパギトゥ通りは、夜でも人通りが多く、屋台のお店も出ていた。ギリシャは、焼きトウモロコシの屋台が名物だとか、地球の歩き方に書いてあったので、ちょっと屋台の焼きトウモロコシを買って、食べてみた。塩がよくきいていて、美味しかった。
なのに、この焼きトウモロコシを食べた時の、母の感想は、「まさしく、スイートポテトだね」と言う、解読難解な感想であった。姉も私も、返す言葉を持たなかった。