2/27ローマ旅行記5 一期一会のベルニーニ

ローマ2日目の朝である。

イタリア旅行中は、朝、テレビのニュースをつけて、その日の天気予報をチェックするのが日課なのだが、イタリアの天気予報は、「晴れ時々くもり時々雨」という、素人でもできそうな天気予報が多いので、あまり頼りにはしていない。「だいたいの今日の天気の傾向」程度が知れたらよし、くらいに思っている。

この朝につけたチャンネルは、他のメインニュースやスポーツニュースが流れている時も、左下に小さく、ローマのあるラツィオ州のローカル天気予報を流していた。それで、ニュースが天気予報のお時間になったのだが、左下の小さな画面に表示されるローマの天気と、天気予報士が大画面で示しているローマの天気がチガウ…。最高気温とかも5度くらい違うんですけど…。

で、いざ外に出てみたら、キレイに晴れていたし、寒くもないし、天気予報なんか気にするなってな感じの一日になりそうだった。宿泊しているホテルは、テヴェレ川のすぐ近くで、空を見上げたら、白いカモメがぐるっと弧を描いている。テベレ川は本当にカモメが多い。

今日はまず、ラファエロのフレスコ画の残る、ファルネジーナ荘へと向かう。

ローマ マッツィーニ橋

このマッツィーニ橋を渡って、テヴェレ川の向こう側へと渡る。本当によいお天気。橋を渡ってすぐ見える建物を指さして、姉が「あれは刑務所だよ」と言う。確かに、窓に鉄格子がはめてある建物であった。それにしても、姉は、ローマには私と同じ回数しか来てないはずなのに、ローマに詳しすぎる。

川沿いを一本入った道を、南へとぼちぼち下った。ほとんど観光客はいなく、たまに犬のウンコがしれっと落ちている、地味ーな感じの道だ。左側には、大きな建物の外周のような壁がずっと続いていて、姉いわく「もうこの左手の敷地内にファルネジーナ荘はあるはずだよ」と言う。

しかし、ファルネジーナ荘の入口はなかなか見当たらない。ま、まさか閉まってるんじゃ…という恐れが心の中で頭をもたげ始めた時(イタリアで、開いているはずの美術館や教会が、何の断りもなく閉まっていることがあるのは茶飯事)、長い壁の終りらへんに入口を発見した。

ファルネジーナ荘

ファルネジーナ荘の外観はこんな感じ。外側は何の変哲もないお屋敷。

切符売り場へ行くと、何とペラペラの紙ではあったが、日本語パンフレットがあった。切符売り場の次の部屋が、いきなりラファエロ作品のある「ガラテアの間」であった。ちょっ…まだ心の準備ができてないんだけど!

ファルネジーナ荘 ラファエロ

こちらが、ガラテアの間に入ってすぐ、振り向きざまに現れるラファエロ作「ガラテアの勝利」。絵の中の中心で、まるで馬車に乗っているみたいに、イルカに貝を引かせている女性がガラテアである。

ガラテアのポーズや、周囲のトリトン(半漁人)の動きはダイナミックで、構図としては素敵な作品である。だが、なぜか、姉も母も、「うーん…イマイチだなあ…」という反応であった。私も、部分部分は好きなのだが、全体としては、それほどラファエロ作品の中で好きな方ではない。

姉は、「あんまり海の雰囲気が出てない。海上の出来事って感じがしないよ」と言っていた。そうねえ。確かに、ラファエロの筆力を考えると、海の表現は物足りないかもしれない。

私は個人的に、この絵の中心である、ガラテアの表情があんまり好きになれなかった。美人なんだが、ラファエロの描く女性ってのは、もう少しこう、温かみがあるというか、ほわっとした魅力があるものなのだ。このガラテアさんの笑顔には、あんまり惹かれるところがない。

帰国してから、「ガラテアの勝利」っていったい何のことだべ?と調べてみると、これは、ギリシャ神話の美女、海の妖精・ガラテアが、自分を求愛する醜い一つ目巨人・ポリュペーモスをあざ笑っているシーンだそうだ。

なるほどねえ。そういうシーンだと考えれば、このガラテアさんが、ラファエロの描く聖母子像のマリアのような、優しい魅力的な笑みを浮かべてないのは当然なのだ。それに、これが「嘲笑」だとすると、見ている者があまりいい気分にはならないのも当然。自分を求愛する醜男をせせら笑う美女だなんて、ヤな女以外の何者でもないではないか。そうであれば、ラファエロは、ガラテアさんの表情を、絶妙に描いていると言えるのかもしれない。

ちなみに私が、この絵の中で気に入ったのは、ガラテアさんの手前に、やる気なく寝そべる太ったキューピットみたいな子供とイルカ。

ファルネジーナ荘 ラファエロ

イルカ君は、何かタコみたいな生き物を食べてるし、「つまんなーいの!」とでも言いたげな表情の子供は、よく見ると、イルカ君のヒレをむんずと捕まえてるよ!全く何だというのか…。この子供のつまんなそーな、実に子供っぽい表情は、ドイツのドレスデンにある、ラファエロのあの有名な「システィーナの聖母」に描かれた、二人の天使を彷彿とさせる。

このガラテアの間には、他にも黄道十二星座をイメージした絵などが描かれていて、他に観光客はいなくて貸し切り状態だったため、ギリシャ神話大好きな姉と私は大いに楽しんだ。

ガラテアの間の次は、「プシケのギャラリー」である。ギリシャ神話の、愛と美の女神アフロディーでの息子エロス(日本ではキューピッドという名前の方がポピュラー)と、人間の美女プシュケーの結婚の物語が、天井画として描かれている。この作品は、ラファエロ自身も少し手がけているが、弟子のペンニ、ジュリア・ロマーノの手によるところが大きいようだ。

このエロスとプシュケーの結婚の絵は、エロスとプシュケーを描いた絵としてはかなり有名で、何度も本で目にしたことはある。で、実物は、というと、正直個人的には微妙だった。なんか、「濃い」のだ。

ファルネジーナ荘 エロースとプシュケー

こちらが新婚さんのエロスとプシュケーなのだが、なんか、頬と唇が赤すぎて、恋する二人と言うよりは、温泉でのぼせた二人って感じに見えてしまう(もしくは酔っぱらいカップル)。マントヴァのテ離宮で見たジュリア・ロマーノの絵はなかなか迫力満点で好きだったけどなあ。

ちなみに、エロスとプシュケーの神話は、話自体は結構おもしろい。愛と美の女神・アフロディーテが、人間の娘であるプシュケーが自分より美しいとかいう話を耳にして、「きーっ!人間のクセに私より美人とかナマイキ!ちょっと、息子っ(エロス)!あの娘が誰とも恋愛できないようにしておしまいっ!」とか、エロスに言うのである。

エロスは、日本でもキューピッドの名で知られる、恋の矢で人をフォーリンラヴ状態にしてしまう神。それで、おかーさんの言いつけどおりにプシュケーのところに行くのだが、間違って自分を矢で傷つけてしまい、自分がプシュケーに恋してしまう。で、紆余曲折(うわっ…めんどうだから省いたなコイツ)あって、最終的にはめでたくエロスとプシュケーは結ばれるのだ。

この話の何が面白いって、女神アフロディーテの、あまりにも人間臭いヒステリックぶりである。皆さん、フィレンツェのウッフィツィ美術館で、貝殻の上に乗って全裸ですましてるあの美女は、ジツは中身はこんなんですよ!(ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」の絵のこと。ヴィーナスはアフロディーテの別名です)

もっとアカデミックな見方だと、エロスはギリシャ語で「性愛」、プシュケーはギリシャ語で「魂」を意味し、性愛が魂の愛を求め、それが結ばれてうんたらかんたらみたいな意味が隠されているそうな。なるほどー。新婚旅行などでローマに行く方は、この絵を鑑賞するといいかもしれませんね。濃いけど。

この部屋の天井は、数多くのギリシャ神話モチーフがちりばめられていて、全体的に濃くて暑苦しかった。びっくりするほど暑苦しいヘルメスがいた。

ファルネジーナ荘 プシケのギャラリー

「やあ!よいこのみんな!元気かな?ヘルメスおにいさんだよ!」

何だかヘルシーすぎてうさんくさいヘルメス。ヘルメスはゼウスの秘書みたいな神で、よく、好色ゼウスの浮気が、妻のヘラにバレないように立ち回っている。私のヘルメスのイメージは、器用でしたたかで事務作業能力抜群な、一見サワヤカなのだが腹の底が見えない美男。「よいこのみんな!」というのは、ヘルメスのイメージではない。

…とダメ出しばっかりしているけど、この部屋で気に入ったのは、ヘルメスの写真にも映っている、絵を取り囲んでいる草花の装飾。これは美しかった。「地球の歩き方」によると、ジョヴァンニ・ディ・ウーディネという人の作品だそうな。

1階部分の目玉はこんな所で、次は2階へと上がった。

2階部分の最初の部屋は「遠近法の間」。おそらくこの部屋の名前の由来になったであろう、ペルッツィによる遠近法を駆使したフレスコ画はなかなかおもしろかった。

ファルネジーナ荘 遠近法の間

これは絵です。本当の立体は、右側の扉周りの装飾だけである。柱が2本縦に並んで、奥行きがあるように見える、見事なだまし絵である。

で、この絵を間近で見てみると…落書きがっ!

ファルネジーナ荘 遠近法の間

ファルネジーナ荘 遠近法の間

こんなへったくそな人物まで落書きされてる!これ、明らかに子供の落書きだろ。ファルネジーナ荘に昔住んでいた子供のいたずらなのだろうか。

この部屋は、ギリシャ神話のオリュンポス12神で飾られている。私はギリシャ神話大好きなので、少々お付き合い頂きたい。

ファルネジーナ荘 遠近法の間

まずこちらは、先ほどプシュケーのギャラリーの所で触れた、愛と美の女神アフロディーテと、その息子エロス。エロスは、プシュケーのギャラリーに描かれた、金髪美青年よりも、こちらの弓を持っている幼児の姿の方が、なじみ深い。

アフロディーテが手に持っているのは金のリンゴで、このリンゴにまつわる話もなかなかおもしろい。一番の美人がこの金のリンゴを手にする権利があると言われて、争ったのがアフロディーテと、ゼウスの妻ヘラと、知恵の女神アテナ。この争いが、後々トロイア戦争へとつながっていくのだが、人間の娘に嫉妬したり、美人争いをしたり、アフロディーテは本当に女の業を煮詰めたような女神。この身構えたような表情には、そんな彼女の性格がよく出ていると思う。

ファルネジーナ荘 遠近法の間

こちらはアフロディーテと金のリンゴを争った一人であるヘラ。ギリシャ神話の最高神ゼウスの妻であり、家事の女神でもある。ギリシャ神話を読んだことがある方なら、ヘラと言えば、ゼウスの浮気に日々怒りまくっている、ヒステリックな恐妻というイメージだろう。

しかし、このヘラは、自らの象徴である孔雀とじっと向き合い、何と淋しそうなことだろうか。

ギリシャ神話では、ヘラはゼウスの浮気相手(と言っても、ゼウスが一方的に強引に関係を持つだけのことが多いのだが)に容赦なく、理不尽なまでの制裁を加える。そんなヘラは、ギリシャ神話を読む者にとっては、時に悪者に感じられることもあるのだ。でも、そんなヘラも、本当にゼウスのことを愛しているからなんだろうな…と、何だか深読みしたくなるような表情。愛を知る者は孤独を知るって、誰の言葉だったか。このヘラは、非常に孤独に見える。

ファルネジーナ荘 遠近法の間

このイケメンさんは、太陽神アポロン。知恵と音楽の神でもあり、竪琴を手に持っている。私のイメージだと、アポロンはもう少し男っぽいイケメンさんなんだが、まあ、とどのつまり、イケメンさんなのだ(言うことないなら黙れ私)。

遠近法の間の向こうには「結婚の間」があり、ここにも面白い絵があった。

ファルネジーナ荘 結婚の間

この絵の前にはベッドがあり、寝室として使われていたようだ。こんな派手な絵の前で眠れやしないよ、というツッコミどころはあるが、この絵の上部に描かれたプット(ちび天使)のポーズがおもしろい。

ファルネジーナ荘 結婚の間

シーツを頭からかぶって、「もう、見てらんないよー!」みたいな。この絵のお題が「アレキサンダー大王とロクサーヌの結婚」なので、二人のいちゃいちゃぶりが見てられないのだろうか。ユーモラスでかわいらしい。

1階部分の「ガラテアの間」「プシケのギャラリー」が特に有名なファルネジーナ荘だが、個人的には2階部分の方が気に入った。興味深かったのは、ルネサンス期に作られたというこの館、ギリシャ神話にまつわるモチーフの絵がほとんどで、キリスト教関連の作品が見られないことである。一神教であるキリスト教から見ると、ギリシャ神話の神々ももちろん異教の神なのだが、この館の持ち主の、古代ギリシャ・ローマへの情熱が伝わってくる。

ファルネジーナ荘の鑑賞は、初めは貸し切り状態だったのだが、途中からアメリカ人らしきシニアの団体ツアーと一緒になった。

ファルネジーナ荘を出ると、母と姉は、「途中一緒だった団体は、ものすごくお金持ちの団体だよ」と断言した。何で?と首をかしげる私に、二人とも口をそろえて「着ているものが全然違った」とのこと。よく見てるなー。目ざとい母と姉。ちなみに、この日の夕方に、このセレブ団体にもう一度遭遇することになるのだ。

ファルネジーナ荘を出たあと、お昼まで少し時間があったので、午前中に「あと一つどこか行こう」という話になり、姉が「(サン・フランチェスコ)ア・リーパ教会はどう?」と言い、私は「リーパ、いいねえ!」と積極的に同意した。しかし、実は、私はこのリーパ教会のことを、ラファエロの絵があるサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会のことと勘違いしていたのだ。

姉が向かっているサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会は、トラステヴェレにあり、ファルネジーナ荘からは南の方角になる。それに対し、私が向かっているつもりのサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会は、川を中心街の方に渡って、北東の方角になる。何か変だなーと思いつつも、自分が方向音痴である自覚がある私は、おとなしくついていった。ちなみに何も考えていない母は、ただただぽかーんとついてくる。

姉は「リーパ教会は思った以上に遠いなあ」と言いながら、ちょい早足で、ローマの下町風情あふれる地区・トラステヴェレを突っ切って行く。何でトラステヴェレを突っ切るんだろうなあーと首をかしげながらも、私はそれについていく。母は…(以下略)。

ローマ トラステヴェレ

トラステヴェレで見かけた、かわいらしい屋台の花屋さん。

どんどん南下していく姉に、とうとう私は「ねえ…いつ、あっち側に(テヴェレ川)を渡るの?」と聞いてみた。姉が、何を言っているのかコノヒトはという顔をしたので、「今、ラファエロの絵がある教会に向かってるんだよね?」と聞き直すと、「いや、ベルニーニの彫刻のある教会だよ」。ここで、私の謎は全て解けた。

「なーんだ!私はラファエロの方に向かってると思ってた。リーパ教会とパーチェ教会を混同してたよ!なっとくなっとく~!」と返すと、姉「…よく考えると、アンタの言う通り、パーチェ教会に行けばよかった!パーチェの方が近いし、午前中しか開いてないパーチェに行くチャンスだった!まずった…!」。

しかし、ずいぶん歩いて、もうリーパ教会はすぐそこ。トラステヴェレの小道を抜けて、大通り・トラステヴェレ通りを渡れば、もうその先である。トラステヴェレ通りは、4年前、サッカーチケットを求めてさまよい歩いた思い出深い通りで、実に懐かしい。
で、ようやくたどりついたサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会

ローマ 

この教会には、ベルニーニの晩年の作「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」の彫像がある。

ベルニーニの作品の中で特に有名なものに、表情があまりに官能的と言われる「聖テレサの法悦」があるが、このリーパ教会の「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」も、それと同じように官能的な作品と言われる。母は、今回のローマ訪問の大きな目的がベルニーニ鑑賞だし、姉と私はもともとベルニーニ大好きなので、期待して教会内に入ってみた。

教会内部はごくフツーな感じで、ベルニーニ作品は、左手の方の礼拝堂にあった。写真撮影は禁止であった。

礼拝堂内部には入れず、少し遠目での鑑賞になるのが残念だったが、見ているうちに、どんどん引き込まれていくような作品だった。横たわったルドヴィカという女性が、今まさに神の国へ行こうとする法悦に包まれている。つまり死ぬ直前を表現している。

よく官能的と言われるこの作品だが、個人的にはあまりそのような色気は感じなかった。代わりに、胸を押さえている手や、首のあたりなど、死ぬ直前ではあるけれども、まだ生きている、…まるで静かな呼吸が聞こえてきそうな、そんな不思議な印象を受けた。見れば見るほど、彫刻に思えない…本当に眼の前で、静かな生の終り、それも全く悔いのない人生の終わり、そんなものを見届けているような気分になった。

しばらくこの像を三人占めしていた我々だったが、そこに男女二人の鑑賞者がやってきた。男性の方がガイドさんなのか、女性に向かって英語で作品の説明をしていた。

それからこの男性は、おもむろに女性を残して、教会内をウロウロ始めた。私はいろんな角度、いろんな距離からこの作品を見ようとして、後ろ向きに下がったりしていて、段差があることに気付かず、転びそうになった時、この男性がちょうど帰ってきて、「オウっ…!アテンション、プリーズ!」と言われた。(ちなみに私は2度も段差から落ちそうになった。旅行中に足をひねったりしたら悲劇である。皆さまも気をつけて!)

この男性と一緒に、教会の関係者とおぼしき人がやってきて、この関係者さんが、ふっとベルニーニの像がある礼拝堂のライトを消し、男性が「サンキュー」と言った。…すると!ライトが消えたことで、ルドヴィカの枕元にあり窓から自然光が差し込み、その光に照らされて、像は、さらに静かで不思議な魅力に包まれたのである!

おー!これは感動した!信仰を持たない私にでさえ、その淡い光は、今まさに命終わろうとしている者を照らす、神の光に見えたのだ。この鑑賞のプロみたいな男性が居合わせてくれたおかげで、貴重なものを見ることができた。皆さまも、晴れた日にサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会に足を運んだ際、この礼拝堂のライトがついていたら、消してもらうよう、教会スタッフにお願いしてみることをぜひおすすめする。

というわけで、ファルネジーナ荘からサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会がちょっと遠く、思った以上に時間を食ってしまったため、「やっぱりパーチェ教会に行くべきだったかなあ」と姉は言ったのだが、「いや、今日、この時間にリーパ教会に行ったからこそ、あの玄人お兄さんがいて、ライトを消した状態で鑑賞できたんだよ」と私が返し、結局のところ、この日、この時間にサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会に行ったことは大正解だったのだ。まさに一期一会で、最高のベルニーニを見ることができた。

リーパ教会を出ると、すぐ目の前を、白いお馬さんに乗った警官軍団がパッカパッカと横切って行った。

ローマ 馬に乗った警官

えーっ、何事?と、ついカメラを向けた姉を見て、ポリスさんたちは、大喜びで手を振りながら去って行った。本日はいい天気、ローマは平和である。