3/6アンコーナからウルビーノへ Jはいつまでも待っています

ギリシャ・パトラから、22時間…イヤ、船が順調に遅れたため、24時間半をかけて、ようやく、イタリア・アンコーナの地を踏んだ我々。1年ぶりのイタリアっ!ようっ!元気だったか、イタリアっ!お久っ!

…などと、イタリアに悠長に挨拶しているヒマはない。ここアンコーナから、ウルビーノまで、今日中に移動するというミッションを、果たさなければならないのである。

ここからの予定は、アンコーナ港からアンコーナの鉄道駅に移動、アンコーナからペーザロまで鉄道で移動、ペーザロからウルビーノまでバスで移動、というスケジュールである。ペーザロ発ウルビーノ行きの最終バスは20時15分発。この最終バスには、さすがに間に合いそうだが、この最終バスに乗ると、ウルビーノ着が21時半頃になってしまう。できれば、一本前の、19時15分のバスをつかまえたい。

この移動を、スムーズにさくさくこなすため、結構日本では下調べをした。その中で、ネックとなったのが、アンコーナ港からアンコーナ中央駅までの移動である。アンコーナ港の近くには、アンコーナ・Marittima駅という駅があるのだが、調べてみると、その駅にはほとんど電車は来ないらしい。そのため、港から2~3km離れたアンコーナ中央駅まで行かないと、ペーザロ行きの電車には乗れない。

で、アンコーナ港と、アンコーナ中央駅の間の移動手段が、調べても調べても確かな情報が出てこない。歩いて移動したと言う人もいたが、結構歩くのはキツイ距離らしいし、ましてやスーツケースを引きながら歩くのはしんどそうだ。バスで移動できるらしいのだが、いまいちバス停の位置や、バスの番号を特定することができない。アンコーナの観光情報サイトや、バス会社の公式サイトも見たし、バス停を探すためにグーグルのストリートビューまで目を凝らして見たけど、よくわからない。

イタリアでは、バスの乗り方がわからずに、法外な時間が過ぎてしまうということは、旅行者にとっては日常茶飯事である。そこで、なるべくタクシーよりバスを使うポリシーのある私なのだが(好奇心&ビンボーが原因)、この港と駅の間の移動は、タクシーが見つかったら、タクシーを使うことにした。

船から降りたのは、実は我々は乗客の中で2番目だった。カナリ急いでいる感じのイタリア人女性が近くにいて、早く船から降りられないかと、イライラしながら待っていた感じであったその女性が、ドアが開いたら、真っ先に船から飛び出し、我々がそれに続いたのだ。船から降りて、港を見渡すと、タクシー乗り場があり、しかもタクシーが一台待機している。

ラッキー!と思ったのも束の間、我々のやや前方を歩いている、船から最初に降りたイタリア人女性もまた、確実にタクシーめがけて直進しているよ!およよ…せっかく待機しているタクシーを持ってかれちゃう…と、私が弱気になったその時、姉は言い放った。「きっとあの人も中央駅に行くんだよ!相乗りさせてもらおうっ!」。…本当に、うちの姉さんはつおい…。なかなか、海外旅行でこんな度胸、私は見せられないっすよ!

姉は猛然と走り、イタリア人女性のスーツケースをトランクに詰めていた運転手さんに、「すみませーん!私たち、中央駅に行きたいんですけど、方向が同じだったら、一緒に乗せてもらえませんかっ!?」と叫んだ(結構アヤシイ英語だったのに、通じるのがうちの姉さん)。

運転手さんが、既に後部座席に乗っているイタリア人女性に尋ねてくれて、ちょうどその女性も中央駅に行くところだったらしく(姉ビンゴ)、相乗りを快諾してくれた。あ、ありがとう~!(イタリアでは、一台目のタクシーを逃すと、なかなか次のタクシーがつかまらないことがあるのだ)

で、我々の3つのスーツケースをトランクに詰めてもらい、家族内で小柄な私と母が、先にイタリア人女性が乗っていた後部座席に乗り込み、姉は、バタンっと、助手席に乗ったはず…なのだが、なぜだか、運転手さんとイタリア人女性が笑っている…。

ちょっと姉っ!アンタの目の前に、車のハンドルがあるよっ!アンタ運転席に座ってるよ!

もー、このイタリア人女性も急いでいる風なのにさあ!何してんのよ~!姉は「ごめんなさい、日本車は、運転席は右側だから逆なんですよー」と弁解していたが、運転手さんとこのイタリア人女性に、楽しいネタを提供してしまったな…。

で、タクシーは、イタリア人女性一人と日本人女性三人を乗せて出発した。途中で、鉄道の踏切が故障していて、人々が集まって修理しているのが、窓から見えた。…えっ?もしかして、この故障で電車が止まったりしてないよねっ?と一瞬ビビったが、運転手さんいわく、「ちょっと踏切が壊れているみたいだけど、中央駅からの電車はちゃんと動いているみたいだよ」とのこと。よかった~。

相乗りしてくれた女性は、英語がペラペラで、ペスカーラに帰るのだそうだ。ペスカーラというと、何度か電車で通ったことのある港町だなあ。ペスカーラという名前自体が、「釣りをする」という意味のペスカーレという動詞に似ているし。まだまだイタリアには、行ったことのない町がたくさんあるなあ。

本当はアンコーナも、私はちょっと興味がある町だったのだが(古代ギリシャ人が築いたという古い町なのだ)、何せ、今回の旅行は、陸の孤島とは言いすぎだけど、ちょっと交通の便の悪いウルビーノが含まれているため、なかなか忙しい日程になってしまった。ので、アンコーナの町歩きはまた別の機会に。

パトラからアンコーナ

こちらは船からズーム撮影した写真だが、おそらくこれが、アンコーナのサン・チリアコ聖堂。もともとは海運の神に捧げられた異教の神殿が、教会になったものらしい。いかにもそれらしく、海を臨む丘の上に建っている。いつか行ってみたいなあ。

港から駅までのタクシー移動は、15分かかったか、かからなかったかくらいだった。あーよかった。19時15分までに、ペーザロに到着できそうだ。相乗りさせてくれた女性&運転手さんにありがとうっ!料金は15ユーロであった。イタリア人女性が、10ユーロと5ユーロを出そうとしたので、「5ユーロだけでいいですよ」と言って、我々が10ユーロ払おうと思って、イタリア人女性が運転手さんに5ユーロを渡し、我々が20ユーロを運転手さんに渡した。すると、運転手さんは我々にイタリア人女性が出した5ユーロを渡した。

その時は、20ユーロ出して5ユーロ返って来たから、15ユーロでオッケーと思っていたが、よく考えると、お釣りの5ユーロは、イタリア人女性が払ったものだから、運転手さんが得してないか?全員で15ユーロだったら、我々には10ユーロのお釣りがくるはずだ。

だが、イタリアでのタクシーの相乗りルールはよくわからない。母いわく、「タクシーの相乗りは、グループごとに運賃を払うこともあるんじゃない?」とのこと。まあ、本来15ユーロの運賃に対して損したわけではないので、いっかー。イタリアで細かいことを気にしたら負けである。

それに、今考えると、イタリア人女性の分も含めて、4人分のスーツケースが載っていたので、スーツケース代を取られたのかも(だいたい、一つにつき1~2ユーロ取られることが多い)。

で、アンコーナ中央駅では、すぐにペーザロ行きの電車の切符を買い、電車に乗り込んだ。

こんなに急いで駅まで来たのにさあ!電車は当然のように10分遅れているよ!あーもー、イタリアって、来た途端にイタリアだね。ブレないね。

ペーザロ

右の方の10という数字が、10分遅れているという不愉快な真実を告げているよ。まあ、アンコーナからペーザロまでは50分弱くらいだし、10分くらい遅れても、19時15分のバスには間に合うだろう。ちなみに運賃は、4.35ユーロであった。この電車は、終点がペーザロってのがいいね!眠り腐ってても、乗り過ごす心配がない。(イタリアの電車内で眠ってはいけません!!!)

アンコーナ駅

アンコーナからペーザロまでは、どちらも海沿いの町なので、海岸線に沿ってとことこと北上する。2年前に、バーリからボローニャまでの長距離移動をした時に通った線路で懐かしい。夕焼けでピンク色にそまりつつある空と、どこまでが海でどこまでが空か、よくわからなくなっていたアドリア海をパチリ。

電車は、つつがなくペーザロ駅に到着。ペーザロは、作曲家ロッシーニの生誕地として有名な町で、毎年ロッシーニ音楽祭という有名なフェスティバルが開かれている。音楽愛好家が集まる町であるためか、海沿いということもあり、オシャレで上品なリゾート地という印象の町だそうだ。

だが、今回は、ここペーザロは、ウルビーノへの中継点として降りるだけである。まあ、私がイタリアを訪問するのは冬ばかりだし、おまけにビンボーだし、上品なリゾート地って町には、なかなか縁がないのである。

ウルビーノに交通公共機関を使って行くには、いくつかの選択肢はあるが、ペーザロ以外の町とは、日に数本レベルでしかつながっていないので、現実的にはペーザロからバスで行くという一択に近い。海からではなく、ウンブリア方面の山からの交通がもう少し便がよくなれば、フィレンツェとか行く人にも訪問しやすい町になるんだろうけどなあ。

アンコーナからペーザロ

駅から出て、すぐ右手にあるタバッキのドアに、「Biglietti Urbino(ウルビーノ行きの切符)」と書かれたタバッキのようなお店があり、ここでウルビーノ行きのバス切符を購入できる。何時まで開いているかはわからないが、少なくとも私が行った夕方19時くらいにはまだ開いていた。バス停の近くにもタバッキがあり、そこでも購入することができる感じであった。運賃は3.10ユーロであった。

このタバッキのある方向、つまり駅から出てすぐ右手の方がずっとバス停になっていて、オレンジ色のバス停がいっぱい並んでいる。

ちょっとややこしいのだが、ペーザロからウルビーノに行くバスは、「CS」と呼ばれる1時間ちょいかかる普通バスと(この「CS」は、ウルビーノからペーザロに向かう場合は「CD」と呼ばれる)、「46」と呼ばれる、50分くらいでペーザロとウルビーノを結ぶ急行バスがある。そして、ペーザロでは、「CS」と「46」は違うバス停から出発するので注意が必要だ。(このバス情報は2018年現在変更になっている可能性があります

ペーザロ

私たちが乗る19時15分のバスは、「CS」、つまり普通バスなので、このAと書かれたバス停から出発する。急行バスは、「H-G」というバス停から出るらしいよ(未確認)。、「H-G」って何のこっちゃ。「G-H」というバス停なら、「A」よりも駅の側、つまり手前の方にあったので、それのことかもしれないね。

この「A」のバス停でおとなしくバスを待っていると、バスは無事にやって来た。驚いたのは、結構暗い時間で、しかも山奥のウルビーノに行くのに、結構乗客が多いことであった。ウルビーノには大学があるらしいので、ペーザロまで遊びに来た学生が、ウルビーノに帰るのだろうか。乗客に若者が多いのが目立つ。

もしかしたら、ウルビーノに向かう道は、バスの車窓からマルケ州の緑が見えるのかもしれないが、何せもう暗くて、窓の外など何も見えない。まー、ウルビーノに無事についてくれるならそれでいいよ。

ウルビーノでは、個人経営の小さなB&Bを予約してあるのだが、到着が遅くなる旨は伝えてある。個人経営の宿だと、到着時間などを伝えておかないと、オーナーがどこか別の場所に行ってしまい(自宅に帰るとか)、宿泊する場所に待機していなくて困ることもあるのだ。

姉が旅行に出発する前に、日本から、到着が遅い時間であることを伝える英文メール女性をオーナーに送った。すると、「Jは必ずあなた達を待っています!」という、元気なメールが返ってきたが、Jって誰よ?…しばし考えたが、英語の一人称「I」を、アルファベット一つ間違えてしまった可能性が示唆された。…うん、IだろうとJだろうと、必ず待っていてくれるなら大丈夫だろう。

ウルビーノを目指して、ずーっと山奥を走って行くのかなあと思っていたが、それなりの大きさのある町もいくつか通り、途中のバス停からは、こんな遅い時間の便なのに、何と検札の係員が乗車してきた。ウルビーノ大学の学割制度でもあるのか、学生証明書のようなものを見せている若者もいた。

で、この検札に引っかかっていた若者が二人ほどいたのだが、罰金を払うほどの手持ちがなかったようで、どうするのかなーと思っていると、途中でバスから降ろされていた。こんな遅い時間に、路上に放り出されてどうするんだろ…。無事に目的地までたどり着けるのだろうか。

イタリアは、日本ほど街灯などが明るくないので、こんな暗い時間帯は、窓の外はほとんど見えない。光が集まっている集落が見えるたびに、「あれがウルビーノかな?」と思ったが、なかなかウルビーノには到着しない。

結局、1時間半近くかかって、バスはウルビーノのメルカターレ広場に到着した。バスを降りると、もう目の前には、ウルビーノを治めていたモンテフェルトロ家のシンボルである、鷲が印象的な城門が見えている。

さて、ここからは、予約しているB&Bまで、ひたすら坂を上らなければならない。実はウルビーノは、陸の孤島っぽい交通の不便な場所にあるため、宿泊しての観光が推奨される…にもかかわらず、評判のよいホテルが少なかった。「キッチン付き」で、「評判がよい」という、決して譲れない条件で探すと、町の一番上の方、ラファエロ像近くのB&B一択だったのである。一択なわけだから、仕方がない。我々は、城門をくぐり、ひたすら上り始めた。

「ウルビーノの坂道は結構キツイ」…その情報は、知っていましたよ。でもですね、我々はですね、「坂の町」と言われる町は、アレッツォとか、モンテプルチャーノとか、アマルフィとか、結構体験済みなわけですよ。そいでもって、「あ、脅えていたほどの坂ではないジャン」と強気な感想が出ていたわけですよ。だから、ウルビーノの坂道も、そりゃあ坂だろうけど、まあ常識の範囲内の坂だろう、とタカをくくっていたわけですよ。

ダガっ!このウルビーノの坂道、マジでヤヴァイっ!スーツケースを持ってこの坂を上がるのは、もう、罰ゲームに近いっ!握力も脚力も限界っ!とりあえず、B&Bまでの中間地点である、レプッブリカ広場まで到着して一休み。んで、ここで左折して、ラファエロ通りを上り始めたのだが、このラファエロ通りの坂は、さらに険しくなっているよー!晩冬の寒さだというのに、この、重労働で、結構汗かいたよ!これ、もう、スポーツの域だよ!

でも、坂を上りながら、というか、あの鷲さんの門をくぐった瞬間から、私は思った。「ウルビーノ…素敵な町だ。気に入った!」。暗闇の中に、黄色い街灯でほんのり浮かび上がる坂道は、何ともエレガンス。ああ、エレガンス。…しかし、実際にはエレガンス気分に浸る余裕はなく、必死でスーツケースを引っ張り上げている私だったのである。

ウルビーノ

ぜえぜえ言いながら撮影した夜のウルビーノだが、これじゃあ、何がエレガンスなんだかわからないですね。ハートで感じてください(写真がヘタ過ぎて、ハートで感じるのもまずムリ)。

ラファエロの銅像のある広場…ウルビーノの頂上みたいな場所にようやく到着し、母と私で荷物番をして、姉がB&Bの場所を探しに行った。個人経営のB&Bは、ほとんど住宅みたいなものなので、結構探すのが難しかったりするのだ。今回は、まあまあ平均的な時間で見つかった。

J…もとい、女性オーナーは、約束通り待っていてくれた。地下、1階、2階の3室があるB&Bで、3人で使うには狭そうな部屋なので、我々は地下と2階を予約してある。…普通、地下と1階か、1階と2階という、階が隣り合った組み合わせにしないか?とツッコみたくなるだろうが、HPで見ると、1階の、女性の横顔どアップの壁紙が貼ってある部屋は、どうにもナンダカチガッタので、地下と2階の部屋にしたのだ。まあ、2階だって、レオナルド・ダ・ヴィンチのあの裸の人体図が、どどんと壁で四肢を大の字に広げているわけだが…。

女性オーナーは、我々の予想に反して、英語がペラペラであった。うん、英語はしゃべれるけど書けないんだね。そういえば、アルファベットの読み方もイタリア語と英語とは違うので、「アイ」は「I」じゃなくて「J」だと勘違いしちゃったんだね。教えてあげようかとも思ったのだが、それをエラソーに指摘する程、私らの英語は流麗ではないので、差し控えた。

エレベーターはなかったので(イタリアでは茶飯事)、狭い螺旋階段を、えっちら、おっちらと、スーツケースを苦労して運んだ。西洋人のお客さんとかが宿泊したら、私たちよりもずっと大きなスーツケースをいくつも持っている方もいたりするのだが、この階段を、スーツケースは通過できるのだろうか。まあ、何とかなるのだろう。いろいろあるが、結局何とかなってしまうのがイタリアなのだ。

もう夜9時が近かったので、部屋の簡単な説明だけ聞いて、細かいことなどは明日以降聞くことにして、オーナーとは別れた。とりあえず、どこかで軽く、遅い夕食を取って、今日は眠ろうっ!

ウルビーノ

入ったお店は、ラファエロん家(ウルビーノの名所)に近い、「Antica Osteria da la Stella」というお店。日本で調べたメモに、「やや高」と書いているのだが、もう今日は遅いからね、ウロウロお店を探す暇はないからね、「やや高」でもココに入るだよ。

お店の中は、気取ってはいないが上品な雰囲気で、日本の住宅街とかにあるこじんまりとしたフレンチのお店という感じの内装。イタリアでよくある、いろいろごちゃごちゃインテリアのトラットリアという感じではない。だが、ウェイターのおじさんと、ウェイトレスのお姉さんはカジュアルな格好なので、それほどドレスコードが厳しいという感じはしない。

平日の夜と言うこともあってか、お客さんは我々と、4人組の男性グループだけ。…で、この男性グループが、うまく言えないのだけど、どこからどう見てもグルメ通の人々って感じで、プロフェッショナルな雰囲気を漂わせていた。何人かはイタリア人ではないらしく、グループ内の人が通訳とかしていた。もしかしたらこのお店、ミシュランとかに載ってるのかなあ。

出てきたお料理は、創作料理って感じで、盛り付けもフレンチみたいだった!

ウルビーノ

奥がもちもちっとしたまるいパスタで、手前が肉料理。疲れていて、細かい事は思い出せないのだが、どちらとも、とにかく美味しかったのは覚えているよ!確か、肉料理の方はベリー系のソースがかかっていて、このソースが美味しくて、お通しで出てきたパンにつけて、綺麗に食べ尽くしてしまった。お皿の真ん中に乗っているポレンタ(黄色い小さい円筒)も美味しかった!このポレンタは、結構お店によって差が出るんですよー(グルメ通ぶっている私)。

ウルビーノ

これはチーズ系のリゾット。こちらも、美味しかったことしか思い出せない。何せね、眠かったんだよ~。どれもこれも美味しかったので、デザートもさぞかし美味しかろうと思ったのだが、さすがに夜が遅い。遅い時間のスイーツ摂取は女性の敵なので、デザートを勧められた時、泣く泣く断った…のだが、

ウルビーノ

何と、「これはサービスです」と、ちっちゃいティラミスと、ビスコッテイが出てきたーっ!もうね、女性の敵であろうと、コレは食べますよ。そしてね、このティラミス、本当に美味しかった…。お会計は、3人分のテーブルチャージ、ミネラルウォーター、サラダ、パスタ、リゾット、メイン料理を一皿ずつで61ユーロ。イタリアの、安くて美味しい大衆食堂に比べると高いけど、味や、料理の凝り方などを考えると、驚くほど高いという値段でもない。とにかく美味しかったので、おすすめっ!

B&Bに戻り、母は、おっきなあじさいの壁紙がででんと貼ってある部屋を一人で使い、姉と私はどアップすぎるミケランジェロのダヴィデ像、レオナルド・ダ・ヴィンチの四肢を広げた男性裸像(ウィ何とか人体図…覚えられないから!)、傾き過ぎのピサの斜塔が無秩序に組み合わされた部屋に、二人で寝た。何でこんなに、ウルビーノに関係ないものばっかりなんだよ!ラファエロはどうした!とツッコみたかったが、ツッコむ間もなく眠りに落ちていた。とどのつまり、疲れていたこともあるが、この無秩序さは、私の部屋と似通っている所があるので、リラックスできたのだろうよ。