3/12カスティリオーネ・デル・ラーゴ旅行記1 スライム屋根がチャームポイント

さて。コルトーナから、トラジメーノ湖畔の、「カスティリオーネ・デル・ラーゴ」まで遠足に行くよっ!

コルトーナから、カスティリオーネ・デル・ラーゴまでは、バスで行ける、という古い情報もあったのだが、「Etruria Mobilita Scarl」という、コルトーナ周辺を走っているバス会社の情報を調べてみると、どうも、乗り換えなきゃ行けないっぽい上に、便数が少ないっぽい(少ないどころか一日一便の恐れ)。…「っぽい」ばかり連発しているが、要するに、ヨクわからなかったのだ。

で、ちょいと調べてみると、カスティリオーネ・デル・ラーゴには、旧市街から1km強離れているが、鉄道駅がある。1kmちょいなら、さすがに歩けるだよ!しかも、この鉄道駅と、コルトーナ最寄りのカムーチャ駅を結ぶ電車は、頻繁に通っている(イタリアの「頻繁」は1時間に1~2本だよ!)。しかも所要時間10分。というわけで、

1.コルトーナ旧市街から、カムーチャ駅へバス移動
2.カムーチャ駅からカスティリオーネ・デル・ラーゴ鉄道駅まで電車移動
3.鉄道駅からカスティリオーネ・デル・ラーゴ旧市街まで徒歩

という三段跳びみたいな過程を踏んで、カスティリオーネ・デル・ラーゴまで行くことにした。

で、まずはコルトーナ旧市街からカムーチャ駅まで行こうっ!このルートは、一昨日コルトーナ入りした時に、カムーチャ駅から旧市街までバスを利用した区間の、反対ルートになるだけなので、余裕っ!広場には、一昨日の記事で紹介した、「親戚ご一行様日帰り温泉」みたいな、とても路線バスとは思えないボックスカーみたいな車(でも路線バスなんです)が、既に待機していた。

運転席にいたのは、若い女性ドライバーだった。女性の社会進出が、欧州の中で遅れていると批判されるイタリアだが、バスやタクシーの女性ドライバーの割合は、日本より遭遇率が高い気がする。この女性ドライバーに、バス切符を渡すと、手書きで日付を入れてくれた。要するに、バスの中に刻印機がないんだよ。

女性ドライバーは、運転席の窓を開けて、バスの外にいる地元のオヤジとおしゃべりしている。ていうか、オヤジ、明らかに若い女性としゃべれて嬉しそう…。嬉しそうなのはいいんだけど、もう出発時刻を過ぎたと思うのだがね…。一応、鉄道の時間も調べてあって、待ち時間10分ほどで乗り換えられるはずなんだけど、いつまでしゃべっているんだ…。あんまり出発が遅れると、電車を乗り過ごしたりしやしないか?

我々が、わざとらしく、大きな身振りで時計を見たりしても、全くもってムダであった。「空気を読む」という日本人独特のルールは、イタリアでは、完全に通用しない。兄弟の多い家みたいに、しっかり自己主張しなければならない社会なのである。

あと5分話し続けてたら、さすがに「電車の接続があるので出発して下さい」と言おうかと思っていたが、5分ちょっと出発時間を過ぎた所で、ドライバーが「悪いけど、もう行かなきゃだわ」とオヤジに声をかけて、バスは出発した。ふう。ちなみに、乗客は我々のみであった。

カムーチャ駅まであと数百メートルという停留所で、目の悪そうな女性がバスに乗り込んできた。常連さんらしく、ドライバーと話し込んでいた。我々が乗っていなければ、このバスは、完全にこの女性の貸し切りである。ちょっとしたタクシー状態だ。

カムーチャ駅に着き、やや急いでホームに行くと、カスティリオーネ・デル・ラーゴ行きの電車は、20分遅れであった…。バスの中でやきもきした私のエネルギーを返せ(微々たるエネルギーのくせに)。まさか、電車が遅れているの知ってて、女性ドライバーはゆっくり発進したんじゃあるまいね…。

FSの刻印機

今回、感動したのは、中部イタリアだけかもしれないが、イタリア国鉄FS線の、刻印機が、新しく綺麗になっていたことである。見てください、この、最先端って感じの、つやつやした緑がまぶしい刻印機!

イタリア鉄道の刻印機

ちなみに、今までの刻印機は、こういうもっさりした黄色い子。10分の1くらいの確率で、壊れていることがあった。これは2年前のミラノで撮影した写真だったかなあ。がんばったね、FS線っ!今度は壊れない…よね?

20分遅れと言っていた電車は、結局25分遅れてやって来た。たかだか電車で10分弱の場所に行くのに、駅でつぶしている時間の方が、倍以上って…華麗なる時間の無駄遣いである。

で、電車に乗っちゃえば、「あっ」と言う間に車窓から湖が見えてきて、カスティリオーネ・デル・ラーゴ駅に到着した。カムーチャ駅からは2駅である。

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

駅の外に出ると、正面にすぐ、ジェラートを売っているカフェがあったので、ジェラートを買って、食べながら歩いた。何せ、本当に天気が良い、湖日和だったのである。左側に進んでいくと、大きなブルーノ・ブォッジ通りという道に出て、その正面には、既にカスティリオーネ・デル・ラーゴの街並みが見えているっ!

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

まだちっぽいけど、通りの正面に、ぽっこりと屋根が見えているのが、カスティリオーネ・デル・ラーゴの旧市街である。

とにかく、この大通りを真っ直ぐ行くだけなわけだが、途中で、ソーラーシステムで電気をまかなってますぜ!みたいな、ハイテクな学校があった。この日に、どれだけ発電できたかを示すパネルみたいのものがあり、おおハイテク学校!こんな天気が良い日は、さぞかし発電できただろう!と思ったのだが…

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

そのパネル自体が、点灯していないのが、イタリアなんだな…。水色のパネルがそうなのだが、全く点いてないよっ!

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

そうこうしているうちに、カスティリオーネ・デル・ラーゴの旧市街が近づいてきたよっ!おそらくサンタ・マリア・マッダレーナ教会の屋根だと思われる、スライムみたいな形の屋根がかわいいっ!スライム…と言っても私は全然ゲームしないので、私の身近なもので、一番似ているものとしたら、毎年冬季限定でスーパーで売られている、「ポルテ」とかいう、中がスカスカのチョコレートに似ているなー。

旧市街は、ちょっとだけ高い所にあり、石段をとことこと上ったところにある。

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

あらまー、こんにちはっ!こじんまりしていて、かわいらしい町である。何か船みたい。湖畔の町によく似合うフォルムである。ちょっとだけデコレーションケーキにも似ているが、何せ湖畔の町なので、船って方が風情があるだろう。

ダガ、町の中に入ってみると、ちょっとだけ様子がおかしいのだよね…。

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

イチ↓…が開かれているよ!(「イチ↑」は、宿泊している町で開かれる、生鮮食品を扱うありがたい市、「イチ↓」は訪問先の町で開かれていて、なおかつ衣類品中心で、見学したい街並みを隠すように立ち並ぶ、観光客にはありがたくない市)

イ、市が開かれているってことは、その町が生活感あふれる町として、現在でも機能しているっていう、ポジティブなことなんだよ(「イチ↓」を見ると、いつも私が呪文のように棒読みしている一文なので、気にしないでください)。

えーと。イチ↓が開かれていようと、カスティリオーネ・デル・ラーゴは、それなりに観光にやる気がある町のようで、メインストリートには、お土産屋さんみたいなお店も少しだけ並んでいる。しかも、店主のおばさんが、「寄ってって~!」みたいな感じで、我々に声をかけてきた。へー。やる気あるんだ!

ちなみに、カスティリオーネ・デル・ラーゴは、日本で最も詳しいガイドブックである地球の歩き方にも、名前しか載っていない。我々がどうやって観光情報を調べたかというと、カスティリオーネ・デル・ラーゴは、イタリアの美しい村「「i borghi piu belli d’italia」…略して「BBI」という、秘密結社(ウソです。秘密結社って言ってみたかっただけです)の構成メンバーなので、このBBIの公式サイトに、情報がある(英語ページもあるよ!)→英語版をリンクしてみたよ

で、このカスティリオーネ・デル・ラーゴの、イタリア語ページを印刷して、イタリア語の勉強だぜ!と、まずは全訳してみようとした。そして挫折した(早かった)。んで、内容を簡単に日本語で要約して、旅行に持ってきた。誤読があっちゃいけねえ、と、一応英語版もコピーして持ってきた。じゃ、要約だってしなくてよかったんじゃないかと、我ながら思う。

それから、地図だってガイドブックには載っていないので、グーグルマップを印刷してきた。ネット時代って便利だねえ。でも本当にその時代の恩恵に預かるなら、スマホやタブレットを旅行に持ってくるべきだねえ。でも持ってないからねえ。持ってないものは持って来れないからねえ。

とりあえずメインストリートを歩くとすぐ、スライム屋根の、サンタ・マリア・マッダレーナ教会があったので、中に入ってみた。残念ながら、その大きなスライム屋根は、遠くからなら見えるけれども、教会の正面が狭い道にしか面してないため、教会の入口からは見えないのである。ヨーロッパの大きな教会の前が、広場になっていることが多いのは、教会の全体像を見せるためというのもあるのかもしれない。

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

中はこんな感じで、内装は新しく作られたって感じである。BBIによると、1836年にジョヴァンニ・カプローニという建築家が造った教会だそうな。

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

スライム屋根の内側はこんな風ですせ。

内部には、教会建造よりも、古い絵が展示してある。どこか他から運んできたのだろう。

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

シエナ派の画家が、1300年代に描いたのではないかとされる、「授乳の聖母」。

カスティリオーネ・デル・ラーゴ

「ペルジーノの弟子」が描いたと言われる、「聖母子」。「ペルジーノの弟子」って…ラファエロもペルジーノの弟子ですぜ。おそらくだが、ペルジーノ工房が製作した絵で、ペルジーノではなく、弟子が完成させた部分が多いという作品なのだと思われる(推測)。しかし、人物の首の傾げ方や、おちょぼ口がペルジーノらしい。

教会を出た後は、いよいよ湖を見に行くことにした。そうだね。まだ湖見てないね。というわけで、次回は湖です。