3/12コルトーナ旅行記5 トスカーナの地平に夕日は沈む

カスティリオーネ・デル・ラーゴの遠足から、鉄道で、コルトーナのカムーチャ駅に戻ってきた。

電車の到着と、カムーチャ駅からコルトーナ旧市街へのバスの出発時刻が、接続がよい電車で帰ってきたのだが、その電車が、20分遅れたため、乗り換える予定であったバスは、既に行ってしまってた。次のバスまでは、30分以上ある。カムーチャ駅周辺には、少し歩かないとバールすらないので、駅の待合室で、ぼんやりとバスの時間まで待つことにした。

3人でぼんやりしていると、アメリカ人とおぼしき、シニア女性4人のグループに英語で話しかけられた。「中心街までのバス切符を買いたいのだけど、これで買えばいいのかしら?」と、鉄道切符の自動券売機を指さす。

それは鉄道の切符販売機ですよ、と答え、一昨日、地元の少年に教えてもらった、タバッキの場所を教えてあげた。情報は、こうやって、人から人へと伝播していくのであるな。女性たちは疲れているようで、「歩いてどのくらいかかるのかしら?」と不安そうな顔で坂道を見上げたので、5分もかからないくらいで、すぐですよ、と答えると、安堵したようで、荷物番と切符係に別れて、二人が切符を買いに行っていた。

コルトーナは、「トスカーナの休日」という、アメリカ映画の舞台になった町だそうで、日本での知名度より、アメリカでの知名度が高い。同じく映画のロケ地になったアレッツォやピエンツァのように、アメリカ人観光客が多いのかもしれない。

もうすでに慣れっこになった、コルトーナ中心街へと向かう、ミニバス…本当に小さいボックスカーみたいなバスが、バス停に到着したのだが、アメリカ人クループは動こうとしない。このボックスカーが、まさかバスだとは思っていないのかもしれない。

そこで、「バスが来ましたよ」と声をかけてみると、「いいの、いいの。バスには乗らないことになったの」とのお答え。というのも、宿泊する予定のホテルから電話がかかってきて、駅まで送迎の車が来ることになったのそうだ。「このバス切符は必要なくなっちゃったので、要りませんか?」と言ってくれたのだが、我々は明日コルトーナを発つ時に使うバス切符まで購入してあるので、お断りした。

バスは、我々3人だけを乗せて、ゆっくりとコルトーナ旧市街へと上って行く。こんなに利用者が少ないバスなのに、1時間に1本程度は運行してくれるのは、まことにありがたいことである。夏場はもう少し観光客が多いんだろうなあ。

旧市街に着くと、とりあえず、宿泊しているレジデンスのすぐ近くにあるジェラート屋さんにまだ行ってなかったので、ジェラートを買って食べることにした。今日は晴れていて、カスティリオーネ・デル。ラーゴは結構なぽかぽか陽気だったしね。それに、ジェラートはイタリア旅行の基本である(何の基本だよ)。

我々が行ったのは、トリップアドバイザーでもなかなか高評価の「Ti amo」というジェラート屋さんである。日本語訳すれば「愛してるゼ」くらいの意味。…こういうネーミングセンスは、イタリアと日本って、結構「ねじれの位置」って感じだと思う。
で、その「愛してるゼ」のジェラートは、ヨーグルトとレモン味を食べたが、やや甘くはあったがなかなか美味しかった。トスカーナのジェラートは、私はなかなか舌に合うように思う。

今日はたくさん歩いたので、母はレジデンスで休ませて、私と姉はコルトーナの町に繰り出した。明日でコルトーナを発つので、最後の町歩きである。

ジェラートもそうだけど、「ウンカフェ(=バールでエスプレッソを一杯)」も、イタリア旅行の基本である。今日は、この「ウンカフェ」も済ませていなかったので、バールに入ることにした。

姉と私は、「ウンカフェ」するにも、選択肢がある場合は、どのバールにしようかウロウロと悩む二人である。地元の人に人気のバールの方が断然美味しいし、できればもっさりしたオヤジバール(=店主も客も皆オヤジ)よりも、オシャレバールに入りたい。と言っても、イタリアではオシャレバールの割合は結構少ない。もっと言えば、バールに「オシャレ」を求めることが、正しい事なのかどうかが疑問である。

で、ナツィオナーレというメインストリートの真ん中らへんに、ちょいとオシャレなバールを2軒見つけた。

コルトーナ

市庁舎が見えるこの通りが、ナツィオナーレ通り。コルトーナでは、一番、お店などが多い通りである。

たった1ユーロのカフェを飲むのに、さっさとどちらかのバールに入ればよいのに、迷いに迷った我々は、道端に現れた猫ちゃんが、どちらの方向に歩くかで、入るバールを決めた。人間は、決断を迷う時には、自分の意思とは何の因果関係もない出来事に、決断を委ねるところがあるのだ。占いの類が、こんなに科学が発達しても衰退しないのは、そのためなのであろう。

コルトーナ

入ったのは、コチラのバール。バールと言うよりカフェだろうか。

中には、きちんと制服を着たバリスタさん(=バールでコーヒー作る人)がいて、出してくれたエスプレッソは、非常に美味しかった。ちょっと高級感のある内装だったのだが、立ち飲みコーヒーは、オシャレバールだろうと、オヤジバールだろうと、イタリアではだいたい1ユーロ前後で変わらないのである。美味しいコーヒーが飲めたので、猫ちゃんに決めてもらって正解だった。

この後、城壁を出て、バス乗り場があるガリバルディ広場まで降りて、サン・ドメニコ教会に入ってみた。

コルトーナ

バス乗り場から見えている場所にある、質素な教会で、よく扉が開いていたので、気になっていたのだ。

地球の歩き方には、主祭壇の祭壇画が見事と描かれていたのだが、目つきが悪くて、あまり好みの作品ではなかった。

代わりに目を惹いたのは、こちらの剥がれかかっているフレスコ画。

コルトーナ

説明版には、Bartolomeo della Gattaという画家さんの、「聖ロッコと諸聖人の物語」とかいうタイトルの作品の部分だと書いてあった。Bartolomeo della Gatta…って本名ではないのだろうが、Gattaって「雌猫」って意味だから、「女の子のネコが好きなバルトロメオさん」ってあだ名?何だか親近感沸いちゃうね(私は猫好き)!

サン・ドメニコ教会を出た後、城壁内に戻ると、夕陽に照らされて、コルトーナがピンク色に輝いていた!

コルトーナ

コルトーナ

こりゃ、最高級の夕陽が見れるぞ!と踏んだ我々は、レジデンスで休んでいた母に、「夕陽を見に出てこない?」と電話を入れてみたが、母は「もう休憩モードに入ったから、外に出たくない」とのことだった。そうね。一度、部屋でまったりしてしまうと、外に出るのってエネルギーが必要だもんね。わかるよ。私も基本、出不精だからわかる。出不精のくせに、趣味が旅行とは、私は思い切り矛盾した存在物なのである。

コルトーナ

コルトーナ

今日は、晴れていたしねー!雲一つない空を、夕陽がピンク色に照らしている。

ところで、ここからのアングルでは、木がジャマしているので、もう少し夕陽を見送るベストスポットがあるのではないかと、姉と考えた所、「ドゥオーモ前の広場はどうだ!?」ということになった。そこで、ちょっと駆け足で、サンタゴスティーノ門あたりから、ドゥオーモ広場まで移動してみた。

すると!結構本気で走ったのに、夕陽の足は、我々よりずっと速かった!というか、想像以上に我々が鈍足なのであろうか…。

コルトーナ

ついさっきまで、まるまる顔を出していた夕陽が、既に半分以上は沈んでしまっているよ!何でこんなに速いの!?普段、夕陽を観察する習慣がないもので(そんな習慣ある人いるのか)、夕陽シロウトだったよ…。でもまあ、ギリギリ、完全に沈む前に間に合って、ヨシとするか。

コルトーナ

夕闇がこれから始まるコルトーナ。この道は、初めて来た道だが、なかなか素敵な通りだ。

小さな町コルトーナとは言っても、あちらこちら走り回ってみると、まだ歩いていない路地もたくさんある。私は、小さい町に滞在すると、路地という路地を歩き回ってやろうと意気込んでしまうのだが、大抵の場合は、「あー、まだ歩いてない道がある!」という心残りを持ちつつ、町を後にすることになる。しかし、今までイタリアの町で、全ての道を制覇した町は2つある。チヴィタ・ディ・バニョレージョ(コレは当たり前)と、ピエンツァである。

さて、レジデンスに帰る前に、コルトーナで一番気に入った通りである、中世の家が立ち並ぶ通りに寄ってみた。すると。中世の家から、住民が出てきた。中世からずーっと、そこにあるだけではなく、住居として使われているということが実感できた瞬間であった。

レジデンスに帰る途中で、バス停の所でしゃべったアメリカ人グループと再会した。小さなコルトーナなので、同時期に旅行する同士とは、何度も出会う。「どこか美味しいレストランを知らないかしら?」と聞かれたのだが、「私たち、コルトーナではずっと自炊しているので、レストランは知らないんですー」と答えると、「へー!自炊してるのねー!」と驚いていた。今に思えば、一軒くらいコルトーナでレストランに入っても面白かったかもなー。

明日はフィレンツェに向けて出発する。もう、5度目となるフィレンツェ…もはや旅行と言うより、里帰りって感じのリラックス感すら漂っているわけだが、気を緩めるな!…と言っても、緩めるなとオノレに言い聞かせている時点で、もう緩んでいるのである。