3/13シラクーサ旅行記4 ポリスは消えて思想は残る

ああ忙しいシラクーサ滞在。

というか、今回のシチリア旅行は、我々にしては(我々にしてはですよ!)、非常に忙しい、しゃかりき旅程である。疲れていなくても、「忙しい」ってだけで、疲れている気分になってしまう。今日は、この忙しいシラクーサ滞在の中で、ノートという町にも日帰りで行ってやろうかと思っている。

で、実際に疲れていたかというと、実はそうでもなかった。疲れているのは「気分」だけのようで、朝は、スッキリと7時に目が覚めて、爽快であった。海が少しだけ見えるテラスに出て、シラクーサの朝日を浴びながら、ラジオ体操をした。何とヘルシーであることか。

シラクーサで、このB&Bに宿泊したのは、「朝ごはんが美味しそうだから」というのが、一番の理由だった。しかし、我々が宿泊した時は、建物全体が改装中で、朝食を提供する場所が使えないため、代わりに、チケットをもらって、近くのバールで朝食を取る形になっていた。イタリアのバールでの朝食ってのは、たいていカプチーノに甘いパン程度で、軽い朝食である。

バールで取る朝食は、美味しいし、実にイタリア式の朝食って感じなので、イタリアの日常生活を体験するには面白いのだけど、ボリュームたっぷりの朝食を期待していた我々はちょっと残念であった。

シラクーサ

こちらがバールで食べるイタリア式朝食。外国人観光客を意識したホテルなどで食べる朝食には、サラダ、ハム、チーズ、フルーツにヨーグルトなどが出てくることがあるが、バールで食べる朝食は、原則こんな感じだ。ビタミンが足りないね、ビタミンが。てなわけで、あとからスプレムータ(オレンジの生搾りジュース)を追加したよ。

今日は、この後、午後からはノートに行く予定である。ノートへの行き方などを確認するために、最初に観光インフォメーションに向かったのだが、この観光都市シラクーサで、観光インフォメーションを探すのに苦労した。

地図では、アルキメデス広場のすぐ近く、宿泊しているB&Bからすぐの場所にインフォメーションのマークが書いてあるのだが、見当たらない。そこで、港にあるインフォメーションまで行ってみたのだが、こちらは閉まっていた。

シラクーサ人は親切な人が多く、困っていると、向こうからすぐ観光情報を教えてくれるので、シラクーサの町全体が観光インフォメーションって感じだ。だから、インフォメーションが閉まっていても、観光に苦労はしないのだけど、何せ、必要なのはシラクーサ情報ではなくてノート情報なのだ。イタリアの町の人たちは、だいたい自分の町のことしか知らないので、聞きようがない。

そんなわけで、ノートへの行き方などは、バス停や鉄道駅に行って調べたのだが、ノートの話は、ノートの旅行記と一緒に書いた方がスッキリしそうなので、このへんの話は次に回すとして、ちょっと時系列は前後するが、先に午前中に回ったシラクーサ観光の話から書くよ!

シラクーサの町は、大きく、高台の「考古学地区」と、海側の「オルティージャ島」に分けられる。シラクーサは、古代ギリシア人がギリシアからシチリア島に渡ってきて築いた都市だ。そのため、ギリシア的に、高台に神殿(アクロポリス)、平地に市民の生活の場(アゴラ)を備え、アクロポリス跡=考古学地区、アゴラ跡=オルティージャ島なのかな、と勝手に私は思っていた。

しかし、当時のアクロポリス(神殿があって信仰の中心)は、オルティージャ島の内部のドゥオーモ広場らへんだったらしい。確かに、考古学地区に残っている遺跡は、ギリシア劇場跡やローマ劇場跡で、神殿跡ではない。ということは、高台の考古学地区は、古代ギリシア時代は、劇場などのレジャー施設が集まった場所だったのだろうか。そういえば、タオルミーナも、海の見える高台にギリシア劇場があったなあ。

この考古学地区よりも、さらに内陸の方に、シラクーサの最盛期の僭主の一人である、ディオニュシオス1世が築いた城壁の一部が残っているらしい。全長27kmの巨大な城壁で、これが完成したことによって、内陸はこの城壁、海側は海があるために天然の要塞、と、シラクーサは完璧なディフェンスを敷いたのだ。古代から栄える町は、やはり地の利がある場所に築かれるのだろう。

本当は時間があったら、この城壁跡まで行ってみたかったのだが、たった2泊のシラクーサ滞在&我々の鈍足というコラボレーションでは、そんな時間あるわけがなかった。というわけで、城壁まで行く時間はないけど、この日の午前中は、考古学地区まで行くことにした。

オルティージャ島と、考古学地区は、橋によって結ばれている。

シラクーサ

オルティージャ島と考古学地区を結ぶ橋から見た海。シラクーサの海は本当に綺麗なのだ。

考古学地区は高台だから、当然坂道を上って行く。オルティージャ島と考古学地区は、ミニバスでも結ばれているが、歩けないほどの距離ではない。また、考古学地区が高台にあることを実感するためにも、歩いたほうが面白いとは思う。

思う…が!何だか日が差して来て暑いし、午前中に考古学地区の観光を済ませなきゃ!と、少し気が急くしで、大したことのない距離で、大した傾斜でもない坂道なのに、上るのに若干疲れてしまい、距離も遠く感じた。こっ…これは、考古学地区にあるギリシア劇場、ディオニュソスの耳、パオロ・オルシ考古学博物館を全て午前中に回るのは難しいかもしれない…。

姉に「ねえ、このペースで、午後にノートに行くのは難しそうじゃない?」と言ってみると、「パオロ・オルシ考古学博物館は明日の午前中に行けばいいんじゃない?」とのお答え。そうだね。明日、パレルモに発つバスはお昼以降の時間だし、明日の午前中まで動けるね。でも、明日はオルティージャ島の先端にあるマニアーチェ城に行きたいとも思っていたんだけど、博物館に行くなら、完全に反対方向だから無理そうだなあ。あーーー、シラクーサ滞在は忙しいッ!シラクーサが見どころが多すぎるんだよッ!(何とゼイタクな悩み…)

シラクーサ

上る途中で、このいかにも怪しげな三角錐が見えてきた。マドンナ・デッレ・ラクリメの聖所記念堂である。姉が「コイツが見えたらあと少しだよ」と言う。古代の遺跡がゴロゴロと残り、「古代ギリシア情緒」とでも言うものが漂っているシラクーサで、明らかに浮いている建物である。聖母マリアが涙を流した奇跡にちなんで、20世紀後半に建てられた建物だ。

東京のような近代的な町にあれば、アートっぽく見える建物なのだろうが、古代のかほりがするシラクーサで見ると、宇宙人の交信用アジトにしか見えない(マジに考えれば、アジトって隠れ家だから、こんなに目立つ場所に作るわけないけどね!)。町全体の雰囲気を大事にする傾向のあるイタリア人が、このような建築物を容認しているのは何とも不思議だ。もしかしたら、古代文明って、オカルトとの相性がいいから、わざとオカルトチックな建物にしたのであれば、スゴイ想像力だ。

で、ようやくたどり着いたよ、ギリシア劇場っ!

シラクーサ

「ようこそニャー」と出迎えてくれた猫ちゃん。見ての通り、地球の歩き方を放り出して、猫の写真を必死に撮影している私の影が写っている。歩いて疲れたのと暑いのとで、頭がボーっとして、わけもわからずこの猫ちゃんの写真を撮ったのをぼんやりと覚えている。

ギリシア劇場もディオニュソスの耳も、「ネアポリス考古学公園」内に含まれるので、共通切符となる。我々は、昨日、ベッローモ宮州立美術館で、ベッローモ宮州立美術館、ネアポリス考古学公園、パオロ・オルシ考古学博物館の全部の共通券を買っておいたからタダで入れるよ(騙されるな。共通券を買ってるんだからタダではない)。

入り口のところで、道は二つに分かれていて、左に行けばギリシア劇場、右に行けば耳である。どっちから行く?劇場からにしようっ!

シラクーサ

ギリシア劇場にたどり着く前にトイレがあった。シーズンオフで人が少ないためかもしれないが、これはいいトイレであった。清潔で何も問題なし。トイレ大事なので、一応報告しておくよっ!
そしてギリシア劇場…。

シラクーサ

おおおっ!これは雄大っ!大ギリシアの首都って感じっ!(意味不明)工事中なのが、ちとだけ残念だね。でも工事必要。

シラクーサ

こちらは正面から見た図。このギリシア劇場は今でも、夏には劇の野外公演や、コンサートに利用されているらしい。

タオルミーナのギリシア劇場と比べて、タオルミーナの劇場の方が、柱などが残っているため、保存状態がよく感じられ、エトナ山や海が見える立地からして華やかである。しかし、シラクーサのギリシア劇場の方が、大きくて、保存が良くない分歴史のかほりが漂っている(気がする)。高級リゾート地タオルミーナと、古都シラクーサの違いを、図らずもそれぞれのギリシア劇場が表しているようだ。

古代ギリシアと古代ローマの遺跡は、ざっくり見れば似ている。それはそのはず、ローマは、文化面ではかなりギリシアを模倣しているからだ。しかし大きな違いは、古代ギリシアの娯楽は「劇場」であり、古代ローマでは「闘技場」であることなんじゃないかと思う。今でいえば、「映画」と「スポーツ観戦」の違いだろうか。

古代ギリシア人は、筋書きがあり、何らかのメッセージが有り得るストーリーを娯楽として楽しむ。古代ローマ人は、筋書きがなく、戦いそのものが目的となっているエンターテインメントを楽しむ。古代ギリシアの方がロゴス的・精神的な娯楽であり、古代ローマの方がパトス的・身体的な娯楽だ。何となくだけど、古代ローマの方が、大国を築いていくのはわかる気がする。ロゴスよりパトスの方が、エネルギーを集めやすいのだ。

シラクーサ

劇場の反対側まで回ると、宇宙人の交信用アジト(マドンナ・デッレ・ラクリメの聖所記念堂)も見えるよ。古代遺跡と現代建築のコラボである。

シラクーサ

ギリシア劇場にぽつんと座って読書をしている人がいた。いいねえ。私もこういうオツなことがしたいよ。読むのはもちろん「走れメロス」だよ。だって15分で読めるから。姉と私は、このシラクーサのギリシア劇場で「走れメロスごっこ」をしようと思っていたのだが(アホだよあんたたち)、シラクーサ滞在は忙しすぎてできなかった。

今回のシチリア旅行は、「陽光あふれるシチリア島!」と想像していたほどは天気に恵まれなかったのだが、このギリシア劇場訪問時にお天気が良かったのが幸いだった。なぜだかわからないが、古代遺跡には太陽が似合うのだ。

シラクーサ

これは単に私のイメージなのだろうけど、古代ローマ遺跡と違って、古代ギリシア遺跡は「夢の跡」って感じがしない。何だろうなあ、そこに彼らの精神は生き続けているというか、遺跡って感じがしない。うまく言えないのだけど。古代ローマは、「国破れて山河あり」的に、巨大な遺跡だけが残っている切なさがあるのだけど、古代ギリシアは、「国破れて思想あり」みたいな。

古代のポリスは消滅しても、ギリシア悲劇や喜劇、神話のストーリー、ギリシア哲学などが、綿々と今まで読み継がれている。古代ギリシアが遺した一番大きなものは、物体として残っている遺跡ではなく、西洋思想の源流なのではないだろうか。まっ、そうは言っても、ロドス島の超巨大像とかが残っていれば、全然違うんだろうけどね!

シラクーサ

冬は観光オフシーズンということもあって、ギリシア劇場はメンテナンス中であった。舞台部分は大掛かりな工事中だし。このスタッフさんは、雑草を取り除くという、気の遠くなりそうな作業を黙々と行っていた。こういう地道な作業のおかげで、二千年以上の年月を経ても、このギリシア劇場は保たれ続けているのだなあ。

シラクーサ

このシラクーサのギリシア劇場も、タオルミーナのギリシア劇場ほどはっきりは見えないが、目を凝らすと遠くの方に海のきらめきが見える。

ギリシア劇場は、客席の部分を、もともと自然に傾斜がある地形を利用して作ることが多いらしい。そのためにタオルミーナといいシラクーサといい高台に作られているのかもしれないが、そのおかげで海が見えるロケーションになっているのが素晴らしい。古代ギリシア時代、シチリアに移住してきたギリシア人は、演劇を見ながら、その舞台の背後の海の、さらに向こう側にある故郷ギリシアに思いを馳せたりしたのだろうか。

それにしても、ギリシア劇場、最高ッ!以前は、古代ローマ遺跡とかちんぷんかんぷんだった私だが、だんだん遺跡のロマンとかわびさびとかがわかるようになってきたよ。ロマンとかわびさびとか、テキトウなこと言っている時点で、まだまだ遺跡素人なのがミエミエだけどね!いいんだよ!どんな情熱もロマンから始まるものなのさ!(またテキトウなこと言ってる…)