3/15パレルモ旅行記3 四面バロック、ピコーン教会

さて。お昼ごはんを食べた、「Antica Focacceria San Francesco」は、パレルモの旧市街の南東部にある。

パレルモは、歩いて回れる大きさの町ではあるのだが、見どころが多い。6泊するとはいえ、ある程度ルートを考えながら回らないと、あっちに行ったり、こっちに行ったりと、非効率的な歩き方をしてしまうことになる。

ここから近い観光地といえば、シチリア州立美術館。今日は日曜日なのだが、一応、地球の歩き方の情報では、日曜日も開いている。まっ、そうはいっても、日曜日は美術館系は閉まっていることがあるので、あまり期待しないで行ってみたら、やっぱり閉まっていた。イタリアは情報がころころ変わるので、ガイドブックの情報が現状と合ってないことは多い。もう、この現象にも慣れてきたんだぜ。

まあ、今回我々は、パレルモ6泊なので、また別の日に出直せばいいのだが、その町に1泊しかしない場合や、日帰りの場合などは、ガイドブックを鵜呑みにせず、インターネットなどで開館日などを調べておいた方がよい。ま、それもマチガッテいる場合もあるんだけどね…。もう、そういう場合は、お手上げである。そんな美術館には、もう歓迎されていないんだと思った方がいい(メッシーナの美術館とかね(怒)!)。

パレルモ

こちらは、シチリア州立美術館の近くにあった落書き。この美術館の、最大の有名作品である、アントニオ・ダ・メッシーナの「受胎告知」のパロディ。何で、マリアの目が隠されているのかはわからないが、非常にクオリティの高い落書きであることは間違いない。

美術館が閉まっていることだし、ここまで来ると、スーパーマーケットが近いので、日用品の買い物をして帰ることにした。

パレルモの旧市街にあるスーパーマーケットは、ホテルのオーナーに聞いた限り、ひとつしかない。ひとつしか。

そのひとつしかないスーパーマーケットは、大手のカルフール。旧市街の南東の方、ミルト宮の近くにある。スーパーの規模自体は大きかったが、日曜日のため入荷が少ないのか、あまり品ぞろえはよくなかった。明日は、市場も開くので、野菜類の大量買い出しは、明日することにした。

とりあえず、スーパーの買い物品もぶら下げているし、いったんアパートに帰ることにした。途中で、CREA Traveller (クレア・トラベラー) 2013年 10月号 [雑誌]に掲載されていたスイーツ屋さん「ciocolateria Lorenzo」によって、チョコレートケーキをお持ち帰りした。

パレルモ

こんなケーキだよ。ちょうちょの棒付きチョコレートはおまけでくれたんだよ。また、私がコドモだと思われたくさいよ。ちなみに美味しかったよ。クレアトラベラーにハズレなし。

パレルモ

パレルモ

こちらは、帰る途中にあったお屋敷。南東方面に行くときに、何度か前を通ったお屋敷だが、美しくて、私のお気に入りだったお屋敷。貴族が使っていたお屋敷だろうか。

そういえば、パレルモに来る前に、マフィアを描いた「ゴッドファーザー」と、パレルモ貴族を描いた「山猫」の、2つの映画は見ようと思っていたのに、結局見なかった。私は驚くほど映画に興味のない人間だ。最後に映画館で見た映画って、付き合いで行ったハリーポッターだよ(これで、どれだけ映画を見ていないかわかるだろう)。私にとって映画は、短すぎて長すぎるんだ…(ちょっとカッコイイこと言ってみたつもり)。

さーて。アパートに戻って。これからどうしようかな。…って、日曜日は、開いている場所少ないから、行く場所限られてくるんだよー。とりあえず、クアットロ・カンティに行こうか。パレルモのシンボルだし、何より、屋外にある普通の(イヤ、普通ではないけど)交差点だから、日曜だろうが何だろうが、閉まってて見れないなんてことはないからね!

今回宿泊したアパートは、非常に場所が良い。クアットロ・カンティまでは、歩いて1~2分程度だ。

パレルモ

クアットロ・カンティまで歩く途中、大通りヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りにあるお店の、ウィンドゥを飾っていた、陶器の猫ちゃん。かわいいぜ。しかし、陶器なんて、日本に持って帰れないんだぜ。いいんだ。人生は一期一会だぜ。

で、普通の交差点に、どどんと構えるクアットロ・カンティ

パレルモ

パレルモ

クアットロ・カンティとは何か。まあ、ぶっちゃけ交差点なのだが、タダの交差点ではない。その交差点の4つの角を、それぞれバロック装飾が施された噴水がド派手に取り囲んでいる。写真では伝わりにくいのだが、交差点の真ん中に立つと、バロック装飾に四方を取り囲まれ、得も言われぬ迫力の風景となるのである。四面楚歌ならぬ、四面バロック。

ローマのバルベリーニ宮の近くに、クアットロ・フォンターネと呼ばれる、四つ角にそれぞれ噴水がしつらえてある交差点があるが、それを大規模にした感じだ。カッコイイ。まじカッコイイ!

パレルモ

写真では、どうしても360度バロックに包囲されているのを伝えられないのだが、ひとつずつの角は、こういう風に、へこんだ曲線になっていて、3つの層に区切られて、それぞれの層に、像が飾られている。一番下が四季、真ん中が当時パレルモを支配していたスペインの王様たち、一番上が守護聖人である。特に四季の像がステキだったので、いっこずつ、じーっくり見ていくよ!

パレルモ

まず、こちらが(おそらく)春の寓意像。初々しく、新しい季節にふさわしく若い女の子の風貌である。手に持った花を地面にまいているポーズだろうか。ボッティチェリの「春」に出てくる、大地の女神フローラと同じポーズをとっている。
パレルモ

次に、こちらがおそらく夏。春よりも、すこーし大人びた表情の女性。日本の夏と西洋の夏のイメージは違うんだなあ…と思いません?四季の寓意像を見るたび、一番ピンとこないのは、いつも「夏」である。日本の、ひたすら涼を求める真夏のイメージではなく、どちらかというと、初夏っぽい雰囲気なのだ。

パレルモ

こちらは秋。しっかり落ち着いた大人の女性である。何となく余裕のない表情の春・夏に比べて、実に落ち着き払っている。手に持っている籠には、秋の果実が入っている。実りの秋。この秋が好きか、それとも春が好きかで、美人・お姉さま系が好きか、カワイイ・妹系が好きかの好みが分かれると見た。

パレルモ

そして冬。春夏秋が過ぎて、乙女は老婆になってしまうのだ。それにしても、秋から冬にかけて、一気に歳を取り過ぎではないか。少年…いや、少女老い易く、とでも言いたいのかな。

面白いのは、ここで、冬から春へとまた回帰していくというイメージは表現されない。これは、やはりキリスト教的な、「世界を神が造り、やがて最期の日がくるまで、時間は一直線に進むもの」という時間概念のためなのだろうか。それに対し、われわれ東洋人が馴染んでいるのは、「回る回るよ時代は回る(By中島みゆき)」のような、円を描くように元に戻る時間、季節、という時間概念だ。

このクアットロ・カンティ近くには、観光用の馬車が停まっていた。この馬車の勧誘が、なかなかしつこかった。結構強めに「NO!」と言わないと、引っ込まなかった。ヴィットリオ・エマヌエーレ通りを歩いている時は、大型バイク(?)での市内観光の勧誘もしつこかったし、これにはちょっとビックリした。パレルモって、観光にやる気あるんだー。

パレルモ

クアットロ・カンティから、西の方角を見ると、ヌオーヴァ門が見えている。カッコイイ。パレルモは、結構カッコイイ町だ。気に入った。

このヌオーヴァ門が面している、旧市街最大の大通りヴィットリオ・エマヌエーレ通りは、大通りと言う割には、道幅が狭く、大通りに面しているお店も、あまり大したことはない。それが、イタリアの他の大都市と違うところだが、パレルモでは、道幅が広くて大きなお店が立ち並ぶ界隈は、新市街の方に集中している。旧市街は、あくまで旧市街…本当に、古い雰囲気の町並みなのだ。

クアットロ・カンティから、ちょっと南の方に入ると、プレトーリア広場がある。

パレルモ

パレルモ

プレトーリア広場は、堂々たるクーポラ(丸屋根)のカテリーナ教会に、ルネサンス風の彫像が立ち並ぶ、美しい広場である。

しかし、パレルモ市民は、この広場をあまり好ましく思っていない、と聞いていた。実際、彫像が並ぶ噴水にはなぜか柵がしてあり、よくイタリアで見るような、噴水の淵に、市民が集まって座り、おしゃべりをするような光景は見られない。ぽつりぽつりと観光客がやってくるくらいで、パレルモ市民には完全スルーされている。

なぜパレルモ市民が、プレトーリア広場が嫌いかというと、「ハレンチ」だからだそうだ。地球の歩き方によると、この噴水は、もともとがフィレンツェのお屋敷のために作った噴水が、パレルモに移築されたものらしく、ルネサンス風で、裸体の像も多い。でも、イタリアで、街頭で裸像を目にすることは、珍しくも何ともない。

もともと、パレルモに置く予定でなかった噴水。もしかしたら、このルネサンス風噴水は、アラブ・ノルマン風、バロック風の建物が多いパレルモにはそぐわない、とパレルモ人に思われているのかもしれない。個人的には、そんなに悪いものには見えなかったのだけど、やはり広場は、人を集めてこそ広場なのだ。市民のいないプレトーリア広場は、まことに淋しそうに見えた。

プレトーリア広場をさらに南下すると、パレルモのパレルモらしい風景を拝むことができるベッリーニ広場に出る。

パレルモ

左に外側はバロック、内側にはノルマン時代のモザイクを抱えるマルトラーナ教会、右に見た目からしてアラブ風のサン・カタルド教会、真ん中にヤシの木!異民族に支配されてきた、南国シチリアを象徴する風景である。

本当は、この2つの教会は、一緒に訪問したかったのだが、日曜日ということもあって、左のマルトラーナ教会は閉まっていた。というわけで、今日は、開いていたサン・カタルド教会の方だけ入ることにした。マルトラーナ教会はまた後日。

パレルモ

サン・カタルド教会は、このように、赤い丸屋根が3つ並んだ、異国情緒たっぷりの教会。日本人の私が、イタリアで見る教会に対して「異国情緒」と言うのはおかしな話なのだが、それでも「異国情緒」と言いたくなるような、不思議な形をした教会なのである。

この3つ並んだ丸屋根を見て、私が連想するのは…クイズ番組で、正解がわかったときに押すボタン、「ピコーン」!というわけで、このブログでは、今後、この赤い丸屋根を「ピコーン」と呼ばせて頂きます。「ピコーン」の「ピ」に高音アクセントをつけて読んで頂きたい。

サン・カタルド教会は有料教会である。というか、パレルモの見所教会はほとんど有料で、しかも他の町の教会に比べて、やや高いと感じることが多かった。で、サン・カタルド教会はいくらだったかというと、忘れた。てへ。

パレルモ

ピコーンの中身は、がらんどうだと聞いたことがあるのだが、がらんどうでも、この雰囲気!素敵!ピコーン、気に入った!

パレルモ

このように、内側から見たピコーンは、内側に何か装飾がされているわけでもなく、空っぽなのだ。しかし、空っぽなのだけど、この空っぽの半球を見上げるのが、何だか楽しい。

そして、床に注目っ!

パレルモ

天井は空っぽでも、床はこのように、鮮やかに飾られている。このモザイクを、ノルマン・モザイクというらしい。細かいモザイクで作られた幾何学模様が、さらに大きな、直線曲線が組み合わされた模様を作っている。エスニックな雰囲気で、何気にイケてるノルマン・モザイクである。

私は、シチリアに来るまで、アラブ・ノルマン様式って何だろう?アラブなの?ノルマンなの?どっち?と思っていたが、両者が融合したものが、アラブ・ノルマン様式なのだ。屋根のピコーンはアラブ式。床のモザイクはノルマン式。

シチリアは、地中海の真ん中に位置することもあり、いろんな民族がやってきて、入れ替わり立ち代わり支配してきた。特徴的なのは、シチリアに土着していた、「シチリア人」とでも呼べそうな先住民がシチリア全体を支配してこなかった、ということだ。地中海の四方からやってきた、ギリシア人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人、スペイン王朝、フランス王朝…などが、次々にやってきて、順番にシチリアを支配していった。

その中で、キリスト教民族でないのは、古代ギリシアを除けば、アラブ人だけである。このアラブ人が支配していた時代に、イスラム教寺院が作られた。その次にシチリアを支配したキリスト教民族のノルマン人は、アラブ人が作っていたイスラム教寺院を取り壊さず、キリスト教の教会に改装した。なので、ノルマン時代に作られた教会には、アラブの特色が残されたものがあるのだ。

アラブ、ノルマン支配の時代は、文化的寛容さが見られる時代だったらしい。改宗を強制したり、文化を弾圧したりしなかった。その寛容さが、アラブ芸術とノルマン芸術を融合させたと言われている。

そんなわけで、パレルモで見られるピコーンの屋根には、「イタリアでは珍しいね」という感想以上の、深い歴史が刻まれているのだ。しかし、ピコーンには、そんな堅苦しいこと抜きにして、ピコーンのかわいさを楽しもうぜ!みたいな、陽気な軽やかな空気を感じてしまう。寛容の時代に作られた、この教会ならではの空気感なのかもしれない。こじつけですかね?ピコーン!