3/15パレルモ旅行記4 大通りを挟めば別の顔
パレルモのピコーンことサン・カタルド教会を見学した後、近場で、日曜日に他に開いている教会を調べてみると、ジェズ教会が開いているかもしれないかもしれない…(イタリアでは、日曜日の教会は、ガイドブックに開いてると書いてあっても、開いてないことが多い)だったので、一応、足を運んでみることにした。
ジェズ教会は、大きな通りであるマクエダ通りから、西の小道の方に入り込んだところにある。
マクエダ通りから、地図を見ながら、西側に入ってみると…
古くて荒れていて、ちょっと恐い雰囲気…。不法投棄されていると思われる、何年前に捨てたのだかわからない、大きなゴミなどが固まって放置されている区画もある。野良っぽい大型犬も、所在なさげに何匹も寝そべっている。パレルモの旧市街、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りより駅側の地域は、治安が良くないと聞いていたが、確かに町並みは荒れている。
もしかしたら、日曜でなければ、どこかお店などが開いていて、また違う雰囲気なのかもしれないが、荒れたシーンとした町並みに、ぽつぽつと移民っぽい人たちが固まっておしゃべりをしている。ただ、それだけのことで、旅行者である我々をジロジロ見たり、囃し立てたりということは一切ないのだが、何せ、町並みのせいで、恐く感じてしまった。
日本人旅行者から見ると、何だか恐いと感じてしまう、ジェズ教会周辺。狭い路地の奥に、教会の鐘楼が見えてきた。一応、ガイドブックでは、ナポリのスペイン人地区のように、「立ち入らない方がよい」とまでは書いてないので、ドキドキしながら、このままジェズ教会を目指した。教会の入り口は、この鐘楼が見えている広場ではなく、そこから回り込んだ場所になる。
で、ジェズ教会の正面に出ると、閉まっていた。やはり日曜日は、ガイドブックでは開いていると書いてあっても、閉まっている施設が多い。また明日以降に出直そう。
パレルモの通り名や広場名の表記は、このように3か国語で書かれている。一番上はイタリア語、一番下はアラビア語。真ん中は、もしや歴史にちなんでノルマン語っ?と思ったが、ヘブライ語らしい。今でもアラブ系や、ユダヤ系の住民が多いのだろうか。
さて。日曜日でも開いている場所と言えば、もう、町の大聖堂・カテドラーレしかないだろう。小道から、ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りに出て、西へと歩き、カテドラーレを目指した。
ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りから、今までさまよっていた、大通りの南側の界隈を見てみると、こういう風に、廃墟となって壊れかけている建物が見えている。そんな廃墟っぽい建物の窓にもカーテンが引かれ、洗濯物だって干してある。
小心者の旅行者から見ると、ちょっとビビッてしまう風景だが、たくましく生きてるんだな、と思う。シチリアはどの町も、本当に廃墟っぽい建物が多い。しかし、廃墟と思いきや、使用されていることもある。この辺が、北部や中部イタリアの観光地とは違う光景だ。
さて。パレルモのカテドラーレ。パレルモの町調べは、おおむね姉に任せていたので、あまりパレルモの下知識がなかった私は、大して期待していなかったのだが、大通りが終わるころに、どどーんとデッカイ、男前な教会が現れた。
どどーん!これが、パレルモの堂々たるカテドラーレっ!教会というより、宮殿のように見える。想像していたより、ずっと大きくてカッコイイよっ!
まあ、パレルモの「ドゥオーモ」にあたる教会だと思うのだが、なぜか、ここパレルモでは「カテドラーレ」と呼ばれているようだ。「ドゥオーモ」も「カテドラーレ」も、日本語では「大聖堂」と訳すが、どういう違いがあるかというと、「ドゥオーモ」は、町で一番大きな教会の呼称、「カテドラーレ」は、司教座の置かれる教会のことだそうだ。ドゥオーモ=カテドラーレであることも多いのだが、どうして、パレルモではこのカテドラーレをドゥオーモって呼ばないんだろうなあ。モンレアーレにドゥオーモがあるからだろうか。
堂々たるクーポラっ!
きのこみたいな小さな丸屋根が、並んでいてカワイイ!よく見ると、幾何学模様で飾られている。
カテドラーレ全体は、非常に大きく、後から増築されたと思われる建物や塔がくっついて、つぎはぎだらけにも思えるのだが、全体としては、いろんな様式がごちゃごちゃした「パレルモらしさ」を表しているようにも思える。
残念なことに、入り口の部分は工事中。まあ、こんなにデカイ建物だからね、どこかは修理中になっちゃうよね。しかし本当にデカイね!この写っている部分で、全体の半分くらいだからね!
この工事中の入り口の上の方には、古そうなモザイク。このカテドラーレは、アラブ支配時代にあった宗教施設を、ノルマン時代に教会に作り替え、その後何度も改築・増築を繰り返して現在の姿になったらしいが、このモザイクは、ノルマン時代の名残なんじゃないかな。
ノルマン以前は、ビザンチン帝国や、アラブの支配を受けていたシチリアだが、異民族に寛容だったノルマン支配では、アラブやビザンチンの芸術との融合が起きたと言われている。モザイクと言えば、ビザンチン芸術の花形だが、シチリアでモザイクが多くみられるのは、そのためなのだろう。
内部はこんな感じ。あれこれつぎはぎしてる感じの外部に比べて、スッキリとまとまっている。作りは新しそうだ。
クーポラを下から見上げると、ゴージャスっ!本当に教会じゃなくて宮殿みたい。
カテドラーレの内部は、それほど見どころが多いわけではないが、有料で入れる王の霊廟が有名である。シチリアの歴史を語るに欠かせない、ノルマン王ルッジェーロ2世や、神聖ローマ帝国フェデリコ2世のお墓があるらしい。この時間はもう開いていなかったので、後日時間があったら出直そうと思ったが、時間はなかった。時間ってねえ不思議だねえ。いつも不思議になくなるものなのだよ。
カテドラーレは、建物自体が大きいが、その前庭も非常にデッカイ。前庭では、犬を散歩中の子供たちが犬と追いかけっこしたり、自転車の練習に励む親子がいたりと、パレルモ市民が、実に平和な日常を繰り広げていた。その庭から、大通りを挟んだ南の方を見やると、廃墟が立ち並ぶ区画が奥に見えている。大通り一つ挟んで、全く違う雰囲気なのだ。
前庭には、こんなアヤシイ物体が。勝手に現代アートの何かだろうと思っていたら、結構観光客が写真に撮っている。説明書きを見てみると、パレルモのお祭りで使う、結構大事なものらしい。山車みたいなものかな。
カテドラーレを出た後、もう、日曜日に、他に開いている観光地はないので、この後は、お土産ショッピングに行くことにした。オシャレなお店はヴィットリオ・エマヌエーレ大通りから、北上した新市街の方にある。
新市街は、新しい建物が立ち並び、旧市街と比べて治安が良いと言われている。そのため、地球の歩き方では、新市街での宿泊をすすめてある。ただ、観光スポットは旧市街の方が多いので、旧市街の方に宿泊した方が観光には便利なのだ。我々は、迷ったあげく、「やや新市街寄りの旧市街」に宿泊した。
新市街の方に歩いていく途中で、大道芸人さんを見た。市民がぐるっと取り囲んで見学しているが、やっぱりシチリア人は反応が大人しい。ローマ人や、ナポリ人だったら、大声で笑い転げそうなシーンでも、控えめに笑う人が多い。
我々が向かっているお店は、「La Coppola Storta」。CREA Traveller (クレア・トラベラー) 2013年 10月号 [雑誌]に載っていた、コッポラ帽のお店である。
マッシモ劇場近くにあるオシャレなお店。こういうオシャレなお店があるのは新市街である。
母と父に、お土産として、コッポラ帽を買うことにした。実はこのお店、日本にもあるらしいのだけど(神戸)、本場で買う方がきっと安いし、品ぞろえも多いだろう。
お店のお兄さんいわく、コッボラ帽には、パレルモ風とカターニア風があるらしい。パレルモ風が、ちょっと頭頂がペタッと平たくなっていて、いわゆるマフィアがかぶっているイメージのある帽子、カターニア風が頭頂がふくらんでいて、丸みがあり、野球帽のように天ボタン(帽子の真ん中にある丸ボタン)がついている。「パパにはパレルモ風、ママにはカターニア風がおすすめだよ」とのこと。
シンプルなデザインから、カラフルなものまで揃っていて、本当は、主に家の飾り用として、カラフルなものを買おうかなと思っていたのだが、思っていた以上に素敵なものが多かったので、実際にかぶってもらうことを想定して、シンプルなものを選ぶことにした。帽子のサイズは、SサイズからLLサイズまであったが、欧米人の頭は小さいので、SとかMとかのサイズの名称で選ぶより、実際にかぶったり、お土産用に買うならあらかじめかぶる人の頭のサイズを測ってから選んだ方がよさそうだった。
店員のお兄さんに、これまでのシチリアの旅程を聞かれたので、「カターニアに7泊して、カルタジローネ、ピアッツァ・アルメリーナ、リパリ島などを周り、モーディカに2泊、シラクーサ2泊、で、今パレルモにいます」と答えると、「モーディカぁ!?モーディカに2泊!?あんな小さい町に!?」と、オーバーアクションでのツッコミが入った。
「えっ?モーディカは美しい町でしたよ。チョコレートも美味しいし。それに、モーディカからラグーザにも行ったんですよ!」と、モーディカを擁護する私。だって、本当にモーディカいい町だったよ!しかし、店員さんは、「しっかし…モーディカ。プッ(嘲笑)」みたいなリアクションであった。何でモーディカをバカにするのっ!?
この後、旧市街のアパートホテルに戻る途中に、バールに寄ってカッサータを食べて帰った。アパートの近くにあるので、滞在中に何度も通った、ローマ通りにあるBar Touringというバールだが、プロっぽいバリスタさんがいて、すさまじい手さばきで、コーヒーを入れているのが面白かった。
このバールの会計のお兄さんがややイケメンで、会計の時、「あなたがイタリア語を話すからビックリしました。東洋系の人は、英語しか話せないことが多いので」とにこやかに言われた。イタリア語勉強しててよかった。