3/17パレルモ旅行記9 目の前の聖母マリア

さて。前回の旅行記では、シチリア州立美術館の目の前まで来たよ。

パレルモ

これがシチリア州立美術館だよ。Palazzo Abatellisという名前の、お屋敷の中にある美術館である。もったいぶってないで中に入るよ。入場料は8ユーロだよ。

いきなり、入ってすぐのところに、この美術館の看板作品で、私が何年も前から見たいと思っていた、フレスコ画「死の凱旋」がどーんと現れた。デカイっ!

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ペストが猛威を振るっていた、中世末期に描かれる「死の舞踏」と呼ばれる絵画群に分類される絵である。

このモチーフの絵画は、死への、恐怖、諦め以外に、ペストが、身分に関係なく人々を襲うという、死の平等性を表現することも多い。ドイツでは、死を擬人化した骸骨が、さまざまな身分の人々と踊っている図柄が多いが、イタリアでは、骸骨(死)が、生の世界に勝利している図柄がよく見られる。

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気味の悪い、骸骨っぽい馬にまたがって、ちょっとわかりづらいが、「死」は矢を放っている。これは、黙示録に出てくる、青白い馬にまたがってやってくる、死をもたらす騎士のイメージを彷彿とさせる。

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「死」の放つ矢に射られた人々。服装から、身分の高い人々も描かれていて、「死の平等」を表している部分だと思う。

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この優雅に着飾った婦人たちは、憂鬱そうな顔をしている。だが、死に怯えているというよりは、すぐそこまで迫っている死に対する無関心さが伺える表情だと思う。

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逆に、馬に跨った死に、しっかり目を向けている人々も描かれている。死の圧倒的な力に驚いているのか、それとも「メメント・モリ」…いつか来る死から目を背けるな、という思想を表しているのか。

「メメント・モリ」は、必ずしも後ろ向きな思想ではない。人生は有限だからこそ、尊いとも言える。人生が無限だったら、人間はダラダラと過ごすんじゃないかと思う。…よく考えると、私は有限な人間だが、毎日をダラダラ過ごしてるな。イヤ、こんなんじゃイカン!…と言うふうに、根っからナマケモノな私のようなヤツは、「メメント・モリ」で、自分を奮い立たせなきゃいかんのだね。

ちなみに、この絵は、順路の最後に2階からも眺めることが出来て、2階から見た方が、全体的な広がりが見えて迫力があった。1階からは、絵が間近に見えるのだが、やはりルネサンス以前の絵なので、どことなく拙い絵の細部を見るより、全体的に見た方が味が出る絵だと思う。

このシチリア州立博物館の目玉として、ガイドブックで紹介される作品は3つある。一つが、この「死の凱旋」、二つ目は3つの目玉作品の中でも一番の目玉(変な表現…)、アントニオ・ダ・メッシーナの「受胎告知」、三つ目が「エレオノーラの胸像」である。

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「エレオノーラの胸像」はこちら。ちょうど、等身大の人間の頭の大きさである。高貴さを感じる表情だ。「高貴」という概念は、一口で言えない難しい概念だと思うのだが、ああ、高貴な女性って、確かにこういう表情をするかもね、と納得したくなる表情。
特別美人というわけでもなく、ものすごく心に訴えかけてくるというわけでもない作品なのだが、何となく、ずーっと見ていても飽きない。作者さんは、ラウラーナという人で、15世紀の作品らしい。

説明書きを見てみると、この作品は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画に影響を受けているのではないかと書かれていた。なるほどー。確かに、釣り目で、口がちっこくて、表情が少なくてすっきりしているのが、ピエロ・デッラ・フランチェスカの描く女性に似ている。

ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品は、均整のとれた(厳密な計算で描かれているらしい)理知的な絵で、派手さはないが、ずーっと見ているうちにじわじわ良さがわかってくる、という特徴があるが、このエレオノーラの胸像も、それに近い魅力がある。人間には、均整のとれたものを見ると心地よさを感じる側面があるのだろう。私も、この人間の特性を存分に生かして、部屋の整理整頓をせねばなるまいよ(私の部屋は無秩序現代アート)。

ちなみに、この作品、エレオノーラの胸像とかいうタイトルなので、フェデリコ2世の妻のエレオノーラ?と思ってしまうのだが、地球の歩き方によると、アラゴン家のジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの妻イザベッラがモデルらしい。じゃあ何で、「エレオノーラの胸像」と呼んでいるのか、と突っ込みたくなるが、わからなかった。

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エレオノーラの胸像がある部屋の、近くの部屋にあった、優美な聖母子像。アントネッロ・ガジーニという作者の16世紀初頭の作品らしい。眠たそうな幼子イエスがかわいい。

意味不明なものも発見。

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何これ…。

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オヤジと

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オヤジでにらめっこ。

…だから、何なの?しかも、このオヤジたち、なんで、体は鳥みたいなの?しかも、妙にシチリアマフィアっぽい風貌なのが何とも言えない…。

説明版には「droleries」って書いてあって、トラパーニのサンタゴスディーノ教会にあった15世紀くらいの天井装飾の断片らしいのだが、こんな天井やだよ。15世紀のヨーロッパ人の考えていることはわからんね。

2階に上がると、絵画部門の展示が多くなる。

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これは、たぶん旧約聖書で、3人の天使をお家でおもてなしするアブラハムの図。…なのだが、これ、3人の天使の前で、踊ってるアブラハムにしか見えない。全員同じポーズで固まったまま、無表情すぎる天使たちがコワすぎる。天使「変な踊り見せる前に、茶くらい出せよ!(怒)」。ちなみに、15世紀後半の絵らしいですぜ。

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黄色いショールのカギ爺さんと言えば、初代教皇、イエスの一番弟子ペテロ。目力もあって、なかなかいいペテロと思ったら、シエナ派のリッポ・メンミの作品だった。いかめしい表情が似合うペテロを描いた絵に関しては、ルネサンス以降の写実的な絵より、きんきらきんのシエナ派の平面的な絵柄の方が好みだ。イケメンのヨハネなんかは、断然ルネサンス以降の方がいいんだけどね!

さて。この美術館の最大の目玉作品、アントネッロ・ダ・メッシーナの「受胎告知」は、「受胎告知の部屋(Sala dell’Annunziata)」という部屋名までつけられた部屋に、うやうやしく展示されていた。

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いた!思ってた以上にちっさい!この小さい絵を見るためだけにこの美術館を訪れる旅行者もいる。

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この作品の魅力を一言で言うと「粋」なのである。受胎告知の絵と言えば、左側に受胎を告げる大天使ガブリエル、右側に神の子の受胎を謹んで受け入れる聖母マリア、と、二人の登場人物で構成されるのが普通である。この作品が描かれたルネサンス期の受胎告知も、ほとんどその構図で描かれている。

しかし、この作品で描かれているのは、受胎のお告げを受け取っているマリアだけだ。しかも正面から描かれている。今まで、横顔でしか窺い知ることのできなかった、お告げを受ける瞬間のマリアの表情を、正面からのぞきこむことになるのだ。そうすることで、絵の中の出来事であった「受胎告知」が、まるで、自分と関係している、この世界の出来事のような感覚を抱いてしまう。

よく言われるのが、このアントネッロ・ダ・メッシーナの「受胎告知」においては、鑑賞者が、大天使ガブリエルとなる、ということである。受胎を告げる大天使ガブリエルから見たマリア…それを絵にしてみようというこの発想。もーね、この絵はアイデア勝ちですね。

絵そのものは、私はそれほど好みではなかった。同じアントネッロ・ダ・メッシーナの絵であれば、シラクーサで見た、(普通の構図の)受胎告知の方が好みだった。

だが、何と言っても、この絵は「粋」だよ。映画やテレビドラマがないこの時代に、誰もが知っている「受胎告知」のストーリーを、こんなに身近に、リアルに人々に感じさせた作品は他になかっただろう。フィクションをいかに現実に近づけるか…それはルネサンス芸術の本質の一つであるが、アントネッロ・ダ・メッシーナのアイデアは大成功だったのだ。

…と、私が静かに感動している横で、姉は、「ふーん。でも、このマリア、あんまり顔がかわいくないよね。私は、これらの絵の方が好きだね」と、隣に展示されていたアントネッロ・ダ・メッシーナ作品のいくつかを指さす。

パレルモ

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えっ?この地味なおじさんたち…嘘です、すいません、聖人です、上が聖ジローラモで、下が聖アゴスティーノ…の方がいいんだ?イヤ、悪くないけどさ、本読んでる聖アゴスティーノなんか、よく見るとカワイイけどさ、でも、マリアよりいいんだ…。へえー…。

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他に、印象に残った作品は、この「どっちのヨハネショー」。16世紀中盤だろうと言われる、作者不詳の作品。左が洗礼者ヨハネ、右が福音書記ヨハネ。私は断然右だが、イタリアでは左の方が人気があるのだ。

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この四福音書記者の絵もなかなか良かった。絵の中で、福音書記者ルカが、さらに絵を描いているのが面白い。ルカは、初めて聖母子像を描いた、というエピソードのある福音書記者だ。他の3人がせっせと福音書を描いている傍らで、いそいそと絵を描いているルカが何だかおもしろい。作者さんは通称il Cavaliere Calabreseと呼ばれる17世紀の画家さん。

ちなみに、この美術館、トイレの位置がわかりづらかった。ほとんどの展示物は1階と2階にあるのだが、3階部分も少しだけあって(美術館そのものに残されている落書きなどが見れる)、その3階部分だけ、ちょっと1階と2階とは場所がずれている。その3階から階段をずーっと降りた先にトイレはあった。かなりわかりづらい。そのため、あまり使われてなくてキレイだったけど。

全体としての感想は、やはりフィレンツェやローマなどの美術館と比べると、入場料8ユーロも踏まえると、所蔵作品の見ごたえは落ちる。でも、アントネッロ・ダ・メッシーナの受胎告知だけでも見たいという方もいるだろう。美術館の近くの、ミルト宮にも入ってみたい方は、共通券10ユーロというのがあるので、そちらを利用するとお得かも。

美術館の外に出ると、雨は、既にずいぶん前に上がっていたようだった。雨宿りも兼ねて美術館に逃げ込んだのに、我々が教会から教会へと歩いていた時間帯が、一番雨が強かったようで、美術館に入っている間は、雨は降っていなかったようだ。いいんだよ。何はともあれ雨が上がってくれたのはラッキーだもんねだ。