アテネ旅行記1 カオスから始まる神話

さてっ!憧れの地、ギリシャ神話の地、アテネの初日っ!

…なのだが、地味に強く(地味に強いって微妙な表現だな)雨が降っていた。すぐにでもギリシャ神殿を見に飛び出したいところなのだが、ここアテネでは自炊を中心にした食事を予定しているので、まずは今日は食料を調達しなければならない。

雨も降っていることだし、初日の今日は、お昼ご飯を食べた後、大人しくお土産や、食料品など、お買い物の日に充てることにした。

ギリシャの軽食と言えば、ピタ。日本のおにぎり、イタリアのパニーノに当たるものが、ギリシャではピタ、と言ったところか。このピタで有名なお店まで、ホテルから歩いて行ってみることにした。

雨の中ではあるが、初のアテネ歩きっ!宿泊している、アドリアヌス門近くのホテルを出て、アマリアス大通りという、アテネのメインストリートを北上した。

アテネ

まずは、ホテルを出てすぐ見えるのが「アドリアヌス門」。「アドリアヌス」は、ローマ皇帝ハドリアヌスのことなので、ローマ時代に建てられたものである。何の門なのかはよくわからないが、この門の先にゼウス神殿があるので、ゼウス神殿に入る門として建てたのかなあ。

アテネ

大通りを北上して、すぐ左手に見えてきたのは英国教会。しっかしこの写真、雨の中、急いで撮った写真とはいえ、我ながらヒドイ出来だねえ。これじゃあ、どこぞの建物の外壁ってだけの写真である。英国教会がどんな教会か知りたい方は、アテネのガイド本でも見てください(何て役立たずなブログ…!)

英国教会の別名は、セント・ポール教会である。セント・ポールとは、イタリア語に翻訳すると、サン・パオロで、聖人パオロに捧げられた教会ということだろう。

聖人の名前が、国によって違うのって、良く考えてみると日本人の感覚からしてみるとオモシロイ。個人の名前、つまり固有名詞なんて、元の名前のまま呼べばいいだけで、なぜ言語が変わると変化させなきゃいけないのか、理由がわからない。

おそらくだけど、書き言葉として伝わって行く過程で、読み方が変わって行ってしまったんじゃないか、と私は推測する。…と書いてみたところで、やっぱり、聖人の名前は、普通名詞のように使用頻度が高いため、口承で伝わる過程で、その国の言語で発音しやすいように自然に変化していった可能性も否めないと思った。以上、推理終わり(これ以上何も思いつかないらしい)。

お次に現れたのはロシア教会。

アテネ

いや、これはなかなかよく撮れてますよね?ロシア教会って感じしますよね?

当たり前のことなのだが、現在、ギリシャで広く信仰されているのは、ギリシャ神話の神々ではなく、ギリシャ正教である。世界史に弱い私は(いまササヤカナガラ世界史を勉強中っ!ササヤカナガラ!)、キリスト教の中で、カトリックとギリシャ正教がどう違うのかイマイチわかっていない。

だが、ギリシャとイタリアは、ギリシャ・ローマ神話という部分ではかなり似たものがある一方、カトリック国と正教国という違いがある。で、ここから話が発展するほど、私はカトリックと正教の違いについて語るネタを持っていないので、「違いがある」でオワリである。ざんねんっ!(何がって私の頭が)。

さーて、雨のアテネ。さらにアマリアス大通りを北上していくと、立ち往生せざるを得ないポイントがあったよ。

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でぇええええっかい水たまり。横断歩道全体が水たまりと化していてですね、向こう岸に渡れないわけでありますよ。あいやー。アテネ。民主政治発祥の地ばんざい!(今ソレ関係ないから!)

…どうやってこの水たまりを突破したかは、今となっては不思議なくらい思い出せないわけだが(きっと心を無にして強行突破したのではないかと思われる)、とりあえずさらに大通りを北上。

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すると、正面にぼこっとした丘が見えてきた。私が「あっ!あれがもしかしてアクロポリス!?」と聞くと、姉に軽蔑しきった目で見られた。姉いわく、これをアクロポリスだと思う私の方向感覚はオワッテいるそうだ。これは、「リカヴィトスの丘」だそうだ。

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そして大通りが大きくカーブを描く場所に現れたのは国会議事堂。まあ、国会議事堂という、おカタイ建物であるわけだが、この国会議事堂前には、「無名戦士の墓」という、ギリシャの独立戦争などで命を落とした戦死者たちのお墓があり、そこを守る、昔ながらの軍服に身を包んだ兵隊さんたちが、観光客に非常に人気がある。

この辺りで左折したのだが、その時、右手の方に見えたのが、シンタグマ広場。アテネと言えば、シンタグマ広場。泣く子も黙る、シンタグマ広場。

そのシンタグマ広場は…

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えっ!?これがシンタグマ広場!?えっ?ただ、木とかベンチとかがある、どこにでもありそーな公園みたいなコレがシンタグマ広場!?

私は姉に、「ほ、ほんとーにこれがシンタグマ広場っ!?」と確認したが、姉は「あんたね…。シンタグマ広場は、単にアテネの中心ってだけで、別に観光地でも何でもないよ。何を期待してたの?」と言う。えっ?何をって…アクロポリスに対してアゴラ、みたいな、ソクラテスとソフィストたちが対論しているみたいな広場…(そんな広場、現代においてどこにもないから!)。

さて、失意のシンタグマ広場を後にして(シンタグマ広場に罪はない)、向かったのは、アテネで一番お店などが多くて賑わっているエルムー通り。この通りにある「ピタ・パン」という直球勝負の店名のお店を目指してやって来たのだが、残念ながら「ピタ・パン」は、観光のオフシーズンのためか長期休業していた。えー残念。

そこで、姉が次に目指そうと言ったのは、有名な大衆食堂である「タナシス」というお店。その「タナシス」に向けて、エルムー通りを直進した。

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こちらが雨のエルムー通り、道の両側に、チェーン店っぽい路面店がずらーっと並び、時折目に飛び込んでくる見慣れないギリシャ文字以外は、正直、日本の街中とあまり変わらない。

実は、アテネは、実際に足を運んだ日本人観光客に、あまり良い感想を持たれないことが多い町である。ギリシャに行ったことのある私の友人も、「サントリーニ島は良かったけど、正直アテネは覚えてない」と言っていたし、インターネットの旅行ブログなどでも、「ギリシャはエーゲ海の島々は美しいけど、アテネは微妙」と書かれているのを、よく目にする。

おそらくそれは、アテネという町が、ギリシャがトルコから独立した19世紀にギリシャの首都に選ばれるまでは、古代に都市国家として栄えた後、凋落の一途をたどり、ずーっと放置された町であったためであろう(このへんの話を読むには図説 ギリシア歴史・神話紀行 (ふくろうの本/世界の文化)がおすすめ)。

つまり、今、我々が目にしているアテネという町の大部分は、19世紀以後に作られた、新しい近代的町並みなのだ。現代日本人の我々から見て、楽しい街並みではないのである。

そんなわけで、アテネに行った現代日本人に、あまり受けがよくないのは致仕方ないところなのだが、逆に私は、何の面白みもない近代的町並みを歩いていると、ふとビルの隙間からパルテノン神殿が見えたり、古代ギリシャ神殿跡がふいに現れたりするのが、なかなか面白かった。栄光の古代の「名残り」しか感じられないのが、かえって切ないような、わび・さびを感じてしまう。

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さて、エルムー通りの突き当りには、雨に濡れて何だかしょんぼりしているみたいなカプニカレア教会が見えてきた。中に入ってみようと思ったのだが、オフシーズンのためか閉まっていた。

カプニカレア教会を左折して、ウリウリ歩いて(つまりここから先の道をあまり覚えていないっ!)、タナシスに到着した。タナシスの近くでは、観光客相手に客引きをしているお店がたくさんあったが、人気店タナシスは、余裕で、客引きなどしていなかった。

中に入ってみると………タナシスは余裕どころではナカッタっ!!!お店はかなり広いのだが、ほぼ満席状態で、我々はかろうじて空いているテーブルを見つけて座ったのだが、お店の中は完全に、客によるスタッフの争奪戦っ!言わばエゴとエゴのシーソーゲームで、順番を待ってたんじゃ食べ物にありつけない勇敢な恋の歌っ!(恋の話はしていません。ミスチルファンの方、申し訳ございません)

もーね、メニューをもらって、メニューから選んで、店員さんを呼び止めてオーダー…とかいう悠長なプロセスなど踏んでいられないと悟った姉が、母と私に、「名物のケバブピタでいいよねっ!?」と確認し、メニューももらわずに、近くを通った店員さんを「エクスキューズミーっ!」と気合で呼び止め、「ケバブピタ3つ下さいっ!!!」とソッコーで注文した。

うちの姉は、本当にこういうのに強い。椅子取りゲームがオリンピック競技だったら、かなりのメダル候補だと思う。

この完全なるカオス状態の店内で、ケバブピタが無事に出てくるか不安だったが、意外にもしっかり運ばれてきた。

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じゃーん!これがケバブピタっ!これが、マジで、美味しかった!!!サントリーニ島でいろいろレストランに入って、なかなか美味しかったけど、このファーストフードっぽいケバブピタの方が美味しいよっ!やっぱり私は味覚が庶民なのだろうか。ケッコーだよ、庶民上等だよっ!美味しいよっ!

ていうか、このケバブピタ、結構大きくて1個でじゅうぶんお腹いっぱいになるのだけれど、お値段はたったの2.2ユーロっ!安くて美味しいものばんざいっ!タナシスのケバブピタ、マジでおすすめですっ!

たたでさえ混雑している店内なのに、何かチラシのようなものをいっぱいくっつけた長い棒を持ったおじさんが、何人かお店に入ってきて、各テーブルを周って、何か売りつけているのが気になった。

初めは無断で人気店に入ってきて、観光客相手に何か売りつけてるのかなあと思っていたのだが、おじさんたちは、我々のような明らかな観光客のテーブルには寄ってこない。よくわからなかったのだが、どうやら、日本で言えば競馬みたいなもののチケットを売っているみたいで、お店の人達も公認しているようだった。

この混雑状態で、お会計はどうするのかなと思っていたら、テーブルでの会計で、ウェイターさんたちはポケットにたくさんの小銭を常備していて、ポケットから慣れた手つきですばやくお釣りを準備していた。

…ちなみに、「タナシス」って名前、最初ギリシャ神話の死の神の名前だ…不吉だ…と思ったが、ギリシャ神話の死の神は「タナトス」だった。そりゃそうよね、食事ってのは生きるためにするものなのに、レストランに死の神の名前をつけるなんて、よっぽど奇をてらわなければやらないよねー。

というわけで、お店の名前は「タナトス」ではなくて「タナシス」です。間違わないように(間違うのはアンタだけだよ…)。

この後は、フォリフォリとか、マスティハショップなどでお土産を購入し、国会議事堂の先の方にあるスーパーマーケット「カルフール・マリノプロス」で自炊用の肉や野菜や、日用品の買い物をした。

ギリシャのスーパーでの野菜の買い方は、イタリアと全く同じで量り売りであった。スーパー内の秤を使い、各野菜に振ってある番号のボタンを押してから野菜の重さを量り、出てくるバーコード付きの値段シールを貼って、レジでまとめて会計するシステムである。

さて、私がギリシャで楽しみにしていたものの一つがグリークヨーグルトっ!

私にとって、ヨーグルトとは主食のような食べ物である(そんな情報どうでもいいよ)。ギリシャでは、「グリークヨーグルト」と言って、日本で食べるヨーグルトとはちょっと違う、水気の少ない独特のヨーグルトを食べると聞いている。

そこで、母をホテルに置いてから、姉と二人で行ってみたのがこの店。

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地球の歩き方にも掲載されている「フレスコ・ヨーグルト・バー」というグリークヨーグルト専門店っ!

中に入ると、洗練された感じのお兄さんが店番であった。ヨーグルトのタイプは、「Traditional(伝統的なグリークヨーグルト)」、「Light(たぶんさっぱりめの低脂肪)」、あと英語表記は忘れてしまったのだが、クリーミータイプと羊乳をつかったヨーグルトの中から選べた。

とりあえず初めてなので、ベーシックな「Traditional」を選び、お兄さんが勧めてくれたチェリーと、ビスケットをトッピングしてみた。ヨーグルト本体が2.2ユーロで、トッピングが各0.2ユーロで、トータル2.6ユーロっ!

アテネ

こうやって写真に撮ってみると、何かきなこみたいなのがドサっと乗ってて、微妙な感じなのだが、これが、実にっ!美味しかったのでありますよっ!いやー、ギリシャのお菓子はなかなか口に合わないのだけど、ヨーグルトはマジでおいしいっ!というわけで、毎日グリークヨーグルトを食べることに決定した。スバラシイ決定事項。

あとは雨の中ホテルに帰るだけである。

アテネ

雨の中、テラス席をたたんでしまっている店先で雨宿りしている猫ちゃん。ヨーロッパに住んだことのある友人が、南ヨーロッパの町の特徴は、テラス席のあるカフェやレストランが多いことだと言っていたが、確かにイタリアと同様、ギリシャでもテラス席をよく目にした。

ホテルに帰る途中でも、レストランの客引きに何度か出くわした。客引きしているような観光客向けのレストランが、あまり美味しくないであろうことは、どこの観光地でも同じであろう。

しかも「チョット美味しい~」などという、誰が教えたのか微妙な日本語で客引きしているレストランもあった。チョットじゃ無理だから。わざわざ旅行で入るレストランなら、「とても」美味しい店じゃなきゃ入らないっつーの。

アテネ

こちらは宿泊しているAVAホテルのすぐ近くにある、ちょっとした古代ギリシャ神殿遺跡。今日から4泊のアテネ、このような「古代ギリシャ的」なものと過ごす、至福の4日間となるわけだ!

まあ今日はお買い物がメインだったので、まだ古代ギリシャ的な何かにしっかり触れたわけではない。ムーカーシギリシャのイカロース―がー的な世界は明日から、張り切って行くぞー!(何言ってるのコノヒト…)