アテネ旅行記8 百花繚乱!神々の世界
さて。アテネ国立博物館の、古代ギリシャ美術の最盛期と言われる、古典期(クラシック期)の彫像を、どんどん見ていくよ!
手にリンゴを持った、美しいポーズの女神が登場!古代ギリシャの彫像の何がいいって、着用している、ヒダがたっぷりの衣装っ!この、いわゆる「古代ギリシャ風の衣装」のことを、キトンと言うらしい。
ギリシャ神話を、ちょっと読んだことがある私としては、こうやって人物(神?)像が登場してくるたびに、「この人(神)は誰?」と、当てっこゲームをしたくなる。おそらく、こちらは、美の女神アフロディーテだと思われる。手に持っているリンゴが、おそらく金のリンゴで、トロイ戦争のきっかけとなった、「誰が一番美人な女神でしょうコンテスト」で、見事勝利した時に、賞品としてゲットしたリンゴだと思われる。
現代人の我々から見ると、このアフロディーテは、美の女神にしては、何だか地味だなあという感じもする。古典期のギリシャ彫刻って、均整が取れていて、どこか数学的な美しさがあるけれど、無表情で無機質な印象も受けるのだ。
この頃のギリシャ彫刻の無表情さは、感情を顔に出すことが、あまり好ましくないとされていた、当時の価値観を反映している、と言われたり、精神性よりも肉体美が重視されるからだと言われたりする。
古代ギリシャ彫刻の無表情さの理由は、まだ私にはきちんとわからないし、この無表情な彫刻の良さも、まだ十分にはわかっていない。私は、やっぱり表情がそれなりに感じられる、ルネサンス期とかバロック期の彫像の方が、好みだな、と思ってしまう。
だが、無表情な彫像のおもしろさってのは「飽きがこない」ことにある。初見で、ものすごく心に響いては来ないのだが、長ーく鑑賞していても飽きないし、逆に見れば見る程、何となく引き込まれていく。
私の受ける印象では、ルネサンス期の画家さんの、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵が、それに似ている。ピエロの絵は、同時期の画家である、フィリッポ・リッピやフラ・アンジェリコの絵に比べると、やや無表情・無機質で、パッと見ると、温かみに欠けているように思える。しかし、何となく、長居して鑑賞してしまう絵であり、しかも、見れば見る程、何か中毒性というか、その場を離れられなくなってしまうのだ。
無表情の魅力、て何なんだろうなあ…。時々、高校野球とかでも、笑顔で投げている投手より、淡々と無表情に投げている投手の方に、気が付けば応援している時もあるなあ…。ギリシャ彫刻から高校野球って、話が飛躍しすぎである。無表情の魅力については、またじっくり考えるとして、次行こ!次!
博物館の一番奥の方に、この博物館の目玉の一つ、アテナ像を発見!
こちらが、非常に有名なアテナ像!聖闘士星矢に出てくる、聖域のアテナ像も、おそらくこれがモデルだ!
このアテナ像、大きさは1メートルくらいで、それほど大きくない。なぜ、こんなに有名かというと、パルテノン神殿の本尊であった、名彫刻家フェイディアス作のアテナ像を、コピーしたものだと言われているのだ。ちなみに、実物は、このコピーの12倍、12メートルの大きさがあったらしい。
12メートルって、あまり想像ができないが、奈良の大仏の座高が、15メートルくらいらしいので、奈良の大仏を見たことがある人は、何となく想像できるだろうか。…デカイよね、デカイ。
古代ギリシャ時代は、ロドス島の巨像とか、オリンピアのゼウスの巨像とか、巨大な像があったという伝承が多い。もし、現代に至るまで残ってたら、ロマンだっただろう。いや、逆に失われてしまったことがロマンなのかなあ。
さて、コピーとはいえ、パルテノン神殿にあった本尊アテナ像の、雰囲気を今に伝えてくれる貴重なアテナ像。じっくりと鑑賞しようっ!(…にしても、なぜ、この像が、今や残っていない像のコピーだとわかるのか。素人にとっては不思議な話だ)
まずは、ちょっと正面部をどアップで。うおっ!二の腕が太いっ!首も太い!めっちゃ強そうっ!これでこそ、戦女神って感じだ!
最近の日本の男性向け漫画は、戦う美少女ってモチーフが人気があり、妙に細くてカヨワイ感じの美女が、めっちゃ強かったりする。でも、そんなのは欺瞞であることが、このアテナ像を見ればわかる。戦う女神は、男顔負けに、たくましくなければならんのだ。カッコイイー!
見てください!このたくましい腕!手にしているのは、アテナの盾。「アイギス」とか呼ばれる、あらゆる災厄から守ってくれる盾で、盾の真ん中のビミョーな顔は、怪物メドゥーサである。
聖闘士星矢では、この盾の光で、瀕死のアテナが蘇ったシーンがあったなあ。というか、そんな力があるなら、戦いで傷ついた聖闘士が病院で治療を受けるシーンがあるけど、「盾を使えよ、盾を!」とマジでツッコミたくなりますよ。
こちらは、頼れる後ろ姿。
右側から見た図。衣服のドレープが美しい。そして、やっぱりたくましい腕っ!右手でもっているのは、勝利の女神・ニケ像。しかし、このニケ像、頭部が欠けてしまっている。有名な、サモトラケのニケも、頭部を欠いているので、ニケ像と言えば、片足を踏み出した、翼を持ち、もともと頭部を欠いている像、だなんてイメージすらある。
顔のアップ。コピーとはいえ、なかなか凛としたまなざしをしていらっしゃる。
いやー、このアテナ像の、12メートルのオリジナルが残っていたらなあ、と思わずにはいられない。ああ、無くてしてしまったものは、元には戻らないものなのだなあ。それは、一人の人間の人生だけでなく、人間の歴史にも当てはまることなのだということを、しみじみと思い知った、2014年のアテネ滞在。
さて、この国立考古学博物館では、まだまだ神話の世界の神々に会えるよ!
こちらは、この博物館の、重要作品が集まった、赤い壁の部屋にあるアフロディーテ像。先ほど見た、リンゴを持ったアフロディーテ像とは、うって変わった雰囲気だ。何と言っても、この像は、服を着ていない。そして、胸部と陰部を隠すような、この色っぽさを感じさせる仕草。
愛と美の女神アフロディーテの裸像は、このようなポーズを取っていることが多い。すぐに頭に思い浮かぶのは、あの有名な、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」の、貝殻の上に立ったヴィーナスの仕草である(ヴィーナスというのは、アフロディーテのローマでの呼び方なので、同一神)。
このポーズは、「恥じらいのアフロディーテ」などと呼ばれ、アフロディーテ像を作るときに、好んで用いられるポーズである。
このポーズから受ける印象は、さまざまあると思うが、その中には、「隠すことのミステリアスさ、色っぽさ」というものがあるだろう。人間の本能には、隠されているもの、簡単には目に見えないものに惹きつけられる部分が、確かにある。
…しかし、男性裸像が同じポースを取ったら、色っぽくも何ともなく、むしろ失笑ものだろうな、と思うのは、私だけではないだろう。「隠すことの色っぽさ」は、何にでも当てはまるわけではないのよねえ。人間は不思議な生き物である。
さて、愛と美の、ふんわりとした甘々美人の女神から、クールビューティな女神に視線を移そう!
こちらは、月と狩りの女神アルテミス。官能的で、奔放な恋を生きるアフロディーテと比べ、男嫌いの処女神である。
この、神経質そうな、いかにも男を寄せ付けない感じの、不機嫌そうな目元!アルテミス像もいろいろあるが、このアルテミス像は、私の抱くアルテミス像に、だいぶ合っている。
子供の頃読んだ神話では、実は、私はアルテミスはあまり好きになれなかった。というのも、狩人に偶然水浴びを見られてしまい、それに激怒して、狩人を鹿に変えて、彼の猟犬に襲わせた、という、あまりにもむごいエピソードに、幼き私は、「あんまりだっ!」と憤慨したのである。
…今に思えば、その読んだ絵本で、狩人さん(アクタイオンというお名前)が結構好みのイケメン風だったので、狩人さんに私が思い入れしてしまったのも、あった気がするなあ。だが、それを差し引いても、ちょっとヒドイ話じゃありませんこと?
まあ、神話というものは、いろいろ教訓も含むものなので、狩りの最中に、あまり森の奥深くには行くなとか、そういう話なのかもしれないけれど。
ちなみに、アルテミスは、処女神ではあるが、同じ処女神で浮いた話がほぼないアテナに比べ、ロマンスと無縁ではない。オリオンとの悲恋物語は、ギリシャ神話でも人気のモチーフである。
私が小さい頃読んだ絵本では、さすがにアルテミスは処女神であることを考慮しているのか、アルテミスはオリオンに恋心を抱いてはいるのだが、今でいう「ツンデレ」風に描かれていた。
そんなわけで、私のアルテミス像って、プライドが高くて、強がりで、潔癖症で、ちょっとヒステリックな部分もある女神である。…ある意味、骨の髄まで女、て感じだし、「月」のイメージにも合っている。
アルテミスの兄は、アポロンで、こちらは太陽神である。美男美女の兄妹なのだ。日本の古事記神話では、太陽神が女神アマテラスで、その弟とされる月の神ツクヨミは、普通は男神だと考えれているので、性別が逆だなあ。
この赤い壁の部屋にある、残りの博物館の目玉作品を紹介しておこうっと。
こちらは「ディアドゥメノスの像」とか呼ばれる、バンダナを巻いたアスリート像である。競技の勝利者を表したものだとか。理想の男性像とか言われ、人気のある作品だ。素敵な作品だが、ハートは射ぬかれなかった。イケメンだけど、あまり運命を感じないなあ(おだまり)。
あと、コレも有名だねえ。「馬に乗る少年」。私は、なぜかフィレンツェの「イルカを抱くキューピッド」と混じってしまったのか、実物を前にして、「イルカに乗った少年だね」と、わけのわからないことを何度も言っていた。
ちなみに、「イルカに乗った少年」という、日本の歌謡曲があるらしいが、聴いたこともない歌だ。何で、「イルカに乗った少年」と自分が連発してしまったのか、不明である。
ま、ぶっちゃけ、馬に乗った少年の像である。少年に比べて馬がでかくね?いや、少年が小さすぎるのか?と言うのが感想であった。…ま、よくわからないが、印象に残る作品ではあった。何か少年の顔がね、何かを言いたげなのが気になるね。
ちなみに、この赤い壁の部屋は、古典期後期の作品から、ヘレニズム初期の作品まで入っていた。確かに、古典期まっただ中の作品に比べると、彫像に少しずつ表情が出てきた感じである。
というわけで、女神の彫像ばっかり一所懸命見て、青年や坊やの像にはあまり関心を示さない私であるが、国立考古学博物館の鑑賞はまだまだ続くよーっ!ギリシャ神話の世界に、引き続きお付き合いください!