アテネ旅行記9 イケメンに縁のない人生

さて。アテネ国立考古学博物館。

ギリシャ美術の黄金時代とも呼ばれる古典期(クラシック期)の後は、ヘレニズム時代の彫刻類が主に続いていく。

ヘレニズム時代と言えば、アレですね、アレキサンダー大王。世界史の中の、英雄のお一人さん。彼が、けっこー広範囲の地域を征服して、けっこー大きな帝国を作っちゃったから、東西の文化が混じって、ヘレニズム文化が形成された、と、高校の世界史ではざっくり覚えたなー。

同じような年代に作られた芸術作品というものは、同じ文化期の作品と呼ばれ、教養や知識として、世界史をたしなむ程度の私のようなヤカラは、「〇〇文化の特徴は××!」というように、わかりやすーく頭に入れたくなってしまう。そういう意味では、ヘレニズム文化期における芸術作品は、「前の時代と比べて、感情表現や人体表現が強調される」などと言われる。

彫刻の特徴だけに絞って、ぶっちゃけて言えば、表情豊かで、身振り手振りが大げさで、ストーリ色が強いものが多い、というところだろうか。その観点では、バチカン美術館にある、「ラオコーン」が実にヘレニズム的と言えるかなあ。ラオコーンの苦悶に満ちた表情、大げさにねじられた体の動き、ヘビに襲われた瞬間を捉えたストーリー性…。

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こちらが、昨年バチカン美術館でご対面したラオコーン。しかし、今さらながらバチカン美術館って、カトリックの総本山の美術館なのに、こういう異教徒(ギリシャ神話)の代表作を、大事に置いてるんだなあ。そういういい加減さというか、寛容さって私は好きだよ!

まあ、ヘレニズム期の作品と言ったって、感情表現とか、人体表現といった特徴が、全ての作品に表れているわけではないし、あまり堅苦しく考えなくてもいいだろう。堅苦しく考えるのは、私でない誰か学者さんがやってくれることだろう。文化を享受するだけのワタクシ。いつかは、供給する側のワタシでアリタイ~(せつないJ-POP風に言ってみたのだが、その試みは失敗したようだ)。

さあっ!では、次々に、ギリシャ神話の彫刻とご対面していくよっ!

アテネ 国立考古学博物館

さて。出ましたな、セイレーン。

アテネ 国立考古学博物館

こちらは、別のセイレーン。

もうね、セイレーンったら、ギリシャ神話に出てくる怪物の中でも実に色っぽい怪物である。美しい歌声で、船乗りを誘惑し、船を座礁させたり難破させたりし、船乗りさんたちを死へと至らしめてしまうのだ。

明らかにコレは、古代の航行の危険性を、男性を誘惑する女性へと、イメージを転化させた神話である。危険な船旅の間は、気を引き締めて、決して油断してはならない、という教訓のための神話なのだろうけど、男(船乗り)の身を破滅させるのは、女性である、というモチーフでもある。

古代ギリシャ時代のセイレーンは、見ての通り、半身は人間の女性、半身は鳥、である。このイメージは、時代と共に変化していき、我々が知っている、あのセクシーな人魚は、このセイレーンがモデルになっていると言われる。半分鳥であったのが、半分魚になったのだ。このへんは、航行技術の高度化によって、人間が持つ海のイメージが、鳥から魚になったからなのかなー。

さて、我々の時代に、一番「神話的」に語られる、海の女性型のモンスターのストーリーは、もちろん「人魚姫」である。こちらは、人間の男性に恋をした人魚が、人間の足をつけてもらうのと引き換えに声を失い、最後は失恋して海の泡となって消える物語。セイレーンとは逆に、女性が男性への恋心から、破滅していくストーリーである。

男が女で、または女が男で身を滅ぼしていく物語。物語のモチーフとしては、現代まで綿々と続く、ありふれた型である。

恋愛が人類共通の普遍的なものと考えれば、そのモチーフが人気が高い理由は簡単にわかる気がするけれど、男と女という二つの性をもつ種は、分裂などで増える性別なしの生き物が、永遠に近い生命力を持つのに対し、寿命がある、なんていう、科学の一説を思い出してしまう。

科学的に正当に支持されている説ではないらしいけれども、有性生殖(つまりオスとメスの区別があること)と、個体の寿命(いつか死ななければならない運命)には、何か関係があるのではないか、という考え方だ。

有性生殖をする生物は、「愛を知り、その代償として死を知った」。…旧約聖書でも、アダム(男性)がイヴ(女性)と出会ったせいで、タブーを犯して(知恵の実を食べて)、楽園を追い出されて、死ぬべき運命となった…という物語が有名だ。

愛と死って、本当にリンクしているものなのだろうか。どこか物寂しそうなセイレーンと向き合いながら、ギリシャっぽくいろいろと思索にふけってみるのも一興である。

アテネ 国立考古学博物館

こちらは有名な「マラトンの少年像」。ブロンズ像である。地球の歩き方によると、古代の有名彫刻家プラクシテレスの作品と言われているらしい。端正で、謎めいたポーズが魅力的な作品だが、こういった男性裸像には、イマイチ惹かれない私。愛で身を滅ぼさない私。

アテネ 国立考古学博物館

しーんとした雰囲気の男性裸像より、こういう明らかに人目を惹く彫刻の方が好きな、俗っぽい私。「アフロディーテとパンとエロスの像」。

アテネ 国立考古学博物館

ギリシャ神話随一のセクシー美女アフロディーテに、半身半獣の好色オヤジ・パンがセクハラをして、今まさに、アフロディーテにサンダルではたかれようとしている図である。二人の間に、ティンカーベルのように飛んでいるのが、アフロディーテの息子のエロス。ママの反撃を手助けするために、パンの角をつかんでいるのだろうか。

アテネ 国立考古学博物館

しかし、このアフロディーテの表情を見て下さいましな。コレ、実はあんまり怒ってないですよね?むしろ「アタシって魅力的だから、こういうことされちゃうのよね~」みたいな、まんざらでもない、自慢げな表情に見えるのだが…。

私の抱いているアフロディーテ像には、ピッタリな表情である。アフロディーテは自分が美人であることを知っているし、そのことがアイデンティティでもある女性…いや、女神だな…、そんなキャラの印象が強い。今まで、いろいろな芸術家のアフロディーテ像を見てきたが、このアフロディーテ像は、私が抱くアフロディーテの印象に、一番近い。

アテネ 国立考古学博物館

ちなみに、アフロディーテが、パンを打とうとしいるサンダルは、彼女が履いていたものであることが、この、片足だけしかサンダルを履いていない足元からわかる。

サンダルを脱いでぶたれるまでに、いくらエロスに角をつかまれているとはいえ、パンに逃げる時間はあるだろうに、コレ、ぶたれたくて、わざと逃げられないフリをしてるな…。うーん。実に俗っぽく楽しめる作品だ。

こういう世俗性というか、表現の豊かさというか、そういうのが古典期と比べた時の、ヘレニズム美術の特徴なのだろう。古典期の作品のほうが、品格があり、グレードとして上だと考える人々がいるのは、まあわかる。だが、万人受け、大衆受けするのはヘレニズム期の作品の方だろうな。

文化は人間のためにあるものだと考えると、時代の変化とともに、その時代に文化を享受する人々に合わせて、文化も変化していくのだろう。文化を享受する人々が、一握りのエリートから、一般大衆へと変化すると、文化も同じように大衆化していく。それを文化の「堕落」と呼ぶことが、正しいのかどうかは、今の私にはわからない。

さて。一般ピーポーの私は、超世俗的理由から、この美術館で楽しみにしていた作品があった。それは、以前、この国立考古学博物館を訪れたことがある友人から、「あの博物館には、超イケメンの像があったんだよ!せひ見てきてよ!」と言われていた男性像である。

残念ながら友人は、その像の名前や、製作時代を覚えていなかった。「覚えているのは、ただただカッコヨカッタということだけだよ」。すばらしい。美術鑑賞ってのは、本当はそれが全てなのだと私は思うだよ!そんなわけで、友人が鑑賞した際にあらゆる角度から撮影した写真を見せてもらった。

………私と友人は、結構男性の好みが違うのだけれど、私が見ても、文句無しのイケメン像であった。そのイケメンと、ご対面することが、実はこの国立考古学博物館に期待していたことの、少なく見積もって30%ほどはあったと思う。

しかし、古典期、ヘレニズム期、と作品を見終わって、件のイケメンは現れなかった。あの完璧なイケメンフェイスは、古典期のものだと予想していた私の予想は外れたようだ。

ヘレニズム期の後は、ローマ時代の作品が続き、母と姉に「ギリシャでローマの作品を見なくていいや」という空気が漂う中、私は「ちょっとどうしてもイケメンを探したいから、早足で一回りしてくるね!」と、ローマ期の展示物の部屋へと入った。

友人が見せてくれた画像では、胸部から上しかない胸像だったため、胸像という胸像の顔を私はのぞきこんで回った。そのたびに、「違う」「違う」「違う、もっとイケメン(失礼な!)」と言いながら、ずっと展示室を進んでいくと、出口にたどりついてしまった。………へ?

イヤイヤ、あれだけきちんと網膜に刻み込んできたイケメンを、見逃すはずがない。もう一度、胸像という胸像をのぞきこんでいくうちに、私はあることに気付いた。「…よくよく見てみると、貸し出し中とかいう紙が貼ってある土台が、いくつかあるよ…」。

そして、発見してしまった…。

アテネ 国立考古学博物館

「このNo.417の作品は、ローマで開催中の地中海とギリシャ展に出張中でございまーす!」。…どう見ても、このイケメン君だよ、私が探していたのわっ!この後の旅程は、イタリアに行くけどさ、今年はローマには行かないんだよ!去年だったら一週間もローマに滞在したのにさあ!………ちーん。

というわけで、イケメンがここにいないことが確定した今、まだ鑑賞していない、先史時代の部屋へとすみやかに移動することとなった。

アテネ 国立考古学博物館

先史時代の展示室に移動する途中で、海から見つかったもの展(すごいヒドイ日本語訳だな…)とかいう企画展示室があったので、ちらっとのぞいてみると、有名な「アンティキセラの青年」という像があった。海から見つかったものなんだね。しかし、この青年は、イケメンとの邂逅の夢を断たれた私の心を、癒してはくれなかった(そんなの、この青年の仕事じゃないから)。

というわけで、傷心のまま、先史時代の部屋へと移動しまっす…。