アテネ旅行記1 アテネの市場はのど自慢会場
中央市場
昨日は本当に疲れた。船にも乗ったし、飛行機にも乗ったし、交通渋滞に巻き込まれるバスにも乗った。
そのせいか、変な夢を見た。アテネで宿泊しているアパートのホストさん(昨日会ったばかり)が夢に出てきて、「日本人はいろいろなことを心配しすぎだと思うの」と、日本語で力説していた。何のこっちゃね。
そして私は、ハエの羽音で目を覚ました。宿泊しているアパートは、アテネのほぼど真ん中。繁華街と言ってもよい。昨夜は、道端にたくさんのゴミが集められていた。空気を入れ換えるために、この部屋は、我々が到着した時には窓を開けっ放しにしてあった。そのせいか、ハエが何匹か入り込んでいた。
ハエの羽音で目を覚ましたとき、私はもう少し寝たかった。そこで、部屋の中に見つけたハエを、苦労して窓から外に出した(慈悲の心ではなく、私は虫が苦手なので退治できない)。そして、もう一度ベッドにもぐり込んだ。すると、次のハエの羽音がすぐに聞こえてきた。
そいつも、苦労して外に出した。そして、再々度ベッドにもぐった。すると、次のハエの羽音が…。
これを4回繰り返して、私は観念して起きることにした。ハエが私を起こしてくれてるんだよ。限りある旅の時間を、寝腐ってムダにするなと。
おはようアテネっ!
宿泊したアパートのベランダからは、パルテノン神殿が見える。もー、宿泊しているだけで観光になるというスバラシサ!(ハエはいるけどさ)
パルテノン神殿の手前には、無骨な近代的なビルが映っている。
アテネのこういう風景を「雰囲気台無し」と評する人もいるが、私は、殺伐とした近代的な建物の向こうに、古代神殿が見えているこの風景が、結構好きである。大都市の無骨さと、古代神殿の廃墟が醸し出す神秘性が、融合しているようなしていないような、危うい感じが好きなのだ。
他の部屋でまだ寝ていた姉は、私が起きているのを見てビックリしていた。ヒュプノス(ギリシャ神話の眠りの神)の忠誠な信者である私が、姉より先に起きているのは珍奇な出来事なのだ。ハエが起こしてくれたんだよ。
本日の朝ごはんである。昨夜遅く、売店で買ったヨーグルトと、アッティカ・ベーカリーのパンだよ。
今回、アテネは4泊である。キッチン付きのアパートにしたので、数日分の食材を買いに行くことにした。
3年前のアテネ滞在では、アテネの市場に足を運んでいない。今回は、市場にもそこそこ近いアパートなので、スーパーでなく中央市場に突撃することにした。
中央市場は、アテネ中心街の北の方にある。アテネは、北にあるオモニア広場に近づけば近づくほど、治安が悪いと言われている。市場はオモニア広場までは行かないのだが、一応警戒して、身軽な格好と、最低限のお金だけを持って、アパートを出た。
アパートを出ると、昨夜、あんな遅くまで開いていた売店が閉まっている。今日は土曜だから、土曜の朝は、アテネの始動は遅いんだろうか。近くの売店で水を買おうと思っていたが、どこか他のお店で調達しなきゃいけないなあ。
中央市場に向けて、レッカ通りという通りを、てこてこと北上した。この辺りは、治安の悪さは全く感じない。普通にアテネ人が行き交っていた。
どどーん!着いたよ、アテネの野菜市場!野菜がいっぱい並んでいるのを見るだけで、野菜食らいの私は嬉しくなるよ!
表示されている値段は、1㎏の値段だから、やっぱり市場の野菜は安いっ!安くてキレイなのが市場の野菜っ!
何買おうかなー。しかし、私は、今回も、ぜんっぜんギリシャ語を学習してきていない。
私の肩を持たせて下さい。ギリシャ語って本当に難しいのであるよ。英語で「It’s Greek(それはギリシャ語です)」という言い回しが、「意味不明」という意味であるほど難しいのであるよ。英語圏の人にとってさえ「意味不明」なわけだから、全く違う言語体系の私にとっては、もー、宇宙人の言語なわけですよ。
言い訳終わり。
大丈夫。野菜ってのは身振り手振りで買えるものだ。要は、買いたいという情熱が必要なのだ。
英語通じなければどうしよう…と、おそるおそる野菜の購入を試みたが、心配ご無用で、市場の人々は、私なんざよりもずっとずっと英語が堪能であった。ギリシャは実に、英語が通じる国である。それにしても、いつになったら私の英語は堪能になるのだろうか。要するに私は、ギリシャ語どころではなく、まずは英語を身に修めるべきなのである(と、常に旅行記では書いてるな…)。
ギリシャの野菜市場には初めて来たが、購入の仕方は、イタリアの市場とほとんど同じであった。ほとんどの野菜が量り売りなので、一種類ずつ欲しい量をお店の人に伝えて量ってもらう(指さしで通じる)。欲しい野菜や果物を全て量ってもらってから、最後に会計である。
おもしろかったのは、野菜一番の売り子のおじさんたちは、皆、声を張り上げて呼び込みをしているのだが、その調子が、まるで歌っているように一定の旋律に乗っているのである。この旋律は、昔から代々伝わってきた、誰が作ったメロディでもないものなのだろう。まるで祝詞のような歌声が響き渡っているアテネの市場は、独特の活気に包まれていた。
野菜を大量買いした後は、肉の市場ものぞいてみることにした。肉を買う予定はなかったのだが、どんなものかちょっとだけ見てみたかったのだ。
こちらが肉市場。肉市場は、野菜市場から、一本筋を入った場所にあり、アーケードの屋根で覆われている。
ウィンドーショッピングを楽しもうと思ったのだが…。
グ、グロイっ!
ヨーロッパの市場は日本と違って、生々しい肉が並んでいることは承知済みなのだが、それにしてもグロイっ!皮を剥がれた動物や鶏が、げ、原型をとどめているよ…!
人間は、他の生命を食べているという事実から、目を逸らしてはいけない、という理屈はわかるし、賛同もする。し、しかし、ソフィスケイトされた社会にどっぷり甘やかされている私は、どうしても直視することはできなかった。しかし、このアーケードに踏み込んでしまったので、震えながら出口まで歩いた。
しかし、同じようにソフィスケイトされた社会に生きていても、姉はへっちゃらであった。「このくらい何てことないじゃん。むしろ興味深いよ」。
姉が撮影した、そこまでは生々しくない写真を一枚だけ…。これよりもギョッとするような売り場も数多くあった。アテネ市民たちは、平気で買い物をしていた。私はまだまだひ弱だなあ…。
ただし、鶏肉売り場のコレには和んだ。私が旅行したのは3月ですよ!チキンと言えばクリスマスとはいえ、いつまでサンタさんを置いておくつもりなのか(来年のクリスマスまでだろうな…)。生命の荒々しさに包まれた肉売り場で、場違いに和んだ空気を醸し出しているサンタさん。この白ヒゲに赤い帽子のおじいさんは、確実に文明側の存在なのだということがわかった。
他にも、もっと熱気に包まれた肉売り場、魚売り場もあるらしいのだが、大量買いした野菜も重たいし、アパートまで帰ることにした。
アパートに帰る途中で見かけたフクロウちゃん。
ここにもフクロウちゃん。アテネのお土産屋さんでは、よくフクロウのモチーフを見かける。そういえばフクロウは知恵を象徴する鶏だ。アテネの守護神である、知恵の女神アテナの象徴として、アテネでは愛されているんだなあ。
帰る途中で、クルーリーの屋台を見つけた。クルーリーは、ギリシャ名物の固い食感がやみつきになる、ドーナツ型をしたパンである。見ると食べたくなるのが不思議である。
小さいクルーリーを買って、食べながらアパートまで歩いた。3年前のアテネ滞在でも食べたクルーリーの味が、ああ、アテネに帰ってきたんだな、と、改めてアテネにいることを実感させるのであった。