デルフィ旅行記3 貴方(たち)を見つめる時間は短すぎて
デルフィ博物館
デルフィの「アテナ・プロナイアの神域」を出て、デルフィ考古学博物館へ向かうべく坂を上っていた頃、時計は既に15時近くになろうとしていた。
16時のバスではアテネに帰る予定。デルフィの(イケメンが二人もいるという)博物館を見る時間は、おそらく30分くらいしかないだろう。悲しいことではあるが、せっかく来たからには30分だけでもいいから、イケメンに会いにいくぞ!
その時、姉がふいに言った。「今日はさ、遺跡が15時に、博物館が16時に閉まるんだったら、ほとんどの観光客は16時のバスで帰るんじゃないかな。先にバス切符を買っておこうか?」。
しかし、バス停とバスの切符売り場は、博物館からさらに5~10分ほど坂道を上った場所にある。博物館前を通り過ぎて、先にバス切符を買いに行って、また博物館に降りてきて、それから博物館を見終わったらまた坂道を上って…うーん、しんどいなあ。
通常の私であれば、それほど苦でもない移動ではあるが、風邪引きの身ということもあり、聞くだけでしんどい気分になってしまった。「んー、今日の私には、その移動は無理だ…。15~20分くらい前に切符売り場に行けば大丈夫じゃない?」
この時の我々に足りなかったのは、話し合いであった。私は漫然と「デルフィーアテネ間のバスは全席指定なんじゃないか?」という気はしていたのだが、満席になるなんてことは、みじんも頭をよぎらなかったし、よしんば満席になったところで、何とか乗せてもらえるんじゃないか、なんて考えていたのだ。
私が「無理」と答えたことで、無理ならば仕方あるまい、と、我々は博物館にそのまま入り、15時半には博物館を出て、バス停に向かうことにした(第三の罠)。
これがデルフィ考古学博物館の外観である。
さあ、博物館鑑賞は30分くらいしかできない。この博物館には二人のイケメンがいることは調査済み(しかし画像は未見)。あと、世界のヘソのオリジナル(とは言っても古代ローマ時代のもの)がある。
イケメンに一人10分×2使って、ヘソに5分使って…他の展示物には5分しか時間を使えないのか!いや、イケメンの時間は減らせないな。ヘソを3分にして、他を7分にしよう。
つーわけで、どんどん行きますよ!どんどん!今回の旅行はこればっかりだ。鈍足旅行がモットーなのに、モットーと違う行動を余儀なくされている私。思うようには進まないのが旅さ。
誰か女神かなーと思ったら、葡萄酒と演劇の神ディオニュソス。実はディオニュソスって、中性的なイケメン神なのだ。どうしてもウフィツィ美術館の、カラヴァッジョが描いた酔っ払いのイメージが強いけど(バッカスとディオニュソスは同一神)。
デルフィといえばアポロン神だが、実は、アポロンは冬の間の3ヶ月間は「こんな寒い場所にいられるか!(※私の勝手なイメージです)」と、デルフィを離れてしまうらしく、アポロン不在の間は、ディオニュソスがデルフィで神託をするのだそうだ。
アポロンとディオニュソスといえば、ニーチェをかじった人なら「アポロン的」「ディオニュソス的」という対比をすぐ思い浮かべるだろう。ざっくばらんに言えば、アポロンは、太陽、理性、学問などを司る秩序的な神様。ディオニュソスは葡萄酒、演劇、狂乱などを司るカオス的な神様。
デルフィの神託を、アポロンとディオニュソスが交代で、しかも3:1の比率で受け持つ理由は、何となくわかる気がする。世界はどちらか一方のみでは成り立たないのだ。要するに、人生も、3:1くらいの比率であれば、少々羽目を外してもいいってことですね?(イヤ、アンタはその比率が逆になってるのが現状だよ!)
こちらは、ギリシャを旅行していると、すっかりおなじみになる、勝利の女神ニケ。片足を踏み出したポーズが目印である。ニケの表情に、ややアルカイックスマイルが見られる作品だ。
ギリシャには、本当に古代のニケ像が多い。ニケはオリンポス12神ではないし、どちらかというと戦の女神アテナの随神のような位置づけなのだが、やはり「勝利の女神」という存在は、人々の信仰を呼ぶのだろう。
ニケは本来は巨神族なので(ゼウスたちより世代が古い神)、実際はすごい大女のハズである。しかし、彫像などで具現化されるニケは、片足を踏み出し、翼を持つことも多く、さらにアテナの手のひらにのっかってたり、現代の我々から見ると、小さな天使やティンカーベルみたいなイメージである。
勝利の女神は、戦争に帯同させなければならないので、ポータブルである必要があっただろうし、また、戦いを勝利に導く存在には、「小さい」というイメージがついて回るのかもしれない(ちょっとした戦略、裏の作戦などといったイメージ?)。
そして、このデルフィ博物館で有名なものの一つが、このスフィンクス。
このスフィンクス、予想以上に大きかった!スフィンクスって本来なら化け物なのだけど、後ろ足をおりこうさんに揃えていて、あまり怖さを感じないスフィンクスである。
スフィンクスの何がカワイイって、自分が出したなぞなぞを解かれてしまうと、自死してしまうという、自尊心の高さである。
でも、オイディプス王に出てくるスフィンクスの逸話は、少し深い気がする。世界の謎を解けなければ、解けない方(人間)が死ぬけど、謎が解けると、謎を作った方(世界の創造主?)が死んでしまう。世界の謎が少しずつ解かれつつある現代の社会は、どんな方向に進んでいくのだろうか。
とはいえ、私は、大学の授業で、スフィンクスの逸話は、解答が「人間」であることから、アポロンの神託「汝自身を知れ」につながるとか習った気がするなあ。いずれにせよ、ギリシャ神話の深みってのは、本当にとんでもない深さだと思う。
こちらは、デルフィから出土したフリーズで、トロイ戦争に題材をとったもの。後ろからアフロディテ、アルテミス、アポロンですって。アポロンがちょいと女々しいなあ。アルテミス「お兄様、顔に何かついてるわよ」アポロン「えっ?イケメンがそれはマズイ。取って取って!」アフロディテ「(後ろから)ちゃんと取れてないわよ」の図(に見える)。
こちらはライオンが兵士にかみついている、迫力満点の彫像。
こちらは結構有名な、「踊る少女」像。少女もいいんだけど、今日のメインはイケメンなんだよなあ。この辺りは、時間を気にして私は気もそぞろだった。こんな旅行ヨクナイ。今回の旅行は反省の多い旅行であった。
そして、これがこの博物館の目玉である、世界のヘソ。デルフィが、世界の中心であることを示すオブジェで、ギリシャ語で「オンファロス」と呼ばれる(要するにヘソ)。
世界の両端から、ワシを飛ばして、このデルフィで交わったため、ここが世界の中心、聖域とされたという神話に基づくのが、このヘソ。
地球は丸いと、現在ではわかっているので、「世界の端」というものは存在しない(はず)。しかし、なぜだか「世界の果て」は存在する。球体の世界でも、そこで生きるものたちにとって、遠い場所(北極とか南極とか海の真ん中とか)が確かに存在するのが面白い。
そうすると、おのずと、地理的な意味での「世界の中心」は存在しなくても、精神的な意味での「世界の中心」は、それぞれの個人にとって存在するわけだ。だからこそグローバリズムは、容易には世界に広がらない。
そんなことを考えながら「ヘソ」を見ると、「世界の中心」という考え方から、いつか人類は脱却…しなきゃいけないんじゃなくて、することになるんだろうな、と思う。その時に、もちろん失われるものもあるし、得るものもあるだろう。それがどれくらい未来のことかはわからないけど、その時には既に異星人と遭遇していて、さらなる世界観の変化を迫られてたりして。
以上、ヘソに関する考察でした!あとはイケメン×2の出番だわよっ!
イケメンの中で、順路に先に出てきた(とはいっても、最後から2番目の部屋)のは、こちら。
ローマ時代のアンティノスの像。アンティノスとは、ローマの五賢帝の一人、ハドリアヌスに溺愛された美少年である。ローマのお風呂作り職人が現代日本にタイムスリップする、大ヒットした「テルマエ・ロマエ」という漫画に出てくる逸話なので、日本でも結構名を知られている美少年。
うーん、確かにカワイイですね。カッコイイんじゃなくて、カワイイ。ちょっと憂いを秘めた表情は、若くして死んでしまう彼の運命を暗示しているようにも思える。
違う角度から。うーん、やっぱりカワイイなあ。時代が変わると、イケメン・美女の定義も変わると言うけれど、アンティノスが本当にこういう顔をしていたのであれば、2000年近くが経った現在でも、ガチでイケメンである。そういう、普遍的な美を備えていたからこそ、皇帝という権力者に溺愛されたのであろう。
そして、博物館の最後の部屋には、満を持してもう一人のイケメンが登場。
デルフィ博物館で、ヘソをさしおいて、最も有名だと言われる、『青銅の馭者の像』。彼が右手に持っている紐のようなものは、馬の手綱で、もともとは、馬が引く戦車に乗っている像だったらしい。奇跡的に、この馭者だけが、綺麗に残っている。
作成されたのは紀元前470年で(この正確な年代が記されているのは、文献でも残っているのかな?)ある。ギリシャ芸術の最高潮であるクラシック期は、だいたいペルシア戦争の頃、紀元前480年くらいから始まると言われるので、クラシック期の初期も初期の作品ということになる。
そのためか、パッと見たとき、「何か変わった作品だなー」と思った。
何が変わっているかというと、表情や、身体、衣服のヒダの出来の良さに比べて、何かが違和感を感じる。
それは、おそらくだが、彼のポーズであろう。クラシック期の像は、片足に体重をかけた、「コントラポスト」というポーズを取るが、彼は、両足でスッと立っている。
この真っ直ぐに立っているポーズは、クラシック期以前、アルカイック期と呼ばれる、クラシック期に比べると、拙く素朴に見える時代の銅像と、シルエットが似ている。
そのため、「クラシック期の出来の良さなのに、全体としてのシルエットはアルカイック期」という、不思議な二面性を感じてしまうのだ。それは、おそらく、この作品がクラシック期「初期」に作られた、いわゆる過渡期の作品だということなのだろう。
小難しい話はココまでである。私は彼を見た瞬間は、「え?イケメンかなあ?あたしゃ、さっきのアンティノス君の方がかわいいと思うなあ」と、ややがっかりした。
しかし、ここからが、古代ギリシャ・クラシック芸術の本領発揮なのである。
角度を変え、何度も彼の周りをぐるぐるし、彼の顔をのぞき込んでいるうちに、気がついたら自分が彼に夢中になっているのである。
か、カッコイイ…。彼がなぜ、こんなに凛としているかというと、馭者レースに勝って、表彰式みたいな場面で、自分の車と馬たちを、今一度観客にお披露目している場面なのだそうだ(何でそんな細かいところまで特定できているのかは不明だが)。
うん、端正だね。さっきのアンティノス君が耽美・カワイイ系だとすると、こちらの馭者は端正・正当派系。あっちがローマで、こっちがギリシャなのが何となくよくわかる。
というわけで、彼の周りを、あと30周くらいは余裕で回れる心持ちだったのだが、私はシンデレラ(言っとけ)、時間がないの。涙ながらに彼に手を振り、バス停まで駆け上らなければならないのだ。
そんなわけで、イケメン×2と、束の間の時間を過ごしたデルフィ博物館。もっと長く見たかったけど、それでも大満足して、私の心は、デルフィを去ろうとしていた。
しかし、デルフィ旅行記はこれでは終わらない。フフフ、何が次回の旅行記で起こるか、もうお気づきの方もいらっしゃるでしょうね…。