3/13フィレンツェ旅行記1 囚われのサン・ジョヴァンニ洗礼堂
本日は、コルトーナを出発し、今回の旅の終点である、フィレンツェへと移動する日である。
今回の旅行は、強風で飛ばないことがあるという、エーゲ海のサントリーニ島への飛行機とか、アテネから苦労してパトラの港までたどりつき、そこから船でギリシャからイタリアへ移動とか、終バスを気にしながらアンコーナからウルビーノへ移動とか、ウルビーノからペルージャ行きの、一日一本のバスに乗るとか…実に、しんどかったり綱渡りだったりする移動が多かった。
それに比べて、コルトーナからフィレンツェへの移動ってのは、もー楽勝っ!コルトーナ旧市街からカムーチャ駅までバスで行き(もう慣れた)、カムーチャ駅からフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅までの本数はたくさんいるし、終点だしで、もう勝利は同然である。しかも、フィレンツェラブの我々は、もう5回目のフィレンツェっ!(母は3回目)楽勝モードが漂うのも、致し方ない所なのである(何に勝った気分なのかは不明)。
コルトーナのレジデンスを出る前に支払いをし、念のために、オーナーの娘さんのサラに頼んで、領収書を書いてもらった。すると、サラは領収書の書き方が分からず、「どうやって書けばいいのかしら?」と我々に聞いてきた。知らないっすよ!とりあえず、コノヒトタチお金払ったんだよってことを書いてくれたらいいっすよ!
バスターミナルがあるガリバルディ広場に向かう途中で、昨日、バス切符の買い方を尋ねられたアメリカ人マダム4人組と、また出会った。本当に小さなコルトーナ。昨日の夕方から、旧市街内で会うのはこれで3回目である。
我々がスーツケースを引いているのを見て、マダム達は我々がコルトーナを去るのだと察し、写真を撮らせてくれと言われた。
えーっ!?被写体としてそんなに魅力的かしらっ?いや、単に旅の思い出に撮るんだね。我々もこれからは、旅先で会った人たちと記念撮影するようにしようかなあ。それも確かに、いい思い出になるよね。
結構ご高齢に見えるマダム達は、すごく最先端のタブレットなどを取り出して、器用に撮影していた。高齢の方までタブレットとか使いこなしている時代に、ガラケーを頑なに愛し続ける我々家族っ!…イヤ、別に愛しているわけじゃなくてさ、別れられない経済的事情があるだけなんだよ…(何その仮面夫婦みたいな関係…)。
ガリバルディ広場に行くと、本日もとても天気が良い。天気が良いかどうかは、かなり旅行の印象を左右する。コルトーナはとても天気に恵まれた。今まで訪問した町で、天気に恵まれなかったシエナ、ヴェネツィア、ラヴェンナは、何としてでも再訪したいと考えている。
バスは時刻表通り来ないが、まあ、電車の接続は余裕があるし、何せ、フィレンツェ行きの電車は幾らでもあるので、ゆったりと、眼下のトスカーナの平野を見下ろしながらバスを待つ。広場に、送迎車待ちの女性がいて、話しかけてきた。
ミラノ出身の女性で、「旅はいいわねえー。私が今まで行った中で一番良かったのはモロッコよー」と言っていた。「ミラノも2度行きましたが、素敵な町ですよ」と言ってみたが(お世辞じゃないよ、ホントだよ)、「うーん。ちょっと都会すぎるわよね」とおっしゃっていた。のんびりした場所が好きなのだそうだ。
我々のバスはだいぶ遅れていて、ミラノ女性の送迎車はその間に来てしまい、手を振って別れた。こうやって、何気ない会話をするのが、イタリア語の勉強になる。私の人見知りする性格(本当ですよ!)を治して、どんどん旅先で出会った人とおしゃべりしなきゃだね!
バスは10~15分程遅れてやって来た。昨日、カスティリオーネ・デル・ラーゴに行った時の、おねえさんドライバーであった。いつものように、切符に手で日付を入れてもらって、スーツケースは特にトランクに入れるように指示されなかったので、そのまま車内に持ち込んだ。
カムーチャ駅まであと少しという所で、昨日と同じ場所から、昨日と同じちょっと目が不自由な女性が乗ってきた。スーツケースがちょっと邪魔だったので、通路を塞がないように持ち上げた。彼女は毎日このバスを使っているのかなー。コルトーナの日常って感じなのだろう。
カムーチャ駅に着き、バイバイ、コルトーナ、と、丘の上の旧市街に手を振る。こういう小さくて、大都市からの交通の便がそれほどよくない町は、再訪の可能性は低いだろう。「二度はゆけぬ町の地図」という、西村賢太の本のタイトルが頭に浮かんだ。とは言っても、この本読んだことないのだ。私は結構本のタイトルフェチなので、読んだことのない本のタイトルで、グッと来たものを覚えてしまう。いや、タイトルだけでなくて、読まなきゃいかんね。
タイトルと言えば、兼高かおるさんの「わたくしが旅から学んだこと」もすごいと思う。だって「わたくし」ですよ!?私も一人称を変えてみようかなあー。イヤ、そんなことくらいで、このブログに品位が漂うと思ったら大間違いである。とりあえず、まずは兼高さんの本を読んでみるべきである。本(のタイトル)の話終わり。
で、我々は、のんびりと、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行きの各駅電車に乗り、コルトーナ旧市街で購入してきたパニーノを食べて早めのお昼ご飯にする。いやー。フィレンツェ。電車は空いていて、コパートメント貸し切りだし、このまったり感。
私は、フィレンツェでは、昼寝中のネコみたいに緊張感が伸び切ってしまう。言うまでもなく、フィレンツェは観光地なので、ローマやナポリ程はなくても、それなりに観光客目当てのぼったくりや窃盗もあるので、こんなに弛んでいてはいけないのだ。しかしわかっていても、気の緩みというものを、自分で引き締めるのは難しいのである。
そして、そのまま昼寝してしまいそうな我々を乗せたまったり電車は、フィレンツェに到着した。予約しているアパルトメントは、日本人女性が経営しているアパルトメントで、シニョリーア広場とヴェッキオ橋の中間あたりである。駅から歩いて行けないこともないのだけど、スーツケースがあるので、タクシーを利用した。
2年ぶり5回目のフィレンツェっ!まるで、最近甲子園の常連校になったみたいな我々の経歴である。2年前、フィレンツェは、旧市街に車両進入規制があって、タクシーが旧市街に入るためには、ぐるっと遠回りしなければならなかったので、直線距離より時間がかかり、12ユーロくらい旧市街までかかってしまっていた。しかし、今回は、タクシーは、まっすぐに旧市街の中に入って行き、あっと言う間にレジデンス前に到着し、スーツケース代込みでわずか8ユーロであった。
久しぶりだね、ヴェッキオ宮くん!
レジデンス前では、日本人オーナーが出迎えてくださっていた。実は、以前フィレンツェに行った時に、他のレジデンスに宿泊した際、お世話になった女性なのである。ご自分のアパルトメントをお持ちになったので、今回宿泊させて頂くことにしたのだ。
ご自分でデザインされたという、素敵なお部屋に通されて、部屋のセンスの良さもそうなのだが、それ以上にジーンと来たのが、日本人の心配り!高い棚に届かない人(=私とか母)のための足台とか、寒い時は着て下さいと置いてあるジャケットとか、前に利用した人が置いて行ったホッカイロとか、卓上ゲームまで置いてあるよっ!せっかくだからね、卓上ゲームで遊びましたよ。オセロに似た白黒ゲームですよ。ちなみに私は、「ヒカルの碁」を読むまで、オセロと囲碁は同じものだと思っていたダメ人間である。
さて。フィレンツェに着いたからには、まずはペルケノ参拝に行くのが筋であろう。ペルケノとは、フィレンツェにある超有名なジェラート屋さんで、今、私の、イタリアのジェラート屋さん脳内番付で、東の横綱に位置しているジェラート屋さんである(西の横綱はボローニャのLa Sorbetteria Castiglione。この2店の力は、非常に拮抗している)。
2年ぶりのペルケノは、全くぶれない美味しさだったのだが、年々、お客さんの数が増えている気がする。ジェラート屋さんでは、ショーケースに客が横並びになり、きちんとした並び順がないので、気が弱い人は、注文できるが不安になるものである。
しかし、ペルケノみたいに混雑に慣れたお店では、お店のスタッフさんは、だいたい誰が先に待っているのか、お客さんの目を見ればわかるようで、注文するフレーバーが決まったら、あとはスタッフさんの瞳を見つめておけば、適切な順番でオーダーを取ってくれるので、まあ心配いらないと思う。
というか、ペルケノというより、フィレンツェが人が多いのだ。本当に、フィレンツェの観光客は年々増えている気がするよ。私たちも、もう5度目のリピーターなので、この「人多すぎ」にしっかり貢献しているのだ。フィレンツェは我々のようなリピーターが多いのかなあ。
ペルケノを食べながら、チェルキ通りという通りを通った。今年は、フィレンツェに来る前に、図説 フィレンツェ―「花の都」二〇〇〇年の物語 (ふくろうの本)という本を読み、ぜひ通りたいと思っていた通りだ。
中世のフィレンツェで、教皇党と皇帝党の党派争いが激しかったのは、ダンテがそれに巻き込まれて(正確には党派内の内輪もめだそうだが)、フィレンツェを追われたエピソードなどで有名である。その時代は、張り合うように、高い塔が何本も建てられて、味方どうしの塔は、渡りの回廊でつながっていることもあったそうだ。今では、ほとんどの塔が残っていないか、周りの建物に埋没してしまい、フィレンツェがサン・ジミニャーノのような塔の町であったことを感じ取るのは難しい。
そんな中、かろうじて残っているものの一つが、このチェルキ通りの塔だそうだ。この塔も、言われなければ塔だとは気付かず、通り過ぎてしまいそう。しかし、フィレンツェの人達は、ちゃんと塔だと意識しているようで、この塔の一階にあるカフェは、「Torre(=塔)」という名前のカフェであった。
ちなみにチェルキ通りは、塔が残っているだけあって、ちょっと中世の雰囲気のある狭い通りなのだが、ジプシーさんたちがこの通りを何度も行き来していた。フィレンツェでも、狭い路地でジプシーに襲われたという被害例はちらほら耳にするので、やや周囲に気を付けて歩いた方がよい界隈かもしれない。
フィレンツェに来たら、やるべきことのもう一つは、ドゥオーモ君への挨拶である。
やあ!ドゥオーモ君!元気だったかいっ?我々が、またもや来ましたよ!
しかし………明らかに、何かがオカシイ。…っていうか、タクシーで近くを通った時から実は気づいていたんだよ。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂が、あわれな姿に!凶暴な獣を、これでもかと慎重に捕獲したみたいな姿になってしまっているよ!あいやー。
まあ、仕方あるまいよね。フィレンツェのような大観光地では、最大多数の最大幸福を考えれば、観光客がピークになる夏場に修復工事をするわけにはいかないのだ。そんなわけで、我々(=ボンビー=冬の旅行者※念のため言っておきますが、冬に旅行する人全員がボンビーだと言っているわけではありませんからね!)がフィレンツェに来るときには、ドゥオーモ広場のどこかで工事は行われているのだ。今回はジョヴァンニ君の番だっただけだよ。
で、ドゥオーモの内部は入場無料なので、フィレンツェに来る人で、ドゥオーモの中に入らない人はほぼいないだろう、という感じで混雑している。
我々も、とりあえず入ろうゼって感じで中に入ると、何だか以前と様子が違う…。
真ん中の床がロープで囲まれて、観光客が入れないようになっている!おー!床の保存のためだろうか?何にせよ、床の模様が、こんなにはっきり見れることは今までなかったので、斬新なドゥオーモだよ!ちょっとした見せ方の違いで、ずいぶん印象は変わるのだ。女性のオシャレも同様だね。がんばるよ(そんな教訓意図してないよByドゥオーモ)。
こちらは入口近くの、上方にある絵。今まであんまり気にしたことなかったけど、なかなか好きな雰囲気だなー。地球の歩き方にも、特別、誰の作品とも書いていないので、最近の作品なのかもしれないが。
そして、フィレンツェのドゥオーモと言えば、ウッチェッロ…このブログでは通称ウッちゃんの作品がタダで見れるんだよー!ウッチェッロさんと言えば、遠近法オタクの変人さんですね。
この騎馬の絵には、「パオロ・ウッチェッロが描きました!」という、ラテン語の文字が入っている。ウッちゃんのお気に入りの作品だったのかもしれないね!
ドゥオーモは、真ん中の床に立ち入れない分、以前来た時よりも、主祭壇近く、クーポラの下の方まで入れる範囲が広くなっていた。
真下から見上げた、クーポラのヴァザーリ作「最後の審判」。この絵、クーポラに上れば間近で見ることができるのだが、こうやって、遠目で見上げた方が迫力がある気がする。前回来た時は、ヴァザーリの天井画が見える場所くらいまで立ち入ることはできたのだが、真下まで行くことはできなかったのだ。
ということは、今まで、一度も近くで見たことがない、クーポラよりさらに前方にある、ルーカ・デッラ・ロッビアの作品が見えるかな、と思ったのだが…
やっぱり遠目で、カメラの望遠を使っても、これが限界である。いつか、間近で見てみたい作品だ。
ちゅーわけで、フィレンツェに来るや否や、アグレッシブに動き回る我々。何度足を運んでも、私にとって、フィレンツェは全然飽きのこない町なので会る。日本語古典単語の「飽かず」が、「もういらないです」という気分にならないというニュアンスの「満足しない」である、あのニュアンスがピッタリの心境なのである。