2/23プロローグ スイスにラジオ体操母娘現る

2012年2月23日午後3時50分。私と、姉と、母(←NEW!)を乗せたスイス・インターナショナル・エアラインズ機は、チューリッヒ空港に降り立った。今年は、バーリ空港からイタリアに入るのだが、昨年同様に、スイス航空の乗継便を利用した。
昨年までの旅行記を読んでくださっている方は、母(←NEW!)が少々気にかかるところではないだろうか。ここで、今回の旅行に同行することになった、我々姉妹の母について説明しようと思う。

我々の母は、体が弱い。病弱な母と姉妹の組み合わせと聞けば、「となりのトトロ」の、さつきとメイとお母さんを連想する方も多いだろう。しかし、我々の母は、「となりのトトロ」に出てくる、あの優しげではかなげなタイプのお母さんとは、だいぶ異なっている。体力はないのだが、それと反比例するような強い性格の持ち主であり、旅行ともなれば、がぜん張り切るタイプである(ちなみに、外面は大変良く、家族以外の母を知る人々は、母を柔和な性格だと勘違いしている。よくある話だ…)。

こんな母であるから、旅行前に、我々姉妹は、父から「お母さんをしっかり休ませて、疲れないようにさせること」という、至上命題を受け取っていた。つまり、今回の旅行は、今までのイタリア旅行と比べて、「張り切る母を休ませる」というミッションが常についてまわる、やや難度が上がる旅行なのだ。まあ、母と娘の関係なので、言いたいことはお互いに言い合う仲であり、難度は「やや」上がる程度なのだけれど!

というわけで、母娘3人で、中継空港であるチューリッヒ空港に到着。チューリッヒ空港はイタリアではなくスイスなので、清潔で整然とした空港である。

日本からヨーロッパ便への乗継は、だいたいEゲートからAゲートへの移動になり、地下鉄のような乗り物に乗って移動する。

チューリッヒ空港の地下鉄車内

スイスなので、とってもキレイな乗り物。移動中には、旅行者のスイス気分を盛り上げるためか、ヤギだか牛だかの「ンモ~!」という鳴き声と、牧歌的な音楽が流れる。

チューリッヒ空港の地下鉄通路

こちらは、移動中に車内から撮った、地下通路の写真。この画像で、ハイテクな乗り物であることを、うかがい知ることができるだろうか。イタリアに行ってしまえば、「ハイテク」という言葉とはオサラバしなければならない。

バーリへ行く便までは、4時間ほど時間がある。チューリッヒ空港は、チューリッヒの市街地まで電車で15分程度と近いので、もし元気があれば、乗り換え時間を利用して、チューリッヒの市街地へ観光へ行こう、と旅行前から話していた。だが、日本からチューリッヒまでの飛行で、12時間以上飛行機に乗ることになるので、まあ母の体力を考えると、市街地まで行かない方がよいと、私は考えていた。

しかし、12時間の飛行の後、母は言った。「お母さんは元気だよ」。…これは、チューリッヒ市街地に行きたいということか?えー、でもなあー…、確かにチューリッヒは美しそうな町だけど、きっと疲れちまうよ、おっかさん!とりあえず、空港の外に出て、市街地までの電車切符を売る窓口まで言ってみると、大変混雑していた。「これは、電車に乗るまで時間がかかりそうだから、今回は諦めよう」と、母娘3人で意見は合致した。もともと、母を市街まで行かせたくなかった私は、窓口の行列に、「ナイス行列!」と心の中で賛辞を送った。

その代り、4時間も空港の中にいるのは案外疲れるので、ちょっと外の空気を吸ってリフレッシュすることにした。空港周辺は何もないのだけれども、昨年発見した、ちょっと小高い所にある公園に行った。

チューリッヒ空港近くの公園

こんな公園。2月前半まで今年のヨーロッパは極寒だったらしく、まだ雪が残っている。ちなみに、右下に移っている小さな緑のポストは、郵便ポストではなく、何と「犬のウンコ専用ゴミ箱」である。さすがスイス。

我々母娘三人は、ここで、12時間のフライトで、ちょっと固まった身体をほぐすために、ラジオ体操をした。ちゃんと「あーたーらし-い、あーさがきたっ♪」から歌った。ほんの少し立ち寄ったスイスで、何をしているのか…。実にアヤシイ日本人女性3人。まあ、すぐに立ち去るスイスだから、できたわけだけどね!

その後、空港近くのスタバでお茶を飲んでから、ゆっくりバーリ行き飛行機の、搭乗ゲートへと向かった。乗り継ぐ便は、2Lとか略される、スイスのヘルヴェティック航空の飛行機である。スイス航空との共同運営便らしい。バーリのような、大観光都市ではない地方都市からイタリア入りするのは初めてなのだが、何だか小さな飛行機である。バーリといえば南イタリア。南イタリア…。空港、大丈夫かな…(かなり漠然とした不安)。

さて、このヘルヴェティック航空。出発前に安全のための説明があったので、座席ポケット安全のしおりを見ると、しおりに乗っている人物の絵がコワすぎる…。

変な絵1

…白目、剥きすぎだろ…。

変な絵2

もう少しだけ絵の上手い人は見つからなかったのか…。私が描いた方が、まだ無難な人物が描けそうだ…。

飛行機が離陸して、しばらくすると、ドリンクサービスがやってきた。そんなにのども乾いていなかったのだが、1時間50分のフライトなので、私は水を、姉はオレンジジュースを頼んだ。その後、「購入」がどーたらみたいな英語を言われたので、「ノーサンキュー。何も買うものはありません」と答えると、CAさんは困ったように、「いえ、ノーサンキューではなくて。あなたは払わなければならないのです」と言う。

…えっ!?まさか、このドリンク、有料!?もう注いでもらった後だったので、キャンセルするわけにもいかず、水とオレンジジュース(どちらもビニールコップに注いだもの)に、5ユーロを払った…。眠っていた母は、もう起こさなかった…。水とオレンジジュース(ビニールコップ)に5ユーロ…。

ドリンク有料ということは、ヘルヴェティック航空はLCC(格安航空)なのだろうか。そうだとすると、あの、安全のしおりの、あまりに素人くさいイラストも納得できる。適当に、そこらへんの社員さんが描いたのだろう(それにしても、もう少し上手い人がいてもよさそうだ…)。

飲み物代をぼったくられ、周りのイタリア人の、かしましいおしゃべりに包まれてボー然としながら、無事にバーリ空港に到着した。夜10時という、遅い到着。このバーリ空港が、想像よりずっとキレイで、ちょっとびっくりした!傾きかけた、古い体育館みたいな空港を予想していたのだが。ローマやフィレンツェの空港よりずっとキレイである。3人分のスーツケースも、無事に到着していた。

バーリ空港には、宿泊するアルベロベッロの、B&Bのオーナーさんが迎えに来てくれることになっている。メールであらかじめ聞いてあった車を探すと、後ろから、名前を呼ばれた。オーナーはおやじって感じの人だった。こんな遅い時間にバーリ空港にいる日本人3人組など、我々くらいのものだから、すぐわかったようだ。

バーリからアルベロベッロまでは1時間くらいで、オリーブ畑の中をずっと走っていく。明るければ、オリーブ畑の真ん中に、とんがり屋根のトゥルッリが点在しているのが見えるのだろうが、暗くて何も見えない。おやじ(オーナー)は南イタリアらしく、よくしゃべる人で、英語が堪能である。

その彼が、一通りあいさつをかわしたり、プーリアの説明をしてくれた後(プーリアって雨が少ないそうだ)、「今から小さい町に行きます」と言った。えっ?一瞬、英語の聞き違いかと思った。疲れているから、アルベロベッロに直行して欲しいんですけど!

彼は、プチニャーノという小さな町に立ち寄り、「ここで今週日曜に、イタリアで一番大きなカーニヴァルがあるんだよ。イタリアのリオデジャネイロだ」と紹介した。

確かに、道路にカーニヴァル見学用の椅子が用意してあるが、…イタリアで一番大きなカーニヴァル?べ、ヴェネツィアよりも?ダーウトっ!だいたいイタリア人の言い草は大げさなのだ。

それにしても、中心部はなかなか美しい町だったので、私がイタリア語で「美しい町ですね(←イタリア旅行のお決まりフレーズ)」と言うと、「グラーツィエ(ありがとう)」と言われた。グラツィエ?「もしかして、ここはあなたの生まれ故郷ですか?」と聞くと、大当たりだった。…イタリア人は自分の町大好きだからね。わざわざ遠回りして、自分の町を見せたかったわけだね…。

車の中で既に眠くなりかけていたのだが、車がアルベロベッロの旧市街に入ったときには、ちょっと感動して目が覚めた。あのとんがり屋根が立ち並ぶ町が、しずかに夜のライトの中たたずんでいた。おおー!おとぎの国に来ちゃったぞー!

ホテルマニアの姉がハッスルして、何とアルベロベッロでは、トゥルッリのホテルに宿泊する。既に宿泊するだけで観光である。内装も大変かわいらしいトゥルッリで、母をベッドに転がした後、姉と一通り、おやじ(オーナー)からホテルの説明を受けた。おやじの口ぐせは「This is your home」であった。英語がうまく通じない時など、話が詰まった時には、何度もこのセリフで乗り切っていた。

最後に、おやじは、アルベロベッロの後どこに行くのか?と聞き、マテーラと答えると、自分が車で送ると言って聞かなかった。車代は100ユーロというので、アルベロベッロ・マテーラ間の送迎サービスの相場は80ユーロ程度と調べていた姉が、「少し考えさせて」と言っても、一歩も引かなかった。私が「今夜は疲れているから、決断は明日以降にします」と言っても、一歩も引かなかった。

とにかく私は眠くて眠くて、「もうどうでもよくなってきた…。どうでもいいから、とにかくおやじに帰ってもらおう」と姉に言い、姉に「あんた、そんなんじゃダメだよ!」とたしなめられた。とりあえずこの日は返事はせず、何とかして、おやじを我々の(正しくはおやじのだな)トゥルッリから追い出した。

もう、とにかく眠かった。私は眠る前から寝ぼけていて、「よきにはからえ」という日本語を、国語辞典で引いている夢を起きながら見ていた。「よきにはからうこと」と、そこには書いてあった。本当に意味不明であった。そのまま泥のように眠り、この日の記憶はここらへんでとだえた。