3/13ピエンツァ旅行記4 消えた!オルチャ渓谷

午前中は、ピエンツァ市街地外のピエーヴェ・ディ・コルシニャーノ教会(サンティ・ヴィート・エ・モデスト教会)と、さらにその下のオルチャ渓谷の散歩をした。かなり歩き回ったので、母はホテルで一休み。

姉と私は、ピエンツァでは実に数少ない、有料で入場する見どころであるピッコロ―ミニ宮へと行くことにした。何があるんだかはよくわからないが、とりあえず入ってみるのだ。そこにピッコロ―ミニ宮があるから入るんだよ。

今日でピエンツァは3日前で、ちょこちょこ旧市街の中に入っているのだけれど、ピエンツァ外のオルチャ渓谷にばっかり飛び出して行っていたため、まだこのブログで、旧市街のご紹介をしていませんでしたね。

ピエンツァ

こちらがピエンツァの、旧市街へと入る門でありまーす!イタリアの、中世風情の残る丘の上の町は、城門がほんとうにかわいらしいのだ。ちなみに、この写真は、この日に撮影したものじゃないんだけどね(翌日撮影)!欺瞞でしょうか?

そして、この城門をくぐり、ロッセッリーノ通りと呼ばれるメインストリートを歩いていくと、あっという間にドゥオーモのあるピウス2世広場に到達する。ピエンツァという町の創始者・教皇ピウス2世の名前を冠した広場である。ちなみにロッセッリーノ通りの「ロッセッリーノ」は、ピウス2世がピエンツァプロジェクトを託した建築家の名前である。

ピエンツァ

こちらがピエンツァのドゥオーモ。整然としたルネッサンス建築で、こじんまりとした中にも品があり、いい子ちゃんという感じのドゥオーモ。ピエンツァという町によく似合っている。ちなみにこの写真も、この日じゃなくて翌日に撮影したものだよ!欺瞞でしょうか?いいえ、誰でも…(金子みすずさんの詩のパクリ)。

このドゥオーモの右側に建っている建物が、ピッコロ―ミニ宮なのだが、先に、さらにその右側にあるサン・フランチェスコ教会にささっと入ってみた。このサン・フランチェスコ教会は、ピウス2世のピエンツァ建設計画前からあった教会だそうだ。

内部には、古いフレスコ画が残っている。

ピエンツァ

こちらはおそらく「受胎告知」の一部だと思われる。こんな感じで、ところどころ剥がれかかっているのが、絵全体を見たいという観点からは残念だけど、かえって、古くからある教会という雰囲気を醸し出していて、いい感じである。ちなみに教会内には、シニョレッリの板絵があるらしく、姉とさんざん探したのだが、シニョレッリ的(=筋肉、コワモテ)な絵には出会えなかった。まだまだイタリア美術の鑑定士にはなれない私である。

で、教会を出た後、本日のお目当てのピッコロ―ミニ宮へ入場!

ピエンツァ

こちらがピッコロ―ミニ宮。まあ、この写真も…(皆まで言うな)。ホラ、この日は天気が悪かったんだよ!だから、カメラって気分じゃなかったんだね!というか、傘を差していると、カメラ撮影は面倒なんだね!それで翌日撮ったんだよ!撮ったんだからいいじゃん!(誰に向かってキレているのか…)

ピッコロ―ミニ宮って、「ピッコロ」とか(イタリアで「小さい」)、「ミニ」とか、何だか小さそうなイメージなのだが、名は体を表さず、でっかいキャラメルみたいな建物だった。ピエンツァプロジェクトの責任者(?)、ロッセッリーノ作のルネサンス建築。どこらへんがルネサンス的かと言うと、何か整然としてるところと、こういう建物フィレンツェで結構見るじゃん?的なところ…。

いや、いけませんね、本当に、そろそろマジできちんとイタリア美術の本を読むだけでなく、知識をきちんと整理せねば…。いや、やりますよ、いつか、近いうちに、いつか…。

ピエンツァ

こちらは、ピッコロ―ミニ宮の前のある、同じくロッセッリーノさん作の井戸。ギリシャ神話って感じの井戸だね!いい井戸だ(わるい井戸があるってのか…)。

中に入り、切符売り場に行くと、音声ガイドは何語がいいか?と聞かれた。耳に当てて聞く音声ガイドは、片耳で何か聞くと肩が凝るし、あの機械音で鑑賞の雰囲気が削がれる気がするので、私はあまり好きではない。それで、「ありがとう、でも要らないです」と断ると、「いえ、これは料金に含まれていて、必ず持って行って頂いてます」とのことだった。そっかー。嫌でも持ってかなければならないのかー。

日本語は無かったので英語にした。ま、私の英語力なんざミジンコだけどさ。え?イタリア語?イタリア語はゾウリムシだよ。ミジンコの方がゾウリムシより大きいよ。

階段を上って、宮の入口まで行くと、係員みたいな男性がやってきて、「5分待ってて!」と言った。イタリア人の5分は15分なので、のんびり待とう。

ちなみにピッコロ―ミニ宮を作ったピッコロ―ミニ家は、シエナの貴族で、ここらへんで勢力のあった一族らしい。教皇ピウス2世も、実はピッコロ―ミニ家の出身。三日月をいっぱいあしらった紋章が特徴的で、この紋章はピエンツァの至る所で目にする。

我々以外に、イタリア人の夫婦が下の階段から上ってきた。どうやら係員さんは、我々と、この夫婦をセットで案内したいらしい。鑑賞には必ず係員さんがついてくる形式のようだ。自分らのペースでゆっくり回りたい我々にはちょっとストレスだけど、まあ、たまにはこういうのもよいだろう。

ひとつひとつの部屋に入るたびに、係員さんが、イタリア人夫婦にはイタリア語で、我々には英語で、「音声ガイドの○番のボタンを押して下さい」と言い、そのボタンを押すと、その部屋の説明が流れる方式。昔ピッコロ―ミニ家の人達が使った、古いベッドや椅子、テーブル、暖炉、ピアノなどが展示してあった。ピウス2世の肖像画も飾ってあった。何の変哲もないように見える木の椅子が、実はトイレとして使われたというのはおもしろかった。ガイド付きだと、こういう細かいことを知ることができるのは楽しい。

また、古本がたくさん展示されている部屋は、なかなか興味深かった。この部屋だったと思うのだが(うろ覚え)、ヴェロネーゼの小さな絵が飾ってあった。へー!ピエンツァでヴェロネーゼに出会えるとは思ってなかったよ!

天使が上から降りてきている、本当に小さな絵で、ヴェロネーゼらしい青空のさわやかさ、人物のやわらかさが印象的だった。なかなか素敵な作品で、私はヴェロネーゼはヴェネツィア派の中では好きな画家さんなので、思わぬところで出会えてちょっと感動!写真撮影はできなかったので、帰りにポストカードを探したが、無かった。小さい絵だもんなー。

オルチャ渓谷の眺めを拝める南側には、しっかりパノラマ鑑賞用のテラスがしつらえてあった。

ピエンツァ

テラスだけは撮影OK!

ピエンツァ

ピエンツァ

小雨が降っているせいか、霧がかっていて、遠くの方までは見渡せない。だが、霧で煙っているオルチャ渓谷も、これはこれで風情がある。ピエンツァに来て、この霧がかったオルチャ渓谷しか見えないのであれば残念に思うかもしれないが、オルチャ渓谷のいろんな表情を見れたのは楽しかった。

このピッコロ―ミニ宮のテラスから見たオルチャ渓谷は、ドゥオーモ裏手のカセッロ通りから拝むパノラマと、ほぼ同じ方角だが、ちょっと高さが違うだけで、またちょっと違う雰囲気に見える。また、テラスから見ている、と言う、ちょっとした贅沢感も味わえる。実際にピッコロ―ミニ家の人々は、こうやって眺めていたんだろうしね!このピッコロ―ミ二宮には、このテラスからのオルチャ渓谷を見るためだけでも入る価値があると、個人的には思った。

ピエンツァ

テラスのすぐ下は庭になっている。この庭にも、最後に1階に降りた時に入ることができる。この庭からのオルチャ渓谷の眺めも最高であった。

ピッコロ―ミニ宮のガイド付きツアーが終わると、係員の男性が、「ちょっと前に、日本人女性が、ピッコロ―ミニ宮の論文を書くと言って訪問してきたから、僕が案内したんだよ」と、我々に話しかけてきた。へー。もし本になってたら読んでみたいなと思い、「その女性の名前を覚えていますか?」と聞くと、「いやー、忘れたー」とのこと。帰国してから調べたけどわからなかった。修士論文とかかなー。

ピエンツァ

こちらは、ツアーが終わってから、庭に出て、庭から撮影したピッコロ―ミニ宮。柱が軽やかに並んでいて、こちらからのアングルの方が、通りから見るよりかわいいお屋敷だ。真ん中の柱が並んでいる部分が、おそらくテラスの部分である。

さて。ピッコロ―ミニ宮を出たら、部屋で休んでいる母を迎えに行くことにした。宿泊しているのは旧市街の外なのだが、何せピエンツァちっちゃいから!すぐ行けるから!

母を拾って、次に行くのはドゥオーモである。町の中心であるドゥオーモに、ピエンツァ3日目にしてまだ入っていない。いけませんね。イタリアにおけるドゥオーモってのは、町のハート部分ですからね。だが、行ってみると、ドゥオーモはミサ中だったので、先にお土産屋さんでものぞくことにした。

ピエンツァのお店のほとんどは、ロッセッリーノ通りに面している。まずはCREA Traveller (クレア・トラベラー)のトスカーナ特集号に載っていた、ドゥオーモよりも少し城門寄り(西寄り)にある、ピエンツァ織という伝統の織物を売っている、「il salotto」と言う名前の小物屋さんをのぞいてみた。

中は、奥が大型のインテリアファブリックを扱っていて、手前側がもう少し小さなものを売っている感じだった。ピエンツァ織は、黄色や赤、緑、青などのやさしい色合いで、植物や鳥などのモチーフが織り込まれていた。コースターくらいの大きさのものがあれば自分用に買おうかなあと思っていたのだが、一番小さいものでランチョンマットくらいの大きさだった。あとはエプロンやなべつかみなどもなかなかかわいらしいんだけど、やっぱり荷物になるもんなー。

とりあえず、いとこのお姉ちゃんへのお土産に、インテリアに使えそうなマルチクロスを購入。

このお店を出た後、ドゥオーモへ行ってみたが、ミサは終わっていなかった。そこで、ドゥオーモの少し先にある、日本のテレビでも紹介されたことのある革職人さんのお店に行ってみた。ロッセッリーノ通りは本当に短い通りで、革職人さんのお店はココしかないので、すぐにわかった。

職人のおじさまは仕事中だったが、「ブオナセーラ」と挨拶して中に入った。商品を触ってもいいかと聞くと、OKとのことだったので、いろいろと吟味した。私は、あまり革製品には興味がないのだけれども、ここの商品はかわいかった!おそらくスローライフ、スローフードを象徴しているカタツムリや、オルチャ渓谷名物の糸杉、猫などが刺繍などでモチーフになっている!

その場で名入れをしてくれるとのことだったので、親戚用や、友人用、自分用などに、キーホルダーやレザーブレスレット、しおりなどをこまごま選んで、全部名入れをお願いすると、快くその場で入れてくれた。観光客に慣れているということもあるのだろうが、親切で感じの良いおじさまであった。我々がたくさん名入れを頼んでしまったので、後から入ってきた地元っぽい母娘さんをかなり待たせてしまったのだが、この母娘さんもとても感じがよかった。

職人のおじさまが、「君は語学学校でイタリア語を学んでいるのかい?」と聞くので、「いえいえ、とんでもない。独学です」と答えると、お客さんの母娘のお母さんの方が、「まあ、ブラーヴォ!」とすごく感心してくれた。「独学ってどうやって?」と聞かれたので、「本やラジオ、テレビなどで」と答えると、日本ではイタリアのテレビ番組が放送されていると誤解されてしまった。そこで、「違います、テレビ局が作っているイタリア語講座があるんです」と説明したのだが、通じてたかなあ。

あの、イタリアの強烈すぎるテレビ番組は(ゴールデンタイムから、際どい格好の女性が、際どいダンスを踊る)、日本では深夜じゃないと放送できないよ…!

お店を出てもう一度ドゥオーモへ行ったのだが。

ピエンツァ

あいやー。ミサは終わったようだが、閉まっちゃった。

いまいちピエンツァのドゥオーモ君とは相性がよくないなあ。この4日間の滞在中に、我々は無事にドゥオーモを訪問できるのであろうか!?

このピエンツァ滞在中は、我々はスキさえあれば、ドゥオーモ裏手のカセッロ通りからオルチャ渓谷を眺めた。今回も、ドゥオーモ前まで来たので、カセッロ通りまで行ってみた。

すると!夕闇の中、霧がかかって、オルチャ渓谷は消えていた!

ピエンツァ

ピエンツァ

点在するお家の灯りだけが、霧の中浮かび上がって、思わずファンタジー。オルチャ渓谷も、見られてばっかりで、霧に隠れてお休みを頂きたいのかもね。おやすみ~。

ピエンツァ

こちらは夜のピウス2世広場。ピエンツァは、なかなか夜景も美しい町だった。

ピエンツァ

こちらがロッセッリーノ通り。なかなかの夜の美しさでございましょう?

家に帰ってテレビをつけると(ここピエンツァで宿泊したアグリのテレビは壊れていて、一つのチャンネルしか映らなかったよ!)、ちょうど、教皇の選挙が終わって、新しい教皇が発表されるところで、サン・ピエトロ大聖堂前からの生中継が放送されていた。つい10日前くらいには、我々はローマにいたんだよなあ…。トホヒムカシのように感じるよ。

ピエンツァ

右上の方に新しいパパが出てくる場所が、小窓の画面でスタンバイしているのが何だか可笑しい。ちなみに教皇のことを、イタリア語では「パパ」と言う。「教皇」と言えばいかめしくて寄り付きがたいけど、パパと呼べばグッと親しみやすくなるのも可笑しい。

ピエンツァ

新しいパパを一目見ようと集まった群衆。すっごい数…。日本人観光客らしき人たちも中にはいた。おそらく今日はサン・ピエトロ大聖堂も、バチカン美術館も入れなかっただろうから、やけくそで新しいパパを見に来たのだろうか。いや、やけくそではなく、歴史的瞬間に運よく立ち会えたという喜びかもしれないが。こんな日にローマ旅行に来てしまった人は、ラッキーなのかアンラッキーなのかはわからないなあ。

ピエンツァ

さて、何だか意味深な赤い服を来たおじいさんが出てきたよ。最初この人がニュー・パパかと思ったが、この人はニュー・パパを発表する人みたいだ。我々はキリスト教信者じゃないので、何の関係もないのだけれど、なぜか固唾を飲んで見守る母娘3人。

新しい教皇は………(私の脳裏でスポットライトが舞台をぐるぐる回っている)

ピエンツァ

ジャーン!!!この方!!!アルゼンチン出身の76歳!アルゼンチンだから、「JORGE」はホルヘさんと読むのかな?

ピエンツァ

新しいパパ出てきた!笑顔が優しそうなおじいさん。イタリア語読みで「フランチェスコ」というのが教皇としての名前になるらしい。

パパも決まったことだし、今日はここらへんで眠ることにした。明日はサン・クイリコ・ドルチャという名前の隣町へ行く予定。そういえば、昨日、ラウラ(宿泊しているアグリの娘さん)は、サン・クイリコまで送ってくれるとか言ってたけど、時間も何も決めてないなあ…。まあ、サン・クイリコまではバスもいるし、何とかなるだろう。おやすみなさーい…。