3/14ピエンツァ旅行記5 知られざる洞窟

サン・クイリコ・ドルチャから満腹で宿泊したアグリに帰ると、このアグリの娘さん・ラウラが我々を待ち構えていた。

今日はピエンツァ4泊の最終泊となる日。支払いをしなきゃねっ!ついでに、明日、ピエンツァから鉄道のキウージ駅に移動するのに、タクシーを呼んでもらうようお願いした。だが、ラウラは、数件のタクシー会社に電話してくれたが、どのタクシーも、予約で埋まっていた。およー。やっぱりオルチャ渓谷でタクシーをつかまえるのはそれほど容易ではないのだなー。

ラウラは、「タクシーは、もう少し探してみて、見つかったら後で伝えます」と言い、「ところで、部屋の中に置いてある、このアグリの説明が書いてあるバインダーは見ました?」と聞いてきた。「少しだけ…」と答えると、「そこに載っている、洞窟に興味はありますか?私たちの私有地なので、案内することができるんです。あなたたちは今日が最後の宿泊だから、もしよければ、今日案内しますよ」とのことだった。

今日はこの後、ドゥオーモに行くだけなので、時間はある。どんな場所かはわからないけど、洞窟と聞くと、何だか興味が沸いてくる。ちなみに、私のイタリア語はへっぽこなのだが、マテーラに行ったりしたせいか妙に洞窟とは縁があって、洞窟というマイナーな単語を知っているのだ。洞窟はイタリア語でグロッタ!

というわけで、「私たち実は、まだドゥオーモの中を見ていないんです。今からドゥオーモに行ってくるので、1時間後くらいに洞窟に連れて行ってもらえますか?」と聞くと、OKとのことだった。

そんなやり取りをラウラとしていると、そこに初めて見る若い男性が入ってきて、我々を見るなり、「オー!宿泊している日本人っ?チャオー!僕は日本に行ったことがあるんだ!」と話しかけてきた。…誰?

どうやら彼はラウラのお兄さん(つまりおじいちゃんたちの息子)で、ちょうど今、休暇から帰ってきたところらしい。「日本はいい所だね!僕は東京が気に入ったよ!ビューティフルな町だ!だけどね、食事が口に合わなかったんだ。サシミが食べられなかったんだよー」。

イタリア人には、東京が評判が良いことが多い。「私は東京に住んでいるけど、東京の何がそんなに気に入ったのですか?」と聞いてみると、「あなたたちにとっては普通の町なのかもしれないけど、僕たちにとっては、本当に目新しくて、驚くような町なんだよ」とのこと。東京人がオルチャ渓谷に感動するのと同じように、オルチャ渓谷の人にとっては東京は目新しい場所なんだなあ。

いったんラウラと別れて、ドゥオーモ目指して旧市街へと出かけることにした。部屋を出ると、庭のところには、このお兄さんの息子さんがいて、おばあちゃんと遊んでいた。我々が「チャオー」と挨拶すると、恥ずかしそうにおばあちゃんに隠れてしまった。あらあら。不慣れな東洋人に驚いちゃったのかね。

宿泊しているアグリからピエンツァの旧市街はまさしくあっという間だし、ピエンツァの旧市街は何度も書いているが本当にちっさいので、ドゥオーモまではまさにあっという間である。

ピエンツァ

ドゥオーモ君コンニチハ。このドゥオーモ君とは、ここまでイマイチ気が合わず、いつ行ってもミサをしているか閉まっているかであった。本日、ピエンツァ4日目にして、ようやく門があいていて、中に入ることができた。

ピエンツァ ドゥオーモ

教会の中央の一番上には、三日月マークのピッコロ―ミニ家の紋章が!フィレンツェと言えばメディチ家であるように、ピエンツァと言えばピッコロ―ミニ家なのね。紋章を支えている天使さんたちが新体操選手みたいでチャーミング。

ドゥオーモ内部は、改装でもされたのか、それほど古い雰囲気もない。外観に比べると、内装はそれほどは見どころはないかなーという感じだ。

小さな礼拝堂がいくつかあり、だいたいがシエナ派っぽい祭壇画で飾られている。

ピエンツァ ドゥオーモ

こちらはおそらく、このドゥオーモ内で一番有名な作品だと思われる、ヴェッキエッタさんという画家の「聖母被昇天」。

ピエンツァ ドゥオーモ

天に上って行く聖母マリアを、ぐるーっと取り囲んでいる天使さんたちが優美。お上品な女子高の体育祭でのマスゲームって感じだ(もう少し情緒のある言い回しはないものか)。

ピエンツァ ドゥオーモ

左側に描かれた聖女は、おそらく聖女アガタ。お盆を持って、そこにパンケーキみたいなものを載せているが、これ、実は聖女自身の乳房なのだ。アガタは殉教した聖女なのだが、迫害者に両方の乳房を切り落とされたたため、絵に描かれる時、よく自分の切り落とされた乳房を持った姿で描かれる。

ドゥオーモ内の、他の礼拝堂に飾っている絵も見てみた。

ピエンツァ ドゥオーモ

こちらの女性の絵は、ドゥオーモ内の中で、一番気に入った絵。作者さんなどはわからなかったけど、優美ではかなげな雰囲気。

ピエンツァ ドゥオーモ

この聖母子像は…。幼子イエスの髪型、わざわざこんな風に描かなくてもいいと思うのだが…。顔もちっともかわいくないし…。それに、聖母マリア、どうしてわが子のあごをつかんでる?あごを支えてあげているのだとは思うのだが、どうも幼子イエスの手は、それを嫌がっているように見えるのだが…。

というわけで、ようやくピエンツァ4日目にしてドゥオーモ内訪問を果たした我々であった。ドゥオーモ正面のバールでちょっとエスプレッソを一服した後、ラウラに洞窟に連れて行ってもらうために、アグリへと戻った。

アグリへ戻ると、ちょうどラウラが出かけようとしていて、「ごめん、ちょっと5分待っててもらえるかしら?すぐに戻ります」と言われた。イタリア人の5分は15分以上なので、ゆっくり待つことにした。

その時姉が、バッグを開けて、「折りたたみ傘を無くした!」と言い出した。雨が降ったりやんだりだっため、つい、どこかに置いてきてしまったのだろう。

私は、旅行に持っていく折り畳み傘は、なぜだかイタリアでよく壊れるので、1000円以下の折りたたみ傘をいつも持ってくるようにしている。

姉の傘もそんなものかと思い、「傘は壊れるし、無くなるもんだよ。明日からボローニャだし、ボローニャはちょうど傘の要らない町だから(アーケードが多いため)、無くてもいいんじゃない?」と言ってみたが、「私は、あの折り畳み傘が好きなの!あんなにかわいくて軽い折り畳み傘、この世で見たことない。探してくるよ。すぐ帰るから」。と、旧市街に戻って行った。

さて、ラウラが帰るのが早いか、姉が戻ってくるのが早いか。

二人はほぼ同時に戻ってきて、結果は引き分けであった。姉の傘は、どうせドゥオーモかバールにあるだろうと思っていたのだが、姉は発見できなかったようだ。ピエンツァはこんなにちっぽいんだから、どうせ見つかるよ。あとで、私も一緒に探しに行ってみよう。それにしてもラウラの5分は、30分に近かったよ!イエイっ!時間に支配されないイタリア人!でも、イタリア人が時間を支配しているともいえない。イタリア人と時間は無関係なもの、要するに他人なのだ(意味不明だよアンタ)。

ラウラは「歩いて行きますか?車で行きますか?」と聞いてきた。「歩きたいんですけど、母が疲れ気味なので、車でお願いします」と言うと、快く車を出してくれた。

車で、ダンテ広場の近くまで行き、そこからは歩いてしかいけない道だった。道というか、丘を下って行く山道というか。この道からがラウラ達の私有地のようで、道自体、柵にカギが閉まっていて、通常はその先に下りられないようになっている。「足元に気を付けてください」とラウラは言った。

ラウラは来慣れた場所のようで、足場の悪い下り道をスイスイと下りていく。幼いころから遊びなれた道なのかなあ。我々は、転げ落ちないように、慎重に下りた。

階段を下りていくと、目の前に、まさに秘密の洞窟が現れた!

ピエンツァ

超秘密!秘密基地!

ラウラがイタリア語と英語を混ぜながら説明してくれたのだが、この洞窟は、昔、修道士たちが祈祷に使っていた礼拝堂の跡で、修道士たちはここに住み込んでいたのだそうだ。ほー。マテーラの洞窟教会を思い出すね!確かマテーラの洞窟教会も、修道士たちが掘ってお祈りに使っていたのだった。

ピエンツァ

ちょっと怖い、人の顔の彫り物が残っているが、これは修道士の姿を掘ったものだそうだ。

ピエンツァ

ピエンツァ

こういった、人物をかたどったと思われる彫り物の跡も残っている。私のリスニングが正しければ、これらも修道士を掘ったものだとか。あるべき祈りの姿勢、などの意味を込めて作ったものなのだろうか。

ピエンツァ

こちらは、イエス・キリストの彫像の跡。長髪と、ヒゲの部分がおわかりだろうか?

ピエンツァ

ロマネスク期の教会建築によく見られる大股開きの人魚。「同じ形をしたものが、ふもとのピエーヴェ・ディ・コルシニャーノ教会の正面に彫られているのですが、見ましたか?」とラウラ。見ましたよ!ラウラに、この人魚は何を意味しているのかと聞いてみると、幸福のシンボルだそうだ。

ピエンツァ

こちらは洞窟に住んでいた修道士のベッド跡とのこと。やっぱりマテーラの洞窟住居・サッシに似ているなあ。ラウラに、「去年マテーラに行ったのですが、そこで見た洞窟住居を思い出します」と言ってみると、何と、ラウラはマテーラを知らなかった!「あなたたちは、イタリアのずいぶんいろんな所に行っているんですね!」と驚いていた。日本人より、日本好きの外国人の方が日本に詳しいのと同じなのかなあ。

ピエンツァ

こちらもおそらく修道士の生活空間の跡で、洞窟を四角く掘って、棚のように使っていた跡がうかがえる。こういったところも、マテーラで見た洞窟住居サッシの跡にそっくりである。

ピエンツァ

洞窟の中には、窓のようなものもいくつかある。この窓に近づいて、窓からの眺めを見てみると…

ピエンツァ

こんな風にオルチャ渓谷の風景が広がっているのである!イヤ、これ最高の眺めですよ。修道士の修業したほら穴の跡って言うけど、これでは高級ホテル並みの窓からの眺めですよ!こんなやさしい風景を見ながら修行したら、きっと心もやさしくなるのだろうな…(今回の旅行記では、ポエムってばっかりですね、私)。

ピエンツァ

天井の隙間から差し込む、淡い陽の光。こういう晴れた日には陽だまりって感じだけど、雨が降る日は、完全にこの隙間から雨が吹き込んでしまうね。雨漏りってレベルじゃないね。

ピエンツァ

この洞窟を外側から見たら、こんな感じ。秘密の修行場が中にあるなんて、ちょっと外からはわからない。まるで子供の秘密基地のようだ。一般公開はしていないので、ラウラ達の一家が経営しているアグリに宿泊した人だけが行くことができる、かなりレア感のある、「知られざる洞窟」なのだ。

だが、実はこの「知られざる洞窟」、今年の冬、修道士の映画撮影のロケに使われるのだそうだ。ていうことは、「知られざる洞窟」じゃなくて「知られる洞窟」になっちゃうわけだね!

ラウラはこの洞窟の周辺に生えている木の葉っぱをちぎって、「この葉は香りがするんですよ。アッローロと言います」と言って、我々にも香りを嗅がせてくれた。ハーブのさわやかな香りである。ラウラは、我々にいろいろ説明している時も、手慰みのように、よくこのアッローロの葉をちぎって香りを嗅いでいた。幼いころからよくそうやってたんだろうなあ。ちなみに、アッローロとはイタリア語でローリエ、つまり月桂樹である。いかにも地中海って感じだね!

というわけで、ピエンツァを訪問した人の中でも、極めて訪問した人は少ないであろう、秘密の洞窟を堪能しちゃったぜ!レアっていいね!レアであるだけでなく、予想していたよりもずっとおもしろかった。ありがとう、ラウラ!

アグリに戻ってから、姉は「もう一回だけ、傘を探しに旧市街に行こうかな」と言う。母と私も、「じゃあ、我々もついて行って、またオルチャ渓谷でも見るとするか」と、姉と一緒にアグリを出た。我々は、ピエンツァの滞在中、いったい何度カセッロ通りからのオルチャ渓谷の眺めを観に行ったことか。つまり、全然飽きないのだ。

それにしてもさ、こんなにちっぽいピエンツァで、無くしたモノが見つからないなんて考えられないよ。というわけで、洞窟に行く前に旧市街で立ち寄った場所を、もう一度注意深く歩いてみたら、姉の折り畳み傘は、アッサリとドゥオーモの中で見つかった。礼拝堂の中の絵をカメラで撮影するときに、ちょっと脇に置いてしまったようだ。

カセッロ通り

それでは、傘くんも無事に救出したことだし、心置きなくカセッロ通りでオルチャ渓谷をじろじろ見ようぜ!この道を左に曲がると…

カセッロ通り

もう、このピエンツァ滞在中に何回見た数えきれないくらいの、この風景。ピエンツァは、ちっちゃい旧市街もかわいらしいし、眺めも最高だし、もうね、ブラーヴォだよ、ブラーヴォ。イタリアには本当に魅力的な小さな町が多いけど、その中でもピエンツァは特筆すべき愛らしい町である。もう気に入ったよ。これからひいきにするよ(どうひいきにすると言うのか。何にせよ、私なんぞにひいきされても、ピエンツァにメリット無し)。

今日がピエンツァ最終泊なので、皆、名残惜しくオルチャ渓谷の風景に浸っていたのだが、後ろから、小学生くらいの地元の悪ガキ3人組が、イタリア語で、「わーい、中国人っ!」と我々に声をかけては隠れるという、他愛もない遊びを繰り返していた。我々がイタリア語を解さないと思っていたらしく、いろいろと冷やかしの声を後ろからかけていた。

オルチャ渓谷の景色を、長々と見つめた後振り返ると、彼らとバッチリ目が合ってしまったので、とりあえずイタリア語で「ブオナセーラ(こんばんは)」と言ってみたら、3人組は非常に驚いて、まごまごしている様子。そこで、「私はイタリア語がわかりますよ」と言うと、彼らは慌てふためいて逃げて行ってしまった。何とも可笑しい悪ガキ君たち。

しかし、逃げると言っても、ピエンツァはちっぽい。我々は宿泊しているアグリまで、ただただ帰っているだけなのだが、何度も彼らと鉢合わせになり、そのたびに彼らはあわあわしていた。最後に、旧市街外のジェラート屋さんの所で出会った。「ブオナノッテ(おやすみー)!」と声をかけて手を振ってみると、「コンニチハ、コンニチハーーー!」と、日本語で手を振り返してきた。あら、なぜだか日本人だってバレたのね。

さて。素晴らしかったオルチャ渓谷でのアグリ滞在も、今夜で終わりとなった。天気にはあまり恵まれなかったけれども、景色は美しい、町はかわいい、宿泊したアグリは最高、と、今までのイタリア旅行の中でも、かなり心に残る滞在となった。オルチャ渓谷は、本当に絵本の世界。いつか必ず、また戻って来よう!次こそ、太陽の下で、オルチャ渓谷をもっともっといっぱい歩いてみたいっ!

…と、心ハッピーに、最後の夜を締めくくるハズだったのだが、夜22時20分。もう、皆シャワーを浴びて、さあ寝ようとしているまさにその時、ドアをトントンとノックする音がする…。最初は空耳か、風の音かと思ったのだが、何だか人の声もする…。
平和なピエンツァと言えども、こんな夜中に簡単にドアを開けてはいけないと思い、木窓だけを開けると(そうするとガラス越しに外が見える)、何と、アグリの家主のおじちゃん、つまり、ラウラのお父さんが立っている。

何事…?とドアを開けると、パジャマ姿で、どう見ても寝る直前の我々を見て、「あっ…ご、ご、ごめんよ!…も、もしかして起こしたかい?起こしたかい?」とおじいちゃんは慌てていた。「いえ、今から寝るところでした」と答えると、寝ていたところを起こしたわけではないことが分かり、ホッとした様子(ラウラに怒られるのを恐れているのだろうか…)。

で、おじいちゃんは何しに来たかと言うと、「昨日、カンティーナ(ワイン工場)で、赤ワインは君たちに試飲してもらったんだけど、白ワインを飲ませるのを忘れてて…。コレは今年の白ワインなんだ!美味しいんだ!ぜひ飲んでよ!」と、手に白ワインのボトルを持っている…。

実は、我々母娘は、母はお酒が飲めないし、私と姉はそれほどアルコール類は好きでもないのだ。なので、「ごめんなさい、もう(本当に!)寝るところなので、結構です、親切にありがとう」と断ろうとしたのだが、「でも、本当に美味しいんだ!今年の白は美味しいんだよ!」と、おじいちゃんは、ソフトな口調ながら、絶対に譲らない。こういう時のイタリア人の押しの強さってスゴイ。

母が、「ボトル一本もらうわけにはいかないから、グラスに一杯だけもらって、あんたがおじいちゃんの目の前で飲めばきっと満足するよ!」と言って、グラスを持ってきた。そこで、おじいちゃんに、「じゃあ、グラスに一杯だけ下さい」と言い、母の言う通りおじいちゃんの目の前で飲んで、「あっ、美味しいです」と言うと、「でしょ、でしょー?夜中にごめんね、じゃあ、おやすみ!」と、おじいちゃんは満足して帰って行った。

…しばし呆然の母娘。確かに白ワインは美味しかったが、おじいちゃん、こんな夜に、フッと白ワインを飲ませてないことを思い付いちゃったんだろうなあ…。そして、何が何でも飲まさねばと思ったのだろうなあ……。どんなに田舎ののんびりした町の人でも、イタリア人は、自分がどうしてもやりたいと思ったことは、どうしてでもやるのだ。そういったイタリア人の情熱には、いつも負けてしまうのだが、今回も負けた。負けるっつーの。

というわけで、ピエンツァ最後の夜は、おじいちゃんの乱入により、平穏無事が乱されたのであるが、まあ、こういうちょっとしたエピソードも、帰国してみれば、旅のよい思い出になるのである。