3/8ウルビーノ旅行記5 ラファエロ坊やは夢の中

お昼ごはんを食べた後、お昼休憩に入る母をB&Bに残して、姉と私は、ウルビーノの町をぶらっと歩いてみた。

すると、ヴァルボーナ門から続く、マッツィーニ通りで、非常に興味深いお店を発見!

ウルビーノ

「漫画・シニガミ」という、非常にツッコミどころの多い名を持つお店!ガラスにいろんなものが映ってしまっていて、わかりづらい画像でゴメンナサイっ!

つねづね、イタリア語の勉強に、イタリア語に翻訳された漫画を読んでみたいなあと思っていた私だが、イタリアでは、本屋さんにコミックは置いていない(ちなみに雑誌も置いていない)。コミックや雑誌は、露店のような、新聞スタンドに置いてあるのが普通である。だが、そのような露店は、得てして小さいので、あまり欲しいコミックがなくて、今まで購入したことがなかったのだ。

しかし、「漫画・シニガミ」は、どうやらコミック専門店らしい…。イタリアでこんなお店、初めて見たよ(見落としていただけかもしれないけど)!ウルビーノは学生の町なので、コミックの需要が多いのだろうか。

おそるおそる中に入ってみようとすると、店主さんみたいな人が、入口を塞ぐように立っているせいで、入れない。セルフ営業妨害…。「こんにちは。開いてますか?」と聞いてみると、笑顔で「どうぞどうぞ」と言われた。

何か知っているコミックがないかなーと思って探してみると、なかなか品揃えは豊富。少年漫画・少女漫画ともに、古い名作から、最近のコミックまで豊富に置いてある。ハンターハンターがあったので、購入してみた。

イタリアのハンターハンター

こちらが購入したハンターハンター。サイズは、日本のジャンプコミックスと同じ大きさであった。装丁は日本のコミックの方がしっかりしていて、イタリアのコミックは、日本のコンビニとかで売っている廉価版コミックス、つまりペーパーバックみたいな感じである。お値段は5.5ユーロ。最近のユーロ高を考えても、日本のコミックよりはやや高い。

イタリアのハンターハンター

中はこんな感じ。登場人物のセリフは、手書きっぽい感じのフォントで印刷されている。

イタリア語の勉強になるかと思って、帰りの機内で読んでみたのだが、コミックのセリフは、文法的に正しいイタリア語というわけではなく、口語っぽいイタリア語で書かれているのか、何となく読みづらかった。まあ、ハンターハンターだから、NHKイタリア語講座とかでは出てこない単語とかも、いっぱい登場しているだろうから、イタリア語の勉強には、コミックよりも普通の本の方がよいとは一概に言えないかもしれない。

このお店は、コミックだけでなく、フィギュアとかグッズも置いてあった。イタリアにもこんなお店あるんだなあ!それにしても、「シニガミ」という店名は、デスノートから来たのだろうか。デスノートの死神のイメージは、多分西洋の死神から来たものなのだろうけど、それをさらに逆輸入した店名。文化のダイナミズムである(そんな大げさな)。すさまじくネガティブな店名に比べて(なかなか日本で、こんな店名のお店ないだろう…)、店内はなかなかすっきりして明るいお店であった。

さて、シニガミの後は、ラファエロのお家に行こうっ!

ウルビーノといえば、ラファエロの生まれた町である。しかし、ラファエロ自身は、その短い生涯の中、ウルビーノで画家として活躍していた時期は、父の工房を手伝っていた若年の時だけで、画家として大成していく時期は、フィレンツェやローマで活動している。そのため、ラファエロの代表作は、ウルビーノに残されていない(国立マルケ美術館の「黙っている女」は、最近になってフィレンツェからもらったもの)。

そんなウルビーノに残っている、ラファエロゆかりのものと言えば、ラファエロの生まれた家、である。ラファエロのお父さんは、画家で、工房も構えていたらしい。現在ラファエロの生家と呼ばれている建物は、そのお父さんの工房跡なので、ラファエロがその家で生まれたという信憑性は、結構高いのではないかと思われる。

ラファエロの生家は、その名もラファエロ通りという、心臓破りの坂の途中にある。

ウルビーノ

こちらが入口。入り口前の傾斜にちゅうもーく!かなり斜めった坂の途中にあるのがおわかりだろう。

ウルビーノ

パッと見ただけでは、この建物がラファエロの家であることはわからないが、こうやって、ラファエロの家であることを示す布ポスターがかけられている。

中は、ラファエロのお父さんの絵や、ラフェエロ作品を後年の画家が写生した絵など、ラファエロにゆかりのあるものが展示されていた。アレッツォのヴァザーリの家と違い、ラファエロが設計、デザインした家というわけではないので、ラファエロの生まれた家でラファエロに思いを馳せる、というくらいの感じで、展示作品の鑑賞自体がおもしろいというわけではない。

内部は写真撮影禁止だったので、中庭の画像だけですが、ドウゾ~。

ウルビーノ

中庭にあった井戸。

ウルビーノ

こちらは、ラファエロのパパが、工房で仕事に使っていた?ものだとか、説明に書いてあった。粉絵具みたなものを作る石版だとか、ナントカカントカ。

さて、このラファエロの家には、ラファエロが、まだ一人前になる前に描いたのでは?と言われている、聖母子像があることで有名である。2階部分の部屋の壁に展示されてあった。

ウルビーノ

ポストカードの画像だが、この絵である。

フィレンツェにあるラファエロ最盛期の頃の聖母子像と比べると、何とも簡素で、細かい所に未熟さも感じる作品である。この聖母子像は、ラファエロのパパの工房に由来する作品なのだそうだが、実は、作者については、イマイチはっきりしないらしい。幼い日のラファエロが習作として描いたものかもしれないし、ラフェエロのパパが描いたものかもしれないし、はたまた親子の合作の可能性もある。

誰が描いたものにせよ、この聖母子像、なかなか心温まる作品であった。個人的には、やや影をつけた背景の塗り方が好きだ(これが完成した背景なのかどうかはわからないが)。聖母も、目を引くようなことはないが、優しさが伝わってくるようなオーラをまとっているし、何よりすやすや眠っている幼子が気持ちよさそうに眠っている。聖母子というよりは、穏やかな、普通の一般人の親子っていう空気だ。

ラファエロが描いたか描いてないかという観点でこの絵を見ると、個人的には、聖母の首元と手の描き方が、その後のラファエロ作品に通じている気もしないでもない。でも、正直言って、ちょっとわからないかなー。しかし、ラファエロ本人が描いたとしても、彼の生まれた家に残る幼き日の作品として楽しめるが、ラファエロのパパが描いたという場合でも、なかなか趣深い鑑賞ができる。

というのも、もし、この絵をパパが描いたとすると、聖母子のモデルは、聖母はラファエロのお母さん、幼子は生まれたばかりの頃のラファエロ、である可能性があるのだ。ラファエロの生まれた家に、幼い頃のラファエロを描いた絵があるってのも、なかなか楽しい。この日、ラファエロの家は観光客が少なく、かなり長い時間、この絵を独占して見ることができ、この平和そうに眠っている幼子に、ほっこりした気分にさせてもらった。

ラファエロの家を出た後は、ラファエロ通りの、一番坂の下の部分にある、サン・フランチェスコ教会にぶらっと入ってみた。

ウルビーノ

ウルビーノのほぼど真ん中にある教会なので、町歩きの際は、何度もこの教会の傍らを通る。

ウルビーノ

立ち並んだ柱の回廊が印象的な外観である。

内部は、左奥の方に古いフレスコ画があったりしたが、何せこの教会も写真撮影禁止だったため、画像が残っていなく、私の脳内画像も残っていないため、内部の話終わり。

それにしても、イタリアに、サン・フランチェスコ教会という名前の教会は本当に多い。サン・フランチェスコが、イタリアという国全体の守護聖人であるからだろうか。イタリアで、聖人総選挙とかやれば、サン・フランチェスコは間違いなく上位に来るであろう。私?私は福音史家ヨハネに一票だよ(かわいいから)。

この後、ウルビーノ・ツーリストカードで入場できる場所に、もう一つくらい入りたいなあと思い、あまり乗り気でなかった姉と母を連れて、ドゥオーモの敷地内にある、アルバーニ博物館という美術館に入ってみた。

これといって、ガイドブックに有名作品が掲載されていない美術館を、駆け足で鑑賞するのは、なかなか難しい上に、写真撮影が禁止の美術館であったため、マニエリスム期の作品が多かったということ以外、あまり作品は記憶に残っていない。ウルビーノは本当に写真撮影できない場所が多かった。最後の大きな部屋にあった、おそらく聖チェリェリアの絵と、聖キアーラの絵は好きだったが、作者さんの名前は忘れてしまった。もうちょっとゆっくり見たかったなあ。

この美術館の脇には人工洞窟みたいのものがあり、そちらにも入ってみたかったのだが、残念ながら修復中でクローズしていた。
とりあえず、ドゥカーレ宮殿、サン・ジョヴァンニ祈祷堂、ラファエロの家、と、ウルビーノで入場観光したい場所の訪問は終わったので、この後は、時間のある限り、町歩きを楽しむことにした。…って、坂を上ったり下りたりを繰り返すわけですね!かかってこい、ウルビーノの坂!