3/21アグリジェント旅行記7 壊す力と守る力
さて。ごろろんぽ(テラモーネ)の本物にも対面したことだし、アグリジェントの州立考古学博物館の後半戦だよ。
後半戦の始まりが、こんな変なオヤジでごめんよ。こんな変なオヤジを、わざわざ苦労して作った古代ギリシャ人も、まさか2000年以上もこいつが保管されて、大事に博物館に収蔵されるとは思ってもいなかったに違いない。
しかし、このオヤジ…頭に、何か活けられるようになっているよねえ…花瓶かな?このオヤジの頭に、お花とか活けたら、本当にどうしようもない、ふざけたビジュアルになってしまうと思うのだが…。
古代ギリシャ人が遺したもののメインといえば、あんなオヤジではなく、こういう、いかにもギリシャって感じの彫像だろう。ギリシャ彫刻の美しさは、何と言ってもその調和のとれたバランス感覚、プロポーションにある。一部が欠けていたとしても、妙に安定感があるのだ。
この、頭部や腕が欠けてしまっている彫像だが、この彫像がどんなポーズをとっていたかは、すぐ想像ができた。というのも、ギリシャのロドス島にあるという、髪を洗う姿のアフロディーテ像の写真を見たことがあるからである。
おそらく、この彫像もロドス島のアフロディーテと同じように、片膝をつき、両手でウェーブの髪の毛を、ツインテールのようにくしゃっと掴んで小首をかしげた、チャーミングなポーズをとっていたのだと思われる。
ギリシャ神話の、愛と美の女神アフロディーテのポーズといえば、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」で、ヴィーナスが(ヴィーナスはアフロディーテと同一視される女神)とっている恥じらいのポーズが有名だ。あのポーズは、ボッティチェリのオリジナルではなく、古代ギリシャの彫像でも、よくアフロディーテがとっているポーズである(って、シラクーサの旅行記でも書いたな)。
で、このロドス島の、髪を洗っているようなポーズも、アフロディーテのポーズとして、よく作られていたポーズらしい。
このアグリジェントの州立博物館にも、もう一つ、髪を洗うポーズのアフロディーテの、小さな像が展示してあった。女神に、お決まりのポーズがあるなんて、ちょっと面白い気がするが、現代日本の漫画やアニメのキャラクターにも、決めポーズというものがあるから、わからなくもない。
それにしても、ロドス島のアフロディーテ…見てみたいなあ…。
イタリア南部や、エトルリア由来の都市など、古代ギリシャ文化の遺跡が多く残る町の博物館で、よく目にするのが、この一見性別不詳の、あっかんべえしている顔である。この愛嬌のある顔は、実はメドゥーサである。
メドゥーサは、ギリシャ神話ファンにはおなじみの、怪女である。髪の毛が蛇で、恐ろしい形相をしていて、その姿をまともに見たものは、石に変わってしまうと言われている。勇者ペルセウスが、その姿を見て石にならないように戦う作戦として、盾に映った姿を見ながら仕留めたというのも、有名なエピソードである。
驚くことに、前述したように、メドゥーサの像や絵柄には、古代ギリシャの遺物を展示している博物館でよく遭遇する。なぜ、そんな怪物の姿を、古代人はせっせと描いたり彫ったりしたのだろうか。
実は、メドゥーサは、「恐い」というイメージだけではなく、「守り神」としての役割を担っていたらしい。実際、勇者ペルセウスは、メドゥーサの首を切り落として仕留めるのだが、その後、その首を使って他の怪物と戦ったりする。何せ、相手がそれを見ると、石に変わってしまうのだ。
つまり、メドゥーサそのものは恐いし、反・世界的な怪物なのだろうけど、「頭だけのメドゥーサ」ってのは、おそらく世界を守るための武器、つまり、世界の味方なのだ。実際、シチリアのシンボルの三本足だって、真ん中にメドゥーサの頭がある。シチリアを外敵から守るためのお守りなのだろう。
このへんは、日本の「鬼瓦」にも通じるものがある。本来、鬼は人間の敵であるはずなのに、その強大なパワーを、人間を守るために利用しようという考え方だ。
話が飛躍しすぎるかもしれないけど、人間の文明を発展させてきたエネルギーも、一歩間違えれば、その文明を破壊するだけのパワーを秘めている。火も水も電気も原子力も、全て、武器としても使えるものだ。強大なパワーの二面性というものは、はるか古代から、人間が気づいていたものなのだろう。
このアグリジェントの博物館は、見どころも多く、なかなか広さもある。アグリジェントに、パレルモから日帰りで来る観光客もいるが、神殿の谷も広いし、博物館も広いので、日帰りでは結構タイトなスケジュールになるのではないかと思う。
そんなわけで広い博物館、お昼すぎには市街地の方に戻る予定なので、姉と、お互いに見たいものをじっくり見るために、別行動を取ることにした。
私が気に入って、ずっと見続けていたのはこちら。
何かの像の、頭部の一部だけが残っているもの!これだけでは、何が何だかわからないけど、おそらく女性?しかも、めっちゃ美人!
古代の像は、頭部や腕などが失われているものが多いが、逆にこれは頭部だけが残っている。しかし、美しいっ!端正で、私がギリシャ美人と言った時に、頭に浮かべる顔そのものだよ!個人的には、この顔は、女神アルテミスのイメージである。
私が、この美人にうつつを抜かしている時に、姉がじっくり見ていたものは…
通称「アグリジェントの青年像」と呼ばれる像の…
…お尻!
だって、そうだったんだよ!私が、姉を見つけて、「何見てるの?」と聞いたら、「この人のお尻」って答えたんだよ。姉いわく、この作品はお尻がいいんだそうな。うーん、そうかな。
しかしまあ、像のお尻を熱心にウォッチングしている姉を見つけた時の、妹の気持ちを少しは考えてほしいぜ。
あと、非常に保存状態の良い、この大きな壺はかっこよかったなあ!大きな部屋の中央に展示されていた壺である。
右側の兵士、何となく女性っぽい感じがする。おそらくだが、アマゾネスとの戦いを描いた絵ではないかと思われる。
アマゾネスとは、アマゾンとも言われるが、ギリシャ神話に登場する、女性だけの部族である。もちろん軍隊も女性だけで、非常に強かったらしい。基本的には、ギリシャ世界の敵として登場する。
このアマゾネスという部族が、実在したかどうかは不明らしい。実在した女系部族が、誇張した形で神話化されたのでは?という説もある。
古代ギリシャは、男尊女卑の考えが強い。古代ギリシャは、男性どうしの同性愛がさかんであったことで知られるが、それも、女性は下等な生き物だから、恋愛の対象ではない、という側面を表しているとも言われる。
そんなわけで、アマゾネスが古代ギリシャにとって、悪者として描かれる背景は揃っている。男尊女卑のギリシャ世界にとって、アマゾネスは、自分たちの価値観を揺るがす、とんでもない悪なのだ。
しかし、現代人にとって、強靭な女性軍ってのは、何ともセクシーなモチーフである。ことに、ここ数年の日本のサブカルチャーでは、「戦う女性」のモチーフは、男女問わずに好まれている傾向にあると思う。戦いがストーリーの骨格に組み込まれている漫画やライトノベルなどで、女戦士が登場しない物語は、今ほとんど無いのではないか。
昔は、女性は「南を甲子園に連れてって!」みたいな感じで、見守る、もしくは声援を送るだけの存在として、登場することが多かった。おそらく、時代が変わっているのだ。女性だけでなく、男性も、中性的な男性が人気を博するようになった、と言われて久しい。男も女も中性化が好まれる時代である。アリストテレスの中庸だね(違うから!)。
それにしても、この壺絵の出来はスバラシイ。この兵士の躍動感も見事だ。
勝負がつきそうな、この場面の緊迫感も素晴らしい。槍で一突きされて、おそらく終焉を迎えるであろう右側の戦士(アマゾネス?)の無念さが、伝わってきそうなリアリティである。
そうかと思えば、こんなすっとぼけた可愛らしい壺があるのも、古代ギリシャ壺絵の魅力っ!
「私、笛吹く人。あんた、踊る人」。右側の人の踊り、何か、フィギュアスケートっぽい。
かなり意味不明だが、とりあえず楽しそうな壺。
〆は、私の大好きな、女神デメテルの頭部。デメテルは、大地の農耕の女神で、ギリシャ神話の女神の中では、比較的、アイタタタ系エピソードの少ない女神である。
コレ、遠くから見た時に、何となくデメテルっぽいな、と思ったのだ。何となく、ミディアムからセミロングの髪の毛を垂らした、柔和な雰囲気がデメテルである。でもデメテルだって、怒るとコワイよ!地上が冬になっちゃうんだよ!
そんなわけで、見どころいっぱいだった、アグリジェントの州立考古学博物館。やっぱり、アグリジェントは1泊してヨカッタ。パレルモからの日帰りで、神殿の谷と博物館を、両方じっくり見て回ることはできなかっただろう。神殿の谷なんか、1泊しても足りなかったくらいだ。
博物館からバス停まで戻る途中に、ちょうど、市街地へのバスが目の前を通って行った。「待ってー!」と言いながら追いかけると、バスは停まってくれたので、時間のロスなしに、市街地まで戻ることが出来た。