3/14スカンノ旅行記 幾何学の美とクマのパン

アンヴェルサから、さらに山深くの町スカンノへとバスは進む。このバスからの車窓は素晴らしいのだが、スカンノから帰る時の旅行記で、まとめて紹介しようと思う。

アンヴェルサからスカンノまでは約30分のバス旅。てっきりスカンノ旧市街が終点かと思っていたら、終点ではなく、運転手さんに「スカンノ観光だよね?ここで降りた方がいいよ」と言われ、スカンノの旧市街入り口で降ろしてもらった。

スカンノ

バスを降りた場所。終点ではなかったのだが、帰りはここが始発であった。

さて、スカンノには、15時15分のバスで帰るなら1時間半弱しか滞在できない。

姉に「18時45分の最終バスでもいいような気もしてきた」と言ってみると、「ダメっ!アンタはどうしてすぐそう気がたるむの?アンタは風邪気味なんだし、最終で帰るとペスカーラ着が9時過ぎるでしょ。予定通りに帰るよ!」と、しっかりしたお答えが帰ってきた。

ハイそうですね。旅では、意見が分かれた時は、より安全な案を採用するようにしてる我々。アブルッツォ州はどんどん好きになる州だし、どうしても気に入ったら、また来ればいいよね。

というわけで、時間はあまりない。とりあえず絶対に見たいのは、スカンノの全景である。姉「あのさ、スカンノの全景が見たいなら、スカンノの旧市街に入ってもしょうがないんじゃないの?」。ですよねー。

日本のガイドブックにはほとんど記載のないスカンノ。一応、スカンノの全景を見れるのは、「写真家の道(Strada dei fotografi)」という道かららしいのだが、グーグルマップで出てこない。町の入り口に掲げてある、スカンノの大きな地図にも載っていない。

あとで、なぜ地図上で探せなかったかが分かったのだが、姉の言う通り、町の全景を見れる場所というのは、町の中にあるはずがないのだ。私が、スカンノの旧市街の地図とにらめっこしていたため、見つかるわけがなかったのだ。

姉「もー。アンタに地図をまかせるんじゃなかった。まあ、バスが来た方向に戻れば、全景が見えるんじゃないかな」。そーですね、ハイ。戻ってみましょ。

戻ってみると、車が入れない歩道を下る道があり、その先にスカンノの旧市街が見えた。姉「ここから見れそうじゃん」。Chiesa di Sant’Antonio da Padovaという教会に続く道だったが、その教会前から見た旧市街の姿と言ったら…!

スカンノ

スカンノ

スカンノ

雪山をバックにして、同じ勾配の三角屋根が、同じリズムで立ち並んでいるこの迫力!異様に規則的で、むしろ人工物ではなく天然物なのではないかと思えてくる。

スカンノ

町のバックにそびえる雪山も寒々しい。勾配のある屋根の建物が多いのは、スカンノが雪が多い地域だからではないか。アルベロベッロより、むしろスカンノが、白川郷と姉妹都市を結ぶべきだと感じた。

あー、いいものを見たよ!スカンノは全景を見るのが最大の目的だったので、最大の目的は達した!

ちなみに、あとから判明するのだが、結局のところ我々がスカンノの全景を見た、このChiesa di Sant’Antonio da Padovaが途中にある道が、「写真家の道(Strada dei fotografi)」であった。車は入れない、徒歩で下っていく道である。スカンノの旧市街入口からは、歩いて5分弱くらいである。

大げさでなく、いつまでも見ていたい風景であったが、スカンノ滞在は何せ1時間半もない。旧市街内も歩いてみたいので、旧市街の方へ戻った。

スカンノ

旧市街の入り口には、女性像が立っている。

かつて羊毛業がさかんだったスカンノでは、女性向けのスカンノファッションが有名であった。スカンノの伝統衣装は、黒を基調にした、長いワンピースである。特別な日には、今でもスカンノの女性はこの伝統衣装を身にまとうらしい。ラッキーな場合は、この伝統衣装を着た女性と出くわすこともあるらしいが、さすがに1時間半弱の滞在では厳しかった。

スカンノ

伝統衣装の女性には会えなかったが、伝統衣装を着た人形が飾ってあるショーウィンドゥには出くわしたので、代わりにお人形さんの画像をドウゾ。しかし、これじゃ、よくわからないですね。要するに黒くて品があるんです。

スカンノ

旧市街の中は、車は通れないような小道が多い。

スカンノ

外から見ると茶系に見える町なのだが、旧市街内は黒色がメインである。

スカンノ

訪問したのは3月の半ばなのだが、噴水前にまだ雪が残っている。ただ、標高の高い山奥の町・スカンノ歩きはかなり寒いことを予想していたのだが、怖れていたほどは寒さを感じなかった。天気がよかったおかげかもしれないが。

スカンノ

扉に石の素敵な装飾がある建物。十字架が見えるので、教会の施設だろうか。

スカンノ

アーチのかかった狭い階段の道が多い。アーチの向こうには、町の背後にそびえる山が見えている。

スカンノ

それほど派手ではないが、バロック風の装飾が施された邸宅も目につく。羊毛業がさかえていた17~18世紀、スカンノには裕福な羊飼いたちがいて、その羊飼いたちがこういうバロック風お屋敷を建てたのだそうだ。貴族の邸宅でないとは驚きである。

スカンノ

ささやかではあるが、バロック邸宅の特徴である、バルコニー下の飾りを持つ家もある。スカンノが栄えていた時代の名残り。残念ながら、現在ではスカンノには羊飼いはいないらしい。

羊飼いがいなくなり、衰退したスカンノの町だが、「写真家の道」という道があることからわかるように、雪山を背景に、三角屋根が妙に規則正しく並ぶ独特の景観が、著名な写真家たちを惹きつけるようになったのが20世紀である。

そして、私のように、そんな写真家が撮った写真を目にして、スカンノを訪れる観光客がぼちぼち増えてきたらしい。まだまだ「知られざるイタリア」って感じのスカンノだが、何せフォトジェニックな町である。画像による情報伝達が全盛の時代の流れに乗って、もしかしたら日本でも、じわじわと人気が出てくるんじゃないかという気がする。

スカンノ

バロック風の噴水が、先ほどの雪が残っている噴水に加えてもう一つ。

スカンノ

町の中では、あまり三角屋根の連続は体感できないが、ふっと三角屋根が見えるポイントがあった。

スカンノ

本当に面白い景観の町だ。ヨーロッパの人たちの古い故郷である古代ギリシャでは、人々が集住(シノイキスモス)してポリスを作っていくが、町というものは、人が寄り集まって作るものだということがよくわかる。人間はポリス的生き物。私は孤独を重んじる生き方は嫌いではないけど、人間は本当の孤独…死を迎えるまでは、程度の差はあれ、ポリス的に生きていくのだと思う。

スカンノ

町の一番高い部分にあった城門。この先は、車が通れるようなので、おそらく旧市街の端になるのだろう。

スカンノ

町の一番上まで来たので、あとは下って、バス停の方へと戻る。

スカンノ

建物の切れ目からは、背後の山が見えている。スカンノ付近は、野生のクマも出るらしい。クマ?…そういえば、スカンノには、「クマのパン」と呼ばれる銘菓があるんだった!クマのパンを買えるお菓子屋さんがバス停近くにあるはずなので、ちょっと急いでバス停に戻ることにした。

スカンノ

早くバス停に戻りたいのにさー、こういう私の心を引き止めるヤツがいるわけだよ。私こういうの大好きなのだよ。

スカンノ

先ほどの伝統衣装の女性像があるバス停近くの広場に戻ると、行くときには全然いなかったオヤジたちが、どこからともなく集結していた。オヤジたち昼寝が終わったな。オヤジが何人いても、スカンノの伝統衣装は女性用なので、スカンノ・ドレスには会えないのだ。

とにもかくにも、バスの時間まであと10分を切っていたので、旧市街外、バス停から走って2分くらいの、クマのパンが買える「Bar Pasticceria Pan dell’Orso」に駆け込んだ。このお菓子屋さんも、旧市街内にあると勘違いしていたのだが、旧市街外であった。私の事前リサーチ力の低さには、我ながら驚く。

ちなみにクマのパンはイタリア語で「Pan dell’Orso(パン・デル・オルソ)」。そう、このバールは、この銘菓の名前を、そのままお店名にしているのである。これでクマのパンが買えなきゃ詐欺だろう。果たして、クマのパンはしっかりショーケースに並んでいた。

黒チョコと白チョコとあり、何がクマのパンなのだかよくわからなかったが、とにかくもバスがもう来てしまうので、一人ずつトイレも借りながら、クマのパンを持ち帰りでゲットした。よく考えれば、これから1時間はバスに乗るので、クマのパンよりトイレの方が重要であった。

スカンノ

これが、ものすごーーーく急いで撮った店の外観。この写真はヒドイとお思いになるのもごもっともだが、コレは私が写真がヘタというより、ものすごーーーーーく急いでいた私の心理が反映された写真だと解釈して頂きたい。

スカンノ パンデルオルソ

これは後から撮影したクマのパン(パン・デル・オルソ)。私もちゃんと撮影すれば、このくらいは撮れるのである。さて、クマのパンのお味については、これからペスカーラに戻る途中で食べるので、お楽しみに…。

3/14スカンノ~ヴィッララーゴ~アンヴェルサのBBI三連発のバス車窓!へ続く

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